2004/12/29

野生のパンダから真のカスタマイズを思う

27日深夜にNHK総合で放映した『大自然スペシャル 「動物カメラマン 野生へのまなざし」~ジャイアントパンダの素顔に迫る~』を見た。見たと云っても、何気なく暇つぶしにテレビをつけたらやっていたので見始めたのだが、見ている間に引き込まれてしまった。

野生のパンダの逞しさ、生存と生殖の厳しさ、そしてパンダが持っている可愛らしさに魅了されてしまった。パンダは匂いでお互いがコミュニケーションしている。特に発情期の雌パンダは、テリトリー内の木々に分泌液をこすりつけ、それが風に乗って数キロ範囲にいる雄に知らせるのだという。その匂いに誘われて数匹の雄が現れる。しかし交尾が出来る雄は一匹だけなのだ。そこで雄同士の烈しい戦いが行われる。時には相手を殺すほどの戦いになると言う。戦いの後は木々はなぎ倒され、血は飛び散り、烈しい戦いが行われたことがわかる。それとパンダの可愛い表情とが重ならないが、野生の世界の厳しさが垣間見れてとても面白かった。

テレビはこうやって予期せぬ面白さを僕に与えてくれる。もし僕が番組表をしっかり見て番組を選択していたら、間違いなく見なかった番組だと思う。このことは、何を僕に意味しているのだろうか。

新聞をよく読む、ネットを頻繁に利用している僕でも紙に印刷した新聞は欠かせないメディアの1つだ。一時期度々聞いた意見に、「ネットが広まれば新聞紙は必要なくなり、新聞社はネットを使ったビジネスモデルを考える必要がある。」と云うのがあった。
いわば、昔に云われた「ペーパーレス時代到来」「電子メールが電話を駆逐する」「書籍は総てデジタル化され書店経営が難しくなる」などと同じ類の話だ。

でも実際は(勿論一部の人を除いて)、新聞紙はなくならないし、オフィスでは常に紙の処理に困り、電話で話をして、大型書店は常に混雑している。確かにビジネスの面で云えば、IT企業が盛況しているのは事実だが、僕らの暮らしが大きく変わったかと云えば、上記の点ではそれほど変わっていないのかもしれない。ただ、選択肢が増えただけの様な気がする。選択肢が増えたと言うことは、状況に合わせて何を選ぶかと言うことで、選択肢の1つが他の物に成り代わる事にはならない。そう僕は考えている。

新聞紙で新聞を何故読むのか。それは時折暇つぶしにテレビをつけて、面白い番組に当たる楽しみに似ている。もしかすると、書店で本を探す楽しみに似ているのかもしれない。
例えば、グーグルで検索をする時、僕は端的に検索ワードをタイプする。勿論そこからの結果は、検索ワードに準ずる物ばかりとなる。またネットで新たな情報を調べるとき。巡回するサイトもほぼ決まっている。逆に言えば僕のネットでの使い方は「狭く深く」と云うことになる。

でも新聞紙で新聞を読む時、僕は自分が気が付かなかった、自分の興味を知ることが出来る。特に何気ない読者からの投稿欄とか、社説とか、小さな数行記事とかに面白さを覚えてしまう。それはネットで何かを検索するのとは次元が違う楽しさだ。

もしかすると僕は、自分で自分の興味の範囲を限定しているのかもしれない。アメリカのテレビ番組の1つ、「ディスカバリーチャンネル」のキャッチフレーズにある言葉、「これまで、あなたが興味を持ったことすら知らなかったものを、お見せしましょう」。
確かに、「新聞紙で思わぬ発見」「書店で本を見つける事」「電話での人との会話」にはそれがある様に思える。

昔のある時期、ネット書店のアマゾンに凝ったことがあった。凝るというのは、アマゾンで書籍を購入するだけでなく、そこで遊ぶと云うことだ。アマゾンでの遊びは、ブログでの遊びと似たものがある。人の感想を読み、自分でも感想を書き、それによってランク付けがされてくる。これには、はまってしまった。勿論ブログ以前の話で、今だったらアマゾンで書かずに、自分のブログに書くのだと思う。
その時は、アマゾンのシステムが素晴らしいと感動した。一度登録すれば、次回訪れると「****さん、ようこそ」で迎えてくれる。自分が以前に見た書籍に関連した分野の情報も教えてくれる。丁度「ワン・トゥー・ワンマーケティング」を知ったばかりだったので、大いに感動し人にも勧めてばかりいた。そう、あの時は新しいネットビジネスの現時点での模範解答(勿論完璧ではない)が、そこにあると信じていた。

書籍「マス・カスタマイゼーション革命」での考えが将来のビジネス像と信じていた事もあった。つまり、1人1人に合わせてカスタマイズがされるので、マーケティングで顧客をセグメンテーションする必要がなくなるという考えだ。僕にとっては、具体的にアマゾンがそれを体現していた、と感じたのも不思議ではないと思う。

では今ではどう思っているのかと云えば、僕自身カスタマイズに対する考え方が変わっているので、不満ばかりが目に付く。そのうちにアマゾンで書籍を購入することさえ止めてしまった。書店で本を探す楽しみにはアマゾンでは勝てないとさえ思う。
カスタマイズはその人の事を深く知らなければならない。今では安易に「その時」の検索ワードで、その人の興味全体を把握しているかのように思える。カスタマイズが、「自分でも知る事がなかった自分の興味」を喚起してくれるのであれば、それは自分を知ることにも繋がり、面白くなるのだと思う。真のカスタマイズはそうあるべきだと今では思っている。

PCとネットでは常に目的を求められる。そして時には疲れを僕に与える。それらは「もっともっと」と僕に何かを求められている様に思える時もある。ネットに流れる情報に対し、自分も何かをはき出さなくてはと思ってしまうのだ。僕が考える真のカスタマイズは逆に、自分の可能性を広げてくれるものだ。それは何かを僕に与えてくれる。それを考えると、ネットビジネスの方法論・技術論はまだまだ原始的な段階だと思ってしまうが、逆に考える余地が沢山残っているとも言えるのかもしれない。

僕にとっての真のカスタマイズを、ネットビジネスで展開するには膨大な資金が必要になると思う。費用対効果算出が難しいかもしれない。それは検索ワードの「単語」をキーにするのでなく「文脈」で判断する必要がある。しかもその「文脈」をデータベース化し、「データマイニング」もしくは「テキストマイニング」でなく、「文脈」の分析とマイニングとなるのだろう。しかも蓄積した「文脈」同士から、その人の新たな興味を分析する技術も求められる。

ただそこまで行う効果が現時点では全く不明なことと、IT技術は所詮長期的な差別化には繋がらない事から、現実ではそれを実現する企業は少ないように思える。それを補うために、各企業はカスタマセンターを設け、人による対応を行っているのかもしれない。しかし、概ねカスタマセンターは苦情受け付け処理中心となっている。勿論これも大事だが、今後の新たな顧客獲得とネットを通じての口コミ効果を求めるためにも、さらに訪れた顧客が思いもしない買い物をネットで行うために、カスタマイズの深化は重要だと思う。それが一時的な効果にせよ、この場合については先に行った方が強いのは確かだと考えている。

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