2005/01/06

奈良市の事件で感じたこと

奈良市の小1女児誘拐殺害事件が、昨年中に犯人逮捕となり本当に良かったと思う。
実は本ブログでこの事件について書くのをためらわれた。今回の事件に貼り付いていた物が多く、何を視点にするかで事件の様相と今後の展開が大きく変わる。そして、それ以上に被害者とご家族の心情を鑑みると、逮捕されて良かったとしか言えない自分がいたからだ。

僕にとって犯人の性癖には興味がない。また社会状況から、この事件についてコメントをするつもりもない。それらのコメントは新聞もしくは他のブログで展開している事だろう。

それに、何をしても、何を言っても、被害者達の気を晴らすことが出来ない。女の子は将来、政治家になり貧困をなくしたかもしれない、もしくはマザーテレサの様に病気に苦しむ人達に希望の手を差し伸べたかもしれない、歴史的な発見をしたかもしれない、ビジネスで成功する可能性もあるだろう、さらに母親になり優しい子供達を育てたかもしれない。
それら多くの可能性を1人の男が握り潰したのだ。ご家族の喪失感も想像できないほど深く暗い事だろう。これらは世界中でおきている、戦争・紛争・テロ・事件等に巻き込まれた多くの子供達に対しても言える。僕はこの事件を通して、そこまで気持ちと想像を深めることが出来るのだろうか。少なくとも、今回の事件で自分の暗闇の部分を含め、どこまで人の痛みを実感し見詰める事が出来るかが、僕にとって総てだった。

話は変わるが、今回の事件であまり語られない話題があった。少なくとも僕にとってはそう感じた。それは何かと言えば、犯人が新聞販売所店員だったことに対する、新聞社各社のコメントに感じた違和感だった。僕にとってそれらは新聞各社のアリバイ作りに思えて致し方なかった。そしてその対応は本質的でない印象を受けた。

犯人は各新聞社の販売所を転々としている。産経新聞、朝日新聞、読売新聞、そして毎日新聞。毎日新聞を除く各紙販売所では数ヶ月勤務し、「勤務態度」が悪いと解雇させられている。新聞の読み方によっては、毎日新聞を除く新聞各社が販売所を適正に管理している結果とも受け取れるが、それはたまたま偶然の事でしかない。

また毎日新聞社側もコメントも発表している。コメントの中で本音と思う部分は「痛恨の極み」のひと言だと思う。他の新聞各社は、自分の所に勤めての事件でなかった事に胸をなで下ろしていることだろう。

「このような卑劣な事件の容疑者として、毎日新聞社と取引関係にある販売店の従業員が逮捕されたことは、当社にとって痛恨の極みであります。 (中略) 当社としては、事実関係の確認を急ぎ、販売店に対して従業員の人事管理をさらに強化するよう指導していきます」(毎日新聞 社長室広報担当名でのコメント)

新聞社にとって、販売所の役割はきわめて大きい。販売所の人達は新聞を、配達し、集金をし、新規顧客の開拓も行っている。逆に言えば、新聞社に働く人達は、販売所の努力と苦労によって生活できていると言うことになる。
しかし、記者を代表する新聞社に働く人達と較べ、その地位と賃金は低い。その関係はまるで死語となった「搾取する資本家と搾取される労働者」の関係のようだ。

新聞配達所の人達の仕事は辛い。だから今では誰もやりたくはない仕事の1つだと思う。でも新聞社が存続するには、誰かにやってもらわなくてはならない。そのなかで、毎日新聞社側が言う「人事管理強化への指導」とは一体何をしようとするのだろう。

まず「指導」という言葉が時代錯誤のように思える。人事管理を強化することで、販売所に勤務する人が少なくなる事に繋がるのではないだろうか。その結果は、販売所経営者とその家族の益々の苦労だろう。

まず新聞各社が取り組まなければならない事は、販売所の地位向上と改善だと思う。新聞記者の人件費を削減すれば、購買価格を変えずに販売所にお金を回すことが可能だと思う。
例えば、宅配便の仕事も辛いが、苦労があっても人が勤めるのは、その給与の高さだと考える。それと同様にすれば、そこに自ずから人事管理も成り立っていくように思える。今回のことで、本当に新聞社が遺憾に感じるのであれば、そこまでやらなくてはならない。

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