昔、実母は保険の外交をやっていた。やり手だった母は外交でも頭角を現し、常に成績は上位の方だった。保険会社では外交の契約金額が上位の人を優績者として表彰し、旅行にも連れて行ってくれる。ある年の表彰式で社長が母達優績者の前で挨拶をした。
「皆さんは、我が保険会社にとって宝とも言える人達です。ゆっくりと旅行でリフレッシュして、これからも頑張って下さい。ところで皆さん、安心して下さい。今回の皆さんの旅行は2回に分けて出発することにしました。もしどちらかの飛行機が不慮の事故にあったとしても、皆さんの半分は助かっていますので、会社は安泰です。」
ウソのような本当の話だ。この話はそれから以降、素晴らしい演説として家では今でも語りぐさになっている。演説した彼が特殊でも何でもない。以前は会社にこういう人は案外多かった。つまり、会社あっての会社員、国あっての国民、という考え方だろう。そして、その考え方が広く社会にも通じると信じて疑わない。
日本は議会制民主主義をとっている国だ。経済も自由市場経済が原則で、国営よりは民営、政府は市場に広く介入はしない、企業は競争で切磋琢磨し、商品の価値は市場に委ねる、という考え方が多分一般的ではないだろうか。(あくまで原則としてです。)
所が、企業組織が民主的かと言えば、それは全く違う。民主的で自由主義の企業組織があったら、一度見てみたいと思うくらいだ。組織の形態は色々とあるが、多くの企業は軍隊的な組織形態を持っている。いわゆるピラミッド型と言う物だ。社長を投票によって選ぶ会社が現れたら、これはこれで面白いかもしれないが。
その中で会社員は、一日の殆どを会社で過ごす。そうなると自然に会社での物の考え方と常識が身に付いてしまい、退社後の日常生活においても、同様の考え方で社会を見てしまうことになってしまう。
冷静に考えれば、会社での考え方は、その会社の企業文化によって違うだろう。常識も業界によって種々様々だと思う。僕も会社員だから、あまり言いたくはないけど、自分を振り返れば学生時代の方が賢く、世の中のことを正しく見えていたような気がする。
今の会社に入ってビックリしたことがある。それは経営者には哲学があって、それを年に数回集まって勉強会を開いていたことだった。勿論その哲学は体面上は経営者からの押しつけではない。でも会社に影響力がある人の考えだから、自然にその考え方を信奉する人が多く、いつのまにかそれが会社の哲学になってしまった。
哲学とは、具体的に言えば会社員の生き方みたいな感じで、企業のビジョンとか戦略とは次元が違う話だ。まぁ、言っていることは、企業人としては悪くはないから良いのだけど、一頃は自分が毛語録をかざした中華人民共和国の人の姿とだぶったこともあった。
しかし、何故企業経営者は成功すると自分の人生訓を語り出すのだろう。これは何処の国でもありがちな話だと思う。書店に行けば経営者達の自伝とか成功話を書いた書籍でビジネスコーナーは埋まっている。
実を言えば、僕は最近までビジネス書とかを読んだことが全くなかった。でも2?3年前に、あるビジネス書を読んだらこれがとても面白く、それが契機となり読み始めた。読むビジネス書は概ね理論本で、ハウツー本、成功話、伝記物は今でも読んだことがない。
日本にも何人か有名な経営者達がいるけど、ああいう人達は最初から聖人君主的な人達だったのだろうか。実際にはそういう風には全く思えない。最初は小さな企業で、何時潰れるかもわからない状態で、哲学を論じていたとは思えないのだ。いつ頃から彼らは哲学を語り始めるのだろう。それは多分、自他共に成功したと認められたときからだと思う。
でも言っている事は、そんなに大したことは言ってはいない。ただ実績が背景にあるから人に対し説得力があるのだろう。ただ、その人達の話を聞いたとしても、実際に役に立つとは限らないわけで、つまりは彼らと今では状況は全く違う。同じ事をやったとしても、間違いなく今では失敗する様に思う。
それは何故かというと、彼ら成功者達の多くは物作りだったと思うが、戦後からしばらくの日本は自由市場経済ではなく保護主義だった事から、外国から守られていた点。
国に守られながら、今よりは厳しい競争もない中で、朝鮮戦争などの悲劇により、日本は景気が良かった事等が、簡単にはあげられると思う。
勿論、その中でも成功した人は、経営者として優れていた点が多かったのは間違いないとは思うのだが。ただ、失敗した多くの人の中にも、素晴らしい人格者はいたと思うし、もしかするとそう言う人の声の方が、僕らには有意義な感じもする。それに、経営に失敗したからと言っても、素晴らしい人生を送った人も多かったかもしれない。そう言う人の伝記物があれば、僕も喜んで買うと思う。少なくとも成功者の話よりは退屈しなくて済みそうだ。
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