「長崎県佐世保市の小6女児事件を受け、長崎県教育委員会は県内の小中学生を対象に「生と死のイメージ」に関する意識調査を実施。「死んだ人は生き返る」と思っている子供は全体の15・4%に上り、小学生よりも中学生の方がその割合が高かったとする調査結果を24日発表した。」(産経新聞から)
グーグルニュースでは、1月25日3時の段階で、全国紙および地方紙新聞のうち計16社の同一記事を紹介していた。そしてそれらは、ほぼ全て同じ内容の記事であった。
ただ毎日新聞だけが本調査に対し、調査実施者である長崎県教育委員会の以下の言葉を掲載していた。
「ただ、中学生の方が小学生より「生き返る」と答えた割合が高く、県教委は「結果については一部疑問もあり、経年調査をしたい」としている。」(毎日新聞から)
上記の県教委の発言は重要だと僕は認識している。一部疑問の内容は明らかにされてはいないが、毎日新聞の文脈を見れば、「中学生の方が小学生より「生き返る」と答えた割合」が高かった事がそれに含まれている様だ。また、調査実施者のこの発言は、同調査結果が一人歩きをする事を、出来るだけ止めたい配慮もあるかもしれない。
いずれにせよ県教委が述べたように経年調査が必要だと僕も思う。それまでは本調査結果は参考程度にとどめておく事が一番良いと考える。
本調査では2択方式で6項目の質問を行ったそうである。抽出方法は明らかにされていないが、自分が中学二年生の頃を考えると、変に厳密な所があったように思う。
例えば「死んだ人」の定義次第では「生き返る」事もあると考えても不思議はないように思える。蘇生した者の体験談をテレビなどで聞けば、そう言う場合もあると思うことで、「生き返る(事もある)」などと考えるかもしれない。
6項目での質問は、質問数が少なすぎるのでないだろうか。もうすこし多面的に質問を行う必要があるように思える。
僕が初めて人の死を目前にしたのは、母方の祖母の時で、小学校低学年だった。祖母には4才頃まで育てられ、怒られてばかりいた記憶があり、怖い人との印象が強かった。祖母が自宅で横たわっている姿を見て、僕は何故か厳粛な気持ちになったのを覚えている。
それは回りの親戚の人が、静かで悲しみに耐えている姿と、泣いてすがる姿を見て、子供ながらに祖母は戻らぬ人になったのだと思ったのだと思う。それから何度か親戚・友人の親・友人・会社関係と葬送の儀礼にでた。
葬式に出るというのは、色々な意味で僕らに考えさせることが多いような気がする。もしかすると、子供達にも、子供だからと言って除外するのでなく、積極的に親はそう言う場に連れて行くべきなのかもしれない。そんなことも考えてしまった。
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