番組が終了し、大したことではないけど、思うことが幾つかあった。総じて言えば、ドラマは本当に面白かったし、見ていて感動するシーンもあった。でも正直言えば、感動する部分で時折目を背けてしまう自分を見つけたのも事実だった。
このドラマのキーワードは、良く言われている事だが、「砂」だと僕も思う。エンディングテーマと共に流れる映像は「砂男」と「砂の家」だったし、主 人公の家では、いくつもの「砂時計」が効果的に使われていた。さらにこのドラマで多分、脚本家が一番に言いたかった事のイメージとして「砂曼荼羅」が登場 しているし、火事で燃えてしまった家の中で、主人公が砂(多分、砂時計の砂)の中から家族との思い出の写真を手に入れている。また、主人公の最後の心の旅 の時に、砂浜で家族の姿を描き、深夜に波でその絵が崩されるシーンもあった。
火事跡の家で写真を手に入れる場面では、写真の上に貯まっている砂は、まるで砂曼荼羅の様に様々な色をしていた。その前に、主人公が記憶を取り戻し たく、その方法を医者に尋ねた時、医者は「砂曼荼羅」をみせ、こつこつと丁寧に砂を敷き詰めて完成させる「砂曼荼羅」と家族を作り上げていく姿は同じでは ないかと、主人公に言っていた。その砂曼荼羅の様な砂の下から家族の写真が出てきて、それと同時に主人公の記憶が蘇る。
「砂」で造られた多くの物は、もろくて崩れやすいイメージを持ち、印象は悪いと思う。それを逆に、だからこそお互いの気持ちと意志が必要と言ってい る事に共感を覚えた。また「砂曼荼羅」で世の無常を語るのは、一般的だと思う。ただ、砂の一粒を我々に見立て、無常であるが故に今を一所懸命に生きよう、 と主人公が思う事に多少の無理を感じた。しかし、それもドラマを見終わると、そう感じたことも主人公にとっては、その場面の1つの「覚悟」に過ぎなかった のではと思う。
ドラマの小道具は色々とあった。「仮面」「電話」などが代表的かもしれない。
「仮面」は原作の漫画と同じデザインだった。「仮面」は、主人公が家族を他人と見てしまう心象であるが、逆に「仮面」は家族とその親に対してのみ現れるのを見ると、そこから主人公が家族を家族として見たくない気持ちが表れているようにも思えた。
この場合、離婚して別れた家族への罪悪感が、今の家族に対して「仮面」をつけさせたのではないのだろうか。いわば「仮面」は主人公が自分に与えた「罰」だったのかもしれない。
主人公が離婚した妻に心から謝り、前妻もそれに応えてから仮面は現れなくなる。
主人公は、現在の妻と子供に愛情を抱き、幸せの気持ちを持つほど、自分を傷つけていたのではないかと思うのだ。
「電話」は主人公と家族を繋げる糸口と、逆に孤独感をあらわす物として使われている。特に駅の改札口の雑踏の中で、周囲の人達が電話で帰宅を告げて いるときに、主人公は帰る家がないことを痛切に感じ、孤独の中にいる事を実感する。この場合、周囲との対比によって主人公は孤独を感じている。孤独を感じ ると言うことはそう言う物なのかもしれない。
でも何故僕はこのドラマを見て、面白いと思ったのだろうか、また、感動するシーンで目を背けてしまう理由は一体何だったんだろう。
「面白い」と思ったのは、このドラマの主人公の気持ちに共感する部分が多かった、と言うことだと思う。
例えば、帰るべき家がなく、自分を見失い、街を当てもなく彷徨う気持ちは、それが実際面で同等ではないのだが、僕にも共感が持てた。
主人公を見て、周囲の人達は「過去には何もない」「これからが大事なんだ」と言う。でも主人公は失った過去にこだわり続ける。それは「過去」が「現在」に繋がっているからであり、「現在」の幸せを得るために「過去」が必要だからだと思う。
最後に前妻は主人公に向かって「今側にいる人を大事にしてあげて」と伝える。その一言で主人公は今の家族と生きていく覚悟を決める。でも今の妻から言われる言葉は、「それでも貴方は私を愛していない」だった。必要なのは「覚悟」ではなく「愛情」だった。
「愛情」はお互いの「優しさ」と「思いやり」で築き上げていく物なのかもしれない。「築き上げてきた」過去の記憶がなければ、今共に住む女性を愛する事は出来ない。
「今を大事に生きる」とは「過去も大事」にすると言う事のように思える。勿論、これらの解釈は僕の個人的な感想だけど、その考え方に共感したのかもしれない。
また主人公が記憶を失ったことも、比喩的に思えてくる。脚本家の浅野妙子さんは、以下のように言っている。
「アイ’ムホームは記憶喪失で家族との過去を忘れてしまった男の物語ではありません。あたりまえな日常の中で、毎日、家族の顔を見失い続けている私たち自身の物語なのです。」
大事な物は失って初めてわかる、と言うことなのかもしれない。でも出来れば失う前に、わかりたいと思う。
僕が目を背けてしまった理由は、実はよくわからない。気が付いたら自然に目を背けていた。照れくさかった、と言うのもあると思う。昔から、「感動す る」「感動させる」物に対して、素直になれない部分が自分にはあるのも認める。感動させる場面での演技が、白々しかったと感じたのかもしれない。色々な事 がそこにはあるのだと思う。
ドラマは後半になるに従い、主人公が泣くシーンが多かった。「男が泣く」と言うことに、現在では好感を持つ人が本当に多くなったと思う。実は僕もそ の1人だ。でもそれが「自分が」ともなると話は別なのかもしれない。どうも、僕はドラマの中で主人公が泣くシーンの時に目を背けていたようだった。多分、 ドラマに共感しても、主人公が泣く事に共感して泣きたくない気持ちがあったのではないか、と今では思っていたりする。
記事の内容であるドラマ「アイムホーム」の感想は、あくまで僕の個人的意見です。
本記事ではあらすじは書いていませんので、ドラマの事が知りたい方はサイトをご覧下さい。ちなみに、僕もこの番組のDVD化を望む1人です。
ドラマ中に登場する「仮面」は亀有工房製造とのことでした。
最後に記録として、本ドラマの概要を記載します。
原作・・・・・石坂啓
脚本・・・・・浅野妙子
制作統括・・・一井久司
演出・・・・・真鍋 斎
音楽・・・・・吉保 良
出演者
家路久・・・・時任三郎
清原カオル・・紺野美沙子
家路ヨシコ・・戸田菜穂
清原スバル・・星井七瀬
岡田杏子・・・佐藤仁美
清原健児・・・石田靖
高木亮一・・・内場勝則
竹田社長・・・ぼんちおさむ
祥子・・・・・千堂あきほ
山野辺俊・・・陣内孝則
2004年11月15日開始
2004年12月16日終了
全20話
このドラマのキーワードは、良く言われている事だが、「砂」だと僕も思う。エンディングテーマと共に流れる映像は「砂男」と「砂の家」だったし、主 人公の家では、いくつもの「砂時計」が効果的に使われていた。さらにこのドラマで多分、脚本家が一番に言いたかった事のイメージとして「砂曼荼羅」が登場 しているし、火事で燃えてしまった家の中で、主人公が砂(多分、砂時計の砂)の中から家族との思い出の写真を手に入れている。また、主人公の最後の心の旅 の時に、砂浜で家族の姿を描き、深夜に波でその絵が崩されるシーンもあった。
火事跡の家で写真を手に入れる場面では、写真の上に貯まっている砂は、まるで砂曼荼羅の様に様々な色をしていた。その前に、主人公が記憶を取り戻し たく、その方法を医者に尋ねた時、医者は「砂曼荼羅」をみせ、こつこつと丁寧に砂を敷き詰めて完成させる「砂曼荼羅」と家族を作り上げていく姿は同じでは ないかと、主人公に言っていた。その砂曼荼羅の様な砂の下から家族の写真が出てきて、それと同時に主人公の記憶が蘇る。
「砂」で造られた多くの物は、もろくて崩れやすいイメージを持ち、印象は悪いと思う。それを逆に、だからこそお互いの気持ちと意志が必要と言ってい る事に共感を覚えた。また「砂曼荼羅」で世の無常を語るのは、一般的だと思う。ただ、砂の一粒を我々に見立て、無常であるが故に今を一所懸命に生きよう、 と主人公が思う事に多少の無理を感じた。しかし、それもドラマを見終わると、そう感じたことも主人公にとっては、その場面の1つの「覚悟」に過ぎなかった のではと思う。
ドラマの小道具は色々とあった。「仮面」「電話」などが代表的かもしれない。
「仮面」は原作の漫画と同じデザインだった。「仮面」は、主人公が家族を他人と見てしまう心象であるが、逆に「仮面」は家族とその親に対してのみ現れるのを見ると、そこから主人公が家族を家族として見たくない気持ちが表れているようにも思えた。
この場合、離婚して別れた家族への罪悪感が、今の家族に対して「仮面」をつけさせたのではないのだろうか。いわば「仮面」は主人公が自分に与えた「罰」だったのかもしれない。
主人公が離婚した妻に心から謝り、前妻もそれに応えてから仮面は現れなくなる。
主人公は、現在の妻と子供に愛情を抱き、幸せの気持ちを持つほど、自分を傷つけていたのではないかと思うのだ。
「電話」は主人公と家族を繋げる糸口と、逆に孤独感をあらわす物として使われている。特に駅の改札口の雑踏の中で、周囲の人達が電話で帰宅を告げて いるときに、主人公は帰る家がないことを痛切に感じ、孤独の中にいる事を実感する。この場合、周囲との対比によって主人公は孤独を感じている。孤独を感じ ると言うことはそう言う物なのかもしれない。
でも何故僕はこのドラマを見て、面白いと思ったのだろうか、また、感動するシーンで目を背けてしまう理由は一体何だったんだろう。
「面白い」と思ったのは、このドラマの主人公の気持ちに共感する部分が多かった、と言うことだと思う。
例えば、帰るべき家がなく、自分を見失い、街を当てもなく彷徨う気持ちは、それが実際面で同等ではないのだが、僕にも共感が持てた。
主人公を見て、周囲の人達は「過去には何もない」「これからが大事なんだ」と言う。でも主人公は失った過去にこだわり続ける。それは「過去」が「現在」に繋がっているからであり、「現在」の幸せを得るために「過去」が必要だからだと思う。
最後に前妻は主人公に向かって「今側にいる人を大事にしてあげて」と伝える。その一言で主人公は今の家族と生きていく覚悟を決める。でも今の妻から言われる言葉は、「それでも貴方は私を愛していない」だった。必要なのは「覚悟」ではなく「愛情」だった。
「愛情」はお互いの「優しさ」と「思いやり」で築き上げていく物なのかもしれない。「築き上げてきた」過去の記憶がなければ、今共に住む女性を愛する事は出来ない。
「今を大事に生きる」とは「過去も大事」にすると言う事のように思える。勿論、これらの解釈は僕の個人的な感想だけど、その考え方に共感したのかもしれない。
また主人公が記憶を失ったことも、比喩的に思えてくる。脚本家の浅野妙子さんは、以下のように言っている。
「アイ’ムホームは記憶喪失で家族との過去を忘れてしまった男の物語ではありません。あたりまえな日常の中で、毎日、家族の顔を見失い続けている私たち自身の物語なのです。」
大事な物は失って初めてわかる、と言うことなのかもしれない。でも出来れば失う前に、わかりたいと思う。
僕が目を背けてしまった理由は、実はよくわからない。気が付いたら自然に目を背けていた。照れくさかった、と言うのもあると思う。昔から、「感動す る」「感動させる」物に対して、素直になれない部分が自分にはあるのも認める。感動させる場面での演技が、白々しかったと感じたのかもしれない。色々な事 がそこにはあるのだと思う。
ドラマは後半になるに従い、主人公が泣くシーンが多かった。「男が泣く」と言うことに、現在では好感を持つ人が本当に多くなったと思う。実は僕もそ の1人だ。でもそれが「自分が」ともなると話は別なのかもしれない。どうも、僕はドラマの中で主人公が泣くシーンの時に目を背けていたようだった。多分、 ドラマに共感しても、主人公が泣く事に共感して泣きたくない気持ちがあったのではないか、と今では思っていたりする。
記事の内容であるドラマ「アイムホーム」の感想は、あくまで僕の個人的意見です。
本記事ではあらすじは書いていませんので、ドラマの事が知りたい方はサイトをご覧下さい。ちなみに、僕もこの番組のDVD化を望む1人です。
ドラマ中に登場する「仮面」は亀有工房製造とのことでした。
最後に記録として、本ドラマの概要を記載します。
原作・・・・・石坂啓
脚本・・・・・浅野妙子
制作統括・・・一井久司
演出・・・・・真鍋 斎
音楽・・・・・吉保 良
出演者
家路久・・・・時任三郎
清原カオル・・紺野美沙子
家路ヨシコ・・戸田菜穂
清原スバル・・星井七瀬
岡田杏子・・・佐藤仁美
清原健児・・・石田靖
高木亮一・・・内場勝則
竹田社長・・・ぼんちおさむ
祥子・・・・・千堂あきほ
山野辺俊・・・陣内孝則
2004年11月15日開始
2004年12月16日終了
全20話
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