2005/04/11

MUを引退するかもしれないあなたに贈る言葉

こんにちは、仲春の頃、あなたはいかに過ごしていますか?
といっても僕はあなたと会ったことはありません。でも僕はあなたの事を少しは知っています。MUで一緒に遊んだだけで少しは知った気にならないで、とあなたは僕に言うかもしれませんね。その気持ちは本当によくわかります。確かに、MUでの僕も一つの役割があり、それにあわせてのキャラクターとして、まわりに認識されていたと思います。あ、キャラクターが先でしょうか。僕が知るあなたは、その役割分担を担っているあなたしか知りません。でもこれって、リアルの社会でも同じではないでしょうか。人と出会って「挨拶」をして「会話」をする。「挨拶」する人は知っている人です。そこに年齢とか性別は関係ありません。逆にリアルであれば、僕は知らないうちに様々な事に制約を受け、ある意味「自閉」してしまうかもしれません。でもMUであればその垣根は無くなります。勿論それがMUの強みでもありますが、弱点でもあるのも知っています。人は「顔」と「顔」を付き合わせて、初めて本当のコミュニケーションが出来ると思うからです。

でも僕は少しはあなたのことを知っていると言ったとしても、それはあながちウソでないこともわかってくれると思います。あなたとは色々な冒険の旅に出かけましたよね。未知なる場所への旅行はまさしく冒険と言っても良いと思います。その場所は同時に一人では危険な場所です。でもあなたと一緒だったから、僕は本当に心強かったです。そこでの経験は僕らを成長させました。成長と言っても目に見張る大きな事ではなく、技術的なことだったり、お互いの限界を知ることだったりするのですが、それでも新たに識ることと、それに対応できるようになることは、それ以前と比べて成長したと言えると思うのです。

冒険の最中も僕らは大いに会話を楽しみました。とるに足りない会話です。意味などそこにあるわけではありません。でも大事な会話ってそう言うものかもしれません。そういう普通の会話をすることで、僕は安心し気持ちが安らぎました。受け容れられているという気持ちは、何気ない会話を長く続けられることで得られると僕は思いました。それが人を認めることだと思います。それは何も大げさな言葉の羅列ではありませんよね。例えば「永遠に」とか、「決して」とか「もの凄く」などの言葉。「顔」と「顔」の対面の無いMUですから、言葉が少し大げさになるのは当たり前かも知れません。それらの不足を言葉で補うことになるのですよね。でもそれらの言葉は時に僕を困惑させました。

あなたは言ってました。MUって「クソゲーランキング」で3位だって。引退者がどんどん増えているんですってね。以前の僕はゲームなのだから「引退」を宣言する事にすこし違和感を憶えていました。MUはゲームであり、ゲームであれば、やりたいときにやり、つまらなくなったらやめればいい。そこに引退などという言葉は存在しない。そう思っていました。
でも今では「引退」を宣言する人の気持ちも少しはわかります。「挨拶」を交わし「会話」をする見知りあう仲ですから、きっとそれはリアルで言えば引っ越しの挨拶に近いかもしれませんよね。

でも「クソゲーランキング」3位は面白かった。人は始めるときもやめるときも、自分に納得できる言い訳を探すものだと思うのです。だから、やめることが出来る理由を作ってあげるサイトとして、それは存在価値が高いかも知れません。でもね、人によっては声高に悪い部分を叫び、その他の意見を殺そうとしますよね。あれって、どうよと思ってしまいます。声高の意見、声が小さい意見、どちらも等分に扱う世の中が望ましいのですが、やはりMUの社会においても、リアルの社会と同じなんだなぁと思ってしまいます。でも3位とは残念です。できれば1位になれば良かったのに。

声高の意見がその社会の世論を代表する意見とは思わない方が良いですよね。例えば韓国の話ですけど。「竹島」と「教科書問題」で反日感情が高まっていると新聞では報道されています。でもあれも声高の人たちを報道しているに過ぎないのではないでしょうか。ある韓国の人のメルマガに書いてあったことですけど、多くの韓国の方は、落ち着いているそうです。彼らは「教育」で「竹島」は韓国領土だと信じて疑いませんが、だからといって多くの人は威圧的に叫んだりはしません。落ち着いて友好的な解決が出来ればいいなぁと静かに考えています。確かに声高の人の意見は無視できないことはわかります。それに「竹島」の問題は、解決できるかと言えば、かなり難しいでしょう。でもそう言う問題って、何処の国にもありますよね。そう言う問題は問題として、早々に解決することを目指すのでなく、そこに問題として残すことのも有りなのかもしれないと僕は思います。こういう事を言うと「日和見主義」と言われますが。それって悪いことなんでしょうか?僕にはわかりません。ただ、声高に叫ぶ者同士でも何も解決しない事だけはわかります。

MUを引退するかもしれないあなたのことを、僕はどのくらい長く憶えているかはわかりません。1年も経てば日常でMUのこと自体忘れてしまうことでしょう。例えば小学校時代の親友のことを日常忘れているように、でもふとした瞬間に、それは写真とか遠足の思い出とかを通じて、思い出す事ってありますよね。そう記憶は蘇るものだと思います。その時にきっと僕は思い出すでしょう。あなたとMUのことを。でも引退するかどうかわからないあなたにむかって言う言葉ではありませんよね。今はお互いの時間のなかでたくさんのたわいのない会話をしましょう。お互いの存在のために。お互いを認め合うように。

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