2005/01/30

NHK問題に関する内田樹さんのブログ記事を読んで

言論の自由に関する内田樹さんの意見をブログで読んで、大いに勉強になった。備忘録として本ブログに残す。内田樹さんのブログ記事はここ
『言論の自由というのは「言う自由」のことだけではない。
「言われたことば」の適否を判定する権利を社会成員が「平等なしかたで」分かち合うことも「自由」のうちにはふくまれている。』
『「選択的に正しいことだけを報道する」ということが原理的にありえないからである。というのは、無数の無価値な情報、虚偽の報道、イデオロギッシュなメッセージの中から、何を聴き取り、何を「正しい」とするかを決定するのは国民ひとりひとりの不可侵の権利だからだ。』
『「視聴者には報道内容の適否を判断する能力がない」というのは「事実のレベル」ではかなり蓋然性の高い主張である。しかし、「だから適否の判断を視聴者には委ねない(私が代わりに決めてやる)」というのは「原理のレベル」で受け容れることのできない主張である。』
『民主社会における私たちの人権は「誤り得る自由」も含んでいる。
「誤り得る自由」が認められず、「正解する自由」だけしか認められない社会というのは、人間が知的であったり倫理的であったりする可能性が損なわれる抑圧的で暗鬱な社会である。』
『正解を急がないこと。これが実は「言論の自由」の核となることなのである。
「正解を今この場で」と性急に結論を出したがる人は、「言論の自由」という概念を結局は理解できないだろうと私は思っている。』
上記『』内の文章は全てブログ「内田樹の研究室」からの引用です。

僕自身は以前のブログ記事で、NHK内に基準が無いことが今回の事件が大きく報道された理由としてあげた。そして統一見解を持たないNHKという組織に欠陥があると思った。もし仮に、NHKの報道が、NHKに属する1人1人の考えで報道したとしたとき、それを流す側と受け取る側にきちんとした了解が無ければならないと考え、今の日本ではそれが出来ていないと思ったからだ。

ただ問題がこのような形になった以上、内田樹さんの発言はもっともな考えだと思う。それに個人的には、とても勉強になった。

内田さんは、無時間モデルで判決を下した「民主法廷」と報道を妨害した政治家を同根だと見ている。そして、(こうなった以上)「民主法廷」を編集無しで最後まで放映すべきだとも考えているし、政治家は広く自分の考えを述べる権利を支持すると言っている。

なんと強い信念と意見だろう。確かにこの問題から考えることは多いように思う。問題が泥沼化している様相の中で、僕自身はこの問題に思考停止が過ぎたようだ。

僕自身も「民主法廷」と政治家の意見、を見て聞いて判断したいと思った。多分個人的には双方の考えに対して強い反発を持つとは思うが・・・

さらに内田さんのブログで書かれているように、「調停案」については僕もその通りだと思う。

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