2005/03/25

同一の世界、見知らぬ世界

僕には自分の過去の事件で忘れられないことがいくつもある。別に過去を引きずるつもりはまったくないが、それらの出来事が今の自分に残ると言うことは、きっと自分がその時に解決できなかった故のような気がしている。
解決できなかったとしても、それは悪いことではない、なぜなら時の流れが解決する糸口を与えてくれることはあると思うからだ。でも自分でしか解決できない自分の事件を見詰めることは大事なような気がする。

ランディさんのブログを読むといつもそんな感じを受ける。彼女のブログではいつも事件が起きている。その中でランディさんは考え、もだえ、そして時には行動する。その姿を見ると共感することが多く色々なことを考えさせられる。ああ同じなんだなぁと時々思う。でもランディさんと同じことをするのは、僕にとって限りなく難しい。きっと、社会におきた様々な事件を論じる方が簡単かもしれない。

僕の中では平和を論じたり、社会システムの少しのほつれを見つけて喜び、政治を語ったりする方が、自分の事件を語るよりよっぽど楽なんだと思う。勿論それらは市民として大事なことかもしれない。でももしかするとそういう自分を見詰めることが、それらに繋がっていくこともあるかもしれないと時々思う。

実を言うとこの指摘は、以前に僕のブログで「東京大空襲」の記事を書いたときにsunahahaさんから上記と同じ内容で受けたことがあった。その時は、それは難しいかもしれないと僕の考えを書いてしまったが、後から考えると、僕のコメントも浅すぎたような感じを受ける。僕は、国際政治は企業とかが結びついた「国益」により、争いが起きる場合が多いのではと書いた。でも思えば僕が書いたコメント内容なんて誰でも言えることだ。それを承知で、それでもやはり自分を見詰めることから始めると、sunahahaさんが述べたとすれば、僕のコメントはずれすぎていたように思う。

この考えは、人は皆同じ、話し合えば分かり合える、が根本にあるように思う。僕もそれに同意する。でも同じように、人は個々に違う、人の気持ちは分からない、等とも聞く。そしてそれに対しても僕も同意する。多分両方ともいえることなのだと思う。人としての範囲があり、その範囲内で個々にばらつきがあるけど、上限下限の部分では同じと言うことなのかもしれない。

だとすると、この世界は多少のばらつきがあるにせよ、僕と同じ様な人だらけと言うことになる。確かに僕は人々が美しいと思う風景に感動し、良いと言われる映画に涙し、面白いと言われる小説に夢中になる。勿論、細かに見ていけば、ばらつきはあるけど、一つのものに人気が出ることを考えれば、人の感情はどこかで同じなのかもしれないと思ったりもする。同じだからこそ、ビジネスも成り立つだろうし、会話もできるのかもしれない。

でも、僕は全く違う世界の人と接触したことがある。これからその話を少ししたいと思う。
以前にこのブログにも書いたけど、家は下宿屋を営んでいた。近くに大学が2つあり、多くはそれらの大学生だった。長く下宿屋を営むと、最後の方には僕と近い年齢の下宿人が住むことになる。僕が大学3年の時だった。新たに下宿屋に入ってきた数名の男の中にTがいた。僕らは年も近いこともあり、結構仲良く暮らしていたと思う。麻雀もやったし、酒を飲んで朝まで話し続けたことも何回もあった。

Tは高校から始めたという剣道に熱中していて、大学でもたしか剣道部に所属していたように思う。彼が実家から持ってきた木刀は、長さが1.5mくらいで長くそして太かった。彼は時折、家の前で素振りをしていた。その姿は、熱中しているというだけあって美しかった。
そうやって、Tと他の下宿人達と1年が過ぎ、春休みになった。Tは春休みになっても実家には戻らなかった。かといってバイトをするわけではなく、自室に閉じこもり、なにやら一生懸命に読書をしていた。僕はバイトで忙しく、家には遅く帰るか、友人のアパートに泊まったりしていた。

ある日、僕が家に昼頃戻ったときのことだ。いきなりTが階段をどたどたとあわてて降りてきたのに遭遇した。手にはあの木刀を持っている。顔は真剣そのものだった。何かに追われているような印象を僕はその時に思った。彼は僕を見るなり言った。

「あ、Yさん。魔物が僕を襲ってくるので、僕はそこで待ちかまえています」

彼は確かにそう言った。(魔物?)瞬間に聞き間違えたと思った。
でも確認する間もなく、彼は家の前で木刀を構え、家の通りで大通りへの出口の方を見据え身動きしなくなった。
最初何かの冗談かもしれないと思った。本当にそう思った。それで僕は近くに行ってTに言った。

「T、なにやってんだ。どうしたんだ」

Tは厳しい顔で僕を見返し、「Yさん、すこし待っててください。いま奴らはやってくるんです。ここで待ちかまえますから」といった。

その真剣さに、何か異様な感じがして僕は少し怖くなった。そこで、春休みで実家から戻ってきている何人かの下宿人に状況をしらせようと僕は家に入った。家には2名の下宿人がいた。彼らにTが少し変だと告げ、ちょっと一緒に様子を見て欲しいと伝えた。もとより、仲が良かったこともあり、彼らはそれ以上は何も聞かずに僕と一緒に家の外に出てくれた。

しかし、そこにはTの姿はいなかった。何かしらもの凄い不安感が僕を襲った。
冷静だと思いながらも、実際は少しパニックにもなっていたかもしれない。
みんなで手分けして探すことにした。走った。Tを探しながら走った。
馴染みの商店の人にも尋ねた。そしたら、木刀を持った男が商店街の方に走っていったというのだ。僕は不安感でたまらなくなった。そして言われる方向にさらに走って向かった。

間もなく木刀を持ち、微動だに動かないTの姿を見つけた。人通りが多いところだったし、特にTは商店の近くで身構えていたので、周りの人はTの様子をうかがい、Tの回りには少し大きな円ができていた。通行人は、近寄ろうともしないし、Tの横を通り過ぎることもできない状態だった。

見つけたときは、僕の他にもう一人下宿人の仲間がいた。その男はTより先輩だったので、少し強めに 、「おいTなにやってんだよ。家に戻ろう」と叫んだ。
Tは先輩を凝視し、「いまくるんです。やられるまえにやらなくては」と叫び返した。
そこで、僕とそのTの先輩の二人で、Tを押さえ、少し強引に家に戻そうと試みた。でも彼は二人の力でも動かすことが難しかった。なにやら凄く重く感じた。

「戻ろう、T」
「いやここで迎え撃ちます」
「回りの迷惑になるからやめろ」
「いやです」
「襲ってくるって、誰もそんな奴はいないぞ」

そんなやりとりを、10分くらい続けたかと思う。もの凄く時間が長く感じた。気がつくと、近くにパトカーのサイレンが聞こえてきた。そしてパトカーは僕らの前に止まり、中から警官が3名ほど出てきた。しかも一緒に救急車もやってきた。どうも商店街の誰かが通告したらしい。
触られるのを嫌がり叫ぶTを彼らは取り押さえ、救急車に無理矢理乗せた。僕は警官にいわれるままパトカーに乗り、そしてそのまま病院に行ったのだった。僕は警察で事情を説明し家に戻った。

そのまま病院で彼は何日か過ごしたらしい。それから父親が上京し、彼を連れて実家に戻っていった。それから半年位して、父親が一人で家を尋ねてきた。自宅で静養させるとのこと。でも大学はやめることになった。そうしてTは僕らの前から姿を消した。

今の僕にとって病気というレッテルを貼ることは好きではない。でも、彼には僕には見えない何かが見えていたのは間違いないと思う。また、僕はその時のTを恐れたのは、彼が木刀を持っていたからではない。彼は、木刀を持って人を傷つけることができない男であることを僕は知っている。回りの人はそれを知らないと思うので、商店街の方が警察を呼んだ気持ちはとても理解できる。そして病院に連れて行ったのも正しかったのかもしれない。

その時、僕がTを恐れたのは、全くわからない人、話し合うこともできず、理解しあうことも不可能なそんな存在、強いていえば「異邦人」をTに見たからだった。彼の前では僕は抗うことなく翻弄され続けた。
そして、そのTをその当時の僕は、商店街の人と同じように、その理解できない状態を「病気」というレッテルを貼り安心したのだった。また、病院という社会から隔離された場所に閉じこめること、自宅で静養し僕の前からいなくなることも望んだのだった。簡単にいえば僕はとても恐れたし怖かった。

大人になるに従い、僕は見知っている人が、急に全く見知らぬ人に変貌する状況を何度も見た。そのたびに、理不尽な思いにかられたものだった。大げさには言えないし、世界を語るほどの見聞も持たないけど、多分、この世界は同じ人で成り立っているし、全く見知らぬ人でも成り立っているのかもしれない。そして、この同じ人は、同時に「見知らぬ人」でもあるような気がする。僕は僕の見る世界をどこかで抜けないと、違った世界(違う人もいる世界)を見ることはできないのかもしれない。そんな思いに駆られたものだった。

あの時の僕の経験は、色々なことを考えるきっかけになった。でも僕自身はそれでもやはり変わることはなかった。さらに大きくなり、僕はあの時と同じ状況に再びめぐりあう。そして同じことを繰り返してしまったのだった。この話は申し訳ないが語ることはできない。でも最近の僕はようやく、自分にとって全く理解不能な人、時折でもそうなる人がいることを受け入れ始めている。少しずつだけど。

受け入れるってことは、自分の世界に組み込むということかもしれない。自分の世界に組み込むことで人は安心していられる。でもこの全く見知らぬ人は、自分の世界に組み込むこと自体不能かもしれない。だから不安であり、怖いのだ。僕にできることは、いることを受け入れることしか思いつかない。そのために自分の世界を少し広げることしか手段が見つからない。社会システムの中で様々なレッテルを貼るのは簡単だ。でも誰にでもそれだけではすまされない人がいると思う。それは勿論自分自身を含めて。

たぶん、この話は「見知らぬ人」を書くとき誤った内容なのかもしれない。実は僕にはわからない。わからないで書いているし、僕自身に問いながら書いている。誰かにあてた記事ではないことは確かだ。

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