実を言うと不覚にも発売を全く知らなかったのが本当の話。知っていたらもっと前に買っていたと思う。この本を買うとCoccoのCdを別途買う事が出来るのも購入の大きなポイントになった。いまからCDが届くのが楽しみ。
Coccoの絵本はこれで2作目になる。絵がとっても綺麗だけど、何か生々しさが残る感じの絵だと思う。生々しさと言うと悪い印象を受けると思うけど、そう言うのではなくて、Coccoの歌がそのまま絵になったという感じが一番近いかもしれない。
ああ、Coccoは絵を描いても、やはりCoccoなんだなと思ったのが僕の素直な感想だった。
もう一つ思った事がある。Coccoは人魚の視点で南の島(沖縄)を見ていたのではないだろうか、と言う事。
人魚は海をすみかにしているので、陸(沖縄)にはあがれない。陸に住む僕等とは異世界の生き物だ。当然に視点も違ってくる。人魚が陸の人間を好きに なるアンデルセンの「人魚姫」の物語は、恋を得るために人魚は大きな代償を支払う。口がきけないのだ。その結果好きだった人は別の人と結婚する。
その時の人魚の心情をCoccoの「あなたへの月」の歌詞に見るとしたら、それは考えすぎだろうか?
「あなたが忘れ去った夜空 私が呼んだ雨雲 そして知ることはないでしょう 今もあなたの頭上 高く高く 流れた 宇宙(おそら)は天の川に溺れて」
この「あなたへの月」のイメージは、最初の絵本「南の島の星の砂」に似ている気がする。
人魚は泡となり海に戻る。Coccoの「遺書。」の中の死では「灰」になるのであるが、海に戻る事には変わりはない。
「そして灰になった この体を 両手に抱いて、 風に乗せて あの海へと 返して下さい。」
人魚とCoccoの事については、もっと考えてみたいと思う。今回は絵本を買って、読んでみたときに、Coccoは人魚なのでは?と思った事を書い てみた。でも、もし僕のイメージに近かったとしたら、Coccoはまだ沖縄には上がる事が出来ず、周辺の海で切ない思いを抱いている事になる。それはそれ で少し悲しい。
追記:人魚の話と言えば、僕が一番心に残っているのは、小川未明作「赤い蝋燭と人魚」だ。冒頭の書き出しから引き込まれる。
「人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります」
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