2004/12/20

和辻哲郎の「古寺巡礼」

20041220a0b3d935.jpg中学校の卒業旅行は東北だった、高校の時は九州だった。寺院仏閣の拝観が好きだった僕は、どういう訳か京都奈良に縁がなかった。特に奈良の仏像を拝観したかった。そこで、高校の時に1人で奈良に行くことにした。その際に、老齢の教師にガイドブックとして何がよいかを尋ねた。教えてもらった本は和辻哲郎の「古寺巡礼」、亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」、堀辰雄の「大和路」の3冊だった。
その中で一番気に入ったのが、和辻哲郎の「古寺巡礼」だった。いまでも多くの方が読み続けている名著だと思う。

岩波文庫版の解説(谷川徹三)によれば、この本は初め大正8年(1919年)30才の時に出版している。和辻が29才の時に奈良付近の古寺を見物したときの印象を書き、雑誌「思潮」に5回にわたり連載したものをまとめて書籍化したとのことだった。
当時としては新進気鋭の哲学者・文学者であった和辻が奈良旅行に行ったいきさつは、和辻自身以下のように書いている。

「今度の旅行も、古美術の力を享受することによって、自分の心を洗い、そうして富まそう、というに過ぎない」
和辻は十分に目的を果たしていると思う。

その後和辻は京都に住み、近いこともあり何回か奈良を訪れている。そして以前に書いた本書「古寺巡礼」の内容が「若書き」で恥ずかしく思い、何回か書き直しをしようと思っていたらしい。

しかし、その機会に恵まれることがないまま本書は絶版となり、日本は戦争に突入していった。その中で、近く出征する身で生還が難しいから一期の思い出に奈良を訪れるから是非にあの本を手に入れたい、との申し出がかなりあったらしい。実際に兵士が懐中にいれていた書籍で一番多かったのが本書であった。

それらの申し出により、和辻自身は「古寺巡礼」を稚拙で恥ずかしいのであるが、逆に「若い情熱」がそこにあり、「幼稚であったからこそあのころはあのような空想にふけることができたのである」と気が付いてもいる。

「古寺巡礼」には人を頷かせる古美術への蘊蓄は少ない。その点だけで言えばガイドブックにはなり得ないだろう。ただこの本を読めば、和辻の「若い情熱」に触れることになる。「若い情熱」には勢いがある。時として高揚し時には落胆する。その高低差が大きな波を作り、読む人を押し流す。

それにしても和辻の感受性とそれを語る率直な態度には、読むたびに圧倒させられる。特に好きな箇所は「中宮寺」木像半跏思惟像(弥勒菩薩像)の箇所。少し長いが下記に引用する。

「わたくしの乏しい見聞によると、およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術の内に比類のない独特のものではないかと思われる。これより力強いもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を現すもの、それは世界にまれではあるまい。しかし、この純粋な愛と悲しみのとの象徴は、その曇りのない純一性のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、おそらく唯一のものといってよいのではなかろうか。その甘美な、牧歌的な、哀愁の沁みとおった心持ちが、もし当時の日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である。古くは「古事記」の歌から新しくは情死のの浄瑠璃に至るまで、物の哀れとしめやかな愛情とを核心とする日本人の芸術は、すでにここにその最もすぐれた最も明らかな代表者を持っているといえよう。浮世絵の人を陶酔させる柔らかさ、日本音曲の心をとかす悲哀、そこに一味のデカダンの気分があるにしても、その根強い中心の動向は、あの観音に現された願望にほかならぬであろう。法然・親鸞の宗教も、淫靡と言われる平安朝の小説も、あの願望と、それから流れ出るやさしい心情とを基調としないものはない。しかし、ここにわれわれが反省すべきことは、この特質がどれほど大きくのびて行ったかという点である。時々ひらめいて出た偉大なものがあったとしても、それが1つの大きな潮流となることはなかったのでないか。」

凄い誉めようだと思う。しかし和辻が感動したのはなにもこの「中宮寺」の仏像だけではない。薬師寺の聖観音を拝観したときはさらに強い気持ちをもって語っている。法隆寺五重塔を移動しながら観賞する事で、そこにあらたな「美」を発見したときの語り方は、まるで子供が新しい遊びを発見した時と同様の感じが出ている。

また僕が本書を読むときに感じることの1つに、日本人特性を見いだすことにより、そこに1つの「型」を形成し、はめ込もうとする和辻の気持ちである。それは後年「風土」を執筆し、日本人特性を「モンスーン型」とした事に繋がっていくのかもしれない。現代であれば、そのように「型」にはめ込められる事に抵抗を感じる方も多いと思う。僕もその1人である。
ただ、仏像鑑賞により自分を含めたものの再発見を行う方法を創造したのは、和辻の「古寺巡礼」が最初だったし、その後の和辻の研究も同様に彼の独自性をもって、新たに切り開いたものが多いと聞く。

和辻の考えに対する批判があれば、それは純粋に学問の立場で論じるべきだと思う。しかし、戦後に行われた和辻批判は、彼の尊皇に対する戦争協力への批判のそれであった。
しかも、和辻が切り開いた道を継承するものは少なかったのではないだろうか。勿論この「古寺巡礼」を除いての話だが。

ちなみに多くの方が書いている奈良旅行記で、「古寺巡礼」の文字をタイトルに挿入している書籍は、概ね和辻の本書に影響を受けていると考えても良い。

僕も実は和辻の書籍で読んでいる本は「古寺巡礼」の一冊のみだから、あまり偉そうなことは言えない。以前に「風土」を読もうと試みたが、半分もいかない内に頓挫してしまった。いわば僕にとって和辻は、一度登ろうとして力不足で引き返した数多ある偉大な山脈の1つである。ただ、本書だけは何回読んだかわからないのではあるが。

亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」は、「仏像は語るべきものではなく、拝むものだ」との発心から出発している。和辻が「古寺巡礼」での姿は、あくまで古美術としての観賞でもある。僕が仏像を拝観するとき、亀井の考え方に近いと思う。ただ、どちらの書籍を奈良仏像鑑賞の友にするかと聞かれれば、僕は躊躇することなく和辻の書を選択する。

現在「古寺巡礼」は岩波文庫で読むことが出来るが、内容は初稿のままではなく、昭和21年の改訂版によっている。当初和辻は大幅に改訂する予定ではあったが、本記事にもあるように「若い情熱」を大事にする考えに代わり、大幅な改訂は行っていない。

追記:
高校時代、中宮寺の木像半跏思惟像は「古寺巡礼」を読む前から書籍の図版で知っていて、とても美しい仏像だと思っていた。それがこの本を読んで益々好きになった。奈良に出かけた時は是非とも拝観しようと思っていた。

実際に中宮寺でこの仏像の尊顔を拝した時の感動は今でも覚えている。息が止まるほどに美しかった。ただ、その時の気持ちの中に、本書から受けたイメージが僕の中に残っていたことは間違いないと思う。

拝観者はその時僕1人だけだった。その中で初めに受けた興奮が納まると同時に、僕の中で静かな気持ちと、色々な思いが浮かび上がってきた。
それは和辻が受けた印象とは違っていた。人は優れた仏像と対峙するとき、その仏像のことを語るようでいて、実際は自分のことを語っているとおもう。
僕も自分のことを考えていたようにも思える。

偽り無く言えば、高校時代の僕は自分のことを自由人として意識していた。物事に執着し囚われることで不自由を感じる事であれば、囚われないことが自由なのではないのだろうか、等と考えていた。
それがこの仏像の思惟する美しい姿の中で、そう言うことを考えること自体が、なにか愚かなことのように思えてきたのだった。

弥勒菩薩は56億7千万年後に現れる仏様でもある。途方もない未来の話から、時として反体制の理由にもなってしまっている(下生信仰)。
ただ僕は、この思惟する姿にこそ、この仏様が僕達に示すものがそこにあるような気がしてならない。

思惟とはただ単に「考える」事ではないように思える。惟るとは、思い見るとの意味でもある。さらに思が付くことで、「深く根本を思い見る」という事になるのであろう。「考える」より「思う」事、その意味の違いを知る必要があるのかもしれない。
そう言うことを含めて、この仏様は現世の僕たちに教えようとしている気がしている。

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