2005/04/04

雑感 内田さんの記事

内田樹さんの記事『ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」』を読んだ。
正直言えば、オルテガの『大衆の反逆』は知っていたけど、読んだことがなかった。機会があれば読んでみようと思う。

昨夜、記事のコメントのやりとりで、無知から来る配慮の足りなさで、すなハハさんから怒られてしまった。全く持って弁明のしようがない。

ただコメントを書いているとき、自分の頭にあったのは、全然違うことだった。
それを内田さんの記事では一文で現されていた。
『自己肯定と自己充足ゆえに、彼らは「外界」を必要としない。ニーチェの「貴族」は「距離のパトス」をかき立ててもらうために「劣等者」という名の「他者」を必要としたが、オルテガの「大衆」はそれさえも必要としない。彼らは「外部」には関心がないからだ。』
この文章は記事冒頭の文章となっている。勿論内田さんと僕とでは較べるる次元にないことはわかっているが・・・

しかし、内田さんの解釈にはそこはかとなくレヴィナスを感じてしまう。何処がと問われれば、全体を通してと云うしかない。それは内田さんが、自らをレヴィナスの弟子と称していることを知っているから、そう感じてしまうかもしれない。

しかしこの文章は未練だなぁ。今度まとめて記事にしてみようと思っている。

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