2012/03/29

空気感

会社の同僚が長い休暇から戻ってきた。タイに行ってきたのだという。タイに行ったことがない僕は思わず聞く「タイの空気感はどんなのですか」。実を言えばこの質問に期待通りの回答を得られたことは殆どない。大概の回答は、一瞬僕の問いに戸惑いながらも乾燥しているとか湿気が多いとか温度が高い低いとかそんな感じとなる。聞き方が悪いのだと思うが、聞きたいことに適切な日本語が見つからない。その中でも「空気感」という造語に近いこの言葉が一番適当なのである。案の定同僚も「乾燥している」との答えが返ってきた。

なんだろう現代において異国に行く意味とは。その土地に住む人々との交流、確かにそうだ。視覚情報はネットを検索すればいくらでも手に入る。だから視覚からのみ得られる情報でないことは確かだろう。その場所に行かなければわからないこと、全身に感じる空気の流れ、匂い、光(視覚から得られる光ではなく触感で感じる光のことだ)、街のざわめき、などなど。それらの全ての情報を通して感じる何か。僕にとって空気感とはそういう事を言うのである。

誰でも異国に行けば全身の感覚は通常よりも鋭くなる。だから同僚もその空気感を得ているはずである。問題なのはその空気感を得ることは長くは続かないと言うことだ。人間はすぐに異国の空気感になじむ。異国と行っても同じ人間の術の世界でもある。なじまないわけがない。そしてなじんだ後、視覚が再び越権的な強さを取り戻すのである。後はもう惰性なのかも知れない。どこかのパンフレットに載っている景色を確認するだけの。

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