2005/04/14

村上春樹「象の消滅」

「象の消滅」は不思議な物語だと思う。消滅した象のことを書いているにもかかわらず、象が主体的に出てこないのだ。ほとんどは象周辺の人たちの話で終始している。そしてその話題は中心にいる「象」に向かってはいない。その点において、もともと「象」はそこに「ある」ときから「なかった」のではないかと不思議な感覚を持ってしまう。つまり、象は消滅する前から既に消滅していたのではないかという事だ。象の消滅は二度繰り返される。

この物語は、以前にアメリカで出版された短篇選集『The Elephant Vanishes』のタイトル小説でもある。最近日本でも同じ構成で出版した。加筆修正したとの話もあるので、そこに掲載している「象の消滅」を読んでみたい気にさせられる。

僕が読んだ「象の消滅」は短編小説集「パン屋再襲撃」に載っている版でしかない。でも多分、加筆修正したとしてもやはり不思議な物語であることはかわりがないだろう。勿論、印象に残る物語だ。
読みとして、「象」とは何を象徴しているのだろう、などと考えてしまうと、おそらくこの物語の罠にはまってしまうような気がする。村上春樹にとっての「象」の意味はあるとは思うが、この物語では村上小説に出てくる「あちらの世界」に繋がる何かを「こちらの世界」の「僕」が見てしまうことで、「僕」の何かが変わってしまう。それを読み手も一緒になって追体験することとなる。そんな物語だと思う。

「二度の消滅」と僕は冒頭に書いた。なぜそう読めるのかについて、説明しなくてはならないかもしれない。でも今のところ巧く説明できないと思う。ただ、そう読めたとしか言いようがない。僕にとっては二度目の消滅よりも、消滅していながらそこにいる象の存在自体が、この物語をして不思議な印象を持ってしまうのかもしれない。

さらに、僕はどうも「象」ではなく「飼育係」の方も気になってしまう。第一、この飼育係は実に不思議な老人だ。まず言葉が少ない、というか彼はほとんど何も語らない。子供に不信感を抱かせている。普通だったら象の飼育係であれば象と同様に人気者になっても良いと思う。何か「あちらの世界」に繋がる鍵語として「飼育係」があるんじゃないかと、そんな気がしてくる。そう考える僕は、やはりこの物語の罠にはまっているのは間違いない。

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