2005/01/16

ヒーローものゲーム、子供の攻撃性増加の可能性

「悪者が暴れまわるテレビゲームより、かっこいいヒーローが敵を倒すゲームの方が、むしろ子どもの攻撃性を高める可能性があることが、お茶の水女子大の坂元章教授らのグループ研究で明らかになった。」(読売新聞

読売新聞に2005年1月7日に掲載された本記事は、ネット上において話題を呼んでいる。今までの一般的な見方では「暴力描写の高い」ゲームに熱中することが「攻撃性」を増すと思われていたことを考えれば、この研究成果は一定の評価を与えられる様に思える。

例えば映画で言えば、高倉健出演の任侠物の後と、エイリアン2の後では確かに肩の上がり具合が違うと言うことなのだろう。そう言ってしまえば身も蓋もない話だが。

正義の味方が存在する場合、当然の事ながら対極として悪が存在しなければならない。その単純な二元論は、多様化している社会の中では現実的でなく、ゲームもしくはハリウッドのアクション映画の中でしか存在しない、と考えているとしたそれは誤りかもしれない。

逆に現実の世界にこそ、この善悪もしくは敵味方、または賛成反対の単純な二元論は存在しているように思う。暴力・批判を与える一方は正義の名の下に力を行使し、相手を悪と認識する事で、その行為は正当化される。それらは社会の中で多く見られる光景だろう。以前に米国大統領は北朝鮮とイラクは悪の枢軸国だと言っていたし、実際にイラクに力を行使している。それらの社会の中で子供達に、ゲームの世界と現実の世界の違いを、どの様に教えて行くべきなのか、正直少し迷う。

しかし、今回の被験者となる小学五年生の選択をどの様に行ったかは記事だけでは不明だが、一ヶ月間の実験中、子供達の「攻撃性」に関連する生活環境の変数は出来るだけ削除したのだろうか。また「攻撃性」が増すとは具体的にはどの様に測定されたのだろう。いや、それよりも子供達1人1人が元々持っている「攻撃性」は違うだろうし、その中で少ない子も高い子もいることだろう。その「攻撃性」が表に出るとした時、普通は喧嘩として現れるとは思うが、それは一体問題につながるのであろうか。子供は時折の喧嘩によって、コミュニケーション能力を養っていくように思える。怖いのは「攻撃性」が増すことに過剰反応する大人達の方だと僕は思う。

問題は「攻撃性」が増すかどうか出なく、「攻撃性」の表し方であり、その持続時間であり、単純に敵味方で相手を認識する事なのではないだろうか。

本当はこの記事は、坂元章教授らの研究の事を書くつもりはなかった。実際に僕がこの記事を読んで、最初に疑問に思ったのは、今この記事を新聞に掲載する理由だった。

通常この様な研究は、発表するまでに現場では色々と試行錯誤があり、今回だけでなく中間発表も含めて意見を述べてきていると思う。つまりは坂元教授らにとっては、今回初めて発表した事でないのは間違いない。ただ、今回だけ読売新聞が記事として取り上げたのだ。

奈良県で小学生の誘拐殺人という不幸な出来事が生々しく人の記憶に残っている。これから加害者男の人生が事細かく分析されていくことだろう。また中高校生が引き起こす事件も多い。子供達の犯罪行為を考えたときに、簡単に結びつけられるのは、アニメであり漫画であり、そしてゲームとネットなどのサブカルチャー群だろう。

今までは、暴力描写のアニメがあったとしても、それと犯罪行為との因果関係は明らかになっていなかった。それは今でも実際は変わらないが、そこに坂元教授の研究成果は一定の根拠を、これらサブカルチャーを原因とする者達に与える事になると思える。研究成果の応用は、主人公であるヒーローに同化する傾向が高い作品であれば、使われるメディアは関係はない。

その様な状況をさりげなく、読売新聞読者もしくはネット利用者に印象づけているように思えるとしたら、それは考え過ぎなのだろうか。

0 件のコメント: