2005/03/23

IWさんのこと

今日仕事に使っている携帯に電話があった。見ると前の部署で付き合いのあった業者からの電話だった。会社としては付き合ってはいるが、今の僕の業務では付き合いのない業者だったので、優先順位を少し下げて、とりかかっている仕事を続けた。そうしていたら今度は社内の後輩からメールが届いた。なんだろうとメールを開けてみた僕は愕然とした。電話をかけてくれた業者で以前お世話になった IWさん が亡くなられたというのだ。あわてて、業者に電話した。

間違いなかった。IWさんは昨年夏頃から体調が芳しくなく、医者にかかっていたそうだ。でも原因は不明のままだった。それが昨年の12月になって倒れられたそうだ。それで緊急手術。肺ガンだったらしい。手術は一応無事に終わったけど、その後は抗ガン剤、しかも極めて強い抗ガン剤を続けていられたとのことだ。それでも持ち前の頑張りで、会社の方には5月頃には復帰できるかもしれないと告げていたそうだ。それが急に悪化したのはつい一昨日のことだ。そしてIWさんは帰らぬ人となった。僕より年長だが、50代にはいっていなかったように思う。

IWさんにまつわる思い出をこれから語ろうと思う。私事に近い僕のブログで、この内容はさらに個人的な内容だろう。でも語らずにはいられない。それが、僕が意識する極めて偽善的な態度だと分かっていても、やはり語らずにはいられない。

会社に入り立ての頃の話だ。設立したばかりの会社で僕はサービス開始の検討を行っていた。僕の担当業務は、お客様に請求書を発送し、それを回収し収納するための運用の流れとシステム構築だった。その中の一環として、請求書の用紙選びがあった。用紙と言っても、これはこれで単純ではない。請求書を印字するプリンターは、汎用コンピュータと連携する極めて高速な装置で、使う用紙も限定されていた。それを当時としては珍しく連続帳票でなく単票で印刷することにしたので、さらに用紙の選定が難しくなっていた。具体的に言えば「静電気」と「用紙のソリ」との戦いでもあった。

用紙メーカーは10社くらい抽出し、全ての用紙のテストを行った。その中にIWさんの用紙メーカーがあった。彼は本当に親身になってテストに協力してくれた。設立したばかりで、しかもサービスを行っていない会社である。それでも、今後の成長を楽しみにして、テスト毎に問題点が出れば、それを改善し特別に用紙を作り、またテストへと対応をしてくれたのだった。そんなことをしてくれた会社はIWさんの会社だけであった。それで僕らはIWさんの会社の用紙を選定することにした。

サービスが始まり、数ヶ月経ったことだった。順調にお客様が増え、数ヶ月後には数十万人の規模になった。翌日には印字を開始する時になり、運用者から連絡が入った。
「用紙が足りません。どうすればいいですか?」
急激に増えた顧客数が予想と食い違い、用紙の在庫が底をつき始めたのだ。
それが発覚したのが土曜日。業者に連絡とろうにも、何処も営業していない。僕の管理能力のなさで、大変なことがおきてしまう。焦りと、どうしようもない状況に、とまどうばかりだった。色々とプリンターの能力を使い、小手先で開発し、なんとか帳尻を合わせようとするが、全ては無駄であり、顧客に送付する品質に達してはいなかった。

そこにIWさんからの連絡が入った。問題が発覚したときにIWさんに連絡を取っていたのだ。その時は、IWさんの会社でも用紙を手配できないと言われていたのだが、IWさんはそれでも何とかしようとかけずり回ったらしい。そして、中東に送る船便に、うちで使う事が可能な用紙があることに気がつき、出航する前にその用紙をつかまえ、こちらに回すことができるように手配していてくれていた。しかも、緊急に輸送トラック手配し、こちらに輸送中だとのことだった。手元に届いた、アラビア文字の箱を見たときは力が抜けると共に、本当に嬉しかった。そして少しの遅れだけで、印字を開始することができた。

今でもIWさんの事を思い出すたびに、その事を思い出す。僕の失敗と共に、忘れることができない出来事になった。僕は本当に、IWさんには感謝している。それは、単にビジネス上の問題を解決してくれたから、と言うだけではない。実を言うと、今となってはそれほど重要ではない。僕が感謝ししているのはIWさんの気持ちである。IWさんは、用紙と一緒に僕らに「頑張れ」というメッセージを託されたと思う。そのメッセージに対しても僕は感謝している。

IWさんが亡くなられたと聞いたとき、最初同名別人かと疑った。でも本人である事が僕自信の内で納得したときに思ったのが、「ああ、あの時のお返しができなかった」という思いであった。企業としてみれば、IWさんのメッセージの通りに成長した。それはだいぶ前にIWさんも喜んでいてくれた。でも当の問題を犯した僕にとってはどうなのだろう。そんなことを思ってしまうのだ。

既にここまで読まれた方はおわかりの通りに、僕がIWさんを思うとき、この負い目がある。負い目が罪の意識となり、僕にこの文章を書かせている。その気持ちで書くことは、僕にとっては偽善以外の何者でもない。でも感謝している気持ちは本当だ。

それに亡くなられた方を語ること自体が不遜なのかもしれない。それを語ることができる人は、近い親族と宗教家だけなのかもしれない。どちらでもない僕が語ることはやってはいけないことのような気がする。でも通夜当日の深夜に、この文章を書いている僕にとっては、亡くなられた事実を受け入れつつも、まだIWさんはすっかり亡くなられていないのだ。へんなことを言っているが、これが今の僕にとって正直な気持ちだ。

自宅が近かったので、お子さんを連れているところにもお会いしたこともある。多分今では既に大きくなられたことだろう。お子さんが大人になられたときに、できればこの話をしてあげたい。そう思うのが、今の僕の精一杯のお返しでもある。

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