2004/10/20

めぐりあう時間たち・・・その後



「めぐりあう時間たち」の原作訳本を読み始めたのが、10月3日のlogに書いてあったので、既に2週間以上経った事になる。

人によって、もしくは状況によって、人が本を読む早さは様々だと思うけど、たいてい僕の場合は集中して一気に読んでしまう事が多かった。それなのにこの「めぐりあう時間たち」はこんなにも時間がかかっている。現在、やっと半分迄の箇所に来たところだ。
ではつまらないのか?、いえいえその逆でもの凄く面白いのだ。半分のところで感じた点をいくつかメモしておこうと思う。

1.映画は原作を概ね忠実に再現していると思う。原作を読んでから映画を観たとき失望する事が多かったけど、「めぐりあう時間たち」の場合は双方とも満足する事が出来そうだった。これは映画を先に観た事と関係するかもしれない。

2.原作は結構ウィットに富んでいて、2001年のクラリッサ(映画ではメリル・ストリープ)はニューヨークで撮影隊を見かけるが、その時の話題に メリル・ストリープが出てきたりする。原作の時点で映画俳優が決まっているとは思えないけど、作者はクラリッサをストリープイメージで作っていたのかもし れない。

3.1951年のローラが死に向かって行くのが、男性である僕の謎の一つだった。映画を観たときに、これは男性であるが故に不明な部分なんだと思う 事にしていたけど、原作ではその点のディテールが細かく描写しているのでわかりやすい期待を持った。今のところ思うのは、性差による苦悩からの突発的な衝 動行動ではなかったという事。ローラは夫が望む妻を演じる事に単純に疲れていたという事ではなく、彼女自体が結婚(男女の)に向いていなかったのではと思 われるところがあった。

4.ヴァージニアウルフの「ダロウェイ夫人」は最初ダロウェイ夫人自身が人から見たときにたわいのない理由で自殺をする事を想定してした。その役割は「めぐりあう時間たち」ではローラになるのかもしれないけど、最後まで読まなければ不明な事だと思う。

5.2001年のリチャード(リチャードの名前はウルフの夫の名前と同じだったのが思しろい)は訳本真ん中当たりまでは死の予感が一切現れていない ように思える。エイズだから自殺というのでは短絡的だし、それだけでは読み手としては納得は出来ないので、今後の展開に期待している。

6.ウルフの言う「普段の生活の中にこそ、人の心の持ちようで様々な事件がある」という考えに同感した。多分これは作者の意見でもあると思う。3つ の時代ではそれぞれパーティー(イベント)を開催するべく3人の女性達が動くけど(小説ダロウェイ夫人も同様)、イベント自体には何もなく、イベントを何 故開催するのかの理由付けと開催まで色々と準備を進める時に、各の心に様々な事件が起きている様に感じられた。

7.登場人物の名前の付け方が、「ダロウェイ夫人」登場人物と作者であるウルフ関係者の名前が使われているのが多いと思った。この名前の付け方にも作者の意図があるとしたら、どういう事なのか気になった。

8.作者はゲイ関連の書籍を書いている方で、その方面においても詳しい方だと思う。(作者がゲイなのかは別として・・・)

この小説は「ダロウェイ夫人」同様に「人生の選択」を主要テーマにしているけど、ゲイの考え方とかが背景にあるかもしれない。その観点を中心にこの本を読み解くと別の解釈も出てくるかもしれないと思った。(主要登場人物の大体はゲイだった)

しかし本から離れるけど、日本には潜在も含めるとゲイ人口はどのくらいなんだろう?
少し前にあったのは「結婚しない女性、結婚できない男性」だったけど、最近は違うようで、男性も女性に向かっていかない傾向だとどこかの雑誌で読んだ事がある。少子化だし、環境ホルモンの問題もあるし・・・・

「Yomiuri Weekly」という週刊誌の今週の特集が「セックスレス夫婦」だった。その中で夫婦間の性を拒む例として乗っていたのが殆ど男性側だった。この国は性の情報に溢れているけど、性の問題でもしかしたら衰退していくのかもしれない、そんな事もこの本を読んで(大いに脱線しているけど)少し思いをはべらせてしまった。

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