2005/04/16

多少照れながら、キースヘリングから文学のことを思う、あるいは一つの失恋を語るときの感傷

200504161198a2b4.jpg小林秀雄の対談集に面白い話があった。確か湯川秀樹との対談のなかで話されたように記憶している。だいぶ記憶が薄らいでいるので、確かではないが、小林秀雄は実際に出会って話が面白い作家と、まったくつまらない作家がいると言っていた。そして、大抵の作家は実際に会って話をすれば、彼が書いた小説以上に面白いのだとも言っていた。その際の彼の言葉が印象的だった。

「だって、誰もドストエフスキーに会いたいなんて思わないでしょ」

ドストエフスキーに会っても、彼の作品以上のものが話の中に出るとは思えない。なぜならドストエフスキーは彼の小説の中において、それこそ全てを書き表しているからだろう。
そうなると、小林秀雄のいう会って話が面白い作家とは、幾分皮肉が込められているのは間違いない。

作家といえども、この厳しい競争の中で生きていくために、様々な営業活動を行う他はない。彼らは、書店でサイン会を開き、トークショーに出演し、もしくはテレビ出演を行う。ただ、それらの営業活動が、かつてあったであろう作家の神秘性を堕としているのも事実だと思う。彼らは、既に我ら読者と同じ人になってしまった。読者と作家の境界線は今では何処にもないのかもしれない。

僕自身が作家が登場するそれらの場に興味がもてないのが、これらの意見の根底にあるのかも知れない。それでもそういう場に1回だけ行ったことがある。ただし、会いに行ったのは作家ではない。
本当に昔の話だ。まだ子供だったころの話。キースヘリングが日本に始めて来たときのこと、青山のギャラリーで行われた歓迎パーティに参加したのだ。そのパーティはオープンだから誰でも参加できた。50~60名くらい集まっていたと思う。今から思うと少ないが、その頃は誰もキースの事なんて知らなかったから、僕にとっては逆に随分と大勢に思えたものだった。

素敵なパーティだった。食べ物と飲み物は豊富だったし、それぞれが和気藹々と談笑していた。当然にその中にキースもいて、常に誰かと話をしていた。
彼が話をするというのは、それは絵を描くと言うことだ。彼の挨拶は絵であり、常に何かに描いていた。僕も挨拶を交わした。キースにとっては、多分年少者と思われる僕が近づいてきて、「あなたの絵が大好きなんです」と言われたことにとても喜んだ事だろう。メガネの奧のあどけない瞳がそれを語っていた。
僕の持ち物にも絵を描いてくれた。布製の財布には狼を描いてくれた。ハンカチには赤ん坊の絵を描いてくれた。手帖には人を描いてくれた。それはまさしくキースにとっては証をつけることであり、挨拶だった。

キースヘリングは1990年2月16日にエイズで亡くなる。享年31才の若さだった。

小野ヨーコはキースヘリングの立ち位置がビートルズのそれと同じだったと言っていた。ビートルズが音楽という芸術の外に立っていたように、キースは絵画という芸術の外に立っていた。しかしそれは完全に僕らの側にいたというのでなく、芸術と僕らの間に立っていたような、そんな印象を僕は持っている。

マドンナはキースの絵に皮肉が込められていると解釈しているように、それぞれの人にとってキースはそれぞれの姿で今でも存在している。僕にとってはキースの絵は、コミュニケーション言語だし、特に「こんにちは、今日は良い天気ですね」と同じ挨拶の言葉だと思うのだ。全ての人が気持ちを込めて挨拶をし合えば、きっと平和な世の中になる。僕の中のキースはそういつも語っている。

作家たちの中でビートルズ、キースと同じ立ち位置の人はいるだろうか。小林秀雄が提示した凡庸とそうでない作家の基準と共に、僕にとって一つの基準になっている。それらは作家の様々な営業活動の事をさすのではない。作家のテクストと行動の中にそれは存在している。
最近文学という何かを、作家は自ら貶めているように思えて致し方ない。貶めることは僕らに近づくことではない。それは決して違うとおもう。

キースヘリング公式サイト

キース

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