2005/05/31

雪の女王

毎週日曜日に放映しているNHKアニメ「雪の女王」が面白い。毎放映分は、それ毎に話が完結していて、とてもわかりやすい。それでいて無理がなく、すーっと物語が入ってくるし、絵も丁寧で、全体的にみて好感が持てる。こういう品質が高いアニメを造るのは、制作側のご苦労が多いことだろうなと思うが、視聴者とすればとても嬉しい。

「雪の女王」はだいぶ前に、高校の頃に、読んだ記憶がある。細かな流れは既に忘れてしまった。確か、雪の女王に連れ去られた男の子カイを探すために、女の子ゲルダが一人で旅に出ると言う話だった様に思うが、おいおいアニメを見ることで思い出していくことだろう。先が楽しみだ。

「雪の女王」は冷戦時代のソビエトでアニメ映画化されている。残念ながら未だ見ていないが、その映画でのゲルダは闘う女性として描かれていると聞いた。
そのイメージもあるのかもしれないけど、今回テレビアニメ板に登場するゲルダを見ていると、毎回ハラハラしてしまう。たとえば1回目では、大人が「行ってはダメ」と言っている「迷いの森」に友達を連れて入っていくし、2回目ではおばあさんの熱冷ましの薬草を探しに、カイのお母さんが寝ている隙に雪の河原まで行ってしまう。つまり、大人の禁止を破る子でもあるようだ。

それぞれにゲルダにとっては言い分があるのはわかるし、アニメを見ている僕などは納得してしまう。それに、多くの物語がいうように、子供は自分の住んでいる世界から外に飛び出していくものなのかもしれない。大人が禁止するには、それなりの理由がある。それは社会の中で大人達が生きていくための了解事項であり、大人達は子供達にそれらを禁止として伝えているとはおもう。でも子供達にとっては、「外」にこそ何か新しい物、素晴らしい物が待ち受けているかのように思うのかも知れない。動機はどうあれ、旅が主となる物語は多いのは、そういうロマンを求める気持ちを、逆に物語を通じて何かを伝えようとしているような、そんな気持ちになる。

雑感:身体がだるいと感じていたが、昨日からだが寒くてどうしようもなかった。それで熱を測ったら、39度近くあった。久しぶりの発熱だ。昨晩から今朝にかけて、随分と汗が出て、熱も少しは引いたが、それでもまだ熱が少しある感じがする。昨日に較べたら、本当に楽になったのは間違いないのだが。

2005/05/29

ここ1週間ほど身体が「だるい」

ここ一週間ほど身体が少しだるい。熱があるわけでもなく、風邪を引いたという自覚もない。ただ、ここしばらく続いていている寒さと暑さに身体の疲れが取れないだけだとは思っている。同じように、季節の変わり目でだるさを感じられている方も多いのではないだろうか。
そう言う状態の時、やはりうブログで書く文章もそれに反映しているようだ。

ブログに書く材料が無くて困ることなど現実社会には少ない。問題はその材料を書くだけの価値があるのかと言うことだとは思うが、それはブログの書き手の判断に委ねられることになる。ただ身体に「だるさ」を感じる場合、そもそも考えること自体億劫なので、何かを書いても通り一遍になりがちになる。そんな文章であれば新聞サイトに行って読めばいいのであって、自分としては書く気にもなれない。

しかし、この「だるさ」の感じは不思議なものだとお思う。何処かに痛みがあれば、その痛みを取り除くべく、なんらかの対策を講じるだろう。たとえば痛み止めの薬を飲むとか、傷口があれば絆創膏を貼るとか。熱があれば、熱冷ましの薬を飲むことだろう。さらに熱が高ければ氷枕をして眠るのも良い。

でも今の僕の場合、多少、手足の筋肉の痛みはあるが、「だるさ」は内から奇妙な泡のようなものが、身体の穴から外に向かって浸み出していくような感じに近い。浸み出す過程の中で、少し筋肉の痛みに伴う張りのような、緊張と弛緩とが同時に出るような、そんな何ともいえない気分になっている。

考えてみれば、僕は「だるさ」も含めて、「痛み」、「吐き気」、「痒み」、等の身体に起こる幾つかの変化を言葉で語るとき、多少のとまどいを持って、上手く表現できないもどかしさの中でしていることを思い出す。体温計、血圧計などのスケールがあれば話は簡単かと言えば、どうもそうでもないように思う。人によって目安にばらつきがあると思うからだ。
身体が幻想的であると語る人は多い。僕もそれに同意する。

昔友人との雑談で、手鏡で女子高校生のスカートの中を覗こうとして捕まった大学教授の話をしたとき、友人は、男は女の身体に幻想を抱く、スカートの中にはパンツがあるだけだが、そんなこと誰もが解ってはいるが、スカートで隠されいる結果、そこにはある種の物語が隠されていると思うようだ、などと言っていたのを思い出す。勿論、破廉恥で反社会的な行為であることは間違いない。でも元々、痴漢とは「アホな男」と書くのであるし、そういう男は自分が造る幻想的世界と現実社会の区別が付かないのだろう。

ただ、女と男の身体が幻想的であるとは僕も思う。自分のことを「おじさん」と語る哲学者もいる。「少年」、「青年」、に続く「壮年」を「おじさん」と言うのかもしれないが、その線引きはあくまで恣意的だろう。間違いなく、その方は「おじさん」と語ることで、語る相手を限定していることになり、それを承知で半分冗句として言っていると思う。大人同士の語らいの中で、自分を「おじさん」と言う人はいないのは間違いない。「おじさん」ということで、自分を曖昧として、語る内容にある種の免罪符を手に入れている。ある意味上手い戦略かも知れない。
「だるさ」を言い訳にして、意味もなくだらだら書き連ねている僕が言うことではないのも間違いない。

2005/05/28

2005年5月28日の日記 カットアウト

■結晶作用

スタンダールは恋愛論のなかで恋の初めに見られる不思議な現象として「結晶作用」をあげている。

『私が結晶作用というのは、つぎつぎに起こるあらゆる現象から、愛するものの新しい美点を発見する精神作用のことである』
(スタンダール「恋愛論」 訳:前川堅市)

恋する相手をみつめる、息を呑む美しさと切なさ、そして動作のひとつひとつから新たな美しさを発見し続ける。恋する者の家の近くを通るだけで、胸が高鳴り、ふと目を上げると、眼前に立ち我が身を見詰めているかのような錯覚にとらわれる。そうそれは、「マイフェアレディ」の中で「君住む街角」を歌うフレディの様に。

恋愛論を語るつもりではなく、結晶作用で思ったことを書きたいと思っただけなのだ。でもひとたび、この手の話になると筆に勢いが付きすぎて、何かを話してしまいそうになる。

以前に書いたかも知れないが、映画「ドクトルジバゴ」が恋人ララの為に、一晩寝ずに作り上げた一編の詩。あのジバゴは内なる結晶を言葉に紡ぎ出そうとしていた姿だったと思う。そして作り出された詩も結晶化されていた。
その美しい詩を読み、ララは「これが私?」とジバゴに言う。ララの一言は、この詩に書かれている姿は私ではない、と言いたかったのではない。恋人の胸の内に住む自分の姿に、愛を感じ取り感動したのだと僕は思う。

美しく、言葉を結晶化し紡いだテクストを読みたいと思う。論理的でなくてもよい、明晰でなくてもよい、日本語として美しくなくても良い。勿論それらがあることにこしたことはない。ただ、出来ればそれらの言葉は、行為と共にあるべきの様な気がしている。行為、もしくは行為する状況をつぶさに理解できるような、結晶化された言葉。

■今日群馬の友人の所で

今日、モータサイクルで群馬の友人の所まで行ってきた。高速を使えば片道2時間半。近いものだ。彼との話で、お互いに共通する友人の話題になった。その共通する友人は、ここ4ー5年まったく音信不通となっている。便りのないことは無事な証拠として、忙しいのだと、気にもとめなかったが、今日行った群馬の彼は最近、その友人が4年前に語った言葉が気になるという。

4年前に、いきなりぶらりと尋ねてきて、話があるからお茶でも飲みに行こうと誘い、なんだろうと思って一緒に出かけると、普段の通りの雑談ばかり。ただ、最後に語った一言が妙に気になるというのだ。その言葉って?と聞き返すと。ありふれた言葉が返ってきた。
「おれはお前のそう言う所を、ずっと尊敬してきたんだ」

もっと大袈裟な言葉を期待していた僕は苦笑する。その苦笑する様を見て、彼は言う。あいつは滅多に人のことを誉めない奴だよな。うん、そうだ。

そのあいつが、俺を茶店にさそって、真面目な顔で別れ際に言ったんだぜ。その時はさほど気にならなかったけど、最近になって急に思い出し、それからは気になって仕方がない。でも電話をかけても音信不通だし。あいつの状況も別の所で聞いているので、電話を掛けづらさもあるし。

たしかに彼の言うとおりだ。話を聞いて、僕の心も妙にざわつき始めてきた。時折、共通の友人の姉さんから状況は聞いているので、それを彼に話すが、でも確かにその友人と直接話をしなくなってから随分とたつ。

2005/05/27

石津謙介氏死去に思うこと

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『アイビールックを世に出した石津謙介さんが亡くなった。九十三歳だった。タンスの奥深くで眠る紺のブレザーに、ふと袖を通してみたくなった人もいるのではなかろうか。体形は様変わりしてしまったが…。
▼「はやりに左右されない、男の生きざまがうかがえる組み合わせこそおしゃれの神髄」「形を着るのでなく、男としての誇りを着る」。ダンディーの神様が残した語録は味わいがあり、ボタンダウンシャツを愛した世代には、男の粋の伝道師のような存在だった。』
(2005年5月26日 産経新聞「産経抄」から引用
石津謙介氏と僕とではまったく世代が違うが、学生の頃より現在に至るまでアイビーもしくはトラッド一辺倒なこともあり、名前くらいは聞いたことがある。
両親が最初に東京に出てきたとき、現在住んでいる場所の近くに一軒家を借りて住んだ。大家の娘さんが、随分と年は離れていたが、幼かった僕と姉の遊び相手になってくれた。その娘さんは随分とおしゃれな方で、アイビーに夢中であった。でも女性向けのアイビー雑誌はなかったので、メンズクラブを見て自分なりに工夫して造って着ていたらしい。多分、僕のトラッド好きは彼女から受けた影響が大きいと思う。

アイビー、トラッドには基本が幾つかあると思う。でもそれらをマスターしてしまえば、あとは結構楽である。基本的に服装に無頓着な僕にとっては、何も考えなくても良いのがとてもいい。
それに、ファッションは螺旋階段のように、流行があたかも繰り返されるような印象を持っているので、たとえばベーシックなダッフルコートを冬のコートの通常アイテムとしておけば、流行に先なときもあれば、遅れの時もあり、その感じが時として面白い。こちらは一向に気にしてなくて、常に変わらぬ服装をしているだけなのに、回りが変わっていく、そんな印象を受けるのだ。

石津謙介氏が「VAN」を創立したのは昭和26年(1951年)のことだという。「VAN」とはライトバンのバンのことであるが、その他の意味として「先駆者」もあり、アパレル業界の先駆者の意味を込めて命名したらしい。ただ、実際は昭和21年にイブニングスター社から発刊した月刊風刺雑誌が「VAN」という名前で、石津謙介氏はその雑誌を見て、えらくこの名前が気に入ったらしく、自分の会社名は創立前からこの名前に決めていたとのことだ。

石津謙介氏のもとで働いていた、くろすとしゆき氏によれば、石津氏は好みとしては、どちらかといえばヨーロピアンで、アイビーは好きではなかったらしい。昭和29年に月刊誌婦人画報の増刊として「男の服飾図鑑」を発刊し、それが後のメンズクラブへと繋がっていくのだが、そうそうたる執筆陣の一人としてアイビーについて書くことから、石津氏がアイビー好きの人に一目置かれる存在になっていったようだ。

平凡パンチの創刊、みゆき族の出現、アイビーの大流行のなかで、「VAN」は成長を続けるが、低年齢化よりアイビーは子供のファッションだとのイメージを一般に与え、徐々に廃れていく。そして昭和53年に倒産、破産宣告を受けることになる。

日本ではファッションのひとつの姿としてアイビーは紹介されているが、実際の所、アメリカではまったく違う。アイビーはアイビーリーグというアメリカ東海岸の名門8大学を指し、プレッピーというプレップスクールを卒業したアメリカ特権階級のことを象徴する。彼らはWASP主義でエリート意識が強く、代々アイビーリーグを卒業している。現在でも上記のイメージはそんなに変わっていないはずと思う。何故なら、アイビーになくてはならないボタンダウンシャツだが、エール大学出身のブッシュ親子(やはり代々アイビーリーグ出身)はボタンダウンシャツは着ない、それは選挙基盤となる米国中西部の人たちの票を失いかねないからだ。同様に、ハーバード大出身のジョン・エフ・ケネディも最後まで着ることはなかった。

イメージとして、アメリカではボタンダウンシャツは階級を表しているとも言える。多分、東海岸の選挙区の議員達は逆にボタンダウンシャツを常に着ていることだろう。

ボタンダウンシャツだけを取り上げてもこうなのだから、それに引き替え、日本でのアイビー流行は無邪気そのものだったといえるだろう。
僕はリアルでは知らないが、銀座を昭和39年後半に出現した「みゆき族」とは一体何だったのだろう。あとから思うに、東京オリンピックの「そわそわ感」に日本全国があった時代だった。「みゆき族」にはリーダーはいなかったという。それまでの男性の価値観が変わり、力ではなく服装のセンスが良いか悪いかで評価が分かれる。ファッションのセンスの問題なので、地方も都市も関係ない。まず男たちがセンスを競うために銀座に集まり、格好がよい男性が集まるというので、噂を聞いた若い女性が集まってきたという。「みゆき族」、今では忘れられた一種のサブカルチャーを考えると、そこに何か面白いものが隠されているように思えてくる。

石津謙介氏はセンスの良いネーミングをするのが得意だったらしい。「トレーナー」、「ホンコンシャツ」、「スウィングシャツ」、「ランチコート」など今でも知らずに使われているものが多い。それ以上に、僕が彼の言葉から、今でも使っているのが「TPO」だろう。「TPO」とは、「Time(時)」、「Place(場)」、「Occasion(状況)」を繋げている。つまり、服装とは人に対する気遣いであると、石津氏は言っているのである。この考えが、僕がアイビー、トラッドにおいて一番教わったことなのかも知れない。

石津謙介氏のサイト Club1911
(出来れば残り続けて欲しい)

現在のVAN JACKET INC サイト  

2005/05/26

「アソーレス、孤独の群島」から教わるタブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」 (その2)

アントニオ・タブッキの小説集「島とクジラと女をめぐる断片」の一編「ピム港の女?ある物語」は、1995年に発行した単行本(青土社)で20ページの小編である。あらすじは、アソーレス群島の一つであるファイアル島に、欧州戦線から逃れてきた女性と島の男性との痴情のもつれから、男性が女性を殺害するというありふれた内容となっている。設定では、その話をタブッキはファイアル島のピーターズ・カフェで知り合った、一人の酔っぱらいから、過去の話(30年以上昔の話)として聞いたとなっている。

「アソーシス、孤独の群島」で杉田敦はこの物語について以下のように語っている。

『この物語を、ピム港の酒場で実際に出会った男の話に着想を得たとして、フィクションともそうでもないともとれる曖昧な状態に置いている。自分自身とは異なる別の語り手を得ることで、本来タブッキ自身では書くことが出来ないようなステレオタイプな物語を語ることが可能になったのだ』
(「アソーシス、孤独の群島」 杉田敦 から引用)

そして、杉田氏はタブッキが酒場の男を通してそうした物語を語らせた理由として、まず事件が起きた時代背景が第二次世界大戦の切迫とした状況にあること、そしてその時代は、ピム港では捕鯨がおこなわれていたこと、などをあげている。

つまり、ピム港はその当時、米国の重要な基地であると同時に、欧州から南北アメリカに亡命する人が立ち寄る場所としてあり、女性はそんな避難者であること。その時代捕鯨がおこなわれていたことにより、ピム港自体がクジラの臭いが立ちこめ、港は黒みを帯びた血の色に染まっていたイメージがそこに出てくる。

しかも、女性が物語のなかで住んだ場所は、現在でも実際に残っていて、元はクジラの解体場所でもあったらしい。物語では男性が女性の血を浴びる場所が、実際上はクジラの血を浴びる場所であったという隠喩がそこにある。

『港を舞台とした女と男の出会いと別れという俗世界の物語は、急に神話めいた血と愛情の寓話のような色合いを帯びてきた。さらに、男の最後の言葉が追い打ちをかける。父親と二人で捕鯨と、捕鯨の合間にウツボ漁で生計を立てていた男が、ウツボを突きに行くと父親に嘘をついて出かけた夜、銛で突き刺した女の名前は、女が男に話した唯一の真実だった。イェボラシュ。イブを連想させる名前と蛇との距離は近い。彼はまさしくウツボを突いたのだ』

男が女に惹かれたのは、島にないものを秘めた美しさであった。男は女を見詰め続け、さらに女の後を追い住み場所を見つけ、部屋に入れてくれと哀願する。女は最初見向きもしないが、男が島に古くから伝わるウツボを穴から追い出す歌、それは聞いたことがないほど切ない歌、を女の家の前で歌う。そうすると女は家のドアを開け男をなかに導く。しかし、ある日女の家に行くと、そこには見知らぬ男がいる。別の男に連れて行かれることに耐えられなくなり、男は女を突き殺す。(イェボラシュの意味については、本記事最後に掲載する)

『タブッキは、一見するとありふれた物語を前面に出しながら、その背後に奇妙な神話とその挫折を忍ばせたのかもしれない。その時代と、その時代の島について少しだけ想いを巡らすだけで現れてくる物語。そんな物語を包み隠すには、飲んだくれの男の言葉が必要だったのだ』
(「アソーシス、孤独の群島」 杉田敦 から引用)

これらが、僕が「アソーシス、孤独の群島」に書かれている、「ピム港の女?ある物語」の読みである。「アソーシス、孤独の群島」は評論ではなく旅行記なので、突っ込んだタブッキの評論はおこなってはいない。でもアソーシスに滞在し、その空気に触れた杉田氏の読みは適切であると僕は感じた。ただ、僕自身は杉田氏の読みを概ねで受け容れながら、それでも杉田氏が思う、「タブッキが酒場の男を通してそうした物語を語らせた理由」が若干根拠が薄いように思えているのも事実である。

確かにこの小説において、「タブッキが酒場の男を通してそうした物語を語らせた理由」を問いとするのは重要なことだと思う。タブッキは「島とクジラと女をめぐる断片」の「まえがき」で、この小説についてこう語っている。

『それから、巻末の短編は、僕がピム港の居酒屋で出会ったある男から打ち明けられたのではなかったか。とはいっても、ひとつの人生の物語には、ひとつの人生の意味しかないと信じる人間の思い上がった理屈から、それにいくつかの事柄をつけ足して、男が話してくれた物語に改変を加えたことは否定しない。この話を聞いた居酒屋では大量のアルコール類が消費されていて、そんなとき、通常にふるまっては礼儀を失すると僕が判断したことを告白すれば、少しは情状酌量していただけるだろうか』
(「島とクジラと女をめぐる断片」 アントニオ・タブッキ 須賀敦子・訳から引用)

タブッキは作品に置いて隠喩を提示することで知られる作家でもある。ただ、この「まえがき」を読むことで僕が感じることは、タブッキ自身のアリバイ工作である。つまり、この短編は自分が語っていないことを強調している姿である。「まえがき」で書かれていることは、短編のなかでも既に書かれていることであり、この説明は二重になっている。強いて、「まえがき」にしか書かれていないことをあげれば、それはこの話は尾ひれが付いて針小棒大となっていると言っているだけであるが、小説であればそれは改めて説明する話でもない。

アリバイ工作をしてもなお、タブッキが造った短編を「居酒屋で出会った男」に話をさせる必要があったのだろうか。僕が思うに、それはタブッキが話せない内容だったからだと思う。また、小説という形であっても、タブッキが造った話と思われてはいけない話だったのだと思うのだ。それは杉田氏の考えのように、覆い隠すためでなかったように思う。それよりも、この事件は島の男が起こさなくてはいけなかったと僕は思うのだ。

殺される女性はヨーロッパ戦線から逃れてきている、いわば「大陸」の女性である。その女性は島にない美しさを持っている、それはいわば「大陸」の象徴としての女性だったのではないだろうか。そして、その女性を殺める男は「島」を象徴している。そう考えれば、「大陸」の男であるタブッキがこの話を語れない理由が見えてくると思う。小説の最後で、島の男が女性と会い、殺意を固める場面がある。そこでは象徴的に、「大陸」が「島」に対し、「下男」という言葉で表しているように思える。

『あした、発つの。女が言った。待ってた人が帰って来たのよ。まるで、おれに礼をいうみたいに笑っていたのを、どういうわけだったのだろう、おれは、あの歌のことを考えているな、と思った。部屋の奥でだれかが動いた。年かさの男で、服を着るところだった。なんの用だ。いまおれも理解できるようになったあの国の言葉で、男が訊いた。酔っぱらいよ。女が言った。むかしは捕鯨手だったけれど、銛をヴィオラに変えたのよ。あんたのいないあいだ、あたしの下男だったの。追っぱらいな。男はおれを見もしないで言った』
(「島とクジラと女をめぐる断片」 アントニオ・タブッキ 須賀敦子・訳から引用)

「大陸」からの旅行者は「島」に「大陸」から逃げるようにしてやってくる。「島」に来た「大陸」の旅行者は、「島」を気が付かないまでも、ある種の尊大なそぶりで「島」を眺める。まさしく、「大陸」にとって「島」は小説のなかで女性が言うように、下男として、「大陸」から好きなように使われる。
それが一番顕著に表れたのが、物語の時代設定である第二次世界大戦中だったように思える。中立国であるポルトガルは、枢軸国と連合国の双方に危ない綱渡り的な政治を行っていたが、独自色が強いアソーレス群島にとっては、米国基地の設置と大量の避難民が押し寄せる事態をどう思っていたのであろうか。

アソーレス群島では1980年代後半まで捕鯨がおこなわれていた。捕鯨をアソーレスにもたらしたのはアメリカからというのが一般的らしい。捕鯨と言っても日本と違い鯨油を得るためだけにおこなう。でも島の人たちにとって、カヌーで巨大なクジラを銛で突く漁は、まさしく誇りに思う男の仕事であっただろう。でもクジラを解体し血にまみれる「島」の男たちを「大陸」の人は、「島」の人と同様の眼で見ていたとも思えないのだ。やはりそこには下男にやらせる仕事の意識があったように思える。

「島」は「大陸」を目指すが、「大陸」は「島」を本気で相手にするわけではない。結局、短編の女性のように「大陸」の男に連れて行かれることになる。それに対する反抗をこの物語では語っているのでないだろうか。そして、島の男は罰を受け、「島」は「島」であることをあきらめと共に受け容れる。

この物語は、全体構成がアソーレス群島と密接な関係にある「島とクジラと女をめぐる断片」の一編であることを考えれば、1個の独立した短編と見ることが出来ないのでないかと思う。この短編も群島のひとつの島として、アソーレスの実体を語る要素もそこには含まれていると僕は思っている。

杉田氏の読みを否定しているのではない。僕は杉田氏の読みを受け容れている。ただ、それだけではないように思えた。それだけの話である。

補足:イェボラシュの意味(「アソーシス、孤独の群島」 杉田敦 から引用)
ポルトガルのアレンテージョ地方の古都、エヴォラは、アラブの支配下にあった時期に"Yeborath"と呼ばれていた。エヴォラの街の名前の由来は、エプローネス人によるものなど諸説ある。イェボラシュの発音は、テトラグラマトン(神聖四文字、YHWH)を誤用したとされるエホヴァ(Yehova)にも近い。エホヴァは、ユダヤでは蛇神と表現されることもある。一方イヴの周囲にも、エデンの園の物語に限らず、蛇の物語が見え隠れする。アラビア語では、イヴは、生命と蛇の名を兼ねた"hayyat"である。

追記:
イラク戦争直前の米国・イギリス・スペインの各首脳会談の場所も、上手く説明できないが、なんというか、欧州と米国の中間という地理的意味だけでなく、「島」だから選ばれたという印象も僕には多少はある。
これで「アソーシス、孤独の群島」を図書館に返却できる(笑)。

2005/05/25

「アソーレス、孤独の群島」から教わるタブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」 (その1)

アンドレ・タブッキの小説集「島とクジラと女をめぐる断片」について、杉田敦氏の旅行記「アソーレス、孤独の群島」から様々なことを教えてもらった。それをMEMOとして残す。

「アソーレス、孤独の群島」で杉田敦氏は「群島的」という表現でアソーレス群島の印象を総括して以下のように語っている。少し長いが引用する。

『ピーターズにいると、孤独ということの意味が揺らいでくる。一人でいるということ、それだけではおそらく孤独ではない。自分が一人だけだということは、理想的であって現実的ではない。この言い回しは、フランス人の思想家、ジル・ドゥルーズが無人島について論じる言い方を借りたものだ。
実際には同じような人間が何人もいるということはあえて自覚するまでもない。言ってみればそのことに対する甘えこそが孤独を忍び込ませることになる。

(中略)

ドゥルーズは、地理学者に倣って島を2種類に分けた。大陸から分離し、そして離れていった島と、大洋のそこから突如として出現したもの。アソーレスの場合はこの後者に属する。

(中略)

島の周囲を取り囲む広漠とした大洋こそが、孤独を静かに溶解させるのだ。けれども、考えてみればそれはおかしなことだ。それこそがまさに孤独を生み出しているにもかかわらず。同じものがまさに孤独を溶かすのだから。

グローバリゼーションと共同体の関係を、中心となる島と群島の関係に置き換えて論じたのはイタリア人の思想家マッシモ・カッチャーリだった。ヴェネツィア市長も務めたカチャーリが念頭においたのが、ドゥルーズの分類による前者の島であるのは明らかだ。

カッチャーリの隠喩は、アソーレスを巡る状況とは随分とかけ離れている。僕にはむしろ、ヴェネツィアを念頭に置いたカッチャーリの方が孤独を肥大させるような気がしてならない。

つまり孤独というのは、グローバルな共同体からの疎外であり、グローバルな共同体に属しているメンバーの存在の気配なのだ。けれども少なくともドゥルーズが分類する後者の島、しかもその集まりである群島には、実体的な本島が存在しない。

それらを束ねているのは、あくまで想像上の大鷲の視線であり、一方それとは対極的な、極めて物質的な地理学上の事実なのだ。そこには疎外も疎外されてもいないはずの存在も存在しない。だからこそそこでは、まったく見知らぬ関係であっても、なおかつ言葉を交わすことなどなくても、孤独が忍び込むような余地がないのだ』

(「アソーレス、孤独の群島」 杉田敦 P219?P220)

上記のアソーレスについての文は、前日には書き記さなかったが、本書で杉田氏が一番言いたかったことかもしれない。僕はアソーレス群島には行ったことはないが、杉田氏はアソーレス群島を正しく認識しているように思える。勿論それは旅行者の立場での認識かも知れないが。
またこの「本島が存在しない、島の集まりとしての群島」のイメージは、アンドレ・タブッキの小説集「島とクジラと女をめぐる断片」の構成にも通じていると僕は思う。

「島とクジラと女をめぐる断片」は短編小説集ではないと僕は思っている。収められているのは、1つ1つが独立していながら、しかも全体として一つのまとまりを持った、アソーレス群島を舞台とした小説である。しかも、中心となる(本島の位置づけとなる)小説はここにはない。それは杉田氏がいみじくも「群島」と称した意味合いに近いと僕は感じている。タブッキは「まえがき」で以下のように述べている。

『もし、この小さな本の読者が旅行記に類するものを期待されるのだったら、僕のなかの幼稚な律儀さがすぐさま、ちょっと待ってください、と言うだろう。旅行記というジャンルに属する本は、時代に合った文章でなければならないと同時に、ともすると記憶がひとりでに紡ぎだしてしまう空想には浸食されない種類の記憶を必要とする。逆説的なリアリズム感覚のおかげで、僕はそうした本は書くまいと思った。

(中略)

またとかく嘘をつきたがる僕ではあっても、これらの文章は、基本的には僕自身がアソーレス諸島で過ごした日々に存在を負っている』

(「島とクジラと女をめぐる断片」 アンドレ・タブッキ 訳:須賀敦子)

「島とクジラと女をめぐる断片」の構成としては、「はじめに」と「おわりに」を含めると、全部で9つの文章となっている。これはアソーレス群島の島の数と同じだ。また、冒頭のエッセイとも散文ともいえる文「ヘスペリデス。手紙の形式による夢」は、アソーレス群島の島々を1つ1つ抽象的に語った内容となっている。

収められた小説は、旅行記の形をとったもの、小説の形をとったもの、法規文をそのまま載せたもの、記録としてのもの、など形式は様々だ。1つ1つが個性があり、似たようなもの同士は少ない。これらはタブッキが意図的にアソーレス群島を構成の中に組み込んだように思えるのだ。
そして、タブッキのイメージするアソーレス群島は、極めて杉田氏のイメージするものに近いと、僕は双方を読んで感じたのである。

「一つの小説でありながら、複数の形式の小説を内包する」、それが「島とクジラと女をめぐる断片」であり、同時に、1つ1つが様々な文化と個性を持つ島が複数で構成する群島(しかもアソーレスとして一つ)としてのアソーレス。
タブッキと杉田氏が、アソーレスで過ごしたなかで、お互いが感じ取ったものが似通っているとしても、それは不思議ではないように思う。

群島として成り立つアソーレスの中で、杉田氏はファイアル島で過ごし、それを旅行記とした。僕はタブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」の中の一編「ピム港の女?ある物語」の感想を行う。
両者とも、「群島的」なもの同士のなかで一つを選ぶことは、間違いかも知れないが、杉田氏がファイアル島を選択した理由が「ピム港の女?ある物語」にあり、それゆえその小説の記述が多いのである。本記事はMEMOなので、それに準じた。

少し長くなるので、「ピム港の女?ある物語」のMEMOについては、別途新たに記述することにする。

2005/05/24

杉田敦「アソーレス、孤独の群島」

アソーレス旅行記「アソーレス、孤独の群島」(著者:杉田敦)の冒頭で、「島に行くということ」と題し、旅行者と島の関係について、著者は次のように述べている。

旅行者は地図帳もしくはガイドブックなどで、四方を海で隔絶された島を発見し、そこに大陸とは違った何かを期待し、都会の喧噪を逃れるように島を目指すが、島に住む人たちの生活は大陸での生活者と同じであり、旅行者は島に降り立ったときに、そこに逃れてきた物が存在するのを見て少なからず失望することになる。つまり、旅行者は「島」を目指し「大陸」からやってくるが、「島」は強く「大陸」を欲している。


『島は、旅行者が抱くような島であり続けること自体が困難なのだ。島は、ひとたび島として生まれ落ちて以来、もっぱら、いわゆる「島」でない何ものかになるために努力を日々積み重ねている』

杉田敦氏は、自分自身を振り返り、その都度、幻滅しつつも、それでも島に出かける気持ちから、島が自分に何かを与えてくれるからだと感じている。島が与えてくれるものは一体なんなのだろう、彼はそう思いながら、アソーレス群島の一つファイアル島へと旅立っていく。

でも杉田氏のこの思いは、島に着けば一気に忘失してしまう。彼は毎日のようにピーターズ・カフェにたむろする。または海で泳ぎ、クジラを見学したり、車でカルデラ火山口を見に行ったりと、行動は何かを求める大陸からの旅行者に近い。それは「島に行くことについて」の中で杉田氏が語った旅行者の姿そのものでもあったように思う。

彼が9つある島々の中で、特にファイアル島を目指したのは、アントニオ・タブッキの著書「島とクジラと女をめぐる断片」に依るところが大きいようだ。だから、彼はいたる処で、タブッキのこの著書のイメージを思い出す。特にタブッキの小説に出てくるワイン「シェイロ」を求め探す気持ちが強い。

実をいえば、僕は杉田氏のこの旅行記で、初めてアソーレス群島を知ったと思っていた。でも途中から、アントニオ・タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」の名前が出てきたことから、僕の読みは少し変わる。
タブッキのこの小説集を僕も好きなのだ。初めて知ったと思っていたが、実際はタブッキの書籍により僕は既にアソーレス群島と出会っていたことになる。それからは、そういえばピーターズ・カフェの名前をどこかで聞いたことがあると思っていたと、一人合点する。

ピーターズ・カフェは、世界で名の知れたカフェだと思う。欧州・米国間を、船もしくはヨットなどで航海するとき、殆どの船乗りはアソーレス群島のファイナル島には寄らなければならないと思っている。それは、ピーターズ・カフェがあるからだ。
20世紀の初めに開店したこのカフェでは、多くの船乗りたち、第二次世界大戦中は欧州から米国へ逃げる人びとが、一時の憩いを求め集まった。それは今でも世界中の旅行者・ヨットマンたちがくることで、無国籍な雰囲気は昔と変わりはない。

タブッキの小説の中にもピーターズカフェは登場する。その中で、ピーターズ・カフェは一種の伝言掲示板的な役目を担っていると描かれている。一旦、米国・欧州に行く途中で立ち寄り、あとから来るものへの伝言に使われたりするのだ。もしくは求職のメモだったり、恋人宛への手紙だったり、様々な内容の伝言がピーターズ・カフェに集まった。杉田氏の旅行記を読めば、今でも同様らしい。いたるところにピンで止められた、伝言のメモで壁がいっぱいだった。

旅行記として、「アソーレス、孤独の群島」が面白いかと聞かれれば、僕は十分に面白いと答える。冒頭の「島に行くということ」で杉田氏が言っているような、旅行者の島への想いと、現実とのギャップ、ギャップを埋めるための様々な行動を、著者と一緒に味わうことが出来るという点。それは、一種の疑似旅行体験そのものだと思う。
つまり、それだけ十分に、現在の群島の雰囲気が現されていると言うことだと思う。特にピーターズ・カフェの雰囲気は十分に感じ取れた、もしかすると、それだけでも面白いかもしれない。

僕はこの旅行記を読んで、幾つか考えることがあった。それは旅行記というスタイルについてのことと、タブッキの小説のことだった。特に小説集「島とクジラと女をめぐる断片」については、この旅行記を読んで、少しだけ立体的に読めるようになったのではないかと思っている。

補足:
アソーレス群島は大西洋のほぼ中央に位置する、9つの島からなる島々で構成している。ポルトガルに属するが、自治権を持っていて独立の気風が高い。歴史的観点から見れば、14世紀に発見されて以来、大西洋の交通の要衝として重要な群島であった。第二次世界大戦では、ポルトガルは中立国であったが、アソーレス群島は米国から欧州戦線への基地として重要な役割を担っていた。

ちなみに発見したとき、人間がいた痕跡は全くなかったと伝えられている。

最近再びアソーレス群島は、3人の男のひそひそ話の場所として、世界の注目を集めた。それは、米国・スペイン・イギリスの各首脳たちのパフォーマンスとしての会談である。短時間で終わったその会談の三日後の未明にイラク戦争が勃発している。


アソーレス地図

2005/05/23

今日、思考もしくは妄想の備忘録

本記事は、今日(日付では前日)頭に浮かび考えたことの単なる備忘です。だから、それぞれの項目に繋がりはありませんし、考えがまとまってもいません。つまり、思考もしくは妄想の種みたいな物です。

■マスコミで報道する際に良く聞く言葉、「シロ」と「クロ」。「シロ」は元々警察隠語だったのを、昭和40年代にマスコミが使い始めてから一般的になったらしい。「シロ」が使われることで、対応語として「クロ」が生まれた。警察隠語では、「クロ」でなく刑事ドラマでもわかるように「ホシ」とか言っている。また、実際に反抗を自供したり、もしくは裁判所の判決が下されたときは、「シロ」とか「クロ」の用語は使わない。つまり、「シロ」と「クロ」の用語をマスコミが使う場合、何らかの意図がそこにあると言うことになる。

■JR脱線現場から立ち去った2運転士「後悔強まり心苦しい」謝罪の手記を書いたそうだ。その事もそうだが、他にも色々とJR職員への批判があったことについて、少し考えた。

仮にもし僕がこの二人の運転手の立場であったらどうしただろうか。考えること自体意味がないことは十分に解っているが、瞬間でも思わざるを得ない自分がそこにいた。今までの経験からすると、現場に踏みとどまるかも知れない。勿論経験と言ってもこれほどの大惨事ではないから、実際にはわからない。彼らと同じ行動をするかも知れない。そして自分の行動に悩むことだろう。

悩むことについては止めようがない。また、実際にここで言いたいことも、そういうことでもない。なんというか、社会にたいし、重苦しさを感じてしまったのだ。

彼らは、宴会とかボーリング大会を開催した人たちは、非難されるべき人たちなのだろうか。彼らは一体何をしたというのだろう。期待に応えることが出来なかった、運転手として、鉄道マンとして、人間として・・・・?

期待とは誰が誰に対する期待なのだろう。少なくとも僕はそういう期待はしていない。だからこそ、そこで踏みとどまり救助をする人たちの行動が逆に光っている。

うまく言えないが、社会において各個人が役割を担い行動しているのはわかるし、それらの役割がある期待を持たれているのも理解できる。でもなんというか、個人としてみたときに、彼らのアイデンティティにとって、社会における役割はその一部ではないだろうか、ということだ。それを、一つに文字通り「同一化せよ」との暗黙なる圧迫が、この話の背後に感じてしまったとしたら、それは僕の考えすぎというものだろうか。

■日本人は心情が語るのは上手いが、物事を論理的に語ることは苦手だと、批判的な文脈の中で語られるのを多く聞く。それはある意味バランスが大事なんだと、語る側は言っていると思うのだが、その語りの中に、何かしら自分の立場の免罪符としている気配を感じてしまうのも事実である。
心情を語ることが上手いことは大いに結構なことだと僕は思う。それに、ある種の分析が困難な事項に対し、心情を交えて語るのが方法論として良い場合もあると思うのだ。
それに、書かれた文章というのは「私」と先頭にあるだけで、いくら論理的に書いたとしても、既に恣意的なのだと思う。

■近くの公園を歩く。欅、桜、松、梅、コブシ、サツキ、杉・・・等と木々が多い。公園の木々は人が公園造成時に計画的に配置している。だから、誰もそれを山に自生する木々と同一には見ないと思う。
いわば公園の木々は、自然を模倣する為に植えられた木であり、それは言葉は悪いが去勢された木でもある。少しでも枝振りを広げようとすれば切り取られるし、場合によっては根元から抜かれることもある。それらの木は管理され、管理できるものであると思われている。確かにそれは可能だろう。でも今日公園を歩き、木々の美しく様々な緑のヴァリエーションを、日差しを通して見ると、公園の木といえどもやはり一つの野生であり、人の想像力を越えて、命の力は強いのではないかと思った。
管理しているようでいて、実際は木の生命力に頼っている。そして木々は何処に植えられようが、根付いたときは人の思惑を越えて成長していく。そんなことを漠然と思った。

■公園を抜けて、上水道の道を歩く。底の両脇にはソメイヨシノが植えられている。
歩いていると、一本だけ別の種類の桜が植えられていた。そして木にはほんのりと赤みがある実が沢山なっていた。触ってみるとまだまだ固い。しげしげと眺めていたら、道脇の家の方が、6月初旬になれば熟しますよ、と教えてくれた。
でも最近の子供たちは採って食べないそうである。主に食べるのは鳥たちだそうだ。実と言ってもサクランボではなく、熟すると黒っぽくなるそうで、味は甘酸っぱいとのこと。熟したとき食べてみようと思う。
しかも、その桜の木の側にはびわの木まである。びわの実はまだ青いが、幾つもなっている。これも楽しみだ。

■中島みゆきの長編詩『海嘯』(1999.12.10 幻冬舎) を図書館で冒頭だけ立ち読みした。その中で中島みゆきは、海は人間と時間の観念が違うので、人間から見ると海が語る言葉は聞く事が出来ないと言っていた。
勿論この言葉は、中島みゆきが海が人間と同じ生き物であると言っているわけでなく、彼女のある心情を語っていると思うのだが、この文章を読んで、僕が日頃に「樹」について感じていることと同じ思いを感じた。

2005/05/22

散歩ゲームをはじめて思ったこと

散歩ゲーム」のルールは一つ、「100歩毎に写真を撮る」。勿論100歩に限定することはないけど、とりあえずそれでやってみた。単純なルールだが、最初はそれでも慣れなかった。でも中盤くらいから徐々にコツが掴めてきた。
やってみて、このゲームは想像以上に面白いと感じた。今後も続けていこうと思う。
それから、「散歩ゲーム」は何も歩数ばかりでもない、その都度ルールを決めればいいのだ。たとえば、seedsbookさんの場合、日溜まりルールとか、その都度色々と面白く決めていらしゃるようだ。

最初散歩をする場所を何処にするのか正直迷った。このゲームを僕に教えてくれたseedsbookさんの散歩道はライン川に近く、とても美しいところだ。それに見合う場所を考えてしまうのだ。
最初、二子玉川の川辺の散歩道であれば、見劣りしないだろうな、などと不埒にも考えていた。でも、はたとその選択は間違いであると気が付いた。

二子玉川の川辺には電車に乗れば7分くらいで着く。結構好きな場所ではあるが、頻繁に散歩する道でもないのは確かだ。最初の「散歩ゲーム」の場所は、やはりいつもの図書館への道が良いのだと思ったのだ。

都市郊外生活者なので、seedsbookさんの所のように自然は豊かではない、それは致し方がない。でもその中でも面白みを見つけることは出来る。そう思ったし、散歩は日常の生活の一環であるのだから、それこそふさわしいと思ったのだ。

seedsbookさんは記事「散歩ゲーム」の中でこう言っている。
『ヴィデオで散歩道を撮っても見えないものがこの写真と写真の間にある』
実際におこなうと、この意味がよく分かる。何回か、あそこの地点で100歩目になって欲しいと願った。その願いはだいたい叶えられない。
そのうちに、もしかすると、「散歩ゲーム」とは、この写真と写真の間にあるものを語るために、あるのでないかと思い始めた。

写真と写真の間にはブログ上では何もない。でもその間には、100歩という歩数と、それに見合った距離と時間が存在する。100歩目で止まり、そこで写真を写すと言うことは、偶然性の産物以外の何ものでもない。それはまさしくゲームだった。

時間と距離がパラメータとして起こるランダムな出来事。同じ散歩道でも、その結果、散歩ゲームで現れる写真は毎回別の顔を見せることになるのだろう。それを連続すれば、そこに一体何が見えてくるのであろうか。それは僕にもわからない。でも面白そうなことであるのは間違いなさそうだ。

2005/05/21

散歩ゲーム

散歩ゲームを始める。
ルールは100歩毎に写真を撮ること。
この散歩ゲームはブログ「散歩絵、記憶箱の中身」のseedsbookさんから教わりました。できれば、最初にseedsbookさんの「散歩ゲーム」をご覧になって頂けましたら幸いです。その記事がいわば出発点です。

ゲーム開始

1
こんにちはAmehareです。図書館まで散歩します。
2



マンションの何かのオブジェ。ニワトリに見える・・・
3



花壇の花々、色が鮮やかすぎる
4



まっすぐ進み、車道を横切ったところにあった竹藪。残念なことに中には入れず。
6



そのまま進むと公園が・・・中に入る。この公園は昔大地主だった人の屋敷がある。中は結構広い。
7



屋敷の倉。中を覗いたら、農耕具がおいてあった。倉の紋所はどういう意味だろう。

8



公園を抜け出る手前にあった、巨大なお釜。五右衛門風呂だったのだろうか。このお釜、底に穴が空いている。それが何故だかとても良い。
9



空を見上げる。天気が良い。電線で仕切られる空。この電線の直線模様で仕切られる空に、しばしば面白みを持ってしまう。
10



細い路地を見つける。初めての道だ。引き寄せられるように、この道を選ぶ僕。
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路地の途中にあった溜め桶。草木に毎日水を与えているのだろう。ヒシャクに人の温もりを感じる。
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庭の中の神社。神道をなさっているのだろうか、それとも昔からの土地の鎮守様なのだろうか。
13



目の前の巨大なマンション。マンションが出来る前は、長く空き地で野良猫たちの王国だった。かつて王国の前では、門番のように、常に数匹の猫がたむろしていたのを思い出す。
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マンションの前に立つ松の木とからまるアイビー。マンションより歴史が古い。
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車止めの回転灯。
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マンション前から横道に入る。壁の落書き。「DISK」とは何を表現したかったのだろう。
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鏡に映る風景が好きだ。
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まっすぐ歩く。T字路にぶつかる。方向指示通りに左折する。
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花壇の花。色味が良かった。花の知識がないことが残念だ。
20



街の掲示板。沢山貼ってある。
21



進行方向に向かって左側にあった明神様。小高い丘になっていて、頂上に小さなほこらがあった。
22



玄関前の植え込み。穴が気になる。ポストだった。
23



少し歩いて左折する。そこは上水道の道。日差しが強い。日差しが強いと影も濃くなる。
 24


上水道の道を少し歩き、右折。格子とアイビーとの色の組み合わせが綺麗だと思った。
 25


家の跡地。何故だか、無性に入りたくなる。跡地は人の思い出の傷跡が残っている。それに惹かれるのかも知れない。危険な感性だと思う、でも惹かれる。
 26


跡地から左折して少し歩くと、図書館に続く通りに出る。散歩はもう少し続く。

ゲーム終了

はじめてみると、seedsbookさんの言われる、「ヴィデオで散歩道を撮っても見えないものがこの写真と写真の間にある」の意味がよく分かる。面白かった。

ビョルン・アンドルセンの消息

ブログ「Mercedes's Diary」さんの記事「男の子の気持ち」を読み、そこでビョルン・アンドルセンの文字を見かけたので、彼は今どうしているのかな、と軽い気持ちで検索をして、見つけたブログ「シェイクで乾杯」さんの記事「ベニスで死す」。

そうなのか・・・と言葉を失う。

「シェイクで乾杯」で引用していた今年3月10日号のパリ・マッチ誌の記事で、ビョルン・アンドルセンはこう語っている。

『私が生きることを続けるためにどれだけの努力を費やしているか、あなたたちは想像できないでしょう』

「ベニスに死す」を観ていない方には、多分この記事はよくわからないことだとおもう。観たことがあれば、彼の言葉にある「想像できないでしょう」の重みが伝わってくる。

「ベニスに死す」での彼の役柄「タージオ」は映画により造られたアイデンティティだ。しかしそれがあまりにも美しく鮮烈な印象を人にもたらせたとき、ビョルン・アンドルセンに「タージオ」のアイデンティティを人は無意識にでも求めるようになる。

もとよりビョルン・アンドルセンという生身には、彼自身の連続した複数の「私」がいることだろう。その状態は同じ身体構造をもつ人間として、僕にも想像できる。勿論、その心身まで知ることは出来ないが、少なくとも「タージオ」という造られたアイデンティティではないことは容易にわかる。

たとえば、僕の身体には連続として連なる幾つもの「私」がいるとする。それを仮に切り取ったとき、そこには同一化できない「私」が幾つも出来ることだろう。それらを僕は状況に合わせて使い分けてもいる。また僕は、自分から、もしくは社会から、「択一せよ」と要請される圧迫も同時に感じる。つまり安定しろというわけだ。それは現在の日本においての普通の出来事かも知れない(それが良いとは思わないけど)。

ビョルン・アンドルセンの場合、それが造られた「タージオ」になれとの要請であれば、それは自分自身を生きるなと言われているようなものだとおもう。「タージオ」のアイデンティティはビョルン・アンドルセンの内なる差異の一つではなく、外の虚像のアイデンティティだからだ。それゆえ、彼は常に自己の内を模索し、生きることを続ける努力をしなくては生きられなくなる。

俳優になるためには、そのへんの問題を様々な役をこなすことで相対化して薄めるのだと思う。ただ俳優であっても、一度印象が刻印されれば、そこからの脱却は難しいことだろう。そういえば、TV板「スーパーマン」の俳優がそれで自殺した事を思い出した。そういう話は知られることがなく、数多くあるのかもしれない。僕はそんな思いで彼の言葉を読んだ。

2005/05/19

言葉で写し取るゲーム

帰宅時に素晴らしい景色を見るとカメラを所持していない事を悔やむ。多分、大体の人はカメラを持って会社などには行かないとは思うのだが、そういうときに限って写したい風景に出会うのは何故だろう。今日の東京で見た空は素晴らしかった。

カメラで写す変わりに、一種のゲーム感覚で、言葉を使って写し取ってみる。
ルールは、横文字は使わない、一行に必ず色を入れる、出来るだけ短く簡潔な文章を心がける、写真と同じようにフレームを出来るだけ固定する。

ゲーム開始

薄雲の鉛白色の空に
灰色の雲が瞬く間に覆う
季節はずれの地上に落ちた一枚の青朽葉色の木の葉が
濃緑の芝生を音もなく滑り、俄雨の到来を告げ
少し乾いた駱駝色の地に素描模様を描き始める
雲は流れている、僕は一人、空色の軒下で佇んでいる
短い雨は風の中で徐々に透明になり、やがて消える

一瞬の静寂、そして人びとと自然のざわめき、雲間から覗く蒼天の空
何という景色だろう、言葉を無くす程の無限の色
高度が違う何種類もの白く輝く雲、一番低い雲は手が届きそうだ
いや白と一言ですますことが出来ない
瓢箪の形をしている左遠方の雲は、利休茶色から蒸栗色までの微妙な色で聳え
少し横の低い雲はまるで薄抹茶色の洋梨
さらにその上は一面に、少し青みがかった鉛白色の雲海が広がる
そうそれはまさしく地上から見る雲海で、陰影があり様々な表情をしている
純白の氷河のようにもみえ、北極の上を飛んでいるようにも見える
しかしそれも全天を覆っているわけでなく、遙かに望む切れ目からは、紫苑色の空が見える
蜜柑色の夕焼けが、光線の関係かで空が少し紫がかっているようだ
夕焼けの色は、雲の切れ目を橙色に染める
日が落ちかかっているというのに、あの雲の切れ目から見える空のなんと明るいことだろう
その明るさが、天空全てを照らしている。
地上では目の前に黒く浮かぶ欅の木
既に夜は近い

ゲームオーバー

追記:
文で表現出来るのは、もしかして時なのかもしれない。そんなことを思った。色を表現するのは、味とか音を表現するのと同様に、文章力がない僕にとってはかなり難しい。でも今回はゲームなので、ルール付きだからこんな物でしょう・・・・
(幾つかルールを無視したけど 笑)

ちなみに色はサイト「日本の伝統色」を参考にさせて頂きました。なかなか参考になるサイトです。 さらにこのサイト「日本の伝統色名」もお奨めです。こちらの方はフランスの伝統色も載っていますし、みやすいと思います。

2005/05/18

「禅とオートバイ修理技術」でのオートバイ文章

『オートバイに乗って休暇を過ごすのは、他にない一種独特の趣がある。車は、いわば小さな密室であり、いったん慣れ親しんでしまえば、自然の何たるかを知りえない。窓の外を移りゆく景色は、テレビを見ているのと何ら変わりがない。私たちは、ただ枠のなかを流れてゆく景色を漠然と眺めている受け身の観察者にすぎないのだ。
だがオートバイにはその枠がない。私たちは完全に自然と一体になる。もはや単なる傍観者ではなく、私たちは自然という大きな舞台のまんなかにいて、溢れんばかりの臨場感に包まれる。足下は唸るように流れていくコンクリートは、現実のものであり、足を踏みしめて歩く道路そのものである。 (中略) すべてのもの、すべての経験、これらは決してじかの意識から逸脱することはない。』
(ロバート・M・パーシグ 「禅とオートバイ修理技術」 五十嵐美克、児玉光弘 共訳)
「禅とオートバイ修理技術」は最近の風呂専用書籍(笑)です。1974年の米国ベストセラーで、今から30年ほど前の本だが、内容において古さは少しも感じない(時折出る名詞で感じるときもあるが) 。

僕にとって時代を感じさせたのは、著者の友人が乗っているオートバイが「BMW R60」であること。ボクサーツィンの空冷水平対向2気筒オーバーヘッドカムエンジンのオートバイ。キックスタートのエンジンで、現在このバイクに乗っている人がいたらかなりのマニアだと思う。

現行のBMWのボクサーツィンは新型で見た目はすっきりとなったが、美しさで言えばこのR60の方がある。ちなみに言えばBMWは航空機メーカーが発祥だが、次ぎにオートバイ、その後に車を生産している。勿論いまでもオートバイを造り続けている。BMWはオートバイに関して相当なこだわりを持っている様に思う。こだわりというのは、オートバイメーカーとしての「らしさ」の追求で、それゆえ、BMWのオートバイは遠目でも一目見てそれだとわかる。

昔ツーリングしているときに、山口の秋吉台付近で、後ろから音もなくBMW(R100)に抜かれていった事を思い出す。そのコーナリングはとても美しかった。

「禅とオートバイ修理技術」の文を引用したのは、僕が感じているオートバイの良さがとてもよく表現されていると思うからだ。少し補足する。

僕らが車に乗る時、身体の外延は車のそれと同じ境界となる。だから、車体が少しでも何かにぶつかりそうになるだけで、僕らは驚く。その驚きは、車体が破損したときの損害の大小でなく、まずもって車体ではなく身体への障害のそれに近いと思う。
オートバイの場合、ライダーの身体の外延はオートバイのそれと同じになるが、オートバイ自体が人間の身体が露わになる乗り物なので、人間の身体そのものとほぼ同じとなる。
だから、オートバイは車に乗る以上に自然と一体化となると僕は思っている。風を受けて走る爽快感は、まさしくリアルな人間の感触である。勿論、人によって違うと思うので、万人が僕と同じ事を感じるとは全く思わないですけど。

「禅とオートバイ修理技術」は、元教授が病気で電気ショック治療を受け、その事から過去の記憶の一部が喪失する。その失われた記憶を求めての話と、息子クリスとのツーリングなどの話が書かれている。中心となる話がテクノロジー批判なのだが、文体はかなり読みやすい。
残念なことに、この著作を発表した後、数年して息子クリスは強盗に襲われ刺殺されてしまう。それを知って読むと、本でのクリスの姿がとても印象的になる。

多分この本については、読み終えた後で感想を書くと思う。

追記:この本ではモータサイクルでなくオートバイと呼んでいるので、それに合わせた。

2005/05/17

セクストス・エンペイリコスが懐疑論的方法としてあげた5つの基本方式

ヘーゲルは「哲学史講義」でセクストス・エンペイリコスをギリシャ最大の懐疑論者とした。以下は竹田青嗣氏の「言語的思考へ」に書かれていた、セクストス・エンペイリコスが懐疑論的方法としてあげた5つの基本方式のまとめ。単なるメモとして載せる。
  • 見解の違いを主張する方式・・・多くの独断論がどれも等しい権利で主張されうる。
  • 無限背進に追い込む方式・・・「懐疑派の証明するのは、ある主張の根拠としてもちだされるものが、それ自身また根拠を必要とし、その根拠がまたべつの根拠を必要とする、といったふうな無限背進が生ずることである」。
  • 認識の相対性に注目する方式・・・「われわれにあらわれる対象は、一方で判断主体と関係し、他方で他の事物と関係しつつあらわれるので、それ自体がありのままのすがたであらわれることはないのである」。
  • 前提を問題とする方式・・・「独断派は、無限背進の危険をさとると、証明されることのないある事柄を原理としてたて、それを単純に証明なしに承認しようとする、~それが公理である。」と主張する。
  • 循環論法ないし循環証明に追い込む方式・・・問題となる事柄の根拠として提出されたものが、別の根拠を必要とするとき、その根拠としてはじめのことがらがもちだされて、ふたつの事柄が互いに相手の根拠となる。たとえば、「現象の根拠は何か。力である。しかし、力とは何かといえば、それがまた現象の諸要素からくみたてられるほかないのです」。
(竹田青嗣「言語的思考へ」から引用 P68 「」内はヘーゲル「哲学史講義」長谷川宏訳)
帰謬論とは、相手の論理を貶めることにより自分の論理を高める方式。懐疑論の多くは帰謬論とあわさる。とくにそれを懐疑論的帰謬論という。

以下は雑感
僕が知る多くのブログは、その書き手の信念から発する事柄、もしくはその人の信念を作る過程が、そこに現れている様に感じる。まぁ、日記を含め人が書くものとはそういうものだとは思うが・・・。ここでいう信念とは、大袈裟なことでなく、「よい・わるい」または「すき・きらい」等の書き手が持っている判断の根拠をいっている。
極端な話を言えば、僕を含め書いているのは、数年に渡る研究成果を記した論文でも、形式化された法律でも、商談のためのプレゼンテーション資料でも、なんでもなく単なる日記であるから、懐疑論の方式を採用すればだいたいは論破可能だと思っている。
でも逆に言えば、ブログが、共同体での了解事項だけ、もしくは形式化された内容だけのものであれば、多分そのブログは全然面白くないことだろう。その人自身がそこに多く現れているからこそ、その人のブログは面白いのだと思う。
つまりは、ブログに対して懐疑論は似合わない、やる意味もないし、すべきでもない。懐疑論的帰謬論となればなおさらだと僕は思っている。
そんなこと殆どの人はやってないが、いくつかネットで見かけたので・・・メモにあわせて。

2005/05/16

モータサイクルに乗り豪雨に遭う

touring in rain

少々寒いが慣らしを兼ねてモータサイクルで第三京浜(世田谷・横浜間)を走る。第三京浜は直線が多く、制限速度80kmを守る車など皆無に等しい。久しぶりの自動車専用道路でもあるので、速度を出すのが少し怖い。左端車線を制限速度内で走行する。

第三京浜の終点料金所を抜けてすぐに休憩施設があり、そこには多くのモータサイクルが集まる。その姿を長椅子に座り珈琲を飲みながら見るのが楽しい。初めて見るモータサイクルがあった。水冷6気筒と思われる巨大なエンジン。エルキュワーレと呼ばれるホンダのモータサイクルがあったが、その改造版の様な姿に目が奪われる。それにしてもBMWのモータサイクルがやけに多い。

モータサイクルを眺めていたら、いきなり目の前に稲光が走った。ゴロゴロという音。空を見上げると黒い雲が低く流れている。「やばいかも」と雨を想像する。また稲光。一本のギザギザの光線が瞬間に現れ消える。
「自宅に戻った方が良さそうだ。途中で雨に遭うかも知れないが、とにかくここを出よう」
そう思い、再びエンジンを回す。

帰りの第三京浜に入る直前に、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。「おっくるな」と思ったとき、突然にスコールとなる。それはバケツに満杯になった水を上からかけられたような感じに近かった。ヘルメット越しの視界が効かない。道の端は小さな濁流となって流れている。雨具の準備はしてこなかった。ただ風を防ぐためにマウンテンパーカを着てきたのが、数少ない正解だった。しかし、ズボンを含めなにもかもがあっというまに濡れる。それはいきなり服を着たまま川に落とされる感じに近かった。

モータサイクルに乗っていると、突然の雨は当たり前のことだし、さらにひどい豪雨にもあったこともある。だから、それもまた楽しいと思う。雨に濡れながら走るというのが、楽しいと言うのは、かなりの開き直りがあるのだが、濡れるのが嫌であればモータサイクルには乗れないとも思う。

雨が降って怖いのは、何より車道の中央にあるマンホールの蓋である。あれは濡れると滑る。しかも、丁度モータサイクルの通り道にあるから不思議だ。コーナリングの途中で濡れたマンホールの蓋に乗ると転倒するリスクはかなり高い。
さらにトラックの水しぶき、速度を控えめにする事による後続車ドライバーのいらつき、等々と危険は色々とある。

だから、第三京浜にそのまま入らずに、雨宿りをする場所を探した。丁度良い場所があったのでモータサイクルを止め、雨が弱まるのを待つ。激しい雨だ。上空を眺めれば、西の方は雲が切れて青空が見える。激しい雨は長くは続かない。それは時間にすれば大抵は短い。だから僕も雨が弱まるのを期待して待つことが出来る。そうこうしているうちに、雨が弱まり太陽が顔をだす。

着ていたマウンテンパーカを見れば細かい埃が沢山付いていた。あの激しい雨は、空中に漂う塵を洗い流してくれたのかも知れない。太陽が雲間から日差しを差し込んでいるが、雨はやまない。でも雨は日を浴びてキラキラとしてとても綺麗だ。虹を期待したが、それは見ることが出来なかった。

2005/05/15

散歩をする

散歩でほんの少し遠くへと足を伸ばすと、時折迷子になるときがある。当方としては、意識的に迷子になるので、それは迷子と言わないかも知れないが、そうやって道に迷う自分を愉しむ。

構わずに歩いていくと、急に見知った街路に出て驚くこともしばしばある。その驚きは一瞬で終わるが、頭の中で散歩の経路を反芻し何でこの道にぶつかるのかと、自分の方向感覚に疑問を持つことも多い。人に誇れるほど方向感覚が優れているとは思わないが、未知の街並みはそう言う感覚を失わせるのもあると思う。

それでいて、バイクなどで長距離を走っても道を失うことはない。その時は主要幹線を走っているので当たり前と言えば当たり前なのだが、近所で道に迷い、遠方で道を失わない事に少しだけ不思議でもある。

学生だった頃、母と一緒に近くに住む知人宅まで歩いたとき、僕が近道だと思う道のりを紹介したら、母から「お前は裏道ばかり歩いている。今後の人生を象徴しているようだ」などと言われた。「私は常に大通りを堂々と歩く」と言った母は、確かにそう言う人生を今でも過ごしている。僕はと言えば、散歩をすれば未だに裏道とか見知らぬ細道に入りたがる傾向があり良く道を失う、そして今まで生きてきた過程を考えれば、確かにあの母の言葉は正しかった様に思う。

実際に裏道人生を歩んでいるわけでなく、何とか普通の会社員なのではあるが、それでもやはり盤石な事は一切なく、不安定な危なさを自分の中に常に感じている。それはリストラ不安とか、企業における今後の人事面の動向とか、そういう社会的なことだけでなく、自分の内にあるものだ。自分としては母のあの言葉は忘れられない。

その母はいまから7年くらい前に突如に膵臓ガンと診断され2ヶ月の検診入院の後に摘出手術を行った。あの時、医者から事前に報告を受けた僕は、膵臓ガンの情報を集め母の今後に悲観的な思いを持っていった。人は何というか愛する者に死に近い宣告をする者なのか、などとすっかり自分が宣告者になる者だと思っていたので、その事について勝手に考え深刻になっていた。でも、一週間くらいして、医者の方から母と姉夫婦を含めた家族全員に状況説明をさらっと、それこそさらっとしたときには、実際に凄く驚いたものだった。現実的にそういうときにはどういう風に進んでいくのか少しも知らなかったのだから、「ああ、こんなにも簡単なんだ」などと力が抜けた。当の母は医者から状況を聞いても、内容をすっかり理解していなかったようだ。自分ではガンではないと思っていたし、それは退院しても変わらなかった。また、膵臓摘出手術がいかほど大変な手術であることも認識していなかった。全て楽観的に捉え、大丈夫だとの信念を持ち続けた母が、あの状況を脱し得たのかもしれない等と今では思っている。

このブログで母の話をするのは多分初めてのことかも知れない。僕は時折感じるのだが、男は母の話を語りづらい雰囲気が世の中にはあるように思う。それは最近の事件でも取りざたされているように、親の過保護とマザコン、特に男性はマザコンが多いとの風潮があるのを感じ、自ら言い出しづらい面があるのだ。僕自身は他人から一度もそう言うことを言われたことがないので、男性はマザコンが多いとの論評には少々うんざりする。その点女性はそういうものから解放されている様に見える。ついでに言うが、親不孝も自覚している。憎悪と愛情、嫌悪と好感、無視と尊重、侮蔑と尊敬、それらの感情の境界線の間を揺れずに親を見る事が出来る子供がいるとも思えない。親は子供が最初に相まみえる他者なのだと思う。

散歩をすると様々なことを考える。くだらなくどうでも良いことが多いのは承知しているが、様々な事が浮かんで考えながら歩くのは楽しい。でもその時僕は風景を見ていないのも事実だ。

母は風景を見ながら散歩するようだ。だから道を見失わないのかも知れない。

2005/05/14

何故僕は吉野弘「夕焼け」にプロパガンダの技法を感じるに至ったかを逆に辿る

僕がブログを始めた当初、「ブログって何?」という素朴な疑問に答えてくれたブログがいくつかあります。その中に「図書館員の愛弟子」とそこから経由してしった「夏のひこうき雲」(左近さん)があります。左近さんからはいつも教えて貰うばかりで、ブックマーク「浮雲」はいつも参照させてもらっています。

今回「夏のひこうき雲」で拙文「吉野弘の詩「夕焼け」を誤読する」の感想( [Web][レビュー] 「夕焼け」再読)をいただきました。それは、僕が左近さん記事に以下のコメントを書いたのがきっかけです。

『詩人が途中で下車するのは、詩作として意図的な技法だとは思うのですが、それらの一連的な作詩技法に、悪く言えばプロパガンダの技法を感じたのです』

詩の感想は共通事項が少なく個別事項の割合が高くなると思いますが、その上で、僕の上記のコメントに誠意を持って答えてくれた左近さんに感謝しています。そこで僕自身としては、自己の個別事項を正当化する方向で展開するのでなく、逆にきっかけとなったコメントから遡る事で、出来れば左近さん感想との共通事項に辿り着き、そこから個別事項になった理由を洗い出す仕方が、左近さんの誠意に答える事だと思い今回の記事となりました。

しかしこれはやってみると意外に難しいのです。プロパガンダと感じるまでの流れは、所々飛躍があるようにも思えますが、しかし実際それらは飛躍ではなく、その中にはそこに至る自分なりの根拠があるはずで、自分がそれを忘れているのか、もしくは流れる意識の中で動いてしまい、少しズレが発生しているようです。つまり、この手法を用いて考えると言うことは、一旦何処かで停止してから辿る必要があると言うことになります。こういう思考法でもそれなりに訓練が必要なんだと思った次第です。考えてみれば、僕は毎回流れに任せて進むだけで、振り返ることはやってこなかったなぁ、という反省をしました。

プロパガンダと感じたものは一体なんだったのか、そのときに浮かんだのは一枚の絵です。その絵には下方に文字が書かれています。「やさしい心に責められながら」とか「受難者」というような言葉です。

絵といっても具体的にどこかに存在する絵ではありません。僕がこの詩を読んで一枚の絵を自分の意識の中で造り上げた絵です。その絵が僕にとってこの詩をプロパガンダと思わせたのだと思います。絵だけではそうは考えなかったと思うのですが、絵に書かれた文字によってそのように感じたのです。つまり、絵だけでも十分に理解できるというのに、これでもかと繰り返す文字のせいで。

その文字のせいで、僕はその絵が「絵画」ではないと思いました。それは一種のキャンペーン用ポスターでした。

ここで、どんな絵だったのかを語るのは意味がないと思います。ただ少女の気持ちが抽象的な姿で迫る絵です。なぜ僕はその絵に文字を浮かび上がらせたのか。さらに文字を浮かび上がらせることにより、なぜ僕はその絵を「絵画」でなくキャンペーン用ポスターとみたのでしょうか。

ここで、「夏のひこうき雲」の中で、左近さんが提示されている良い例があるので、それを使って考えてみたいと思います。
それはアフリカの飢饉が危機的な状況を強く訴えた「すぐ近くの背後に止まっているハゲタカにじっと見つめられている、飢えて死にそうな黒人の少女」の写真です。僕もこの写真の印象は左近さんの考えに同感します。

この写真のように事実をありのまま写すフォトジャーナリズムの仕方を仮に(A)とします。(A)に描かれている世界はひとつの事実を切り取ったものです。写真の構図に写真家の意図はあるのかもしれませんが、ただ写真家が自ら創り上げた世界を切り取った風景でないと僕は思います。

次に、その写真家が少女を雇い、かつハゲタカの剥製を横に配置して撮ったとします。目的は(A)と同様にアフリカの飢饉を訴えることです。それを(B)とします。その世界は(A)と違い、写真家が自ら造り上げた世界となります。でも見え方は(A)と同じです。

今度は、さまざまな画像をコラージュし、写真のいろいろな技法を駆使し、アフリカの飢饉を訴える一枚の写真を造ったとします。それにより芸術的な品質まで高めた作品です。それを(C)とします。さらにその(C)の作品に文字を挿入したものを(C')とします。

僕にとって「夕焼け」という詩は、上記の例えでは(C')に位置します。たぶん左近さんは上記例では(A)に近いものと見られているように思えます。

僕が掲げた問題点、なぜ文字を浮かび上がらせたのか、文字を浮かび上がらせることによってなぜプロパガンダと思ったのかは未だ不明です。上記の例で言えば、なぜ僕はこの詩を(C)と見て、さらに(C')としたのかということです。何故(C')がプロパガンダかという話もありますが。

「夕焼け」を一枚の絵に見立て、そこに文字を浮かび上がらせたのは、勿論ぼくの個別事項です。左近さんはその様に「夕焼け」を読んではいません。
それに、写真および絵画に文字を挿入することは大いにあります。その文字は必然的に挿入されていれば、絵にとって必要不可欠な文字となるはずです。僕は「夕焼け」の絵に浮かんだ文字を必然性があるとは思わなかった。そう考えたようです。
僕にとって不必要な文字とはなんだったのか。それは語り部である「僕」が電車を降りた以降の言葉にあると思っているようです。

(C)の様に、造られた世界と思ったのは、満員電車のイメージが、通勤ラッシュ時の山手線にあったのは事実です。その中で、「僕」の立ち位置が実感できませんんでした。すぐ横にいるのでしょうが、「いつものとおり」ということを確認すること自体が不能な混み具合をイメージしたと思います。お互いに押され押し合い、触れ触れ合う電車の閉じられた空間。そこで少女の状態を確認することが僕のイメージの中では難しかったのです。しかも、そこは窓の外を眺めることさえ躊躇われる状況です。僕の中に浮かぶ経験上の満員電車とはそういうものでした。

「風景」という言葉を使ったのは誤りだったと思います。「風景」としたとき、左近さんの言われるとおりに少女の姿は日常に見られます。僕もそう思います。その点において僕と左近さんは同一線上にあります。

詩人が作詩する世界は、彼が思うように造ればよいと思っています。そこには何の制限もないのかもしれません。しかし、そこには何らかの一線があるように僕は考えているようです。この詩の場合、「僕は電車を」降りないでも成り立つことが出来ます。何故「僕は電車を降りた」のかが、僕にとってはとても気になった様です。

この詩はメッセージ性が強いと思います。それはまさしく左近さんが例に挙げた一枚の写真に通じます。だからこそ、左近さんの例は適切でした。しかも、僕はその一枚の写真には耐えられますが、この詩の少女には耐えられなかったようです。うまくいえませんが、それは一枚の写真が現実世界を切り取ったものであるし、この詩も現実世界を切り取ったものであるのですが、本拙文で言えば、(A)でなく(C)の様なものと受け取っている点が事が強いようです。(A)と(C)の違いは、一言で言えばその世界を意図的に造られたか否かだと思っています。

また作詩であれば、僕自身の考えとして、社会性を含むべきではないと考えている点が強いようです。僕はこの詩に社会的なメッセージを受けてしまいました。
本来であれば、日常的な出来事、普段であればそのことに対し疑問を持たずに過ごしてきていることに、振り返って考えてみよう、と言ったメッセージだったのかもしれません。実は左近さんの感想を読んでそう感じました。
それをそれ以上の社会的なメッセージを感じたのは、詩の中で「僕」が電車を降りる前までに十分に少女の気持ちが僕に伝わり、「もうそれ以上やめて」、といった気持ちになったからです。何故、その様な気持ちになったのか。それは、以前の僕の拙文と、それに対する左近さんの記事を見比べるとよくわかります。

僕は以前の記事でこう書いています。
『攻撃に敏感な「少女」と、攻撃をしていることに鈍感な「としより」』
それに対し左近さんの記事ではこう書いています。
『お年寄りのつらさがわかっているからこそ、少女は下唇を噛んで自分を責め続けるわけです』
つまり僕の場合、相手からの攻撃が主であり、左近さんの場合、やさしさゆえに自分で自分を傷つけているという構図です。僕がこの詩を読んで「もうそれ以上やめて」と思う背景には、自分がこの詩により攻撃を受けている気持ちがあるからではないかと思った次第です。

攻撃を受ける自分、誰からでしょうか、それはこの詩とそれを読む自分自身です。それを過剰に思えた自分がそこにはいる。それが一枚の「夕焼け」の絵を僕の内に描かせた。その詩が作者をして造られた世界と感じるのであればあるほど、僕はそう感じてしまう。そこが、僕のこの詩の出発点だったのかも知れません。

その点を考慮して、再度この詩を読み直しました。以前より少し薄まった気もしますが、それでもやはり似たような感想を持ってしまう僕がいます。それについては僕の課題として念頭に置くこととします。

左近さんの感想はとても自然に思えました。ですから逆に僕の感想との落差に、自分の世界観を振り返るきっかけになったと思います。それは、自分の世界観のどこまでが共通事項で、どこからが個別事項かの線引きをすることが、なんとなくですが、見えたようにも思えます。その線は極めて薄い破線ではあるのですが。

ここまで書いて、辿りなおすと言いながら少しも遡っていないことに気がつきます。なんか行ったり来たりの繰り返しですね。えらそうなことを言ってしまい、誠に赤面の至りです。
ただ、ここまで出来ないながらも考えてみて、現時点から振り返ると「プロパガンダ」という過去に書いた表現は過激すぎるかもしれないと思い始めています。

ランディさんの記事『「ほんとう」の呪い』

既に0時を過ぎているので、二日間ブログを書かなかったことになる。まぁこういう事もあるだろうし、それは別に良いのだが、ブログを始めてから多分初めてのことだと思う。
でも今週も終わり、やっと休みだ。明日は東京は曇りのち雨らしい。バイクが戻ってから休みが雨は困る。本当に困る。

久しぶりにランディさんのブログを読む。記事は、『「ほんとう」の呪い』。書く人だけあって言葉に敏感なようだ。記事にあったランディさんの彼の言葉が面白い。
『たとえば彼は「ほんとうにありがとうございました」という文章が嫌いだ、と言うのである。「ありがとうに、ほんとうをつける必要はない。ありがとうとはすでに偽りない言葉なのだから、ありがとうにほんとうをつけたらありがとうに失礼である」』
(田口ランディブログ 「ほんとう」の呪い から引用)
面白いこと考えるなぁ、と一人感心する。ありがとうの先に「ほんとうに」と付けるのは、言う側の気持ちが「ありがとう」だけでは気が済まないからだと単純に思っていた。その場合、素直にその言葉を受け取れば良いのではないかなと思う。僕の場合それで一向に問題ない。

それに、別に言葉で薄まるのではないと僕は思う。僕などは「ほんとう」のオンパレードである。ランディさんは言葉に「ほんとう」をつけると、付けられた言葉は薄まると言うが、薄まてしまうのは「ほんとう」という言葉でなく、既に薄まっているから、人は「ほんとう」を付けるのでないかなと思ったりもする。そして薄めているのは誰だろう。まぁ、感じ方は人それぞれだから別に構わないが。

でも確かに「ほんとうの仕事」などと考えたことは一度もない。いつも目の前の仕事が大事だと思うし、それと同時にその仕事によって繋がる先を見るのも大事だと思う。これが本当の仕事か、等と考えること自体意味がない。それに答えるとすれば、それが本当の仕事としか言いようがない。逆に言えば、そう言うことを意識して仕事をしているわけでもない。

でもランディさんのブログを読めば、色々なことを考えているんだなぁと感心する。それはそれでとても為になっている。

2005/05/11

本を読む

僕には書籍を読む波がある。

波とは読むときと読まないときの落差であるが、読む場合ジャンルに偏る傾向も同時にあるようだ。
その中ではミステリー物が読んだ期間は一番長い。英米に偏っていて、あとからみると英国物は女性作家、米国物は男性作家に偏っていた。

最近はミステリー物は殆ど読まないが、それでも読書の波は過去になく高い。

最近の読書方法を簡単にメモする。題して「とにかく読書」 。
  • とにかく暇さえあれば書店
  • 古書店に行く
  • とにかく新聞の書評を読む
  • 書店で面白そうな本は、携帯のカメラでとにかく撮る
  • 気になった本はとにかく図書館に予約する
  • なんでもとにかく読む
  • 気に入った書籍が引用している書籍は、とにかく図書館に予約する
  • 読んで気に入った作家の書籍もとにかく図書館に予約する
  • 読んで気に入った本はとにかく買う
  • 書店で手に入りづらい本は、とにかくアマゾン
図書館は地元と通勤経由駅、会社近くの3地区は確保したいところ。

図書館は書籍がおいてあるだけでなく、司書という書籍サーチャーのプロがいるところでもありますから、大いに彼らの知識も利用させてもらいます。

新刊本は図書館で借りるのは諦めた方がよい。ただ、これもどこまで事前に情報を集められるかにかかっている。発刊前であれば、その時点で図書館に相談することで、早い予約待ちを確保できる。

上記のサイクルであれば、自然に読まれていない書籍が溜まっていくはずだから、新刊本が出ても、ある程度は待てると思う。
それでも早々に欲しければ、やはりその書籍は買うしかない。

僕の仕方は図書館を大いに利用する事が要となっている。地域ごとに図書館の利用方法が違うので、その点は注意すべきでもある。
例えば僕の場合利用登録している地区は、世田谷・目黒・千代田・渋谷の4区である。4区もあると、かならずどこかしらの図書館は開いている。

特定の区で待ち行列がある書籍でも、別の区では待ち行列がなかったりする。 世田谷は1図書館で5冊まで、目黒は区全体で20冊までなどと違う。期間は概ね2週間で同じ。勿論予約はネットでおこなう。

イラクで日本人が武装勢力に拘束

一般によく知られていることだが、アメリカ軍のイラク統治の多くはアウトソーシングされている。それはアメリカ軍が国際法上出来ない仕事を軍にかわり遂行することでもある。

勿論、軍隊における諸業務のアウトソーシングは多い。外人部隊が最も知られているとは思うが、他にも兵隊の訓練委託、衣食住の世話の請負等と範囲も広がっているようだ。
暴力を占有するという国家観が、暴力をビジネスとして、側面もしくは暴力そのものを取り扱う企業の台頭によりほつれが出ているという思いにとらわれる。

正直言えば、その中に日本人がいるとは思いもしなかった。いても良いのだが、それゆえに、正直言えば今までの人質事件と較べて気持ちが動かない。彼がプロ中のプロのイメージが強い。言うなれば彼はミスを犯したのだ。

ただ、重傷を負っているという。早々に手当をしなければ命に関わるとも思う。その点において気にはなるし、早めに救出して欲しいとは願っているが、なんだろうかこの感じは・・・。

事件の推移を静観する。助かって欲しい。

2005/05/10

2005年5月10日の日記

■バイクがないがない
バイクが戻って二日目。家の前の駐車スペースに置かれているバイクを見る。
この数ヶ月、そのスペースには「バイクがない」があった。しかしバイクが戻ってそこにあると、今度は逆に「バイクがない」がないに変わっているのが面白い。

■イギリス人の患者
帰宅時に駅の近くのブックオフで本を購入。「イギリス人の患者」が105円だった。映画にもなったこの作品、以前から読みたかった。映画は面白かったが、何処が面白かったのかと自分に問えば、それがよくわからない。しかも、再び見たくないという気持ちの方が強い。この自分にとっては正体不明の感想によって、逆に忘れられない映画ともなっている。だから映画でなく書籍が読みたかった。

■昨日記事の補足説明
昨日の記事「LOVELOGトラブルの行方」について、メモとして補足説明をする。
昨日の記事で結局言いたかったことは、企業一般の事とKDDI独自の事により、トラブル解決はそれなりに時間がかかるということだった。
トラブル対応といえどもコストはかかるわけで、担当者の方は大変だと思う。何故なら彼らには決済をもらう為の説得材料が乏しいと思うからだ。それは彼らのせいでなく、企業としての方針がKDDI側としてブログにないのが最も大きいと思う。ただ、携帯電話用のブログサービスを立ち上げることでもあり、この際設備的にLOVELOGとシェアする方向で動けば、良いのでないかなと愚考する。
auとシェアすることで、トラブル対応も従来よりは素早くなるだろうし、体制も現状よりはましになる様に思う。などと思うが、余計なお世話か。

■図書館での風景(その1)
2才くらいのお下げの女の子が階段を勢いよく下りてきて、僕の隣の長いすに座ろうとしたが、上手く座れずに椅子からころりと床に一回転した。
幸い何処もあたらず、ただころりと一回転しただけだが、間近でのことだったのでビックリした。
女の子は目が点になって、僕の顔を見る。目と目が合う。「大丈夫?」と聞くと、黙って顔全体で何度もうなずき「うん」という。良かったと思ったら、その子は階段ではなくエレベータで下りてきたお母さんを見つけ、「わーん」と泣きながら全力で駆けていき、ひしっとお母さんに抱きついた。そして抱きつきながら「いたいよー」と言っている。でもものの10秒も経たないうちに、けろっとして一緒に図書館の中に消えていった。可笑しくなった。

■図書館での風景(その2)
今度は女子高校生が3人、となりの長いすに座った。一人の子が携帯を気にしている。電波の受信状態が悪いというのだ。図書館は、ホール状になって1階から見下ろせるが地下にある。そこで、その子は階段の地階と1階の中央付近まで行った。そこは丁度階段ガラス越しに、地階から彼女の全身が見渡せる。残った二人のうち、一人が携帯チェックをしている彼女の丁度真下まで行こうとする。すかさず椅子に座っていた子が、階段の途中でメールチェックをしている子に声をかける。
「***、そこにいたらダメ、奧に行って」
真下に近づこうとした子が、長いすに座っているこのところに戻って聞く。
「なんでわかった?」
「私も同じ事考えたから。真下からみえそうだなって」
女の子同士でもそう言うことを考えるのかと、印象に残った。

全て隣の椅子での出来事。昼休み、会社近くの図書館での風景。

2005/05/09

LOVELOGトラブルの行方

企業で顧客重視と言うが、そこでいう顧客とは、言うなれば顧客イメージのことだと思う。
実体としての顧客と顧客イメージの関係は切断されている。顧客イメージは、問い合わせを受けたオペレータがカスタマ用DBに内容を入力した時点から始まる。それらは分類・集計し件数として費用対効果の資料となる。効果があれば対応するだろうし、効果がなければ勿論対応しない。対応しない結果、当該サービスをやめる人もいるだろうが、それも当然に企業としては見込んでいる。

顧客イメージは企業内であたかも顧客の実体として語られるが、実際は企業内政治の道具として使われる。要するに、企業内の各部署毎によって、一つのサービス利用顧客でもその姿は違う。それはイメージだから、各部署の社内政治に都合良く作られることになる。

LOVELOGのトラブルについて、最近まで知らなかった。アクセス解析もランキングの気にしたことがないのだから、止まっていることさえ知らなかった。LOVELOGはDION利用者のみに提供することから、上限は既に決まっている。それ故に油断が設備計画上においてあったのだと思う。

KDDIが直接LOVELOGを運営しているのかどうか不明だが(多分していない)、ブログに対してKDDIが消極的なことは良くわかる。仮にブログが新たなビジネスモデルの核となる場合(KDDIはそう考えていないようだ)、既に大きく出遅れてもいる。つまり、KDDIにとってのブログ提供は単なる顧客囲い込みでしかない。ブログ利用者はDIONから離れづらくなる、と言う目算だろう。

囲い込みとしても、マーケティングの立場からは非常に弱い位置づけであるのは間違いない。KDDIはauで利益を得ているから、投資はauに向けられることだろう。さらに、ネットでは光プラス、メタルプラスに向かっているので、ブログの存在はとてつもなく小さいのは誰でもわかる。

DION利用者でのLOVELOG利用率がどのくらいなのかは知らないが、今回のトラブルによるDIONからの離反率は盛り込み済みかも知れない。その上で解決までの期限を決めていることだろう。

恐らく今回のトラブルで、他のサービス案件を含めて様々な思惑による社内政治(KDDIという企業の中ではゴミのような規模だと思う)が動いていることだと思う。さて、トラブルの行方は何処で落ち着くのだろうか。今のところトラブル対応としては想定内ではある。
実は、ブログの可能性を捨てているプロバイダとしてのDIONの今後に少しだけ興味を持っているので、そう言う面で今回のトラブルを見ている。

そう思っていたら、KDDIは携帯電話(au)向けのブログサービスを開始するらしい。そのサービスは携帯電話とPCでの更新可能らしい。KDDIの中では、恐らくLOVELOGとauは事業部が違う(体制表から見て)。それ毎の顧客イメージの違いで複数のブログサービスを立ち上げることになる。無駄言えば無駄な話だが、KDDIというシステム上それはそれで立ち上がるべくして立ち上がったサービスのようにも思える。

2005/05/08

久しぶりのバイク

DSC03832

バイクに乗った。久しぶりだった。

最初渋谷のバイク屋で自分のバイクを見たとき、一目でそれだとわかったけど、何か自分のバイクじゃない感じを受けた。何かが違う。側に行ってタンクからシートにかけて触れる。艶やかなメタリックな濃いグリーンのタンク、なめらかな曲線、タンクからシートにかけて流れるライン。タンクに残る細かな数本の線は見覚えのある傷跡だ。シートのほつれから、少し恥ずかしそうに覗く素材。それは紛れもなく僕のバイクでもある。

でもこの違和感は何だろう。以前よりグリーンがくすんだような気がする。以前はもっとエンジン回りがピカピカ光っていたような気がする。
バイク屋からエンジンキーをもらいエンジンを動かす。セルスイッチを入れた瞬間に、まるで疾走前の馬が筋肉を振るわせるように1450ccのV型が2・3回大きく揺れ、地響きのような低音を轟かせた。その感触、身体に伝わる音とエンジンの振動は身に覚えがある。

それは確実に僕のバイクであった。でも実感として目の前にあるバイクは、全体が少しずつずれていた。タンクはタンクとして少しズレ、シートはシートとして少しズレ、その他の箇所もねじ1本に至るまで奇妙なほど同じ分だけズレていた。

多分、久しぶりで慣れない事による感覚的な問題かも知れない。もしくは、数ヶ月の間で、僕の中でバイクのイメージが膨らみ、それと実際のバイクとの間で、少しズレが出たのかも知れない。まぁ、どこにでも良くある話だと、一人合点する。

バイクにまたがる、思った以上にフロントとリアのサスペンションが沈み込む。クラッチを握り、ギアをローに入れる。スコーンと音を立てローになる。半クラッチにしてバイクを少し動かす。良い感じだ。

通りに出て、ローからセカンドにセカンドからサードに、連続してアップする。クラッチとの繋ぎも良い。信号だ、ブレーキをかける。ブレーキのききも遊び具合も悪くない。
徐々に、初め感じた違和感が払拭していく。

246号線は車は多いが流れている。路肩駐車をしている車が怖い。流れに乗りながら慎重に走行する。それでも後方から数台のバイクが僕の横を追い抜く。

総重量300kgの車体は、思った以上に軽い。ロングホールの為、直進性も悪くはない。それ以上にロングストロークのV型オーバーヘッドバルブエンジンが奏でる3拍子の排気音と、シートを通し、もしくはハンドルから伝わる震えが心地よい。

フォーサイクルエンジンなのに3拍子のエンジン。それは一つの、そしてそれぞれのハーレー乗りにとっては、伝説への一つの鍵でもある。(一人泥酔状態)
以前、このバイクで様々な所に行った。風を受けながら、それらの幾つかを思い出す。その時、僕はいつも信号などで止まるたびに、タンクをぽんぽんとたたいた物だった。それは馬の首を触り、感謝を捧げる仕草に似ていた。わざとでなく、自然とそう言う動作をしてしまうのだ。

でもまだそこまでは、関係は戻ってはいない。
人によっては奇異に感じることかも知れない。たかが道具で機械である。その通りであるが、自然と長距離ツーリングするとそう言う気持ちと動作が出てくるのである。機械であっても道具であっても、人はそれらに感謝する事が出来る。そう思う。
家に着く。渋谷からとろとろ走って約30分。再度バイクを眺める。幾分ズレが少なくなったような気がした。

ついでにマンガのメモ

連休中に読んだマンガのメモ

・ZETTMAN(桂正和)
1-2巻目がなかなか面白かった。3巻目以降はすこし作りすぎ。SF物かな。

・いばらの王
これもSFで脱出物。テンポが良い。次の巻が待ち遠しい。

・ホムンクルス(山本英夫)
なんか誇張しすぎで作りすぎ、続けて読む気がしない。殺し屋イチの時もそうだったが、作家と相性悪いかも。

・神々の山嶺(谷口ジロー)
原作は夢枕獏。なんていうか、小説は書き手と読み手で序盤から終盤に至るなかで、お互いに盛り上がるリズムというのがあると思うけど、谷口ジローの場合、筆力があるというか、終盤まで均一の品質というか、視覚的になるとそれが相対化され、逆に終盤での盛り上がりに欠ける様に思えた。勿論、良い作品であることは間違いないとは思うのだが、なんか尻つぼみという感じかな。現在進行中の漱石の時代は面白いというか僕好み。お、書いてみて初めてわかったが、谷口ジローについて書くことが多い。

・かわぐちかいじの作品「ジパング」は毎週読んでいるが、彼の作品って、最初は良いのだけど、中盤あたりから終盤にかけてついていけなくなる。勝手のどうぞという感じになってくる。ジパングは徐々にそんな感じかな。つまりあれも中盤に来ていると言うことか。

・PLUTO2巻目
浦沢直樹は何を書いても浦沢直樹だな、って当たりまえか。僕の言いたいことは、この作品手塚治虫を底本にして書かれているけど、どうも進み具合がモンスターぽくないかということ。
実際に鉄腕アトムの原作は読んで頭の中に入っているけど、本作ではアトムのエキスが良い具合に抜かれていて、期待して読んでいるだけに少し展開に危惧を抱いている。

・エマ5巻目
少し前に発売されたのは知ってたけど、読んだのはつい最近。エマ論誰か書かないかなぁ。僕には難しいのは承知しているので他力本願。しかし、今後の展開が益々楽しみです。

連休の終わり

とうとう連休も最後の日になってしまった。昨日バイク屋から連絡が入り、これから引き取りに行く。予想通りに連休には間に合わなかった。
久しぶりのバイクなので、身体が慣れていないことを思えば、いきなりの長距離は難しいかも知れない、というか休みじゃないので行けないのもあるが・・・

連休中に読んだ書籍をメモしておく

・レヴィナスを読む 合田正人
読むのに少し時間がかかった。合田さんの文章は、なんというか詩的だな。

・近代の寓話 西脇順三郎
詩集に「読む」という動詞を使うことをためらう。詩集は詩の作品の集まりだけど、なんというか、そこには言葉しかない。今回久しぶりに通読して、彼の詩がなんかわかったような気がした。勿論わかった気になっただけだが・・・

・境界線の政治学 杉田敦
杉田敦の他の本も書店で立ち読みしたが、この本が一番面白いかも。どちらかと言えば政治理論書の入門書の位置づけか。全体的なインパクトが薄い様に思う。

・レヴィナスを読む サロモン・マルカ
今までに読んだレヴィナスについて語る本の中で、最も気に入った一冊。マルカはレヴィナスの知人で、学者ではなく、この本も評論でもない。でも一番レヴィナスの近くにいる印象を持った。思わず図書をアマゾンで購入してしまった。

・雑誌 現代思想 5月号 公共性を問う
下北沢問題をこの雑誌で知った。掲載している公共性問題の論文もそれなりだったが、一番読み物として面白かったのが、高祖岩三郎の連載物「ニューヨーク列伝 闘う情動の街角」。かなり面白かった。インスパイアされて書いた本ブログの記事多少在る。あと過去の現代思想を数冊拾い読みをする。

・西脇順三郎の小詩論数編
全集3巻目の中にある、初期の詩論を数編読んだ。これは時折、暇を見つけては拾い読みしている。彼の手紙が凄い。イメージの氾濫。言葉が純粋で美しい。「脳髄の日記」も読んだが、あれはあれで面白いが、感想を書く気力無し。

・現代社会の神話 ロランバトル
やっと全訳されたバトル初期の名作。これも拾い読みで、少しずつ読んでいる。寝る前に読むのが合っている。この書籍も欲しい、思案中

・テクストから遠く離れて 加藤典洋
これは再読。時折読み返す。性分としてテクスト論に偏る傾向がある。それを引き戻す意味で。

・お茶関連の書籍
読んでいるブログに影響され、再びお茶に気持ちが動いている。大学までは、僕はお茶しか飲まなかった。でも店で飲むお茶(特に紅茶)が不味く、珈琲を飲んでいるうちに、次第に珈琲だけになった。自分で造らなくなって久しい。結構お茶は研究したから、好きなことは好きなのだが。影響を受けて、やっぱお茶だなと思う単純な私。

ちなみに、茶道の経験は2年くらい在る。表千家だが、これは、和菓子を美味しく食べたいとの欲求から入門したのだけど。やってみて表千家の男手前は美しいと思った。茶道はやっぱ男の世界かな。

総じて言えばヘタレの毎日であった。読まずに積まれている書籍が心地良い。ジジックの「斜めから見る」まで行きたかった・・・

2005/05/07

ハリウッド板「シティ・オブ・エンジェル」の中で特に好きなシーン

外科医マギー(メグ・ライアン)に好意を寄せる天使セス(ニコラス・ケイジ)は、普段は人間の目には見えないが、姿をあらわしマギーの前に登場する。友達となった二人は、市場で買い物を一緒にする。天使は永遠の命を持つ変わりに、美しさとか味覚とか匂いとかの感覚がない。市場で買った洋ナシをマギーが食べるときセスはその味を尋ねる。

セス:「どんな味?言葉で表現してみて、ヘミングウェイみたいに」

マギー:「そうね、この味は・・・・洋ナシの味よ!」

マギー:「あなた知らないの?」

セス:「君の感じ方を知りたい」

マギー:「甘くて・・・
香り高くて・・・
優しく舌の上で溶けていく・・・
雪が淡く消えるように」

マギー:(少し照れながら)「どう?」

セス:(笑みを浮かべ)「完璧だ」

マギーの答える洋ナシの味の言葉が好きだ。仮に洋ナシが映画とか小説などのテクストだったとき、できれば僕はマギーのように答えたいと思う。この説明でセスは洋ナシの味をマギーとほぼ同じに感じる事が出来た。「完璧だ」というセスの表情がそれを物語っていた。

セスは洋ナシの味を知りたいと思っただけではない。それと同時にセスはマギーのことを知りたいと思った。マギーが語る洋ナシの言葉は、マギー自身を語る言葉でもある。だから、味覚を知らないセスはマギーの言葉で洋ナシの味だけでなくマギーのことも知ったのだった。
洋ナシの味は人それぞれによって違う。セスは僕にとって身近にいる人のことでもあると思う。

西脇順三郎の政治観

西脇順三郎の自伝的散文「脳髄の日記」の中で、西脇は詩について以下のように語っている。

『詩も美術とか音楽と同じように芸術であって、名誉とか利益を捨てて作らなければ、一時的にもてはやされるかも知れないが、究極において全く価値のないものであることを知らなかったからであろう。本当はそうした究極の価値を望むことさえ精神に反するものであると思う』
(西脇順三郎 「脳髄の日記」から引用)

『究極において全く価値のないもの』を創る詩人を研究したいと思うことは、僕の性に合っていることは間違いない。
西脇も言っているが詩における作品は手段でしかない。詩は詩の世界にしかない。僕はその考えに同意する。詩を読んだときに、その人の中に浮かぶ世界が詩の世界だと思う。だからこそ、詩の作品に社会性を持ち込んではいけない。その考えにおいても同意する。

『真にすぐれた芸術家はいかなる集団にも属しないボヘミアンである。真の芸術は権力のあるところからは生まれてこない。芸術家の精神は権力の側にも民衆の側にも、どちらにも帰属してはならないのだ。 (中略) 彼は「詩の目的は崇高な美を表すことである。特に社会性を出してはいけない」という』
(伊藤勲 「ペイタリアン西脇順三郎」から引用)

また西脇の政治姿勢に関する言葉として次の逸話がある。時は70年安保時代の話である。

『「詩人は奴隷であるべきだ。支配者はだめだ」と順三郎は言い切る。こういう野の人に向かって、「おまえの詩には雑草の名前ばかり出てきて、ちっとも政治のことなど考えていないではないか」と譏(そし)る者があるという。それに対して、「政治の事を考えているから雑草の名前が出てくるのだ」というのが彼の反論であった』
(伊藤勲 「ペイタリアン西脇順三郎」から引用)

詩人にとっては「奴隷」の位置が「権力の側」でもなく「民衆の側」でもない位置なのだろう。そして「支配者」とは「奴隷」の立ち位置から見れば、権力側であり、民衆側なのかもしれない。「奴隷」とは一体何の、もしくは誰の奴隷なのだろう。
上記双方の詩人の言葉を並べると矛盾が頭をもたげる。ただ、矛盾を連結することが大事とした詩人でもあるので、彼の中では繋がっているのだろう。ただ何本も引かれた作詩のための境界線は、自らの存在理由を構築するのでなく、作詩において自らを律する態度に思えるのは、僕の依怙贔屓だけでもないと思う。

西脇順三郎の政治観を語ることは、究極的に無価値な詩を語ることより無意味なことかもしれない。ただ、語られた言葉で西脇が民主主義に疑問を持っているのが感触として伝わる。60年安保から70年安保時代に多少の文化人が民主主義に疑問を述べている。それは現代において、大多数の方が感じている「ベストでないけどベター」の意見とも違い、「ベターでもない」との感じに近い。だからといって詩人にとっては、望むべきものは共産・社会主義でもない。何故なら、彼の詩に階級闘争を見ることが出来ないからだ。明らかに上部構造としての政治をみて、下部構造が上部構造を変えると言ったマルクス主義的な発想はない。
西脇の詩は社会主義において、利己的として排斥される可能性が高い様に思える。仮にそういう状況になったとしても、詩人はそれを甘んじて認める事だろう。

詩人は自分のために作詩した。彼の詩には社会を変える力なく、人と人との諍いを助長することも止める力もない。鎮魂もなければ、人を情動的にする事もない。彼の詩を読めば、そこで感じるのは、もっと根源的なものだと思う。それは彼の言葉「淋しい存在」として「在る」を感じる事ではないだろうか。

究極としての無価値な詩が、生誕110年を越えてもまだ古典にならずにいるのは、東洋と西洋の連結だけでなく、逆説的だが「奴隷」としての立ち位置がそこにあると個人的に思う。

蛇足
小泉首相が提唱した憲法改正がここにきてかなりの高まりを見せている。改正賛成派が有利な状況の中、護憲派が映画「日本国憲法」の上映がぼつぼつ始まっている。映画は4月23日からDVD、ビデオ予約販売も開始している。
改正派と護憲派の単純な境界線は、それぞれの派の中に幾つもある線を見落とす。改正派の中でも、改正すべき条項と内容において合議も為されていないのでないだろうか。護憲派は「改正せず」との意見で一枚岩のように思えるが、主眼としてある9条が改正されなければ、他の条項であれば、との思いの中で揺らぐ事もあるのでないだろうか。つまり、護憲派と改正派の明瞭とも思える境界線自体、何かしら細分化すれば、何本もの境界線で分断され、実体としては不明瞭で曖昧な状況のように思えてくる。単純な境界線を引いて対立構造を描き出すことで、誰が喜ぶのであろうか。実は上記の西脇順三郎の政治観の記事は、この護憲と改正の事を思いながら書いた。つまり、蛇足の視点は「奴隷」の立ち位置からの見方でもある。ただ、この国に住み生活する僕としては、否が応でも巻き込まれていく話でもある。自分の考えはある程度決まってはいるが、ただ、境界線で対立構造となっている状況下で、どちらかに組することを要請されること、他意見を排斥する状況を僕は嫌う。合議不能かも知れないが、この国に住む様々な人の間に、将来にわたる亀裂をまた一つ造られないことを祈るだけである。
そんなことを心配する僕は、極めて軟弱者なのである・・・・

2005/05/05

盛夏のようなこの幸福、凡ては天然の恩寵です

『私は自分ってものをどんな場合にも捨てられない。自分は自分だわ。逢いたくなったら逢うし、逢いたくなければ逢わずにいるわ』
表情は童女のようにあどけなく、しかし内には強靱な心を持ち、美しく澄んだつぶらな瞳は、おのれ一人を愛した眼であったと、彼女の友人は書き残す。
彼女は画家であり詩人であった。内に火のような情熱を持ち、時折それが表に出た。もともと、彼女以外の人などいなかった、男も関係なかった、人目もなく、常に自分が知りたいことを脇目を振らずに求め、そして行動した。
『世の中の習慣なんて、どうせ人間のこしらえたものなのでしょう。それに縛られて一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしが決めればいいんですもの』
彼女が愛した男も芸術家だった。男の方が先に彼女を愛した。しかし、その時彼女には既に結婚する相手がいた。しかし、彼女は結婚寸前のところでそれを破棄する。その芸術家の男が原因ではなかった。彼女は生きたいようにいき、その延長で結婚をしたくなくなっただけのことだ。
男は彼女に情熱を傾けて愛を語った。彼女も男を愛するようになった。
男が女を愛した理由は何だったのだろう。女が男を愛した理由は何だったのだろう。
それらを詮索することは些末なことだろう。言葉で語ることが出来ない何かの力により、彼女と男は愛し合った。

二人だけの上高地へのスケッチ旅行。そして同棲。周囲にわき起こる罵声の中で、二人はたじろかず、退かず、ありのままの男と女でたち続ける。そして二人は周囲から忽然と姿を消す。
『女である故にということは、私の魂には係わりがありません。女なることを思うよりは、生活の原動はもっと根源にあって、女ということを私は常に忘れています』
『恋愛は咲き満ちた花の、殆ど動乱に近いさかんな美を、私の生命に開展した。生命と生命に湧き溢れる浄清な力と心酔の経験、盛夏のようなこの幸福、凡ては天然の恩寵です』
『巣籠もった二つの魂の祭壇。こころの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可にせよ、掩うものなく赤裸で見透しのそこに塵芥をとどむるをゆるさない。 (中略) それ故ここに根ざす歓喜と苦難とは、さらに新しく恒に無尽に、私達の愛と生命を培う。またそれ故、技巧や修辞の幻滅、所謂交互性の妥協、打算的の忍従、強要された貞操、かかる時代の忌まわしき陰影は、私達の巣にはかげささない。牽引されず、自縄しない自由から、自然と湧き上がるフレッシュな愛に、十年は一瞬の過去となって、その使命に炎をなげる。峻厳にして恵まれたこの無窮への道に、奮い立ち、そして敬虔に跪く私』
彼女は常に自分の内からほとばしり出る魂の声を聞き続けた。そして魂の声が確かであれば、大胆に自分自身をそこに放り投げた、それが唯一の人間の道でもあるかのように。

彼女は元々身体は相当に健康であった。でも成長と共に病気がちになり、二人で暮らすようになってからはいつもどこかしらが悪かった。その彼女に実家での様々な問題が降りかかる。妹の恋愛、父が経営する会社の倒産、それらの苦悩を彼女は男には何も知らせない。それは男の仕事を思ってのことだった。その中で彼女は発病する。時に45才。

病気は現代でいうところの総合失調症だった。一時は回復する兆しを見せたが、その翌年自殺未遂。そしてまったくの痴呆状態が続くことになる。徘徊、独語、放吟、器物破損、食事の拒絶、男と医師への罵声、薬は毒だと信じ一切受け付けなかった。
自宅療養の域を超えた症状は、男をして遂に入院へと動くことになる。殆ど監視状態の中で、一人病室で妄想の中にいる彼女を思い、男は悩み続ける。

入院生活の中で彼女は徐々に落ち着きを取り戻す。しかし言葉は失ってしまった。そのなかで彼女は切り絵を始める。毎日のように色紙をハサミできり、のりを付け、一つの作品を創る。見舞いに来た男はそれを見て優れた芸術性に驚く。その男の顔を見て、本当にそれは嬉しそうな顔をして、男の膝にもたれかかる。

しかし彼女の身体の中に結核がむしばみ始めていた。男は彼女の切り絵を見ながら、油絵で成し遂げられなかったものを楽しく成就したと思う。彼女の切り絵は詩であり生活であった。彼女は最後に、今までに作った物を男に渡して、少し安心したかのように微笑んだ。男は持参したレモンの香りで彼女を洗った。それから数時間後に彼女は極めて静かに息を引き取った。昭和13年10月5日の夜のことだった。享年51才。

彼女の名前は長沼智恵子、男の名前は高村光太郎。

光太郎の作品は戦災で殆どなくなったそうだ。しかし、智恵子の切り絵だけは戦災を避けるため各地に分散させ、殆どが現存している。光太郎は昭和31年4月2日肺結核のため亡くなる。光太郎73才。光太郎の遺骨は駒込染井の高村家墓地に智恵子と並べて埋葬されている。

以下蛇足

僕らが人を愛するとき、相手のどこそこが良いとか好きとかいう。もしくは一緒にいて楽だから、感性が合うからともいう。あいての身体が好きだという場合もあるだろう。
その場合、その好きだった箇所が、病気か事故か様々な要因で変わってしまったとき、それでも好きといえる不思議さがある。
勿論変わってしまった結果により、例えば、倹約家だったのが浪費家に変わり、生活自体が立ちゆかなくなったりする時、変わってしまった相手によって自分の生命とか生活が脅かされるようになったとき、別れることもあるかも知れない。
その場合、自分も含めて相手も納得するだろうし、そういうことも世の中には多いと思う。それはそれで別によいのだが、僕がここで言いたいのは、智恵子と光太郎のようにな場合のことだ。
愛する理由なんて、言葉でいくら並べても致し方ないことはよくわかる。でも確かにその時は、あいてのその部分が好きだったのも間違いないと思う。そして、その部分が智恵子のように大きく変わってしまっても、やはり光太郎は智恵子のことを好きだったのではないかと思うのだ。

うまく言えないが、相手がそこに「いる」「在る」だけで、つまり相手の存在そのものを愛している。そんな印象を僕は二人に持ってしまう。二人とも芸術家である。芸術家は作品を制作する行為が重要だと思う。二人はお互いの作品を認め合ったかも知れない。少なくとも智恵子は光太郎の天才を認めていたことだろう。でも二人にとって、「行為」よりお互いがそこに「在る」ことが大事だったのでないか。そう思っている。

以前に読んだ評論に、内面に炎の様な激しさを持つ智恵子は、さらに巨大な天才である光太郎の前で、おのが自身を矮小化し、その結果で病気に繋がったのでないかというのがあった。確かに光太郎は時代とか世俗を超えての天才であった。でも上記の説はどうなのだろうか、未だにそれはわからない。多分永遠にわからないのではないだろうか。

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『レモン哀歌』

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トバアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ瞳がかすかに笑ふ
私の手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に風はあるか
かういう命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなりに止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

高村光太郎
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本記事は「光太郎と智恵子」(新潮社)を参考にした。この書籍には智恵子の切り絵の写真も多数掲載している。
ISBN4106020386

2005/05/04

サリーちゃん、あなたは魔法使いだったのね

花村よしこの言葉である。

「魔法使いサリー」の1部最終話での言葉だと思った。衝撃的な一言だと思う。第一すんなりと「魔法使い」という言葉が出るのが凄すぎる。
事前にサリーは、自分の正体をよしこちゃんとすみれちゃんに告げている伏線があるけど、それでも「魔法使い」はあまりにも現実離れしている。
それを淡々と言ってのけるところをみると、学校の火事とか何かで、よしこちゃんの頭が麻痺していたのかも知れない。頭が真っ白状態での言葉とも思うのだ。

例えば、仲良く付き合ってくれた異性が、実は結婚詐欺師だったとかに近い言葉かも知れない。正体を知ったとき、確かに頭は真っ白になる事もある。

「サリーちゃん、あなたは結婚詐欺師だったのね」

しかし、これではあまりにも酷すぎる。第一、結婚詐欺師と魔法使いを一緒にしてはサリーちゃんに申し訳ない。でもそんな感じで驚くとき、よしこちゃんの思いを胸に抱く。そう考えれば、よしこちゃんの言葉は日常でも大いに使えるように思える。

でも最近この言葉に対し認識を新たにした。よしこちゃんはサリーの正体を知っても、彼女の本質もきちんと知っていた。友達思いの優しいサリーの本質はよしこちゃんとって何ら変わりはなかった。魔法使いであっても、サリーとは友達であるのは変わりはない。だから、すんなりと彼女が魔法使いであることを認めることが出来た。

そう考えると、よしこちゃんが素晴らしい人物の様に思えてきた。すべからく、他文化が共存するこの国において、見習うべき点がただある。
しかし、これは親が子供に持つ気持ちに近いかも知れない。

「サリーちゃんは強盗したけど、本当は優しい子なんです」

例えが悪かった・・・やはり強盗と魔法使いを同じにするのはよくない。

よしこちゃんは、父子家庭で母親変わりに三つ子の面倒を見ている。アニメ1部では個人タクシー運転手を父に持つが、原作では八百屋の娘である。明朗活発、常に前向き、姉御肌だけど優しく情に篤い。まさに自立した人でもある。

学校の火事の際、サリーは魔法を使ってしまう。目の前で魔法を使ったことにより、よしこちゃんとすみれちゃんの記憶からサリーは消されてしまう。
これは最悪である。よしこちゃんの人間性を魔法界は信じていない。人間をひとくくりにしていて、その中の一人としてよしこちゃんを見ている。

「サリーちゃん、貴方は魔法使いだったのね」と語るよしこちゃんの表情を見れば、彼女が信頼に足る人物であることは明白である。それはすみれちゃんも同様だろう。

サリーの記憶がなくなったよしこちゃんは、サリーとの歴史的事実が欠落している。サリーはよしこちゃんのことを憶えているので、20年くらいして出会ったとしても、よしこちゃんはサリーのことを把握できないだろう。知らないんだから。
でもサリーはよしこちゃんのことをわかると思う。
これは双方にとって、特にサリーにとって残酷なことである。そう考えると、記憶を無くす罰というのは、よしこちゃんに向けられるのでなく、サリーに向けられている。残酷な刑罰だと思う。

でもきっと、サリーは王女様になり、魔法界と人間界の素晴らしい架け橋となり、様々な問題を解決してくれると信じている。

などと思わず熱く語ってしまった・・・話は尽きそうもないがひとまず終わる。

追記:正体が魔法使いで良かったかも知れない。

「サリーちゃん、あなたは男だったのね」

これだといくら人格者であるよしこちゃんでも友情は消えていくことだろう・・・

魔法使いサリーのページ

2005/05/03

吉野弘の詩「夕焼け」を誤読する

最近日記で楽しく読んでいるのが「Rest in Peace
確か15才の高校一年生の日記だ。(もう16才になったのかな?)
少し前にバイク関連の検索でヒットしたブログで、伸び伸びと、かつ率直に、自分の意見を書いているのが楽しくてつい読んでしまう。

その日記で知ったのだが、最近ブログ記事で話題になっているのが「席を譲らなかった若者」(らくだのひとりごと)らしく、「Rest in Peace」のところでも、記事を読んでのコメントが書かれている。僕は本記事は読んではいないが、「Rest in Peace」のコメントは読んだ。
「なるほど、そうなんだ」と彼のメディア・リテラシーに感心するのみである。そして、それ以上のコメントは僕には持たない。

ただ、読んでいない本記事のタイトルで、吉野弘さんの詩「夕焼け」を思い出した。一部の中学教科書にも載っているので、知っている方も多いと思う。
本記事を読んでいないのだから、詩「夕焼け」を載せる理由において、上記2つのブログは一切関係がない。ただ思い出しただけなのだ。(だからTBはしない)

ネットで検索(吉野弘 夕焼け)すると、3,330件の結果となるので、多くの方がこの詩について感想を述べられているように思う。どんな感想を持たれているのだろうか、少し気になる、後で少し読んでみよう。

僕の場合、この詩は現実を写しているのだろうが、あくまで詩人による作詩だと思う。つまり、この詩で起きていることは、詩人が見た風景だとは思うが、体験もしくは経験を写実したのではないと思うのだ。あくまで詩人の心象であり、造られた世界だと思う。
(現実的には起こりえない風景だと思う)

僕の解釈だが、この詩において少女の姿に「やさしさ」とかを前面にだして、この詩を読むと誤読しそうな気がしている。この詩はそういう詩ではない、「やさしさ」を前面に出して読むと、「やさしくない」ものが出てくるし、そこから安直に偽善だとかに結びついてしまう。そういう対立構造の現出は簡単だと思うが、簡単にわかるものは正しくないのが多い様にも思える。

一体、「少女」とは誰だろう、「若者」とは、「としより」とは。席を立って譲らなければならない相手とは、一体誰のことだろうか。「少女」は何故唇を噛みしめるのだろう。何故「少女」は3度目で席を譲らなかったのだろうか。受難者とは一体なんだろう。
受難とは難を受けるものを言うのであれば、難を与えるものとは誰だろう。「としより」は、常に押し出され「少女」の前に立つ、「としより」は黙っている、そして少女は2回席を譲る。

無言の「としより」の姿に、「少女」は攻撃を受けていたと感じていたといえないだろうか。「としより」は席を譲って欲しくて「少女」の前に来たのではない。押し出されて来たのだ。つまり、「としより」は「少女」に対し、そのような攻撃を与えている意識は毛頭ない。

攻撃に敏感な「少女」と、攻撃をしていることに鈍感な「としより」。誰のせいでもないのに、日常の中で繰り返される残酷さ。勿論、いつも満員の電車とは日本の社会を現している。「少女」とは誰だろう、それは僕らだと思う。「としより」とは誰だろう、それも僕らだと思う。
哲学者の中島義道はこの詩の中に『他人の加害性に関しては恐ろしく敏感な人たち』と『他人を裁き他人に暴力を振るっているという加害者性には恐ろしく鈍感な人たち』が形成する日本の残酷さをみている。

さらに解釈してみたい。
押されて出てくるとは、そこに自分の意志を感じられない。この言い回しに、僕は2つの意味を感じてしまう。一つは、「としより」はマイノリティをイメージしていると思われること。もう一つは、人はいつも押し出されて目の前に現れると言うこと。そして「としより」と書かれていることから、前者の方を意味していると思うのだ。そして、押し出されて目の前に現れるのはいつも「としより」である。

この詩の設定は「いつも満員の電車の中」となっているが、具体的な登場人物は「若者」と「少女」と「としより」でしかない。
「いつものことだが」が2回繰り返される。それは時間の経過を現していると思う。
そして「いつものことだが」座っているのは「若者」と「少女」であり、「としより」は立っている。「としより」は若者に較べ行動が遅い、いわば身体的能力における弱者ともいえる。つまり、身体的強者だけが弱者に対し、席を譲るか否かの選択が可能だという構造が現れているのかもしれない。そして、強者は誰が弱者なのかわからない。でもそこまで読むのは誤読であるのは間違いない。

誤読ついでに別の解釈をしてみる。
電車とは閉じられた空間でもある。そして詩の中に登場する人たちは一つの共同体を持っている。共同体には共有する文化を持ち、同じ道徳を持っている。「少女」はその中で、「としより」に2回席を譲る。でも「少女」は個人として、その共同体に違和感を憶え始めている。それは、「としより」が前に立つことが攻撃として感じる。しかし「少女」は共同体の中で生きるしかない。だから、共同体からの攻撃を避ける意味で、「少女」は「としより」に席を譲る。でも3回目で抵抗を試みる。

「僕は電車を降りた」、なぜ詩人は途中で降りたのだろう。電車を降りるという事は、その共同体から抜けることを意味しているのでないだろうか。簡単に自分の意志で抜けられるが、それができない人もいる。例えば「少女」のように。
日本国民として同一化作用がそこにないだろうか。嫌でも同じ共同体として、時には席を譲り、同じ方向に向かって進む、というような感じ。それを「やさしさ」という情動的な言葉で覆い隠しているようにも思える。

上記の解釈は誤読を承知で書いている。ただ、そう解釈すると、中学の教科書に採択された理由が見えてくる。みんな「やさしく」なりましょう。「おとしより」は大事にしましょう。同じ日本人としてこの国に生きているのだから。国と文化的共同体を同じにして、この詩を教えているのかもしれない。
僕にとっては、子供もおとしよりも大事にしなくてはいけない。それは同じ電車に乗っているからではない。僕がこういう共同体論に組していないからだと思うが、こういう考え方は、得てして共同体から外れる人に対しては辛い仕打ちをする同義付けになるように思える。

実をいえば、僕は途中で詩人が電車を降りることで、この詩が好きではない。詩人はこの少女に対して有責だと思うのだ。だから途中で電車を降りるべきではない。これは僕の倫理観だが、そんな風に思っている。

さらに「席を譲る」ということに考える。
マナーとルールのせめぎ合いで、マナーがルールに変わることは、そこにルール化しないと共有できない状況があると思う。でもそれには限界があるとも思う。
自分より優先するものとは誰のことだろう。それは自分の愛する子供たちのことだろうし、年老いた両親かも知れない。有縁であれば、その線引きは可能かも知れない、では無縁の人たちに対してはどうだろう。そこに共有するものを僕らは持っているのであろうか。
例えて言えば、沈みかかっている船の中で救命ボートに乗せる順番を決めるのに繋がる。電車の中で席を譲る優先度の延長線上に救命ボートに乗る順番があると思うのだ。
さらに、現代では、若者、少女、おとしよりだけでなく、様々な人がそこに登場する。身障者、在日、アイヌ、ジェンダー、ホームレス、病気の人たち、エイズ患者、外国人労働者、難民、亡命者、移民者、等々と永遠に続く。そしてそれらの方々もひとくくりにくくれない。在日の方と言っても、在日韓国人、在日朝鮮人、在日中国人、在日外国人、がいるし、さらに一人ひとりに差異がある。状況も考慮しなくてはならないだろう。その中で自分より優先することの倫理を僕は持っているのだろうか。
そんなことも、この詩を読んで突きつけられる。勿論、それも誤読には違いない。

*******************
「夕焼け」
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが座った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は座った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は座った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッっと噛んで
身体をこわばらせてー。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行っただろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

1959年刊詩集『幻・方法』所収
『現代詩文庫 12吉野弘』思潮社より
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2005/05/02

ナンのようなシュー生地で、カレーの様にカスタードクリームをすくって食べる

シュークリームシュークリームが好きである。それも大が無限数個連なるくらいに好きである(かなり誇張気味)。勿論お気に入りのシュークリーム屋も何軒かアドレスに入っている。シュークリームはイタリア生まれのフランス育ちらしい。しかも産まれた時代は日本で言えば江戸初期だというから、かなりの古さである。

GWは読書しようと本ブログで宣言した。しかし、実質は計画倒れになりそうでもある。でも一応用事がないときは午前中から読んでいる。ただ、読書というのは、読む場所が僕には必要らしい。電車とかバスの中が一番読める。かといって読書のために山手線を何周も回るのは気が引ける。というかそこまでして読書に囚われたくもない。あれは、仕事に行くという過程だからこそ読めるのであって、それがないときに電車の中では、ただ眠るだけのような気もする。

今日は突然に本よりシュークリームだと閃いた。そう言えば、自他共に(勿論狭い世界での自他共に)、シュークリーム好きを認める僕であるが、一度も自分で作ったことがない。これはシュークリーム好きのこけんに関わると思ったのだ。それで早速に図書館で本を借りてきた。書籍の名前は「はじめてのお菓子」。「はじめての」とひらがなで書いているところが、いかにも「はじめて」らしく、凄く好感が持てた。しかも、注目するシュークリームの項目が親切丁寧に書かれている。

「これだ!」と思い、ひっしと抱きかかえ借りる。ついでに材料を確認する。お菓子の場合、間違いなく、卵と牛乳とバターが必要なことはわかっていたので、それは確認して図書館に来たので、「ふむふむ」と読む。
「バニラビーンズ・・・・」、これがない。と言うことで近くのスーパーに。しかし売っていない。「バニラビーンズって、シュークリームの中に入っている黒いつぶつぶだよな、あれがなくても問題ないだろう」と、早速素人の独断が顔を出す。まぁとにかく作るのだ。

悪戦苦闘の一時間、シュー生地が大変だった。手早く作り、直ぐに絞り袋にいれて、均等に絞り、並行して熱くしておいたオーブンに入れなければならない。時間との勝負でもある。意外にカスタードクリームは簡単だった。これは要するに化学の実験そのものだ。正確な分量計測と、均等な攪拌。焼は、合計で20分ちょっと。オーブンの中を見ると・・・・絞った量が多かったようで、家の近くのインドカレー屋で作るナンに似ている・・・・・・これほど巨大なシュー生地は見たことがない・・・・愕然とする。

しかし、カスタードクリームは凄く美味しくできた(自己満足)ので、焼き上がった巨大なシュー生地を、引きちぎりカスタードクリームに付けて食べる。なんか食べ方もインドカレーだ。
巨大なシュー生地は、強大さ故に、焼を強くした結果、焦げている・・・。でもこの「おこげ」が香ばしく、とても美味しい。おもわず夢中で食べる。気が付いたら、全て食べてしまった。それと同時に気が付いたのが、写真を撮り忘れたと言うこと。記事にしても誰も信じてくれないかも知れない。でも僕のお腹は、極めてナン的な巨大なシュー生地とカスタードクリームの存在を知っている。それで良しとしよう。

シュークリームの「シュー」とはキャベツの意味だという。できあがりがキャベツのようだというのだ。僕の場合、大きさまでもがキャベツだったので、間違いなく「シュー」であった。

男と女、辛いと甘い、ステーキにケーキ、等と古くさい対立を並べてみる。最後にステーキを載せた事に他意は大ありである。両方ともフランスだからだ。そういえば遙か昔に「男と女」というフランス映画もあったし、こういう対立構造がフランスには身近にあったのかも知れない、などと気楽に考えるが、彼らが僕の作った「シュー生地」を見たら、こんな2項対立は思い浮かばなかっただろうと妄想した。

2005/05/01

癒しの場

僕はヒーリングの専門家ではないので、以下に話すことは単なる戯言に過ぎないかもしれない。

新宿から新大久保に至るエリアを月のうち数回彷徨った時期があった。それは買春目的でなく、一人の都市旅行者としての立ち位置で、見学が主たる徘徊であった。
新大久保エリアの細い路地には、ところどころに立ちんぼと言われる男女が佇んでいたし、彼らから少し離れて、ひもでありボディガードと見られる男たちが2?3人の集団で話し込んでいた。その頃は、立ちんぼはロシア女性が多かったように思う。または東南アジア系の女性も何人もいたが、エリア毎に国が違うようでもあった。

旅行者である限り、街の中にいようとも、僕と街のとの間には明確な境界線が引かれていた。僕は彼らの中に入り込めないと同時に、彼らも僕に入り込むことはなかった。事実、彼らもそれを感じていたのだと思う、彷徨っても僕に声をかける人は少なかった。

ホテル群に囲まれた、細く暗い迷路のような路地、暗闇に佇む女と男。それらの風景は僕にとって癒しの空間でもあった。僕はその街を深夜近くにヘトヘトになるまで歩き回り、帰宅して泥のように眠った。それは本当に深い眠りでもあった。昼間は穏やかな表情で会社で仕事をこなし、自分でも言うのは何だけど有能だったと思う、しかし内には様々な問題を抱え、深夜に街を徘徊する。それは異常な時間だったかも知れない。でも確かに僕はその街で癒されたと、その時は思っていた。

買春行為はしないのは、思想的な立場でも、政治的な立場からでもない、単にそこまでの癒しを求めていなかっただけに過ぎない。勿論、買春行為の一義は買う側(男女)の欲望の消化にあるとは思うが、でもそれだけでないのも確かだと想う。誰かが言っていたが、確かに「看護士と売春婦(夫)は似ている」。それは「看護」(ケア)という面で通じるのだと思う。

僕が徘徊していたのは、一種の擬似的な買春行為に近かったのだと今では思うが、それ以上に思うことは、「癒し」を求めると言うことの恐ろしさでもある。「人は暴力によっても癒される」とは本当の話だと思う。「癒し」を求める気持ちというのは、自分本位の部分が強くあるのは間違いない。

間違っているかも知れないが、「癒し」には2種類の仕方があるように思う。一つは、経済活動とかと同じ様な「交換」が伴う仕方。自分の穴を埋めるために何かをする、という様な、「何か」と「自分の穴を埋める」を交換するような、そんな感じに近い。それが普通なのかも知れないが、交換で本当の意味で癒されるのであろうか。なんというか、交換によって癒されるとしても、それは次の何かを自分の内に探すことでもあり、結局は無限後退していくだけのような気がしている。僕が新大久保の街を徘徊していた時は、癒されたと思っていたのは、単に「疲労」し麻痺していただけのようにも思えるのだ。
交換ではなく、ギフト(贈り物)のような、そういう事が大事なような気がしている。勿論、ギフトは望むものではなく、自分から相手に差し出すものだと思うが、それが「癒し」になるような、そんな気が今ではしている。「交換」から「贈与」への変換は、アナーキズムに通じてしまうかも知れないが、それも致し方のない道なのかも知れない。

実を言うと、この記事は「下北沢問題」に絡む、街について考える記事にしたかった。東京に新宿の歌舞伎町界隈があるように、都市にはそういう場所が必要である、みたいな事を書きたかった。そうなると、新宿駅のホームレス退去の執行とか、ニュータウン論とか、権力側によるエイズの利用だとか、道路の持つ権力志向とか、なんか様々なことを書くのが面倒でもあったし、社会的な記事になるのも嫌だった。
そう言えば下北沢問題について、今日数時間かけて色々なテクストを読んだ。やはり態度として開発反対の立場をとることにした。ただ、もう少し都市について勉強しようと思っている。