2005/01/18
映画「ターミナル」を見て、複雑な気持ちの感想
「ターミナル」を見てきた。まさしくファンタジー映画として楽しんだ。実を言えば見る前におおよその「あらすじ」から勝手にイメージを作っていたが、それは見事に覆された。結果から言えば良くもあり悪くもあった。
最初僕がイメージしていた映画は、人々が過ぎる場所としての空港に、拘束される事で止まる主人公がいて、彼とそこに行き交う人々との間に芽生える物語だった。止まった人は移動したくてもそれが出来ない人であり、しかも帰る場所もない宙ぶらりんの人でもある。その宙ぶらりんの人の視点で、アメリカという国を移動する人を介して見る。そんな映画だと思っていたのだ。
実際の映画での主人公は、状況としては僕の想像通りだったが、そこに止まる人でなく常に動く人であった。ポジティブに状況を受け入れ、その中で彼にとって最善の事をした。また、彼は自立していた、そして人を信じ裏切らなかった。だから、彼の回りには自然に人が集まり、その人達は好意を持って彼を応援した。
一見して不条理な状況に陥っても、目的に向かって前向きに動けば、周りの人は手を差し伸べてくれる。そんなメッセージを素直に感じた。
「ターミナル」の主人公として、トム・ハンクス以外には考えられないと思う。コミカルにそしてチャーミングに、悲壮感を漂わす事なく演じきった。トム・ハンクスの昔の名作「ビッグ」を思い出してしまった。それほどはまり役だと思う。
この映画はファンタジーだから、細かな点に揚げ足を取るのは失礼かもしれない。少なくとも僕はそう思った。映画の世界を楽しめればいい。そう言う映画だ。
でも「楽しむ」と言う事は、良い事である反面、物事を片側でしか見ていないと言うことにも繋がる。もう一つの視点で見ると、この映画は怖い映画になるかもしれない。
例えば、主人公の敵役である空港警備局主任が、元上司に言われるセリフ「ここは人間重視の国だからな、少しはビクター(主人公)を見習え」。
人間重視の国とは米国のことを指しているのだろうけど、背景にその逆として「人間軽視の国」があると言うことなのだろうか。
最後に主人公は友の為に祖国に戻る決心をするが、その友は自分が足枷になっている事を知らずに、彼を「臆病者」と言ってなじる。その友は自分が原因であることを知ると、自ら彼の重みを外すために行動する。その姿をみて主人公は再び目的に向かって行動を取るのだか、ここら辺の価値観の決めつけが少し興ざめさせたのも事実だった。
上記だけでなく、こういうセリフと価値観が、「楽しさ」の中に随所に現れてくる。そしてそれらは「楽しさ」によって覆い隠され、見る人に自然に植え付けて行くように思えた。
映画終了後エスカレータ内で見知らぬ友人同士の男性二人が「良かったね」と言っているのを聞いて、実をいうと言われたのが僕でないことを喜んだ。良い映画だと思うが、素直に「良かったねと」同意を求められたとき、多分即答は出来ない自分がそこにいたからだ。
昔からハリウッド映画に親しんだ僕は、こういう映画は好きであるのは間違いないが、以前のファンタジーもしくはコメディ映画には「国」というイメージを喚起する事が少なかったような気がする。それはこの映画が「空港」という場所での物語と無縁ではないとは思うが、何か少し気になったのも事実だった。
なにやら訳がわからない感想になってしまった。でもその訳がわからない雰囲気が僕の気持ちを良く伝えていると思う。
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