1年前の大震災において地震で助かった人たちが津波が来る前に自宅に戻り被災しているのが多かったと聞く。彼らは一体何のために自宅に戻ったのか。そのことが気になっていた。きっと大事なものを取りに戻ったのだと思う。お金・着るものだけではなく、その中には例えば位牌とかアルバムもあったかも知れない。当たり前のことかも知れないが、その際に手に取ったのが写真であれば、それは家族もしくは愛する人が写った写真であったに違いない。
瓦礫の中には多数の写真があった。後片付けをされる方はその写真を棄てるに棄てることが出来なかった。ボランティア達はその写真の汚れを落とし時には修復して一カ所に集めた。そこには多くの人が自分の家族が写った写真を探しに現れた。ある女性がその場所で行方不明の祖父の写真を見つけたとき、その女性は「おじいちゃんが見つかった」と叫んだ。僕はその場面をテレビで偶然に観た。その方の祖父があれから見つかることを願わずには居られないが、それでもあの時確かに彼女は祖父の写真から祖父を見つけたのだと僕には思える。
写真とはあくまでも個人的なものだと思う。ただ写真は政治とかジャーナリズムに利用されやすいのも事実だろう。多くの写真が大震災でも撮られた。そして多くの写真の持ち主に戻ることなく残された。その両者の写真をつなぐものがあるとすれば、それは一体何だったのか。人の祈りだろうか、それとも再び立ち上がる願いだろうか。ただそこに写真の本当、人が写真を造り今でも使い続けている理由があるように思えるのだ。
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