「夏がくれば 思い出す」の歌詞で知られる「夏の思い出」(中田喜直作曲)の作詞者で詩人の江間章子(えま・しょうこ)さんが12日、脳内出血のため死去した。 91歳だった。(読売新聞から引用)
「夏の思い出」を作詞された方は、ご存命だったんだ・・・・訃報を聞いてまず思ったことがその事。随分と失礼な話だ。でもそれが正直な感想だった。
言い訳をさせて貰えば、この歌が愛唱歌として歌い継がれ定番となったことの証左だと思う。中学校の時に授業で習った気がするし、そのイメージ溢れる歌詞で、未だ見ぬ尾瀬に淡い憧れを抱いたものだった。今でも、ふとした時に口から歌詞が出てくるときもある。いわば名曲だ。こういう曲の場合、作曲家と作詞家は曲の裏側に隠れてしまう。この歌を口ずさむだけで、その人は自分の気持ちを歌詞に同化してしまうからだ。まるで自分の為の歌。そんな錯覚さえ浮かんでしまう。それは音楽の一つの理想型かもしれない。そしてその姿は、多分、江間章子さんの望むところだったのではないだろうか。
以前に人づてから聞いた話、江間章子さんは「夏の思い出」の作詞をしたとき、尾瀬に行ったことがなかったそうだ。少年時分に聞いた話なので、それは確かではないかもしれないが、聞いたときは俄に信じられぬ思いを持ったのは覚えている。でもその疑問はすぐに昇華し、腑に落ちたのも記憶にある。それは歌詞を自分の中で反芻したとき、そのイメージが、僕自身行ったことがない尾瀬への憧れと完全に符合したからだった。
実際にその場に行き、尾瀬を体感したとすれば、きっと歌詞はもっと生々しくなったのではないか。この歌詞での尾瀬はあまりにも透明だ。だから、僕は素直に尾瀬へのイメージをこの歌詞に重ねることができたのではないだろうか・・・。などと僕は納得した様に思うのだ。
もしそうであれば、人が持つイメージを創る力をあらためて凄いと思う。
僕はまだ尾瀬には行ったことがない。日光には数え切れないくらいに足を運んだ。日光は20回以上は行ったと思う。一度川俣湖から奥鬼怒温泉郷を通り、奥鬼怒山縦走経由で尾瀬沼に至るルートを検討したことがあった。これは我ながら素晴らしいプランで、エスケープルートも途中に何本もあり、僕の山の経験でも走破可能だと思われた。でも、最終的にこのプランを山の先輩に相談したところ、即座に「お前の力では無理だ」と言われ、そのままお蔵入りになった。
でも後日に、別の人から尾瀬の名山「至仏山」であれば、日帰りは可能だと聞いた。その場合、東京出発が午前3時頃で、山の登り口までは、全て高速を使った車での移動となる。その話を聞いたとき、尾瀬ってそんなに近いのかと、かなり驚いた。僕にとっては尾瀬はあくまで、「はるかな尾瀬」だったのだ。ただ、日帰りは「至仏山」だけで、尾瀬沼まで足を伸ばせばやはり宿泊するしかないそうだ。
こうやって、色々な方から尾瀬への道のりを聞くと、案外時間にしてみれば東京から近いことがわかる。でもなぜか僕にとっては、尾瀬はいつまでも遙かである。きっとそれは「夏の思い出」の江間章子さんの歌詞に依るところが大きいと思う。そしてこの遙かな尾瀬のイメージは、僕にとってとても大事で素敵なイメージとなっている。
江間章子さん、本当に素敵な歌をありがとうございました。
そして、心からご冥福をお祈り致します。
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