当時この一家惨殺事件の報道は新聞を通じてフランス国内で注目されることになる。警察が犯人と思われる男を逮捕したのは1953年11月のことであった。その男はドミニシ家のガストン・ドミニシ老人(当時76才)だった。
ドミニシ老人は彼の二人の息子から告発されての逮捕だった。数々の曖昧な点や証拠不十分にもかかわらず、かつドミニシ老人の自己弁護が35語だけで、死刑判決が言い渡される。後日、ド・ゴール将軍により特赦が与えられ死刑は免れたが、ドミニシ老人は自分の名誉のために無罪を訴え続けた。彼の死後は義理の娘がそれを努め、今日では孫が引き続いている。
ロラン・バルトは「ドミニシあるいは<文学>の勝利」という短いエッセイでこの事件について語っている。以下『』内は全て本文(訳:下澤和義)からの引用となる。
『ドミニシ裁判は、それ全体が、或る一つの心理学に基づいて行われてきた。その観念というのは、まるで偶然のようだが、保守的な<文学>という観念である。この裁判では、物的証拠が曖昧だったり矛盾していたりしたため、精神面での証拠が持ち出されることになった。けれども、その証拠の出どころは、告訴する側の心理状態のなかでないとしたら、いったいどこだというのか。だからこそ、なんの準備もしないまま、一片の疑いも抱かずに、行為の動機と脈絡が再構成されたのだ。』
ドミニシ事件から9年後の1961年3月28日に日本の三重県名張市葛尾で「毒ぶどう酒事件」が起こる。もともと葛尾は一つの村であったが、三重県と奈良県に分割される。両村人有志があつまり生活改善と親睦を目的とした「三奈の会」の年一回の総会後の親睦会で出された白ぶどう酒を飲んだ女性17名が、会の途中で食物と血反吐をはき悶絶する。白ぶどう酒を飲んだ17名のうち、5名が死亡、12名が約一ヶ月の入院を余儀なくされる重傷となる。
警察による捜査過程の中で毒は有機リン性剤の農薬「ニッカリンT」であることが判明、ぶどう酒を飲まなかった3名にはなんの問題もなかったことから、ぶどう酒に毒が混入されたとした。
事件は4月3日に一応の決着を見せる。犯人として警察は「三奈の会」の会員の奥西勝(当時35歳)を逮捕したのだ。奥西被告は当初否認を続けていたが、尋問の末、三角関係のみつれからの解消から反抗に及んだとの自白を行う。
僕はこの事件とフランスのドミニシ事件が全く同じ様相を示しているとは思わない。ただ幾つかの共通点があるとも思う。それは、両者とも戦後復興後の事件であること、山間部の事件であり、それを裁く人たちは都市部に住んでいること、不十分な証拠で刑が確定したこと、逮捕後容疑者は否認しているということ、そして両者ともえん罪である可能性が極めて高いこととなる。
ドミニシ事件の場合、容疑者のドミニシ老人が言葉少なく、代わりに検事補と裁判官およびドミニシ老人弁護の作家の周囲にいる人々が多くの修辞法や語彙を駆使して語られる様が、「言語活動の不同性」をさらに浮き出させ、そこから裁判の持つ冤罪の可能性を現したのだとおもう。
『ドミニシ老人の「心理」についても、事情は同じである。それは本当に当人の心理なのだろうか。われわれには何もわからない。けれどもそれが、重罪院の裁判長とか、次席検事の心理だということには、確信が持てる。アルプスに住む年老いた田舎者と、独りよがりの裁判官、彼らの2つの心理状態は、はたして同じ仕組みをしているのだろうか。これほど不確かなことはない。それにもかかわらず。ドミニシ老人が有罪判決を受けたのは、「普遍的な」心理の名の下においてである。ブルジョア小説と本質論的な心理学という、魅力溢れる天上界から地上に降りてきた<文学>が、ひとりの人間に死刑を宣告したわけだ。』
「毒ぶどう酒事件」で語られる一つの物語は、「三角関係の清算」を軸にした自分勝手な男の行動だ。その物語は誰にもわかりやすく、そしてこのわかりやすさが事件の方向性を決めたのだろう。刑事が考え、検察が考え、一時は被告人も考え、裁判官がそれを正しい物語と認定する。
物語を完成する為に、刑事たちは日夜奔走したことだろう。その中で取捨選択が行われる。物語の筋は既に決まっているのだ。その筋に合わないものは捨てられ、合うものだけが組み込まれる。その構築された物語を途中から違うと容疑者が叫んだとしても、その時点では物語自身が持つ力に打ち勝てはしない。やがては容疑者も物語の渦に巻き込まれ、その物語を通してでしか自分が無罪を証明できなくなる。そしてついに彼は言葉を失う。
1964年12月23日、津地裁は証拠不充分で無罪を言い渡す。
1969年9月10日、名古屋高裁では、1審の判決を逆転させ、死刑の判決を下す。
1972年6月15日、最高裁では、2審の判決を全面的に支持、上告を棄却して死刑が確定する。
2005年4月5日、名古屋高裁は、第7次再審請求を認める決定をした。検察側は8日、同高裁に異議を申し立てる。
6回の再審請求を棄却し続けたのは、物語を守ろうとする心情が大きかったのではないだろうか。今回7回目の請求を受けた時に感じることは、この完璧な物語に対する哀惜である。それは世紀の傑作と思われた文学が、44年後に駄作だと批評されたときの作家の心境かも知れない。駄作と評されるまでの44年間は、ひとりの男が死と向き合った時間でもある。そしてその男が作品の主人公でもあるのだ。本人が望むと望まないとに関わらず。
「三角関係のもつれ」とはいかにも都会的な内容ではないだろうか。それはかつて金曜の夜にテレビで展開していたドラマのあらすじに重なる。都市化の波が山間部に押し寄せた結果の所作として納得するにしても、その物語作者の背景に都市が見え隠れしている印象を受ける。
この物語の完璧性は、現在の葛尾の人々の心にも深く根を下ろし支配を続けてきた。彼らは容疑者の自白時には容疑者家族にいたわりの言葉を投げかけている。「家族には関係ない」と。それが容疑者否認の後は、激しい非難を家族に投げかける。容疑者の先祖代々の墓は掘り返され別の場所に追いやられる。
物語の否定は、それを守ろうとする村人に混乱を与え、さらに混乱を収束させる為の力とその行使を村人に与えたのかも知れない。村人は自分たちを守るために容疑者の家族を村十分にした。行き場のない思いは容疑者家族に向けられる他なかった。そしてそれは物語を維持しようとする力でもあったのかもしれない。
『われわれは皆、殺人者ではなく、言語を奪われた被告という意味において、潜在的にドミニシなのであり、あるいはさらに悪い場合には、告発者の言語の下で、奇妙なレッテルを貼られ、貶められ、有罪宣告を受けるのだ。まさしく言語の名のもとにおいて、人間から言語を奪い取ること、あらゆる合法的な殺人が始まるのはそこからである』
奥西勝死刑囚(79)の再審開始を願う。それはひとりの命を救うことであり、幾多の者の不幸が再開することでもあるが、やはり願う。
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