2006/12/29
僕が撮りたいと望む写真
写真の一枚一枚には必ず5W1Hがついて回る。そしてそれらが写真の内容を示しているのなら、写真の一枚はどんなものであれユニークな存在でもあると僕は思う。
しかし写真は内容よりも様式(スタイル)の方が重みがあるとも僕は思う。様式を中心に見れば、僕が写す写真はどれも似たような写真に見える。しかもそれらはテクニック的に言えば、どれもこれも今までの写真の真似でもある。だからこそ、その中で自分のスタイルを確立することの難しさが見えてくる。
今から80年ほど前、「新即物主義」という美術運動があり、写真の世界も少なからぬ影響を受けた。彼らは「世界は美しい」との標語の元、様々な写真を写した。「新即物主義」の精神は、表現方法の道具としてのカメラと相性が良かったと僕は思っている。主観を廃した物の美しさへの表現はまさしく写真にとっておあつらえ向きだったにだったに違いない。
「世界は美しい」という発想は、今でも脈々と写真家の中に生き続けているように思える。ただアルベルト・レンガー=パッチュの写真集「世界は美しい」に掲載されている写真は、彼の主観を伴う美意識と構成したスタイルで貫かれている。それらを「新即物主義」の美術運動に組み込むこと自体、正直に言えば多少の抵抗が僕にはある。
さらにこれもよく言われることだが、ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」からの「世界は美しい」に対する批評は、写真の対象への意味を露わにせず、またその現実さえも無視することを痛切に切り込み、未だにその力を失っていない。
僕自身が写真の内容(意味)よりスタイル重視と語る先に、「新即物主義」への再帰が当然の帰着として在るのだろうか。いやそういうことではない、おそらく写真のイズムの中にスタイルへの道程が導き出されるように思える。そしてその写真のイズムには、人間の現象界の境界線を乗り越えることは難しい。写真における新たな地平への模索は、僕にとっては悲観的なのである。おそらくそれは、新たなスタイルの構築だけではなく、人間を核とした新たなテクノロジーとネットワークを持ってしか実現可能性はないのでなかろうか。そんな気さえしている。
誰もが単純に「美しい」と思える写真ではなく、衝撃的な報道写真でもなく、それでいて人間の感性の枠を広げてくれるような写真。現有するカメラのシステムで、偶然でも良いし、一枚だけでも良いので、奇跡的な写真を撮してみたい。僕が密かに願っている事である。
2006/12/25
クリスマスの話題
図書館に行く途中に、綺麗にガーデニングしている家がある。道路に面したその家は、正面は狭いがガーデニングに工夫を凝らし、道行く人を楽しませてくれる。垣根の隙間から中庭を観ると、様々な草木が愛情細やかに育てられているのがよくわかる。
工夫を凝らしたガーデニングが楽しかったので、持っていたカメラで何枚か写真を撮る。じっくりと見れば見るほど面白い。夕暮れ時、通りを何人かが歩いている。夢中で写真を撮っていると、突然に背後から声をかけられた。
「こんにちは」
振り返るとそこに一人の婦人がたっていた。年の頃は60の半ばと思える婦人は、僕を見てにこにこと笑い、「お好きなんですか?」 と聞いてきた。
咄嗟に、この家の方だとわかる、立ち上がり、「ガーデニングがとても素敵だったので、写真に撮らせていだきました。」と答える。
彼女は笑顔で僕の言うことを聞いている。そして再び「お好きなんですね。」と話す。
「はい、いえ・・・あの、ガーデニングが好きと言うわけでもなくて、草花の緑とか色の美しさが好きで、あ、そういうことが好きと言うことですよね。」
と、意味不明なことを語る僕。
そして彼女と家の前で少し話をする。5月になれば、家の周りはバラの花で覆われるのだそうだ。
「その頃にも来てくれると嬉しいです。」と彼女。
12月は家の外観をイルミネーションで覆う。でも年々とイルミネーションは質素になっていくとのこと。
彼女たち、つまり彼女とその夫が家の外観をイルミネーションで覆ったのは、今から35年くらい前との事だ。結婚早々の時、同居する親と一緒に家を建て直すことになった。その時に、新婚夫妻の新たな家への要望は一つだけあった、それはとても強い要望で、親の反対にも負けることはなかった。その要望とは、家に煙突を設けること。
かといって、暖炉を作るのではない。年に一度のクリスマスの時、夫がサンタクロースの格好をして煙突から降りるために、たったそれだけのための煙突なのである。
しばらくして夫妻に子供が産まれる。その頃から、家をイルミネーションで覆うようになった、一つには夫が日が暮れてから煙突に登るための明かりとしての役目もあった。その頃は、イルミネーションなど殆ど見かけない時代だった、だから夜の闇の中で、その家が輝くのが一際美しく、そして目立ったのだそうだ。
家の前で子供たちと、サンタクロースの姿をした夫の写真を撮り、イベントは終わる。
そのイベントは今でも続いているとのことだ、ただサンタは代が変わり、現在は娘さんの夫がその役目を担っているそうである。
「でもね」と婦人は語る。
「でもね、昨年のクリスマスの時、孫がサンタクロースがお父さんであると疑ってしまっているんですよ。今年はどうなるか」
昨日の24日、その家でサンタクロースが煙突から降りてきたのか、少し気になっている。
2006/12/23
HOYAとPENTAXの合併について思うこと
PENTAXのデジタル一眼を持つ僕としては、この話題に若干の興味を持っている。
両社の企業価値を考えれば、HOYAのPENTAX吸収合併が実際のところだと思う。株式の割り当て比率もそれを現しているし、今のところ表向きは対等合併の様相を見せてはいて、新社名にPENTAXの名前が残るそうだが、実態として対等だとは誰も思っていない。
合併経験者であればおわかりの通りに、新会社での力関係は、元のどの会社が人事権を掌握するかでわかる。新会社のCEOはHOYAのCEOがそのまま引き継ぐことを考えれば、管理部門の担当役員もHOYAの人材がなるように思える。
新会社の最重要課題は医療機器事業との事で、シナジー効果は研究部門に期待しているらしいので、おそらく旧PENTAXはカメラ事業のみ人事の体制を維持することになるのであろう。まぁ、それも中長期で塗り変わっていくことになるとは思うが。
それに、会社の業務の流れ、それぞれの役職ごとの決裁権限などの決めごともHOYAに準ずるとなれば、徐々にPENTAXらしさ、それが会社の規模とカメラ業界の位置づけからくるにせよ、変わっていくのかもしれない。
最近のデジタル一眼Kシリーズは、韓国との共同開発ではあるが、PENTAXの会社の規模とシェアからくるカメラ業界の位置づけ、つまりは背水の陣的な状況の下で可能な製品だったと思う。後発の商品だけに売れる機能を満載しているが、それでも例えば他の会社で製品化できたかは疑問だと思うし、PENTAXだからこそ商品化できたのだと僕は思う。
HOYAは高収益企業として知られている。それは企業の体質として悪いことではない。でも仮に、HOYAと合併後にKシリーズの製品化ができたかと言えば、高収益企業体質ゆえに、それは難しかったのではないだろうか。
これも僕の想像だが、おそらく、PENTAXは今回のHOYAとの合併は織り込み済みで、その前にK10Dの製品化を計画したのだと思う。販売実績は当然に新会社での部門の評価につながる。K10Dの成功は、それが一時的にせよ、新会社におけるカメラ事業の旧PENTAXの強みにもなるし、資本の再配置においても有利に展開できる可能性がでてくる。
こう考えていけば、現在のPENTAX社員たちのマインドは、したたかで強いようにも思えてくる。まずは来年10月の新会社までの準備期間が、ユーザが期待するPENTAXらしさが新会社で残るか否かのハードルになると思うが、なんとか頑張るような気もしてくる。
両社の企業価値を考えれば、HOYAのPENTAX吸収合併が実際のところだと思う。株式の割り当て比率もそれを現しているし、今のところ表向きは対等合併の様相を見せてはいて、新社名にPENTAXの名前が残るそうだが、実態として対等だとは誰も思っていない。
合併経験者であればおわかりの通りに、新会社での力関係は、元のどの会社が人事権を掌握するかでわかる。新会社のCEOはHOYAのCEOがそのまま引き継ぐことを考えれば、管理部門の担当役員もHOYAの人材がなるように思える。
新会社の最重要課題は医療機器事業との事で、シナジー効果は研究部門に期待しているらしいので、おそらく旧PENTAXはカメラ事業のみ人事の体制を維持することになるのであろう。まぁ、それも中長期で塗り変わっていくことになるとは思うが。
それに、会社の業務の流れ、それぞれの役職ごとの決裁権限などの決めごともHOYAに準ずるとなれば、徐々にPENTAXらしさ、それが会社の規模とカメラ業界の位置づけからくるにせよ、変わっていくのかもしれない。
最近のデジタル一眼Kシリーズは、韓国との共同開発ではあるが、PENTAXの会社の規模とシェアからくるカメラ業界の位置づけ、つまりは背水の陣的な状況の下で可能な製品だったと思う。後発の商品だけに売れる機能を満載しているが、それでも例えば他の会社で製品化できたかは疑問だと思うし、PENTAXだからこそ商品化できたのだと僕は思う。
HOYAは高収益企業として知られている。それは企業の体質として悪いことではない。でも仮に、HOYAと合併後にKシリーズの製品化ができたかと言えば、高収益企業体質ゆえに、それは難しかったのではないだろうか。
これも僕の想像だが、おそらく、PENTAXは今回のHOYAとの合併は織り込み済みで、その前にK10Dの製品化を計画したのだと思う。販売実績は当然に新会社での部門の評価につながる。K10Dの成功は、それが一時的にせよ、新会社におけるカメラ事業の旧PENTAXの強みにもなるし、資本の再配置においても有利に展開できる可能性がでてくる。
こう考えていけば、現在のPENTAX社員たちのマインドは、したたかで強いようにも思えてくる。まずは来年10月の新会社までの準備期間が、ユーザが期待するPENTAXらしさが新会社で残るか否かのハードルになると思うが、なんとか頑張るような気もしてくる。
2006/12/20
新宿 照明器具販売店
どうも自分が気に入った写真というのは、他の人からは大したことがない様に感じられるようだ。根拠としてはFlickrのVIEW数なのだから、根拠がないと言えばそうなのだけど、これは自分の他の写真と較べての経験則から来る実感なので、当たらずといえども遠からずだろう。
この写真も気に入っている。最近、カメラを向ける対象が光りと色彩の多い方に偏ってしまう。やはり写真も様々な光と色だろうと思うからである。
できれば、被写体深度が浅いレンズが一本有れば、もっと自分のイメージに近い画像が得られると思うが、無い物ねだりは無意味な事だと思う。それぞれに今ある環境で行うしかないのは何事にも言えることだ。
ただ、僕の思考の中では、この写真はもっと違う。もともとこの写真を撮る際に持ったイメージ、こう撮りたい、があって、それと較べてみるとやはり違う。(写真は人に見られるためにあるのは間違いないと思う。僕のイメージ通りであれば、もっと多くの人に見てもらえたかもしれない。)
カメラが表象の世界を有り体に写すしかないのであれば、僕はこれほどにカメラに熱中することはなかった。逆に、カメラは世界の表象と僕の精神を繋ぐ事が出来る道具だと思えばこそ、できれば、結果的に表象を出力するのであっても、どちらかといえばより精神的な方に偏っていて欲しいと願うし、そういう写真を撮りたいと思うのである。
勿論、僕の精神が表象することはない。さらに上記のカメラに抱く願いも幻想に近いことかも知れない。ただ、例えば、美しさの意味を知らなくても、それを指し示すことが出来るように。哀しみの意味を言葉で伝えることが出来なくても、それを指し示すことが出来るように。僕の精神の僅かな一片でも、写真で指し示すことが出来たらと思うのである。
指し示すことに、どのくらいの意味があるのか、僕には解らない。ただ多様な世界の多様な人々の中の私の多様を知ることが、人間の複数性を知ることに繋がると思うこと、そして各々がその一助を行うことで、世界は少しずつ良くなるような、そんな気がしている。
2006/12/18
写真はスタイル
写真にとって一番重要な事は何かと問われれば、僕は「スタイル」であると答える。どの様なモノでも、写真家はファインダ越しに対象を捕らえるとき、スタイルを考えざるを得ない。光線の加減、構図の模索、色彩の配置、等々と写真家が考えることは多い。
写真の内容が重要視される場合でも、スタイルの重みが消えることはない。無論、写真の内容に重みが行くほど、選択するスタイルの幅は少なくなるとは思うが、決してスタイルの重みが軽くなると言うことではない。
写真に内容が求められるのは、いかなる場合だろう。例えば、親密度が高い関係の者の写真はそれに該当する。誰でも自分の愛する者の写真は、写真のスタイルの善し悪しとは関係なく、常にそれを見る者にある種の情感をもたらせる。
風景写真を内容重視でみれば、それは絵葉書に近いものになる。女性の裸体はポルノとなり、ある種の状況を撮した写真は内容重視で報道写真となる。いずれにせよ、そのスタイルは内容をより際だたせる方向となるのは間違いない。
写真は表象した世界を対象としている。よって写真のスタイルは、あくまでもその表象を崩すことには向かわない。例えば、椿の葉を撮すとき、写真家によっては葉の色をオレンジにするかも知れない、しかしその場合葉の形を変えることは殆どないだろうし、他者が撮された写真を見ても「椿の葉」であることが理解できるように配慮することだろう。
写真を撮す対象が表象した世界である限り、その枠を越えることは難しく、あくまでもスタイルは表象界の中で常識の範囲を超えることはない。Flickrなどの写真サイトで多くの人が「美しい」と感じる写真は、それ故に民族を越えて美しいと感じられることになる。
僕が写真を撮ることに熱中してからしばらく経つ。始めに興味を持ったのは「写真を撮る」という行為であった。
だから結果としての写真には、それほどの興味がなかった。ある対象を写真に撮りたいと思い、それにカメラを向ける。そしてカメラを通して対象の見つめ、色々と構図を決め、その中でピントを合わせるポイントを定める、実際にシャッターを押すかどうかは、それらの試行錯誤が、対象を見たときに抱いた朧気なイメージに近く、より具体性を帯びた内容になったと確信してからである。
スタイルが定まったとき、僕はシャッターを押す。無論、それで写真が出来たとは思えない。現像という処理が後ろに控えている。つまり、写真を撮るという行為には、写真に撮りたいという情動、その対象をどの様に撮すかの模索と確定、そして現像処理、の3つの段階が有ると言うことになる。そしてそれぞれに、写真家は「思考」と「意志」と「判断」という精神活動を行うことになる。
カメラという不思議な機械は、表象界(及びその身体性)を対象にしながら、強く精神活動にも結びついていることにあると、僕は思っている。時々僕は、「写真を撮るという行為」は「行為」もしくは「行動」と言えるのだろうかと疑問を持つ時がある。よく聞く、 「写真は対象と語りながら撮っている」という言葉、それは実際面では、一体誰と語り合っているのだろうか。
これらのことを含め、僕は写真についての思索を、時折、本ブログに書いていこうと思う。つまらぬブログで、さらにつまらぬ内容、でもカメラ、写真について、その技術面以外の話は僕にはとても大事なことのように思える。
2006/12/16
マクドナルドで隣の席での会話に耳がダンボ状態になった話
マクドナルドは一人の時はよく利用する。手洗いに行きたいとき。少し休みたいとき。一杯100円のコーヒーは、美味しいというわけでもないが、とりたてて不味いというわけでもない。それよりもトイレ使用料、もしくは座席使用料として考えれば、かなり安い。
昨夜も帰りに少しだけ本でも読もうと、帰宅途中にあるマクドナルドに立ち寄った。思いの外混んでいた。僕は適当な席を探す。奥まった場所に一席だけ空いているのを発見した僕は、コーヒーを持ち、周囲にぶつからないように注視して進む。
その席は、店の一番奥に位置し、テーブルの真上に明かりがある。少しの時間とはいえ、読書をするには丁度良い。
座って気がついたのだが、隣の席には女性が二人座っていた。ちらりと、二人を見る。一人は年配者、でも着ている服は若く明るめである。そして上着に皮のジャケットを羽織っている。もう一人は若い感じで、少し地味な印象を持った。
それから僕は持っていた本を広げコーヒー片手に読み始めた。何故か、時として喫茶店の方が読書がはかどる時がある。丁度、通勤電車で読書をするのと同じ感覚である。図書館などの静まりかえった場所も良いが、喫茶店での読書も悪くない。
本を読み始めて間もないとき、年配の女性の声が聞こえた。少しハスキーな声だ。若い相手に丁寧な言葉を使って話しかけている。
「私ってギャンブラーなの、だから土日の仕事は絶対に嫌なの。土日は競馬に全時間をかけるのよ。もうそれしかない」
若い方は、ハスキーと言うより、柔らかく張りがある声で答える。
「私、最近auに切り替えたんです。」
(ん・・・)と僕は内心つぶやく。「競馬の話の答えが携帯・・・」
「え、どうして」と年配者。そして続けて、「私の名前のパチスロがあるのよ、凄いでしょ!」
年配の女性の髪の毛は長い。それを頻繁に手でかき分け話をする。
「本当ですか!今度教えて貰おうかな、パチスロ。auの前はソフトバンクだったんです。髪の毛綺麗ですね。」
(何故・・・こういう会話が成立するのだ)、とは僕の内心の言葉。その時点で既に本など読んでいない。
「ありがとう。なんでソフトバンクからauに切り替えたの。パチスロの名前にね私の名前がついているのよ。パチスロは随分と投資したわ。おそらく家が買えるくらい」
「ギャンブラーですねー。ソフトバンクはアンテナの状態が悪くて、通話できない状態が多いんです。それで私、以前に離婚したんです。髪の毛綺麗ですよ、でもすこし乾燥しているようですよね。」
(パチスロが造られるほどのギャンブラー、え、携帯のアンテナ状態が悪くて離婚・・・・、それに髪の毛の話題、しかしなんでこれで会話が続く・・・)
でも「離婚」の言葉は二人にとってキーワードだったらしく、それから続く二人の男性問題。無論、携帯の話とギャンブル談義と髪の毛の話、それに後から新たに追加した洋服の話も織り交ぜて、会話は続くのである。
どうやら、二人とも自傷男運が悪く、波瀾万丈な男性との付き合いがあったらしい。携帯はauに切り替えてから満足しているらしい。ギャンブルは今まで投資したおかげで極意をつかんだららしい。洋服の話は、誰それが派手で自分たちには同じ服は着れそうもないらしい。
それらをお互いに出し惜しみすることなく、声を落とすわけでもなく、話し続けた訳である。隣に本を読もうとしている、一人の男性がいるのも無視して・・・・
僕は何度、本とコーヒーに集中しようと思ったことだろう。でもそう思えば思うほど、耳がダンボのように大きくなっていくのがわかる。でもね、聞く耳を持っていなくても、隣だから普通に聞こえてくるんです、二人の会話の全てが・・・・
それで僕はいそいそとコーヒーを飲み終え、本を鞄にしまい込み、マクドナルドを離れた。多少、果てがなく続きそうな二人の女性の会話に後ろ髪が引かれたが、聞いてどうなるわけでもない。それに、早く家に帰りなさい、ということなのかもしれない。
喫茶店での読書は悪くはない、でも時として読書が出来ないときもある。
昨夜も帰りに少しだけ本でも読もうと、帰宅途中にあるマクドナルドに立ち寄った。思いの外混んでいた。僕は適当な席を探す。奥まった場所に一席だけ空いているのを発見した僕は、コーヒーを持ち、周囲にぶつからないように注視して進む。
その席は、店の一番奥に位置し、テーブルの真上に明かりがある。少しの時間とはいえ、読書をするには丁度良い。
座って気がついたのだが、隣の席には女性が二人座っていた。ちらりと、二人を見る。一人は年配者、でも着ている服は若く明るめである。そして上着に皮のジャケットを羽織っている。もう一人は若い感じで、少し地味な印象を持った。
それから僕は持っていた本を広げコーヒー片手に読み始めた。何故か、時として喫茶店の方が読書がはかどる時がある。丁度、通勤電車で読書をするのと同じ感覚である。図書館などの静まりかえった場所も良いが、喫茶店での読書も悪くない。
本を読み始めて間もないとき、年配の女性の声が聞こえた。少しハスキーな声だ。若い相手に丁寧な言葉を使って話しかけている。
「私ってギャンブラーなの、だから土日の仕事は絶対に嫌なの。土日は競馬に全時間をかけるのよ。もうそれしかない」
若い方は、ハスキーと言うより、柔らかく張りがある声で答える。
「私、最近auに切り替えたんです。」
(ん・・・)と僕は内心つぶやく。「競馬の話の答えが携帯・・・」
「え、どうして」と年配者。そして続けて、「私の名前のパチスロがあるのよ、凄いでしょ!」
年配の女性の髪の毛は長い。それを頻繁に手でかき分け話をする。
「本当ですか!今度教えて貰おうかな、パチスロ。auの前はソフトバンクだったんです。髪の毛綺麗ですね。」
(何故・・・こういう会話が成立するのだ)、とは僕の内心の言葉。その時点で既に本など読んでいない。
「ありがとう。なんでソフトバンクからauに切り替えたの。パチスロの名前にね私の名前がついているのよ。パチスロは随分と投資したわ。おそらく家が買えるくらい」
「ギャンブラーですねー。ソフトバンクはアンテナの状態が悪くて、通話できない状態が多いんです。それで私、以前に離婚したんです。髪の毛綺麗ですよ、でもすこし乾燥しているようですよね。」
(パチスロが造られるほどのギャンブラー、え、携帯のアンテナ状態が悪くて離婚・・・・、それに髪の毛の話題、しかしなんでこれで会話が続く・・・)
でも「離婚」の言葉は二人にとってキーワードだったらしく、それから続く二人の男性問題。無論、携帯の話とギャンブル談義と髪の毛の話、それに後から新たに追加した洋服の話も織り交ぜて、会話は続くのである。
どうやら、二人とも自傷男運が悪く、波瀾万丈な男性との付き合いがあったらしい。携帯はauに切り替えてから満足しているらしい。ギャンブルは今まで投資したおかげで極意をつかんだららしい。洋服の話は、誰それが派手で自分たちには同じ服は着れそうもないらしい。
それらをお互いに出し惜しみすることなく、声を落とすわけでもなく、話し続けた訳である。隣に本を読もうとしている、一人の男性がいるのも無視して・・・・
僕は何度、本とコーヒーに集中しようと思ったことだろう。でもそう思えば思うほど、耳がダンボのように大きくなっていくのがわかる。でもね、聞く耳を持っていなくても、隣だから普通に聞こえてくるんです、二人の会話の全てが・・・・
それで僕はいそいそとコーヒーを飲み終え、本を鞄にしまい込み、マクドナルドを離れた。多少、果てがなく続きそうな二人の女性の会話に後ろ髪が引かれたが、聞いてどうなるわけでもない。それに、早く家に帰りなさい、ということなのかもしれない。
喫茶店での読書は悪くはない、でも時として読書が出来ないときもある。
写真に撮されると言うこと
誠に勝手な話だが、僕は撮されるのが苦手だ。だから出来れば撮す方に回りたい。カメラを構える人に、おそらく同様の意識を持ち方も多いかも知れない。いわば、酒を飲みたくないが故に、酒を人につぐということと同義だと思う。
カメラを向けられると、所在のなさに、落ち着かない。いわば、自分の思考の世界に退き安住しているのに、強制的に内容もわからぬ舞台にいきなり放り込まれたような、そんな気分。台本があり、自分の役割が明確であれば落ち着くことも出きるのだろうが、それさえもない。そして、カメラを構えいる観客、その目を意識する。
一番良いのは、観客であるカメラを構える人を無視すればよい。自分の舞台をあくまで崩すことなく、その中で自分を演出する。丁度この写真の、花屋の主人のように。
カメラを向けられると、所在のなさに、落ち着かない。いわば、自分の思考の世界に退き安住しているのに、強制的に内容もわからぬ舞台にいきなり放り込まれたような、そんな気分。台本があり、自分の役割が明確であれば落ち着くことも出きるのだろうが、それさえもない。そして、カメラを構えいる観客、その目を意識する。
一番良いのは、観客であるカメラを構える人を無視すればよい。自分の舞台をあくまで崩すことなく、その中で自分を演出する。丁度この写真の、花屋の主人のように。
でもどうしてもカメラを向けられると意識が過剰となる。こればかりはどうしようもない。だから、カメラを向けられる嫌気もわかる。しかし、カメラを構えると人を撮りたい衝動に駆られ、そしてその衝動に負けてしまうのである。誠に勝手な話だ。
2006/12/15
公衆電話ボックス
Flickrからのテストを兼ねたブログ投稿。
携帯電話がこれほど普及すると、公衆電話を利用する方を見ることが滅多にない。たまに見かけると、ボックスの中で公衆電話を利用するのではなく、自分の携帯電話で話している。ボックス内の明かりを、電話で話しながら何かを読むために利用しているのだ。
それでも夜歩くとき、特に人通りも明かりも少ない時、公衆電話ボックスの明かりが嬉しくなるときもある。
そう言えば家の付近は公衆電話ボックスが意外に多い。この写真は、その中の一つ。普通に見かける明るい緑色の電話機ではなく、ウグイス色の電話機が、ボックス内の明かりに照らされ、より色が映えて見えた。
ボックスの横を少なからぬ車が通りすぎる。人が使わぬ公衆電話は何故か寂しく見える。いずれこの公衆電話も撤去されていくかもしれない。時代によって産まれ、時代の流れの中でなくなっていく。それは致し方ないことだのだろう。
それでも、流れゆく時代の中で、立ち止まって会話し思考する、そういうことが必要なのも間違いない。公衆電話の写真を撮りながら、そんなことを思う。
携帯電話がこれほど普及すると、公衆電話を利用する方を見ることが滅多にない。たまに見かけると、ボックスの中で公衆電話を利用するのではなく、自分の携帯電話で話している。ボックス内の明かりを、電話で話しながら何かを読むために利用しているのだ。
それでも夜歩くとき、特に人通りも明かりも少ない時、公衆電話ボックスの明かりが嬉しくなるときもある。
そう言えば家の付近は公衆電話ボックスが意外に多い。この写真は、その中の一つ。普通に見かける明るい緑色の電話機ではなく、ウグイス色の電話機が、ボックス内の明かりに照らされ、より色が映えて見えた。
ボックスの横を少なからぬ車が通りすぎる。人が使わぬ公衆電話は何故か寂しく見える。いずれこの公衆電話も撤去されていくかもしれない。時代によって産まれ、時代の流れの中でなくなっていく。それは致し方ないことだのだろう。
それでも、流れゆく時代の中で、立ち止まって会話し思考する、そういうことが必要なのも間違いない。公衆電話の写真を撮りながら、そんなことを思う。
2006/12/12
ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージ
「日本のカルチャーとヒストリーを十分マスターし、ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージが話せること。その後でフォーリン・ランゲージはマスターする」――伊吹文部科学相は11日、日本外国特派員協会で講演し、カタカナ英語を多用して小学校での英語教育に否定的な考えを展開した。
(2006/12/12 asahi.comより)
(2006/12/12 asahi.comより)
この突っ込み所満載の語りを現場で聞きたかった、というのが正直な気持ち。何せ権威ある文部科学相殿のお言葉である。おそらく、「カタカナ英語を多用して小学校での英語教育に否定的な考えを展開した」、冗談とも思える語りも深い思惑があっての事だと思う。
日本外国特派員協会での講演と言っても、来られる方全員、日本語が理解できるとは限らない。しかし、日本に特派員として来られる方の前で、その国(日本)の言葉を話さなければ失礼かもしれない。この配慮が文部科学相殿の語りに繋がっているとすれば、相手の立場を思いやる気持ちがあってのカタカナ英語の多用と言うことになる、のかもしれない。逆に、その上で思うのは、カタカナ英語で語った単語は、文部科学相殿にとって鍵語なのだろう。
しかし、この短い語りの中で、これほどカタカナ英語を多用すると、逆に日本語(標準語)を母語とする僕からしてみれば、非常にわかりづらい。ここは文部科学相殿の博識をもって、「ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージ」で話をして欲しかった。
上記の語りを日本語にすれば、「日本の文化と歴史を十分に習得し、美しい日本の言葉が話せること。その後で、外国の言葉を習得する。」、となるのかもしれない。文部科学相殿は「話し言葉」に限定されて語っている。言葉には、それを母語とする人たちの文化と歴史が宿っている事に、僕は異存はない。ゆえに、まずは文化と歴史を十分に習得する、との言葉もそれなりに聞こえる。しかし文部科学相殿は何かを誤解されているのではないかと、誠に失礼ながら思うのである。
話し言葉としての日本語の多様性を文部科学相殿は過小評価されてはいられまいか。
例えば津軽弁という言葉がある。津軽弁とは失礼な言い方かもしれない、明治以前はお国言葉として、津軽の言葉は、その土地のいわば標準語として日常生活に使われていたのだから。津軽弁の言葉自体に、その言葉が方言であることの意味がでてくる。方言とは権力により成立された標準語との対比により成立されるのである。
しかし国の権力が、その枠を広げ、共通語としての標準語の制定を行うのは当然だとは思う。僕はそこまで言うつもりはない。ただ、これほどメディアが発達した時代(明治と比べて)でも、現に残り続けている「方言」の存在をどのように考えられているか、と僕は問いたいのである。
津軽の言葉にも、当然ながら文化と歴史がそこに宿っている。「日本の」という括りの中に、それぞれの土地に根付き育っている多様性を全て包括できるのであろうか。おそらく、誰かが「ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージ」と規定しない限り、この国の懐の深さで包み込むことができると僕は思う。そう、誰かが「美しい日本語とはこういうものだ」と言わない限り。
「美しい日本語」のコインの裏には「貧相な日本語」が隠されている。それは過去の言語学者たちが、日本語の貧しさを嘆いてきたことからもわかる。「美しい日本語」と何ゆえに連呼をしなくてはならないのだろう。いわゆる標準語を母語とし、その言葉で、考え・思考し・対話し・感情の発露を表現し・発言する僕にとって、この言葉が特別なのは間違いない。文部科学相殿は「美しい日本語」なるものに、何らかの条件を付与されているが、その具体的な内容は一度も語られていない。ただわかるのは、小学校の課程において「美しい日本語」が構築しなければならないし、それは現行でも不足している、ということだけである。一体具体的に何が小学校の課程において不足しているのだろう。皆目わからない。
それがコミュニケーション能力であるとすれば、それなりの仕方がある。「愛国心」を育てるとすれば、お隣の中国様に仕方を教わればよい、画一的な「愛国心」の育成は「日本の問題」を「他の問題」に転嫁できるかもしれない。
相手を思いやる気持ち、であれば・・・・この国の大人たちでそれを教えられる人たちがいるのだろうか。僕なりの言い方をすれば、「話し言葉」と「書き言葉」は違う。「話し言葉」は概ね「魂」からの表象だが、「書き言葉」はどちらかといえば「精神」からの表象と言ってもいいかもしれない。ゆえに完全なる言文一致は、どこの言葉でもあり得ないと思う。つまり「美しい日本語」の規定とは、僕にとっては「美しい魂」の規定に意味合いとして近い。誰が自分の「魂」を規定して欲しいと願うのであろうか。
おかしなことに「美しい日本」と首相が言い始めてから、教育の現場では「いじめ」を原因とする自殺の対応に大忙しである。皮肉で言えば、文部科学相殿の言われることは正しい。英語よりも、もしかすれば「美しい日本語」よりも、先に何とかしなければいけない事が教育の現場には沢山ある。そのほか「プアーワーキング」の実態、知事らの汚職、そして多くの殺人事件。
「美しい日本」そして「美しい日本語」は、大人たちがこれらの問題に真摯に取り組む姿勢の先にあると、僕には思えてくる。一言でいえば、言葉だけの「美しい日本語」などない。相手を尊敬し思いやる気持ち、それは言葉だけでなく、相手の表情、言葉の調子、息遣い、身振り手振り、その文脈、などからも自ずから表象されてくるものなのだ。無論、言語である限り、他者とのコミュニケーションの道具の側面は否めないと思う。そして道具としても、その深さは、小学校の課程だけでなく、生活の中でも学ばれる。でも結局は、その人の他者への眼差しによって決まるのだと思う。
いい加減「ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージ」などという冗句は聞き飽きている。
2006/12/11
駒沢公園の紅葉
駒沢公園の紅葉が終わりを迎えようとしている。トウカエデの多くは、その葉を朱に染めることなく散り始めた。それでも何本かは葉の先端が朱色に染まる姿を見せ、緑と黄色、そして朱色の混じった美しさを見せてくれる。
公園にはイロハモミジもしくはオオモミジは少ない。イロハモミジはトウカエデと較べ紅葉する温湿度の境界が低いようだ。彼らは美しい紅の色を誇るかのように、見事な姿を惜しげもなくさらしている。しかし、どうだろう、他の土地のイロハモミジと較べて、少し黒い様にも思える。
何故に彼らは紅葉するのだろう。その問いは昔から持っている。答えとして、葉緑素がどうかとか、化学変化を中心とした仕組みとか、そういう事ではなく。彼ら、つまりカエデは何故赤く、イチョウは黄色く、その他の全ての紅葉する植物はそれぞれの色で、紅葉するのかと言う質問なのである。
その質問は、何故世界は多様性に満ちているのか、という問いかけと同種だし、そして損得を中心とした考えでは答えることが出来ないように思える。多様性とは外部の事であり、多様な外部への表象の為に、器官などの内部が機能するとすれば、生命とは表象そのものとは言えないだろうか。そう考えると、カエデ等が紅葉するのは、世界に表象するため、という思いが浮かんでくる。
無論、紅葉は人間のためだけではない。「美醜」の概念は人間にとっては恣意的だと思うが、世界に投じられた人間が、表象的な世界の中で「美醜」の概念を形成したとすれば、ある意味、人間の「美醜」を含む「審美的価値」の成立にカエデの紅葉が、一翼を担っていたともいえる。
2006/12/10
六義園
駒込にある六義園に行ってきた。東京でも紅葉で知られている公園である。紅葉の盛りの時に限り、夜間ライトアップがなされる。幻想的な夜の紅葉は一見の価値があると思い、出かけたのだが、この時期でも紅葉しているイロハモミジは半数くらいで、例年と較べると少ないとのことだった。
でも初めての六義園に僕はじっくりとその世界を堪能した。人は多かったが、細い道を行列が出来る程ではなく、所々知られている鑑賞ポイントが多少の人混みがあるくらいだった。おそらく、僕が言った日では紅葉は十分ではないことを多くの人が知っているのだろう。
来場者の半数以上が何らかのカメラを持っていた。三脚を持っている方も多い。確かにこの暗さでは三脚を使わずの撮影は苦労することになる。しかし時折の園内放送によれば、歩道の幅が狭いが故に、三脚での撮影を禁止しているようでもあった。僕自身はK100Dにメインカメラをしてから三脚は殆ど持たなくなった。
K100が搭載するブレ補正が強力で多少の暗さでは手持ちでも十分に耐える。ただ六義園の暗さではそれも適わなかった。そこで歩道の足下を照らす証明の上にカメラを置き、それを三脚代わりにして撮した。ライトアップする証明の影響で、明かりに照らされた紅葉は輝いて美しい。しかし写真では、その箇所が白飛びしてしまう。その為には露出補正をプラスの方向で変更しなければならないが、その時は確実に三脚を必要とする。
道々に安全のために立っている係員が、今年は昼に来た方が紅葉の赤を堪能できますよ、と話していた。それでも道を照らす明かりは細々で、全体ではとても暗く、その中でライトアップされた樹木を眺めているだけでも、その樹が紅葉していなくても、幻想的なその姿は十分に楽しむことが出来た。
今回は初めてと言うこともあるが、ライトアップされた紅葉が、写真となったときにこれほど色が白跳びするとは思わなかった。そして園内の暗さ。これら撮影時における問題への対応を考えれば、写真でさらに様々なイメージを構築することが出来るかも知れない。
写真において、自分が見たままを基本に画像を調整することは、僕には違う。僕が見たままというのは、それは誰が見ても、脈路自体が変わることはないが、細かに言えば僕にしか見えないイメージでもある。僕の目は、肉体的に言えば、眼を動かす6つか7つの筋肉が衰えているかも知れない。また眼球にあるレンズの解像度も悪いし、色彩に関する感覚も識別に関して多少自信のなさもある。それら実態を加味すれば、眼から脳内に流れる情報量とそれに基づいて作られる像は、僕自身だけの像であるのは間違いない。
故に、僕が見たそのままを忠実に写真イメージとして構築することは意味がない、と思うのである。逆の考えもあることは無論理解するが、個別から普遍性なイメージに昇華し、それを作ること、具体的には、現実的な可能性の中で、印象的な写真を作ること。それが今のところ、僕の現像時の方向となる。
六義園では比較的年配者が多かった。しかも一人での鑑賞は殆どいなかった。思いのほか寒く、シャッターを押す手が冷えてかじかむ。途中で、休憩所が幾つかあり、そこでは焼き団子とかうどんとか暖かい食べ物が売っていた。焼き団子を食べる。タレはどうするかと聞いてきたので醤油でと答える。美味しかった。
その休憩所から少し歩くと、六義園のメインとも言える大きな池があり、池の周囲に植えられている、松、モミジ、等がライトアップされて鮮やかに色が浮かび上がる。しばし見とれて眺めている。人が多くても話し声は殆ど聞こえない。音があっても、この風景の静寂の中に呑み込まれていったような、そんな感じを持つ。
六義園への道程
- 交通 JR山手線・地下鉄南北線駒込徒歩7分/地下鉄三田線千石徒歩10分
- 開演時間 9:00~17:00(入場は16:30まで) ライトアップ期間は21:00まで。
- 入園料 一般:300円 65歳以上:150円
- 休み 年末年始
2006/12/09
K100Dを使い始めて約2ヶ月
ペンタックスK100Dを使い始めてから約2ヶ月経つ。それまで使っていたSONYのサイバーショットが不調となり、もともとデジタル一眼が欲しかった事もあって購入した。その間にK100Dの上位機種であるK10Dが発売され、そのカタログを見たり、実機に触ったりして、それまで思いもしなかったK100Dの不足部分が逆に浮かび上がってきた。と言っても、K10Dに買い換えるという話でもないのであるが。
K100Dは、使い始め早々から二点ほど不満があった。一つはファインダーの倍率がカタログ値0.85とあり、現行最新機に較べ若干低いこと、二つめがISO感度をAUTOにした時、露出補正を行うとISO200に固定されてしまうこと、だった。一つめはK10Dでは倍率0.95倍に改善されている。でも後日、ファインダーオプション「O-ME53」を装着すれば倍率がさらに1.18倍することがわかった。僕の眼が近視のうえ乱視も混じっているからか、ピントを合わせるのに苦労していた。
だから、このオプションは僕には必須だと思っている。
二つめは、K10Dで改善されているのか確認していない。その他、細かな点では、デジタルフィルターがRAWでの撮影時には使えないとか、RAWファイル形式がペンタックス独自形式しか使えないとかあるが、それらは別途現像処理などで加工が可能なので、特に不満を感じているわけではない。
上記二つの不満を見る限り、僕にとってK100Dは、殆ど満足しているカメラであることが逆にわかると思う。でもK10Dが登場し、その仕様を知り、羨ましくなるのが二つあった。それは解像度の話ではない。防塵防水対策が施されているフレーム、RAWへの一時的な切り替えボタン、これらはオプションなどでは如何ともしがたい機能なので、K10Dを触った時、一瞬買い換えようかという思いが浮かんだ。
K100D購入時は、練習も兼ねて色々なモノを撮った。その時はJPEG形式での撮影が殆どだった。RAW形式は以前のコンパクトデジタルでは機能としてなく、正直言えばRAWがどういうモノなのかも全くわからなかった。でも試しに一度RAW形式での撮影をし現像処理を行ってから、その面白さ、写真を自分のイメージに近づけられること、等から離れられなくなった。今では殆どRAW形式となった。
そうなるとK100Dに標準添付していたRAW現像関連ソフトの性能が気になってきた。一言で言えば、標準添付ソフトは最低限の機能しかない。撮影だけでなく、現像処理によりイメージを構築していくのも、デジカメでの面白さの一つだと思う。
少なくとも僕はそうだ。その点で標準添付ソフトは不満が多い。そこで別途にSYLKYPIXを購入した。後は折角の一眼なので、色々なレンズを使っていきたいと思う。今のところレンズキットのレンズしか持っていない。レンズ購入で狙っているのは、とりあえずは固定焦点で明るいレンズ。出来れば被写体深度が浅く、絞りバネ枚数が多いモノが良い。
昔のレンズも視野に入れ、色々とネットで情報を見ている。その他、撮影対象としてネコが多いせいか望遠ズームも欲しい。それは200mmもあれば十分。それらもぼちぼちと揃えていければと思っている。
「セーラー服と機関銃」を見てジェームズ・ギャグニーを思い出す
TBSドラマ「セーラー服と機関銃」の最終話で、やくざから足を洗った佐久間は星泉に会うために上京してくる。約束までの時間、久しぶりの浅草を訪れた佐久間は、そこでヤクザ同士の喧嘩の仲裁に入り、逆に短刀で刺され死んでしまう。
佐久間の遺体を前に星泉は泣きじゃくりながら佐久間を激しくなじる。無論それは悲しみの表現である。そして最後に星泉は佐久間の遺体にすがりつき叫ぶ。
「なんでそんなに格好良いのよ!」
僕はこのシーンを見て、ジェームズ・ギャグニーのかつての映画「汚れた顔の天使」(1938年)を思い出した。ギャグニー演じる主人公ロッキーが、ギャングの顔役(なんと、ハンフリー・ボガード)を殺し死刑に処せられる最後のシーンと重なったのである。
ロッキーはギャングの一人として、貧民街の子供達の崇拝を受けていた。その街で牧師として子供達がギャングへの道に染まらぬよう世話をしていたのが、ロッキーの幼なじみであるジェリー(バット・オブライエン)。そのジェリーはロッキーに、子供達のため、死刑に処される際に、暴れ命乞いをして無様な姿を見せて欲しいと頼み込む。もとより、自尊心が高く、そのような姿を人に見せるのが出来ないロッキーはジェリーの願いを相手にしない。でも、死刑に処される時、ロッキーはジェリーの願いの通りに振る舞う。子供達はロッキーの最後を聞いて、彼の実態に落胆し、ギャングへの憧れをなくす。一人ジェリーだけがロッキーの事を知っている。
男は、時として格好のために自分を犠牲にすることが出来る、と僕は思う。昔から、今はわからないが、男は女性である母親から、「男は顔じゃない、中身だ」などと言われ育てられてきている。(実は僕はそう言われたことは少ない、かといって中身がある訳じゃない)
でもそれは、女性の直感として、男性に「中身が大事」的な事を云わないと、すぐに「外見」に向かってしまう傾向があると、知っているからではないかと思うのである。
と言っても、女性がなにげに言う「中身がある男性」について、それを具体的に聞けば、殆ど全て「外見」であることが多い。というか、「中身」を語る言葉を日常用語として持っているか、という疑問もある。実際は、女性も男性も外部・外見・表象的なものに拘るし、それが大事だと思っているようでもある。(少なくとも僕はそうだ)
その女性(母親)が、男性の根っこの部分の教育を行う際に「内部」に拘る所が面白い、が少なくともその母親の意図に関わらず、男性は結局の所、「格好」に強く拘るようになる。
例えば、佐久間もロッキーもそうだけど、彼らに共通するのは、恐怖を外部に現さない事の格好良さである。ロッキーはさらに複雑で難しい。彼が無様な姿を演じるには、単に恐怖を表に現すのではなく、彼はそう言う事が出来ない、しかし恐怖を隠す事で勇気を示すことも出来ない中で、恐怖を演じるのである。だからこそ、ロッキーの姿に、映画を観る者は感動するのだと思う。
まぁ「内面」とは「外面」に何を現し何を隠すかの規範を持つって事なのかもしれない。
なんか段々と違う話になってきている・・・・
でも、最近思うのは、その「格好の良さ」を見せない大人達が新聞を賑わせているなぁ、という事。同性としても、自分を振り返っても、「格好の良さ」を人に語れるとは思ってないが、彼らの姿を見るたびに、自分も気をつけようと思う、今日この頃(笑)。
佐久間の遺体を前に星泉は泣きじゃくりながら佐久間を激しくなじる。無論それは悲しみの表現である。そして最後に星泉は佐久間の遺体にすがりつき叫ぶ。
「なんでそんなに格好良いのよ!」
僕はこのシーンを見て、ジェームズ・ギャグニーのかつての映画「汚れた顔の天使」(1938年)を思い出した。ギャグニー演じる主人公ロッキーが、ギャングの顔役(なんと、ハンフリー・ボガード)を殺し死刑に処せられる最後のシーンと重なったのである。
ロッキーはギャングの一人として、貧民街の子供達の崇拝を受けていた。その街で牧師として子供達がギャングへの道に染まらぬよう世話をしていたのが、ロッキーの幼なじみであるジェリー(バット・オブライエン)。そのジェリーはロッキーに、子供達のため、死刑に処される際に、暴れ命乞いをして無様な姿を見せて欲しいと頼み込む。もとより、自尊心が高く、そのような姿を人に見せるのが出来ないロッキーはジェリーの願いを相手にしない。でも、死刑に処される時、ロッキーはジェリーの願いの通りに振る舞う。子供達はロッキーの最後を聞いて、彼の実態に落胆し、ギャングへの憧れをなくす。一人ジェリーだけがロッキーの事を知っている。
男は、時として格好のために自分を犠牲にすることが出来る、と僕は思う。昔から、今はわからないが、男は女性である母親から、「男は顔じゃない、中身だ」などと言われ育てられてきている。(実は僕はそう言われたことは少ない、かといって中身がある訳じゃない)
でもそれは、女性の直感として、男性に「中身が大事」的な事を云わないと、すぐに「外見」に向かってしまう傾向があると、知っているからではないかと思うのである。
と言っても、女性がなにげに言う「中身がある男性」について、それを具体的に聞けば、殆ど全て「外見」であることが多い。というか、「中身」を語る言葉を日常用語として持っているか、という疑問もある。実際は、女性も男性も外部・外見・表象的なものに拘るし、それが大事だと思っているようでもある。(少なくとも僕はそうだ)
その女性(母親)が、男性の根っこの部分の教育を行う際に「内部」に拘る所が面白い、が少なくともその母親の意図に関わらず、男性は結局の所、「格好」に強く拘るようになる。
例えば、佐久間もロッキーもそうだけど、彼らに共通するのは、恐怖を外部に現さない事の格好良さである。ロッキーはさらに複雑で難しい。彼が無様な姿を演じるには、単に恐怖を表に現すのではなく、彼はそう言う事が出来ない、しかし恐怖を隠す事で勇気を示すことも出来ない中で、恐怖を演じるのである。だからこそ、ロッキーの姿に、映画を観る者は感動するのだと思う。
まぁ「内面」とは「外面」に何を現し何を隠すかの規範を持つって事なのかもしれない。
なんか段々と違う話になってきている・・・・
でも、最近思うのは、その「格好の良さ」を見せない大人達が新聞を賑わせているなぁ、という事。同性としても、自分を振り返っても、「格好の良さ」を人に語れるとは思ってないが、彼らの姿を見るたびに、自分も気をつけようと思う、今日この頃(笑)。
2006/12/06
いじめを素人ながらネットワーク的に捉えてみる
いじめ問題について少し考える。と言っても多くの関連するブログを読んだわけでもなく、また新たな情報を仕入れたわけでもない。だから僕の書く「いじめ問題」については、おそらくありふれた意見に過ぎない、というのは重々承知している。ただ、社会の中で教育問題は重要なキーの一つだと思うし、ネットワーク的に言えばハブだと思うから、思うことをここに書こうとするのである。
当初「いじめ問題」は「いじめられる側」の問題について語られることが少なからずあった。しかし今では「いじめる側」の問題について語られることが多い。先だっての「緊急提言」では明確に「いじめは反社会的行為」と述べられている。しかし、誤解を与えるかも知れないが、僕にとっては「いじめられる側」から「いじめる側」へのシフトは、被害者保護の一環の中にあろうとも、それが中心の議論は、無くさねばならぬ「いじめ問題」の核心に辿り着くことは難しいと思える。
生徒をノード、生徒間の関係をリンクで現したとき、一つのネットワークを想定することが出来る。ネットワークにはハブがあり、そのハブがネットワークを維持している。ノード間には強い結びつきと弱い結びつきがあり、ここでは強い結びつきでのネットワークを一つのクラスタとする。いじめはおそらく一つのノードに対して行われる攻撃だが、その結果に現れることは、そのノードから見たときネットワークからの分断ということになる。しかしネットワークは存続している、故に分断されたノードは孤立感が深まり、一つの世界の崩壊という感触を持つにいたる。
いじめには幾つかの段階があると僕には思える。その事は、これも想像だが、多くの人が当たり前のこととして受け取っている事だろう。しかし、いじめをいじめの現象に従って、その中で象徴的な現象を洗い出し、段階を明確にしたものを、僕は今までに聞いたことがない。大抵話し合われることは、最終的な「いじめ」の事象であり、それも最悪な「自殺」によって表面化することになる。だからこそ「緊急定義」では、その時点での問題解決を中心に据えて取り扱うことになっているように思える。
学校においてハブとしてのノードの一つは、具体的に言えば教員であることは間違いない。
またクラスには教員以外にもハブが1~3は存在する、そして現実的にクラスの運営はハブを中心に行うことになる。ハブ同士の結びつきが強いほど、そのクラスもしくは学校は安定する。逆に言えば学校というネットワークを安定するために、ハブは問題となるノードを分断することもあり得ることになる。
特定のノードへの攻撃が如何にどの様な理由で行われるのか、それは現象としては様々であろう。しかしここで問題としたいのは、ハブから特定のノードへの攻撃は、既にその時点で致命的であるということである。故に、ハブの一つである教員の責任は重たいのは事実だと思う。またその他のハブも同様である。
しかし、基本的にハブはネットワークを維持する事を原則としている。だからハブが特定のノードを攻撃することは、全体から見ると割合は低いと、僕には想定できる。特定のノードへの攻撃はその他のハブ以外のノードの確率が高い。攻撃を受ける特定のノードは、通常であれば現実のクラスという枠に囚われること無く、強い結びつきのノード間でクラスタを作っている。
言うなれば、そのクラスタのネットワークが崩壊しない限りノードが分断することはあり得ない。攻撃をするノードが、同一クラスタ内に存在すれば、分断は簡単に起きる。別クラスタに在るノードからの攻撃の場合、攻撃を受けるノードのクラスタ内の結びつきに左右することになる。
問題は、その時点でのハブの動きである。ハブがネットワークの維持に努める場合、その攻撃を回避するか、もしくは攻撃を無効化するか、の判断に迫られることになる。その結果、一つのクラスタの分断は避けるという行動に出る。クラスタの分断はネットワークの崩壊への雪崩的現象を引き起こす可能性がある。よって攻撃が止まないとき、ハブはネットワーク維持のために、攻撃を受けるノードの分断へと行動を移す。
つまり、「いじめ問題」は過去に「学級崩壊」の問題があったが、それへの対応が引き金になっているのあるように思える。学級の崩壊を阻止する結果、いじめが増幅される。それは一つのジレンマであろう。
しかしこの僕の仮説が事実であるとすれば、現在問題化している「いじめ問題」の根本的な解決は、現行制度内では存在しないことになる。少人数での学級は、ネットワーク内のクラスタの数を減らし、かつ結びつきを強くする事に繋がるかも知れない。また、1クラス複数担任制度の導入(これは議論にも出ていないが)は、ハブの個数を増やすことにより、ネットワークの崩壊を防ぎ、かつ特定ノードの分断の可能性を減らす可能性も出るように思う。
なにより教員と生徒のハブ同士によるネットワーク構成でなく、複数教員の複数ハブ化によるネットワークと、チェック機能の期待は少なからずの「いじめ問題」対応の効果があると思う。さらに1クラス複数担任制は「学級崩壊」にも効果がある様に思える。
少しも従来の理論を駆使しての記事ではない。ゆえに僕の思いこみも多大にある。それは承知しているが、ネットワーク社会学的にこの問題を捉えるという視点からの記事も、それが拙いとはいえ必要と思い、ブログに載せることにした。
既に誰かがより精度をもって記事にしているかも知れない。そうであれば、それは僕の勉強不足であるとしか言いようがない。
当初「いじめ問題」は「いじめられる側」の問題について語られることが少なからずあった。しかし今では「いじめる側」の問題について語られることが多い。先だっての「緊急提言」では明確に「いじめは反社会的行為」と述べられている。しかし、誤解を与えるかも知れないが、僕にとっては「いじめられる側」から「いじめる側」へのシフトは、被害者保護の一環の中にあろうとも、それが中心の議論は、無くさねばならぬ「いじめ問題」の核心に辿り着くことは難しいと思える。
生徒をノード、生徒間の関係をリンクで現したとき、一つのネットワークを想定することが出来る。ネットワークにはハブがあり、そのハブがネットワークを維持している。ノード間には強い結びつきと弱い結びつきがあり、ここでは強い結びつきでのネットワークを一つのクラスタとする。いじめはおそらく一つのノードに対して行われる攻撃だが、その結果に現れることは、そのノードから見たときネットワークからの分断ということになる。しかしネットワークは存続している、故に分断されたノードは孤立感が深まり、一つの世界の崩壊という感触を持つにいたる。
いじめには幾つかの段階があると僕には思える。その事は、これも想像だが、多くの人が当たり前のこととして受け取っている事だろう。しかし、いじめをいじめの現象に従って、その中で象徴的な現象を洗い出し、段階を明確にしたものを、僕は今までに聞いたことがない。大抵話し合われることは、最終的な「いじめ」の事象であり、それも最悪な「自殺」によって表面化することになる。だからこそ「緊急定義」では、その時点での問題解決を中心に据えて取り扱うことになっているように思える。
学校においてハブとしてのノードの一つは、具体的に言えば教員であることは間違いない。
またクラスには教員以外にもハブが1~3は存在する、そして現実的にクラスの運営はハブを中心に行うことになる。ハブ同士の結びつきが強いほど、そのクラスもしくは学校は安定する。逆に言えば学校というネットワークを安定するために、ハブは問題となるノードを分断することもあり得ることになる。
特定のノードへの攻撃が如何にどの様な理由で行われるのか、それは現象としては様々であろう。しかしここで問題としたいのは、ハブから特定のノードへの攻撃は、既にその時点で致命的であるということである。故に、ハブの一つである教員の責任は重たいのは事実だと思う。またその他のハブも同様である。
しかし、基本的にハブはネットワークを維持する事を原則としている。だからハブが特定のノードを攻撃することは、全体から見ると割合は低いと、僕には想定できる。特定のノードへの攻撃はその他のハブ以外のノードの確率が高い。攻撃を受ける特定のノードは、通常であれば現実のクラスという枠に囚われること無く、強い結びつきのノード間でクラスタを作っている。
言うなれば、そのクラスタのネットワークが崩壊しない限りノードが分断することはあり得ない。攻撃をするノードが、同一クラスタ内に存在すれば、分断は簡単に起きる。別クラスタに在るノードからの攻撃の場合、攻撃を受けるノードのクラスタ内の結びつきに左右することになる。
問題は、その時点でのハブの動きである。ハブがネットワークの維持に努める場合、その攻撃を回避するか、もしくは攻撃を無効化するか、の判断に迫られることになる。その結果、一つのクラスタの分断は避けるという行動に出る。クラスタの分断はネットワークの崩壊への雪崩的現象を引き起こす可能性がある。よって攻撃が止まないとき、ハブはネットワーク維持のために、攻撃を受けるノードの分断へと行動を移す。
つまり、「いじめ問題」は過去に「学級崩壊」の問題があったが、それへの対応が引き金になっているのあるように思える。学級の崩壊を阻止する結果、いじめが増幅される。それは一つのジレンマであろう。
しかしこの僕の仮説が事実であるとすれば、現在問題化している「いじめ問題」の根本的な解決は、現行制度内では存在しないことになる。少人数での学級は、ネットワーク内のクラスタの数を減らし、かつ結びつきを強くする事に繋がるかも知れない。また、1クラス複数担任制度の導入(これは議論にも出ていないが)は、ハブの個数を増やすことにより、ネットワークの崩壊を防ぎ、かつ特定ノードの分断の可能性を減らす可能性も出るように思う。
なにより教員と生徒のハブ同士によるネットワーク構成でなく、複数教員の複数ハブ化によるネットワークと、チェック機能の期待は少なからずの「いじめ問題」対応の効果があると思う。さらに1クラス複数担任制は「学級崩壊」にも効果がある様に思える。
少しも従来の理論を駆使しての記事ではない。ゆえに僕の思いこみも多大にある。それは承知しているが、ネットワーク社会学的にこの問題を捉えるという視点からの記事も、それが拙いとはいえ必要と思い、ブログに載せることにした。
既に誰かがより精度をもって記事にしているかも知れない。そうであれば、それは僕の勉強不足であるとしか言いようがない。
2006/12/05
イェルサレムのアイヒマン
「イェルサレムのアイヒマン」(ハンナ・アーレント、いすず書房)を読み終える。2回読んだ。2回目はこの本の肝となる「十五章」「エピソード」「あとがき」を中心。ついでにアーレントの解説書も読んでみた。普段はこういう解説書は読まないのだけど、背景的なものを知りたいと思ったから。
これは感想にはなっていないが、凄く面白かった。それに読みやすかった。かつてミルグラムのアイヒマン実験の本「服従の心理」(河出書房)を読んだことがあり、その時からこの本を読みたかったが、アーレントの作品と言うこともあり、少し恐ろしさがあった。でも読んでみて、彼女(アーレント)の考えに同意出来そうな、そんな自分を発見した。そうであれば、続けて彼女の作品を読もうと思う。
ミルグラムと言えば「小さな世界」(六次の隔たり)で知られているが、おそらくアイヒマン実験の方が有名だと思う。「小さな世界」は最近「リーディングス・ネットワーク論」(勁草書房)の中に論文が翻訳され載っている。読んでみたが、思った以上に小論だったのに驚いた。
で、アイヒマン実験のことだけど、読み終えたときに、自分が組織もしくは社会の中で働くと言うこと、その中で「同調」とか「服従」とか、そう言うことを考えずにはいられなかった。
確か今から一年くらいまえに、スーダンの油田採掘権を日本のNGOが競争の末に得たと新聞に載っていた。その記事では、プロジェクトの立ち上げから権利を得るまでの苦労を一つの成功話として扱っていた。
会社員であれば、少なくとも知識レベルでプロジェクトに関する諸々の事は承知していると思う。故にスーダンの油田採掘権を得る迄にどれほどの苦労があったのかは多少なりとも想像できる。
問題なのは、その採掘権を取ったという嬉しい話の別面で、スーダン危機があり、人々が虐殺され続けていたそのさなかの出来事だったと言うことである。油田採掘権に支払うお金、もしくはプロジェクトにおいての必要経費として流れるお金は、一体何処にいくのであろうか。
アイヒマンは優秀な役人であり、効率よく業務をこなし、自分の仕事を満足に動かすために行動し発言した。様々な人物とあい交渉し、それをまとめた。そして、たたき上げの彼は努力で中佐まで辿り着いた。法律を守り、上司からの命令を把握し、その希望を叶えた。
彼の仕事がユダヤ人を虐殺する事でなければ、おそらく彼は善良な市民として一生を終えたことだろう。
この記事は、無論、本の感想ではない。感想を書くまで僕は消化し切れていない。
ただ、もし仮に、人間として守ってはいけない法律が施行されたとき、僕はその法律を無視できるだろうか。または、会社の業務が、大きな流れの中で人間の為にならないとき、僕はその業務を、周囲との孤立の中で阻止することが出来るだろうか。ある意味、周囲から傲慢とも見える姿勢を保ち続ける事が可能だろうか。
そんなことを考えた。
これは感想にはなっていないが、凄く面白かった。それに読みやすかった。かつてミルグラムのアイヒマン実験の本「服従の心理」(河出書房)を読んだことがあり、その時からこの本を読みたかったが、アーレントの作品と言うこともあり、少し恐ろしさがあった。でも読んでみて、彼女(アーレント)の考えに同意出来そうな、そんな自分を発見した。そうであれば、続けて彼女の作品を読もうと思う。
ミルグラムと言えば「小さな世界」(六次の隔たり)で知られているが、おそらくアイヒマン実験の方が有名だと思う。「小さな世界」は最近「リーディングス・ネットワーク論」(勁草書房)の中に論文が翻訳され載っている。読んでみたが、思った以上に小論だったのに驚いた。
で、アイヒマン実験のことだけど、読み終えたときに、自分が組織もしくは社会の中で働くと言うこと、その中で「同調」とか「服従」とか、そう言うことを考えずにはいられなかった。
確か今から一年くらいまえに、スーダンの油田採掘権を日本のNGOが競争の末に得たと新聞に載っていた。その記事では、プロジェクトの立ち上げから権利を得るまでの苦労を一つの成功話として扱っていた。
会社員であれば、少なくとも知識レベルでプロジェクトに関する諸々の事は承知していると思う。故にスーダンの油田採掘権を得る迄にどれほどの苦労があったのかは多少なりとも想像できる。
問題なのは、その採掘権を取ったという嬉しい話の別面で、スーダン危機があり、人々が虐殺され続けていたそのさなかの出来事だったと言うことである。油田採掘権に支払うお金、もしくはプロジェクトにおいての必要経費として流れるお金は、一体何処にいくのであろうか。
アイヒマンは優秀な役人であり、効率よく業務をこなし、自分の仕事を満足に動かすために行動し発言した。様々な人物とあい交渉し、それをまとめた。そして、たたき上げの彼は努力で中佐まで辿り着いた。法律を守り、上司からの命令を把握し、その希望を叶えた。
彼の仕事がユダヤ人を虐殺する事でなければ、おそらく彼は善良な市民として一生を終えたことだろう。
この記事は、無論、本の感想ではない。感想を書くまで僕は消化し切れていない。
ただ、もし仮に、人間として守ってはいけない法律が施行されたとき、僕はその法律を無視できるだろうか。または、会社の業務が、大きな流れの中で人間の為にならないとき、僕はその業務を、周囲との孤立の中で阻止することが出来るだろうか。ある意味、周囲から傲慢とも見える姿勢を保ち続ける事が可能だろうか。
そんなことを考えた。
2006/12/02
都会に住む猫の立場で
猫について語るとき、僕は人間が総て悪いという考えに陥らない様に注意している。
確かに都会に住む猫たちは、かつて、その猫自身が、もしくはその猫に繋がる先祖が、人間に飼われていたことだろう。そうでない猫は日本には存在しない。そして多くの猫たちは、人間の都合(猫の都合に対して)で野良猫となる。
でも考えようによっては、猫たち種の存続をかけた戦略が、人間を利用することにあったとも言える。
人間は猫を利用することで、穀物を鼠などの小動物から守り、時には愛玩動物として癒され、また子どもの遊び相手にもなる。
猫は人間を利用することで、厳しい自然淘汰の中で、種の絶滅を免れるどころか、世界的に繁栄することとなった。
仏教経典を鼠の被害から守るために、中国から日本に初めて渡った猫の先祖は、当初、貴族達の間で屋敷内に紐に繋がれ珍重されたらしい。それが広く愛玩動物として飼われ始めたのは江戸時代になってからで、その時は外で飼うのが一般的だったそうだ。
時代によって人間の猫への対応も変わる。よく猫はそれについてきていると思う。猫の対応の広さが、人間のそれに近いのかも知れない。もしくは、彼らもきっと人間との付き合いの中で、色々と学んできたのだろう。
それでも、人間の環境の中で暮らす猫たちは、人間との対応の中で分は極めて悪い。追われ、いじめられ、殺されるのは、間違いなく猫の方である。
平成の教育法改正により日本の伝統音楽を学ぶ時間が増えた結果、猫泥棒が横行した。彼等は和楽器の材料として猫たちをさらった。動物愛護改正法が施行されてからは猫泥棒は少なくなったが、それでも猫たちを動物実験などの為に連れて行く人は今でもいる。
2001年から2年、公園では猫の殺害事件が頻発した。それを憂慮する有志が警察に被害届を提出した。しかし時は祖師谷の世田谷一家殺害事件捜査の真っ最中で、猫たちの殺害事件どころではなかった。
今でも時折公園で猫は殺される。傾向としては快楽殺害的な方向にいっているらしい。猫は殺され、そして人目の付くところに放置される。猫の死骸を目にした人の反応を楽しむのである。
つい最近も、自分の勇気の証明に猫を殺した若者がいた。
他にも犬に噛まれて殺される猫も多い。夜の公園で、自由に犬たちを遊ばせようと、犬の紐を外す飼い主がいる。飼い主の目の届かぬ所で、発作的に現れる犬の本能が、猫を追いつめ噛み殺すのである。
人間の社会に住む猫たちの動向は、人間社会の動向に敏感に反応する。むしろ真っ先に影響を受けてるのかもしれない。猫が殺される社会。そして今では幼児が殺される。その関係を結びつけるのは考え過ぎかもしれない。年間数万人が行方不明になるこの国で、猫が殺される事を過大評価するつもりもないが、やはり何かが繋がっているかのように僕には思える。
公園横の大学の先生が毎日決まった時間に猫たちの餌を与えに来る。その方によれば、多いときで15匹以上の猫が食事をとりにきたそうである。最近は2匹しか来ない。「公園の猫の天敵は犬と人間です」、先生はそう語る。
猫が人間と生活し、今では人間と共に暮らさなければ猫は生きてはゆけない。公園の猫にとって天敵は人間かもしれない、でも猫も人間も生きるためにお互いを必要としている。
今年は例年になく町中で多くの猫と遭遇した。写真を撮れる状況にあれば出来るだけ僕は写真に収めたが、その数は出会った数十分の一である。
町中で気がつけば彼らはそこにいた。しっかりとそこにいる彼らの存在を僕は感じた。考えてみれば、今年の一年はそういう年であった。
今年の秋は暖かった。そして知らぬ間に12月になり、冬の到来を告げるかのように段々と寒くなっていく。今年出会った全ての猫たちが無事に冬を乗り切って欲しいと、僕は密かに願う。
2006/12/01
再び教育再生会議からの緊急提言について
教育再生会議は10月29日にいじめ問題に対して「緊急提言」を行った。僕は29日前に教育再生会議事務局が発表した事前通知を聞き、それに対し提言より必要なのは具体的な施策であるとして、提言の内容に疑問を呈した。その気持ちは今でも変わらない。(Amehare's MEMO 前記事 「教育再生会議での緊急提言」)
何故に「緊急」なのか。それはいみじくも安倍首相の次の言葉が総てを物語っている。
「いじめによって命を絶つという連鎖を止めなければならない」
いじめを原因とした子供達の自殺の増加が、今回の「緊急提言」の背景であるのは周知の事実であろう。それであれば、不謹慎な仮定かも知れぬが、仮に数ヶ月前に今回のような「緊急提言」が行われていたとしたら、彼らが自殺を思いとどまったのであろうか。
一般論ではなく、実際に自殺をした子供達を思い浮かべ「緊急提言」を読んでも、彼らが思いとどまる環境になるとは想像することが出来なかった。
正直に言えば、今回の「緊急」と称する提言に目新しいものは何もない。ここに書かれていることは、教育関係者及び小中高のお子さんを持つ父母達が個々に、常々考え、意見を述べてきた事以上は何もないと思える。そしてそれぞれの現場では、そうは言っても現実的に難しい壁がそこにあるのを感じているのである。その中で徐々にだが、いじめ問題が報道されるたびに、彼らは何らかの歩みを行ってきていると僕は思っている。
それを「緊急提言」は大上段に、しかもいとも簡単に言ってのける。しかも、肝心な防止面については一般論で書かれ、発覚時の処置もしくは処罰については具体的に書かれている。この双方の語り口の違いが、いじめ防止について、教育再生会議での議論が一歩踏み込めなかった状況が透けて見える。しかし、「連鎖を断つ」ことが提言の目的だった事を考えれば、防止面に対し一般論で語る緊急提言の内容に、「緊急性」を感じる事は少ない。
例えば、「緊急提言」における最初の提言の言葉を読んでみる。
子ども達に対し、指導を行うとすれば、僕は徹底的な議論と討論、そして自分の意見を臆せずに語れる事、そういう場を常に与え、個々の考え発表する訓練を行うべきだと信じている。無視といじめという暴力での解決より、徹底した話し合いによる解決。それは「いじめ」という問題からだけでなく、身の回りの出来事から徐々に問題を深めていくことにより可能となるように思える。
子ども達に「いじめが反社会的」と指導する場合、子ども達を含め了解する「いじめ」の定義が必要となる。でもその定義の確定は難しいのではないだろうか。「いじめ」の有り様は、それぞれの場面によって違うように思えるのである。「いじめる者」の背景を一般論で括るのが危険なように、「いじめられる者」に対しても同様だと思う。「いじめ」とはこれだ、と大人が子どもに差し出すと、必ずそれとは違う「いじめ」の形態が現れるように思うのである。そうではなく、子ども達が自ら考え、互いにコミュニケートするスキルを育てること、そういう教育を大人達と共に行っていければと思う。
大人達の「止まらぬいじめ」に対する焦りが、「指導」という単語と「緊急提言」の語り口に出ている、と僕には思える。その余裕のなさは、少なくとも悪い影響として子ども達に伝播するのではないだろうか。さらに、「見て見ぬふりも加害者」について言うと、近代刑法において個人が善悪を判断し、たとえ周囲の殆どが正しいと信じ行っていることでも、それが悪だと認識すれば、その行っていることを止める、もしくは従わない、そういう事が根底にあるように思う。しかしそれを行える人間は少ない。仮にそれが出来る子どもがいたとすれば、その者は協調性に欠けると教員の指導を受ける結果になることだろう。それらは我々の歴史を振り返るまでもなく、現在の社会において常に見かける姿でもある。
無論、指導指針に対し針小棒大に意見を言うつもりはない。ただ、子ども達にとって学校は、大人達の社会に匹敵する世界なのであって、大人に十分に出来ないことを小中の子ども達に要求するのかと、思えるのだ。また、「いじめ」ではない状態での、通常の子ども達の悪ふざけや喧嘩があったとき、それを見ていた他の子どもが「見て見ぬふりは加害者」との気持ちより、教員に出来事を伝える事が常態化したとき、子ども達の世界がどのように変わるのかも気になる。
些末なことも上(教員)に報告する姿に、一つの監視社会の姿を見るとすれば、それは考えすぎであろうか。他にも、例えば40名のクラスで、15名がいじめに荷担し、残りの24名が見ぬふりをした時、加害者としては39名となる。それら39名の加害者に対し、どの様な対処を誰が何を根拠にして定めるのだろう。見て見ぬふりの子ども24名に対し、単に加害者意識を植え付けさせる、そういうのを教育というのか、僕にはわからない。
最初の提言1文に対して、少し考えただけでも幾つかの疑問がわいてくる。他の提言に対しても同様である。ただ一つ全体を通して言えることは、「いじめ問題を防止する為には」の問いは、「子ども達がどの様に育って欲しいか」の問いと同義であると言うことだ。その中で「いじめ問題」を考えていかなければ、本末転倒になる様に思えてくる。そして本「緊急提言」には、その「子ども達がどの様に育って欲しいのか」の視点が欠けていると思う。
提言の文章にあるのは意味不明な「美しい国づくりのために」の言葉だけのように思える。
何故に「緊急」なのか。それはいみじくも安倍首相の次の言葉が総てを物語っている。
「いじめによって命を絶つという連鎖を止めなければならない」
いじめを原因とした子供達の自殺の増加が、今回の「緊急提言」の背景であるのは周知の事実であろう。それであれば、不謹慎な仮定かも知れぬが、仮に数ヶ月前に今回のような「緊急提言」が行われていたとしたら、彼らが自殺を思いとどまったのであろうか。
一般論ではなく、実際に自殺をした子供達を思い浮かべ「緊急提言」を読んでも、彼らが思いとどまる環境になるとは想像することが出来なかった。
正直に言えば、今回の「緊急」と称する提言に目新しいものは何もない。ここに書かれていることは、教育関係者及び小中高のお子さんを持つ父母達が個々に、常々考え、意見を述べてきた事以上は何もないと思える。そしてそれぞれの現場では、そうは言っても現実的に難しい壁がそこにあるのを感じているのである。その中で徐々にだが、いじめ問題が報道されるたびに、彼らは何らかの歩みを行ってきていると僕は思っている。
それを「緊急提言」は大上段に、しかもいとも簡単に言ってのける。しかも、肝心な防止面については一般論で書かれ、発覚時の処置もしくは処罰については具体的に書かれている。この双方の語り口の違いが、いじめ防止について、教育再生会議での議論が一歩踏み込めなかった状況が透けて見える。しかし、「連鎖を断つ」ことが提言の目的だった事を考えれば、防止面に対し一般論で語る緊急提言の内容に、「緊急性」を感じる事は少ない。
例えば、「緊急提言」における最初の提言の言葉を読んでみる。
「学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対に許されないことであり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。」「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者」以外は、既に指導として教育の現場では行っていることだろう。問題は指導の具体的な内容であり仕方だと僕は思う。単に「いじめは反社会的」、「いじめを見て見ぬふりも加害者」と指導するというのではなく、そもそも「いじめ」とは何なのか、ということから子ども達が自ら考える力を育てる事が重要に思えてくる。
子ども達に対し、指導を行うとすれば、僕は徹底的な議論と討論、そして自分の意見を臆せずに語れる事、そういう場を常に与え、個々の考え発表する訓練を行うべきだと信じている。無視といじめという暴力での解決より、徹底した話し合いによる解決。それは「いじめ」という問題からだけでなく、身の回りの出来事から徐々に問題を深めていくことにより可能となるように思える。
子ども達に「いじめが反社会的」と指導する場合、子ども達を含め了解する「いじめ」の定義が必要となる。でもその定義の確定は難しいのではないだろうか。「いじめ」の有り様は、それぞれの場面によって違うように思えるのである。「いじめる者」の背景を一般論で括るのが危険なように、「いじめられる者」に対しても同様だと思う。「いじめ」とはこれだ、と大人が子どもに差し出すと、必ずそれとは違う「いじめ」の形態が現れるように思うのである。そうではなく、子ども達が自ら考え、互いにコミュニケートするスキルを育てること、そういう教育を大人達と共に行っていければと思う。
大人達の「止まらぬいじめ」に対する焦りが、「指導」という単語と「緊急提言」の語り口に出ている、と僕には思える。その余裕のなさは、少なくとも悪い影響として子ども達に伝播するのではないだろうか。さらに、「見て見ぬふりも加害者」について言うと、近代刑法において個人が善悪を判断し、たとえ周囲の殆どが正しいと信じ行っていることでも、それが悪だと認識すれば、その行っていることを止める、もしくは従わない、そういう事が根底にあるように思う。しかしそれを行える人間は少ない。仮にそれが出来る子どもがいたとすれば、その者は協調性に欠けると教員の指導を受ける結果になることだろう。それらは我々の歴史を振り返るまでもなく、現在の社会において常に見かける姿でもある。
無論、指導指針に対し針小棒大に意見を言うつもりはない。ただ、子ども達にとって学校は、大人達の社会に匹敵する世界なのであって、大人に十分に出来ないことを小中の子ども達に要求するのかと、思えるのだ。また、「いじめ」ではない状態での、通常の子ども達の悪ふざけや喧嘩があったとき、それを見ていた他の子どもが「見て見ぬふりは加害者」との気持ちより、教員に出来事を伝える事が常態化したとき、子ども達の世界がどのように変わるのかも気になる。
些末なことも上(教員)に報告する姿に、一つの監視社会の姿を見るとすれば、それは考えすぎであろうか。他にも、例えば40名のクラスで、15名がいじめに荷担し、残りの24名が見ぬふりをした時、加害者としては39名となる。それら39名の加害者に対し、どの様な対処を誰が何を根拠にして定めるのだろう。見て見ぬふりの子ども24名に対し、単に加害者意識を植え付けさせる、そういうのを教育というのか、僕にはわからない。
最初の提言1文に対して、少し考えただけでも幾つかの疑問がわいてくる。他の提言に対しても同様である。ただ一つ全体を通して言えることは、「いじめ問題を防止する為には」の問いは、「子ども達がどの様に育って欲しいか」の問いと同義であると言うことだ。その中で「いじめ問題」を考えていかなければ、本末転倒になる様に思えてくる。そして本「緊急提言」には、その「子ども達がどの様に育って欲しいのか」の視点が欠けていると思う。
提言の文章にあるのは意味不明な「美しい国づくりのために」の言葉だけのように思える。
2006/11/30
自由が丘の kebab shop
東京の自由が丘に小さなkebab shopがある。kebabが好きな僕はたまにその店による。
しかし、kebabを造る方は何故か全員外国の方である。それは外国でのすしバーで日本人が働くようなものなのかもしれない。まずはイメージが大事だというわけだ。
そして、これも何故だかわからないが、その外国の方は、僕には全員トルコ人の様に見える。
全く無茶苦茶な手前勝手なイメージだというのはわかっているが、何故だかそう見える(笑)。
しかし、kebabを造る方は何故か全員外国の方である。それは外国でのすしバーで日本人が働くようなものなのかもしれない。まずはイメージが大事だというわけだ。
そして、これも何故だかわからないが、その外国の方は、僕には全員トルコ人の様に見える。
全く無茶苦茶な手前勝手なイメージだというのはわかっているが、何故だかそう見える(笑)。
で、自由が丘のkebab shopで働く方もトルコ人だと僕は想像している。
昨日もその店によってkebabを食べた。人気があるようで、僕が注文前に数個の注文があり、しばらく店の前で彼が働く様を見ていた。見ているうちに店の写真を撮りたいと思い、彼に写真を撮って良いか聞いてみた。すると彼は少しはにかんだように下を向き、こう答えた。
昨日もその店によってkebabを食べた。人気があるようで、僕が注文前に数個の注文があり、しばらく店の前で彼が働く様を見ていた。見ているうちに店の写真を撮りたいと思い、彼に写真を撮って良いか聞いてみた。すると彼は少しはにかんだように下を向き、こう答えた。
「僕は、顔はハンサムじゃないから、撮ってもたいしたことないですよ・・・」
正確で明瞭な日本語だった。
正確で明瞭な日本語だった。
内心彼がハンサムかどうかは関係ないと思いながらも、それを気にする彼の姿を見て、何か親近感が沸いてきた。直感的に良い奴だなぁと思ったのだ。
そして咄嗟にでた言葉が、「You're realy handsome!」だった。
英語に疎い僕にとって、男から男に向かってこう呼びかける意味が何なのか知らない。でも彼が手を動かしながらも、僕の言葉に苦笑というか笑みを漏らしたのは事実だ。でもそれ以上に矛盾を感じたのは、僕は相手をトルコ人だと思っていたのに、英語が通じると疑わなかったことだ・・・まぁ細かいことは気にするまい。
英語に疎い僕にとって、男から男に向かってこう呼びかける意味が何なのか知らない。でも彼が手を動かしながらも、僕の言葉に苦笑というか笑みを漏らしたのは事実だ。でもそれ以上に矛盾を感じたのは、僕は相手をトルコ人だと思っていたのに、英語が通じると疑わなかったことだ・・・まぁ細かいことは気にするまい。
僕は何枚か写真を撮った。そしたら今度は逆に彼の方から僕に声をかけてきた。
「作っているところも撮りたいですか?」
「good idea!!」 僕は叫ぶ。
「good idea!!」 僕は叫ぶ。
僕がカメラを構えると、その瞬間だけ彼は動作を止める。作っている過程を写真に収めやすく考えてくれているのだ。
その気持ちに感謝する。
「thank you so much!」 僕は彼に言う。
「いえいえ」 彼が答える。
その気持ちに感謝する。
「thank you so much!」 僕は彼に言う。
「いえいえ」 彼が答える。
僕が注文したkebabが出来たとき、僕も写真を撮り終える。
差し出されたkebabを、思い切りがぶっと食べる。美味しい!
差し出されたkebabを、思い切りがぶっと食べる。美味しい!
ジョーク、はたまた現実?
最近の出来事は、これってジョーク?と思わせる事が多い。例えばホリエモン裁判。宮内被告もそうだが、堀江被告は現在やっきになって自分の無能を証明しようとしている。この状況に陥る前は、おそらく二人とも互いに自分が有能であることを競い合っていたことだろう。
「目立ったから狙われた」との堀江被告の言葉には声を出して笑えた。最近ではベスト10にはいる名言かも知れない。貴方が今の状況に陥ったのは、貴方が無能だからだ、とちゃちを入れたくなる。無論、無能とは能力がないということだ。
能力と呼ばれるものには幾つもの種類がある。そのうちどの能力がなかったのか、それを貴方が現在裁判で証明しようとしている、だから貴方には十分に理解できる話でしょう、と思ったりもする。検察の思惑が堀江被告の姿を、このイメージで定着させようと試みているのであれば、その思惑は僕には成功している。まさに茶番、そしてホリエモンはメインとなる道化師というわけだ。
自民党復党の話も聞いたときはジョークだと思った。前言を翻し続ける政治家に、安倍総理は答える。
「復党して美しい日本を創るために頑張って欲しい」 笑える
将来復党議員達が創る「美しい日本」の住民に僕は入ることが出来そうもない。そんなことを思う。まずは自民党に入党しなければならない。その上で安倍総理の言うとおりに行動しなければならない。郵政民営化には当然に賛成しなければならない。そうでなければ「美しい日本」の住民にはなれそうもない。
実を言えば、ホリエモン裁判もそうだけど、復党問題、さらに以前の郵政民営化問題についても、僕は殆どと言って良いほど興味がわかない。ただ状況とその中で語られる言葉が面白く、それでニュースを聞いている次第なので、真面目に考えているというわけでは決してない。だからその延長で「美しい日本」を創る提言をしたいと思ったりする。
「美しい日本」を簡単に創るにはどうしたらよいか。簡単である。「美しくない日本」を排除すればよい。「美しい」概念には他者を必要とする。だから他者が、これは美しくないと思える日本を言ってもらえばよい。そしてそれを優先的に排除すればよい。
外国人観光客をランダムに選考して、教育再生会議と同様に、日本美化会議の設立を提言する。排除には明確な理念とそれに基づく行動指針が必要となる。そこで、まずは総理に僭越ながら手引きとして書籍を何冊か紹介したい。優秀な総理のことだから、既に読まれているかもしれない。その時はご容赦願いたい。
「目立ったから狙われた」との堀江被告の言葉には声を出して笑えた。最近ではベスト10にはいる名言かも知れない。貴方が今の状況に陥ったのは、貴方が無能だからだ、とちゃちを入れたくなる。無論、無能とは能力がないということだ。
能力と呼ばれるものには幾つもの種類がある。そのうちどの能力がなかったのか、それを貴方が現在裁判で証明しようとしている、だから貴方には十分に理解できる話でしょう、と思ったりもする。検察の思惑が堀江被告の姿を、このイメージで定着させようと試みているのであれば、その思惑は僕には成功している。まさに茶番、そしてホリエモンはメインとなる道化師というわけだ。
自民党復党の話も聞いたときはジョークだと思った。前言を翻し続ける政治家に、安倍総理は答える。
「復党して美しい日本を創るために頑張って欲しい」 笑える
将来復党議員達が創る「美しい日本」の住民に僕は入ることが出来そうもない。そんなことを思う。まずは自民党に入党しなければならない。その上で安倍総理の言うとおりに行動しなければならない。郵政民営化には当然に賛成しなければならない。そうでなければ「美しい日本」の住民にはなれそうもない。
実を言えば、ホリエモン裁判もそうだけど、復党問題、さらに以前の郵政民営化問題についても、僕は殆どと言って良いほど興味がわかない。ただ状況とその中で語られる言葉が面白く、それでニュースを聞いている次第なので、真面目に考えているというわけでは決してない。だからその延長で「美しい日本」を創る提言をしたいと思ったりする。
「美しい日本」を簡単に創るにはどうしたらよいか。簡単である。「美しくない日本」を排除すればよい。「美しい」概念には他者を必要とする。だから他者が、これは美しくないと思える日本を言ってもらえばよい。そしてそれを優先的に排除すればよい。
外国人観光客をランダムに選考して、教育再生会議と同様に、日本美化会議の設立を提言する。排除には明確な理念とそれに基づく行動指針が必要となる。そこで、まずは総理に僭越ながら手引きとして書籍を何冊か紹介したい。優秀な総理のことだから、既に読まれているかもしれない。その時はご容赦願いたい。
- 毛沢東語録
かの国では、日本の様ないじめ問題は起こりえないことだろう。しかもその上で立派な愛国心教育がなされている。そしてその神髄に、今では流行らないが毛沢東語録があるのは間違いない。 - 我が闘争
美しい国を創る基本理念として衛生主義は避けては通れまい。まずは不衛生なものの排除から始まる。その神髄を知るにはこの本ほど適切なものはない。 - 平家物語
日本の文化とは「詫び寂び」の世界かも知れない。「詫び寂び」はおそらく無常感が背景にあるように思える。無常観と言えば、やはり日本文学でこれをおいて他にはあるまい。「奢れる者は久しからず」である。
2006/11/29
教育再生会議での緊急提言
TVでは一人の男がマスコミが差し出すマイクに向かって興奮して語っていた。
「いじめられる側が学校に来れなくなるのはおかしい」
「いじめる側を出席停止にすべき」
何事かと思ってTVに注視すると、どうやら教育再生会議にて、いじめ問題緊急提言を早々に行うらしい。その骨子を事務局の男性が語っていたのだった。いじめは犯罪であることを十分に認識させるために、いじめた児童・生徒に出席停止など厳しい処置を取る。教員によるいじめは懲戒処分などの対象にする。これら教育再生会議での緊急提言は、現在のいじめ問題に対する状況の下、時代の空気に見合った提言なのかも知れない。
ただ運用時において幾つか課題が出ることも事実だとは思う。例えば、いじめ問題は教員およびその当事者家族が知らされないことが多いが、この提言でその面が緩和されるとは思えないこと。いじめる側の特定を客観的にどのように行うのかが不明なこと。仮にいじめられる側の告発でのみ特定される場合、それは公平とは思われないということ。その上で、告発された相手が否定した場合、どのように扱われるのかが不明なこと。例えば、いじめる側がクラスの殆どの生徒が該当する場合、どうするのかということ。その中で、いじめの責任分担をどのように行うのかと言うこと。また、どこの組織がこれら運用面を管理していくのかということ。運用を逆手に取るケースを見極めるチェック機能はどうするのかということ。等々、考えればきりがない。
この提言には、いじめが犯罪であり、いじめを行えばそれに見合った厳しい処罰があると生徒及び教員に知らしめる意図がまず最初にある。しかし、いじめが犯罪であれば (僕もそれに同意するが)、法律に則り粛々と犯罪者を処置していけばよいのであって、わざわざ緊急提言で語ることでもない。
しかも刑罰が厳しいことが犯罪抑止に効果があるという統計は何処にもない。さらに、それが実際に運用するにおいて、様々な問題を解決しなければならないのであれば、提言自体が絵に描いた餅となり、結果的に無意味になりかねないとも思う。
だからか提言自体、いじめに対する有効手段が有識者を持ってしても不明であることの裏返しであると、僕には思えてくるのである。おそらく教育再生会議でも場当たり的と承知の上での提示なのかもしれない。しかし、いじめ問題の難しさを考えたとき、この場当たり的な対策は逆に問題を複雑化させはしないだろうか。伊吹文明文部科学相が適用は慎重にと語った事は、その意味で、僕は当然だと思う。
さらに、この事務局の男性の興奮気味の語り口での提言は、いじめ問題に「報復」という考えを示している。この緊急提言が教育再生会議でどの様に承諾されたのかが、僕にはとても気になる。一見正論のように思えるこの提言に対し、反対意見は出なかったのであろうか。異論が出ずに、この緊急提言がなされたとすれば逆に怖い。
僕にとって、いじめ問題への対応として考えられる点は以下の通り。
1)1クラスの人数を20名以下にする。
2)2クラスで3名の教員を配置し、協議と合意の上クラスを運営していく。
3)主担任はその3名が短期で巡回し受け持つ。
4)隔月に1回の個別父母面談を行う。
5)個別面談に欠席が多い生徒宅を教員は訪問面談を行う。
まずは学校の思い切った制度改革が必要なのだと思う。
「いじめられる側が学校に来れなくなるのはおかしい」
「いじめる側を出席停止にすべき」
何事かと思ってTVに注視すると、どうやら教育再生会議にて、いじめ問題緊急提言を早々に行うらしい。その骨子を事務局の男性が語っていたのだった。いじめは犯罪であることを十分に認識させるために、いじめた児童・生徒に出席停止など厳しい処置を取る。教員によるいじめは懲戒処分などの対象にする。これら教育再生会議での緊急提言は、現在のいじめ問題に対する状況の下、時代の空気に見合った提言なのかも知れない。
ただ運用時において幾つか課題が出ることも事実だとは思う。例えば、いじめ問題は教員およびその当事者家族が知らされないことが多いが、この提言でその面が緩和されるとは思えないこと。いじめる側の特定を客観的にどのように行うのかが不明なこと。仮にいじめられる側の告発でのみ特定される場合、それは公平とは思われないということ。その上で、告発された相手が否定した場合、どのように扱われるのかが不明なこと。例えば、いじめる側がクラスの殆どの生徒が該当する場合、どうするのかということ。その中で、いじめの責任分担をどのように行うのかと言うこと。また、どこの組織がこれら運用面を管理していくのかということ。運用を逆手に取るケースを見極めるチェック機能はどうするのかということ。等々、考えればきりがない。
この提言には、いじめが犯罪であり、いじめを行えばそれに見合った厳しい処罰があると生徒及び教員に知らしめる意図がまず最初にある。しかし、いじめが犯罪であれば (僕もそれに同意するが)、法律に則り粛々と犯罪者を処置していけばよいのであって、わざわざ緊急提言で語ることでもない。
しかも刑罰が厳しいことが犯罪抑止に効果があるという統計は何処にもない。さらに、それが実際に運用するにおいて、様々な問題を解決しなければならないのであれば、提言自体が絵に描いた餅となり、結果的に無意味になりかねないとも思う。
だからか提言自体、いじめに対する有効手段が有識者を持ってしても不明であることの裏返しであると、僕には思えてくるのである。おそらく教育再生会議でも場当たり的と承知の上での提示なのかもしれない。しかし、いじめ問題の難しさを考えたとき、この場当たり的な対策は逆に問題を複雑化させはしないだろうか。伊吹文明文部科学相が適用は慎重にと語った事は、その意味で、僕は当然だと思う。
さらに、この事務局の男性の興奮気味の語り口での提言は、いじめ問題に「報復」という考えを示している。この緊急提言が教育再生会議でどの様に承諾されたのかが、僕にはとても気になる。一見正論のように思えるこの提言に対し、反対意見は出なかったのであろうか。異論が出ずに、この緊急提言がなされたとすれば逆に怖い。
僕にとって、いじめ問題への対応として考えられる点は以下の通り。
1)1クラスの人数を20名以下にする。
2)2クラスで3名の教員を配置し、協議と合意の上クラスを運営していく。
3)主担任はその3名が短期で巡回し受け持つ。
4)隔月に1回の個別父母面談を行う。
5)個別面談に欠席が多い生徒宅を教員は訪問面談を行う。
まずは学校の思い切った制度改革が必要なのだと思う。
2006/11/21
「インセンティブなければワンセグの普及もない」という発想
少し前にauが「LISMO」を発表した時、僕は興味を持って詳細を気にした。
auが音楽を携帯電話の主要機能にするという噂が流布した頃、その噂の少し前に購入したW32Sが当然に「LISMO」に対応できると思いこんでいたからだ。僕は単純に携帯電話とPCが接続できさえすれば、あとはPCと携帯電話のソフトウェアの仕事だと思っていた。でも実際は違っていた。「LISMO」に対応するには「LISMO」対応機種でなければならなかった。
少し考えれば、現行携帯キャリア達のビジネスモデルとして、新機能は新機種によって実装される事くらい解るはずであった。でもその時は期待というか希望があった為、内心ガッカリしたのを覚えている。いつまで携帯キャリア達は、このスタイル、新機能は新機種にて実装される、を続けていくつもりなのだろうか。
矢継ぎ早に繰り出される携帯の新機能、それは安易に新機種で実装され、それがMNPを利用する側の動機にも成り、かつ機種変更などで既存利用者を囲い込む。そしてこのスタイルを続ける要として「インセンティブ」があるのは間違いない。つまり高価な携帯端末にて新機能を実装したとしても、購入者の絶対数が少なければ企業側メリットも少ないというわけだ。
さらに日本のMNP制度自体も「インセンティブ」ありきが前提になっているとも思う。また利用者側も携帯電話購入時に、当然に「インセンティブ」ありきの端末価格を想定している。しかも新機能は、一般にパケット量が増大する傾向がある。ゆえに、二段階定額制を敷いているauの場合、常に最大の定額料金支払いに繋がる。企業にとって見れば、従量制での不安定な収入より、しかも高額請求の場合徴収するのにコストもかかる、固定収入の方が安定しており計画も立てやすい、さらに個別では少ない請求なので徴収しやすい面もある。「インセンティブ」は携帯キャリアの、特にauにとっては、携帯ビジネスモデルを維持するための重要なツールなのだと思う。そしてそれは、キャリアだけに限らず、数多くの携帯端末販売店を産み出し、それを購入する人達を巻き込んでの話でもある。
一見すると、企業側、端末販売店、行政側、さらに利用者の総てが満足する制度のように思えてくる。でも本当にそうなのだろうか。僕にとって見れば、一つの携帯機種を長く使い続ける多くの利用者が不利益を被っているように思える。当たり前のことだが、各携帯キャリアが「インセンティブ」が出来ると言うことは、そのコストをある程度の短い期間で回収できると言うことでもある。そしてその回収には、機種変更を殆どしない人達からの企業利益も含まれているに違いない。
一度統計データを見てみたいと思う。機種変更の回数とサイクル期間、及びそれぞれの利益率などだ。僕の勝手な予想では、機種変更を多く行う人と行わない人のグループがきっちりと分けられると思う。つまりは、機種変更行う方は頻繁に行い、行わない人は数年間同一機種を使い続ける。そういう構図の中で「インセンティブ」の持続可能性が成り立つと僕は思う。
また別の見方をすれば、「インセンティブ」は、畢竟、端末の売り方の一つに過ぎない。そして売り方には様々な仕方が現有するのも事実である。例えば、リース方式でも、ローン方式でも良い、顧客が新機種を購入しやすく、しかも購入者の負担のみで賄える仕方は、アイデア次第でいくらでもあると僕は思う。
さらに「インセンティブ」でメーカーもしくは販売店に支払っていた「インセンティブ」用の原資を、携帯利用者にあまねく利益還元するべきだとも思う。具体的に言えば、通話料ならびにパケット料等の減額の事だ。ついでに言えば、携帯端末のより高度な標準化仕様の構築により、新機能が新機種により実装する頻度を出来るだけ少なくする様に配慮するべきとも思う。
これら3つの事項を積極的に進めること。それが日本の携帯事業を長く発展させる原動力になっていくと、私見だがそう思っている。その上で先だってのW44S発表会でのKDDI小野寺社長の言葉、「インセンティブなければワンセグの普及はない」、はいただけない。彼らがワンセグの普及に社会的意識をどのくらい強く持っているのか僕にはわからない。
確かに小野寺社長の言っていることはある意味正しい。しかし正確ではない。正確には「インセンティブなければワンセグの急激な立ち上がりもない」と言うべきだと思う。技術は必要であれば使われていくが、必要としなければ消滅する。ワンセグの技術的な詳細を僕は知らない、でも様々な携帯端末に合わせた仕様となっていると推察する。故にワンセグは、もともと仕様的には携帯系端末に広まる可能性を秘めている。後は市場が判断すると言うことだと思う。
(自由市場経済主義を僕は信奉しているわけではないが、ワンセグの場合は市場に委ねる表現が使えると思う)
小野寺社長がW44S発表会で「インセンティブ」の話と「ワンセグ」の話を結びつけたのは極めて単純な話だ。総務省から「インセンティブ」見直しが提言されていると言うことと、ワンセグ技術には周波数割当管理元である総務省が絡んでいるからだろう。小野寺社長の発言は、いわばワンセグを人質にとって総務省に物申す姿勢に近い。携帯キャリアにとって、ワンセグを携帯端末機能に付加しても、それがパケット料などに結びつくことはない。だから、ワンセグ携帯端末を販売することは、他社との競争もさることながら、気持ち的には総務省の意向を受けてがあるように思う。それ故の発言だと僕には思える。
僕にとって、それらの事柄は特に気にする事ではない。僕が小野寺社長の発言で気になるのは、何故、総務省との関係からくる発言を、利用者が注目する新機種発表会で行ったのかと言うことである。その発言という行為自体が、「インセンティブ」を利用者があまねく支持している、という事を、各携帯キャリアが信じている事の証左のように思えるからだ。少なくとも僕は、携帯が価格的に見て買いやすいのであれば、特に「インセンティブ」に拘るつもりは全くない。それは前記に述べた通りである。
だから小野寺社長の発言は、「インセンティブ」を続けるため、利用者を巻き込んで、いわば共犯者に仕立てられているような、そんな気分になったのである。さらに、この長く続いた「インセンティブ」に固執する様が、auもしくは日本の携帯事業自体が硬直化し、新たな展開を産みづらい状況下にあるように思えてくる。本来、新機種発表会にて、僕などが望む姿は、今後の携帯事業の展開であり、その流れの中で、今回発表する機種の位置づけである。残念ながら、そういう発言はauに留まらず、あまり聞かない。携帯事業の将来展望で聞くのは、飽くなき機能の追加でしかない。
既に日本の携帯事業は、ある意味「イノベーションのジレンマ」に陥っているかのような、そんな気さえしてくる。僕は個人的に言えば、au利用者だし、auを使い続けてきている。だから本当は応援したいのである。この記事も気持ち的には応援のつもりで書いている。
auが音楽を携帯電話の主要機能にするという噂が流布した頃、その噂の少し前に購入したW32Sが当然に「LISMO」に対応できると思いこんでいたからだ。僕は単純に携帯電話とPCが接続できさえすれば、あとはPCと携帯電話のソフトウェアの仕事だと思っていた。でも実際は違っていた。「LISMO」に対応するには「LISMO」対応機種でなければならなかった。
少し考えれば、現行携帯キャリア達のビジネスモデルとして、新機能は新機種によって実装される事くらい解るはずであった。でもその時は期待というか希望があった為、内心ガッカリしたのを覚えている。いつまで携帯キャリア達は、このスタイル、新機能は新機種にて実装される、を続けていくつもりなのだろうか。
矢継ぎ早に繰り出される携帯の新機能、それは安易に新機種で実装され、それがMNPを利用する側の動機にも成り、かつ機種変更などで既存利用者を囲い込む。そしてこのスタイルを続ける要として「インセンティブ」があるのは間違いない。つまり高価な携帯端末にて新機能を実装したとしても、購入者の絶対数が少なければ企業側メリットも少ないというわけだ。
さらに日本のMNP制度自体も「インセンティブ」ありきが前提になっているとも思う。また利用者側も携帯電話購入時に、当然に「インセンティブ」ありきの端末価格を想定している。しかも新機能は、一般にパケット量が増大する傾向がある。ゆえに、二段階定額制を敷いているauの場合、常に最大の定額料金支払いに繋がる。企業にとって見れば、従量制での不安定な収入より、しかも高額請求の場合徴収するのにコストもかかる、固定収入の方が安定しており計画も立てやすい、さらに個別では少ない請求なので徴収しやすい面もある。「インセンティブ」は携帯キャリアの、特にauにとっては、携帯ビジネスモデルを維持するための重要なツールなのだと思う。そしてそれは、キャリアだけに限らず、数多くの携帯端末販売店を産み出し、それを購入する人達を巻き込んでの話でもある。
一見すると、企業側、端末販売店、行政側、さらに利用者の総てが満足する制度のように思えてくる。でも本当にそうなのだろうか。僕にとって見れば、一つの携帯機種を長く使い続ける多くの利用者が不利益を被っているように思える。当たり前のことだが、各携帯キャリアが「インセンティブ」が出来ると言うことは、そのコストをある程度の短い期間で回収できると言うことでもある。そしてその回収には、機種変更を殆どしない人達からの企業利益も含まれているに違いない。
一度統計データを見てみたいと思う。機種変更の回数とサイクル期間、及びそれぞれの利益率などだ。僕の勝手な予想では、機種変更を多く行う人と行わない人のグループがきっちりと分けられると思う。つまりは、機種変更行う方は頻繁に行い、行わない人は数年間同一機種を使い続ける。そういう構図の中で「インセンティブ」の持続可能性が成り立つと僕は思う。
また別の見方をすれば、「インセンティブ」は、畢竟、端末の売り方の一つに過ぎない。そして売り方には様々な仕方が現有するのも事実である。例えば、リース方式でも、ローン方式でも良い、顧客が新機種を購入しやすく、しかも購入者の負担のみで賄える仕方は、アイデア次第でいくらでもあると僕は思う。
さらに「インセンティブ」でメーカーもしくは販売店に支払っていた「インセンティブ」用の原資を、携帯利用者にあまねく利益還元するべきだとも思う。具体的に言えば、通話料ならびにパケット料等の減額の事だ。ついでに言えば、携帯端末のより高度な標準化仕様の構築により、新機能が新機種により実装する頻度を出来るだけ少なくする様に配慮するべきとも思う。
これら3つの事項を積極的に進めること。それが日本の携帯事業を長く発展させる原動力になっていくと、私見だがそう思っている。その上で先だってのW44S発表会でのKDDI小野寺社長の言葉、「インセンティブなければワンセグの普及はない」、はいただけない。彼らがワンセグの普及に社会的意識をどのくらい強く持っているのか僕にはわからない。
確かに小野寺社長の言っていることはある意味正しい。しかし正確ではない。正確には「インセンティブなければワンセグの急激な立ち上がりもない」と言うべきだと思う。技術は必要であれば使われていくが、必要としなければ消滅する。ワンセグの技術的な詳細を僕は知らない、でも様々な携帯端末に合わせた仕様となっていると推察する。故にワンセグは、もともと仕様的には携帯系端末に広まる可能性を秘めている。後は市場が判断すると言うことだと思う。
(自由市場経済主義を僕は信奉しているわけではないが、ワンセグの場合は市場に委ねる表現が使えると思う)
小野寺社長がW44S発表会で「インセンティブ」の話と「ワンセグ」の話を結びつけたのは極めて単純な話だ。総務省から「インセンティブ」見直しが提言されていると言うことと、ワンセグ技術には周波数割当管理元である総務省が絡んでいるからだろう。小野寺社長の発言は、いわばワンセグを人質にとって総務省に物申す姿勢に近い。携帯キャリアにとって、ワンセグを携帯端末機能に付加しても、それがパケット料などに結びつくことはない。だから、ワンセグ携帯端末を販売することは、他社との競争もさることながら、気持ち的には総務省の意向を受けてがあるように思う。それ故の発言だと僕には思える。
僕にとって、それらの事柄は特に気にする事ではない。僕が小野寺社長の発言で気になるのは、何故、総務省との関係からくる発言を、利用者が注目する新機種発表会で行ったのかと言うことである。その発言という行為自体が、「インセンティブ」を利用者があまねく支持している、という事を、各携帯キャリアが信じている事の証左のように思えるからだ。少なくとも僕は、携帯が価格的に見て買いやすいのであれば、特に「インセンティブ」に拘るつもりは全くない。それは前記に述べた通りである。
だから小野寺社長の発言は、「インセンティブ」を続けるため、利用者を巻き込んで、いわば共犯者に仕立てられているような、そんな気分になったのである。さらに、この長く続いた「インセンティブ」に固執する様が、auもしくは日本の携帯事業自体が硬直化し、新たな展開を産みづらい状況下にあるように思えてくる。本来、新機種発表会にて、僕などが望む姿は、今後の携帯事業の展開であり、その流れの中で、今回発表する機種の位置づけである。残念ながら、そういう発言はauに留まらず、あまり聞かない。携帯事業の将来展望で聞くのは、飽くなき機能の追加でしかない。
既に日本の携帯事業は、ある意味「イノベーションのジレンマ」に陥っているかのような、そんな気さえしてくる。僕は個人的に言えば、au利用者だし、auを使い続けてきている。だから本当は応援したいのである。この記事も気持ち的には応援のつもりで書いている。
2006/11/18
木登り猫
猫は木に登る。これは周知の事実だと思うが、でも実際は木に登る猫を見かけることは少ない。街の中では猫が登れそうな木が少ないこともあるのかもしれないが、大体は塀を通り道にして行きたい場所に向かう。
猫が木に登るには、登るだけの理由が必ずそこにある。例えば獲物を追いかけてとか、逆に追いかけられて逃げるためとか。
そして木に登った猫たちは、降りるとき一様に苦労することになる。彼らは登るときもそうだが、降りるときも頭を先にして降りるしかないのだ。だから勢い余って木の高見に登った猫は、場合により自分の力で降りることが難しくなるときもある。
そして木に登った猫たちは、降りるとき一様に苦労することになる。彼らは登るときもそうだが、降りるときも頭を先にして降りるしかないのだ。だから勢い余って木の高見に登った猫は、場合により自分の力で降りることが難しくなるときもある。
そう言えば以前に木の上で丸くなって休んでいる猫を見かけたことがある。その猫はアリスに登場するチェシャー猫のように、丁度通り道の真上の枝にいて見下ろしていた。でも彼はチェシャー猫の様に笑ってはいなかった。不審者が下を通るたびに怯えたような目をして相手を凝視していた。
彼がどうして、もしくはどうやって、その高さの枝まで辿り着いたのか、僕にはわからない。でも数時間後にその下を通り過ぎたときには猫はいなかったので、無事に降りることが出来たのだろう。
勢いで登ってしまい、降りるのに途方にくれたのだろうと僕は想像した。でも数日後、たまたま同じ場所を通った時、あの猫が同じ枝で丸くなっているのを見かけた。
実を言えば、その日だけでない。僕は何回か同じ猫がその枝で丸くなっているのを見かけた。その度に、初めて見かけたときのように、彼は怯えた目で僕を凝視していた。
実を言えば、その日だけでない。僕は何回か同じ猫がその枝で丸くなっているのを見かけた。その度に、初めて見かけたときのように、彼は怯えた目で僕を凝視していた。
明らかに彼は自分の意志で木に登っていた。そして枝の上で丸くなり、怯えたような目で下を通る人を眺めているのだ。より高見にいて獲物を捕まえる機会を待つのが猫族の習性なのかもしれないが、僕は彼以外で同じ様な行動をとった猫を今まで見たことがなかった。
その猫を見たのは今年の春の頃、梅花の季節が終わり桜の開花が間近だった頃の短い期間だった。桜の開花が始まり、花見の人達が増える頃、彼は姿を現さなくなり、全く見かけなくなった。
今頃どこでどうしているのだろう
2006/11/15
死ぬまでに読みたい本
冗談のように聞こえるかも知れないが、僕には死ぬまでに読んでおきたい本が何冊かある。運良く平均寿命まで生き延びたとして、それでも何冊かは未読のままだと思う。僕はそれらの未読本をリストアップし、特に優先順位の高い本を僕の棺の中に収めて欲しいと願っている。そしてその中の1冊は既に家族に伝えている。
その時に告げたのがマルクスの「資本論」である。おそらく「資本論」は死ぬまでに読めそうもない、そんな予感を持っている。僕の予感はこういうことについては結構当たる。
それでは「資本論」を今からでも読み始めればいいじゃないかと思われる方もいることだろう。それがそうはいかないのだ。先日から読み始めた本は、これも死ぬまでに読みたい本の一冊であるハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」である。この本は僕にとってはビジネスマン必読書だと密かに思っているのだが、そういう視点で顧みられることは今のところない。その 「エルサレムのアイヒマン」は約240ページだから、量としてはそれほど多くはない。でもハンナ・アーレントが徹底的な資料を駆使して練りに練った書籍であるから、一文に重みがある。
例えば、別にミステリーを軽く見るつもりはないが、僕の大好きなミステリー作家であるクレイグ・ライス女史が書く一文と較べてみてもそれは明らかだと思う。つまり読み終えるのにそれなりに時間がかかる。
しかも生来怠け者でもある僕だから、続けて同様の書籍を読む気にはどうしてもなれない。もしかしれば、しばらく一冊も本を読まないと言うことも十分にあり得る。そういうサイクルでの読書だから、やはり僕が願うことは叶えられそうもない。
そう言えば昔、高校時代の時に学校の図書館を初めて見て、小中学校のそれと較べ書籍の量と種類の豊富さに驚いた。そして高校の3年間でこの図書館の書籍を総て読破しようという、無謀な野心を抱いた。でも結果は入学してから半年も経たないうちに野望は露と消え、僕は西脇順三郎という一人の詩人に夢中になった。誰でもそうかもしれないが、先のことは予測できない。(ビジネス的に言えば予測できないにもレベルがあるのだが、自分に対しビジネス手法を適用しようとは夢にも思わない)
だから、僕が密かに思う死ぬまでに読むべき書籍を、生きている間に読み終えてしまうかも知れない。まぁそれはそれで良いのだが、おそらくその時は、新たな読みたい本が出てくることになるだろうから、やはり同じことなのだろう。まさしく堂々巡り。その堂々巡り、たぶんそれは螺旋階段のようなy軸方向には動き、x軸での堂々巡りだとは思うが、それが中断されるところに人生の妙味が在るのかもしれない。そんなことを時々思う。無論、そういう悟りきった趣を常に胸に抱いているわけでは決してない。
本を読むと言うことは、コミュニケーションの一種だと思うときがある。だから人から人に繋がっていくように、書籍から書籍に繋がる。書籍のネットワークの中に身を置くことで、そこから新たな世界がひろがる。僕が読みたいと願う本は、ネットワーク的に言えば、片方向ではあるが、強い紐帯だと感じる。僕が産まれ背負ってきた文化的資産からそれは派生しているのは間違いない。つまりは、これらの本を読むことで僕は僕の人生を確信する。
そういえば先日はらたいら氏が亡くなられた。奥様の言葉が胸に残る。
その時に告げたのがマルクスの「資本論」である。おそらく「資本論」は死ぬまでに読めそうもない、そんな予感を持っている。僕の予感はこういうことについては結構当たる。
それでは「資本論」を今からでも読み始めればいいじゃないかと思われる方もいることだろう。それがそうはいかないのだ。先日から読み始めた本は、これも死ぬまでに読みたい本の一冊であるハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」である。この本は僕にとってはビジネスマン必読書だと密かに思っているのだが、そういう視点で顧みられることは今のところない。その 「エルサレムのアイヒマン」は約240ページだから、量としてはそれほど多くはない。でもハンナ・アーレントが徹底的な資料を駆使して練りに練った書籍であるから、一文に重みがある。
例えば、別にミステリーを軽く見るつもりはないが、僕の大好きなミステリー作家であるクレイグ・ライス女史が書く一文と較べてみてもそれは明らかだと思う。つまり読み終えるのにそれなりに時間がかかる。
しかも生来怠け者でもある僕だから、続けて同様の書籍を読む気にはどうしてもなれない。もしかしれば、しばらく一冊も本を読まないと言うことも十分にあり得る。そういうサイクルでの読書だから、やはり僕が願うことは叶えられそうもない。
そう言えば昔、高校時代の時に学校の図書館を初めて見て、小中学校のそれと較べ書籍の量と種類の豊富さに驚いた。そして高校の3年間でこの図書館の書籍を総て読破しようという、無謀な野心を抱いた。でも結果は入学してから半年も経たないうちに野望は露と消え、僕は西脇順三郎という一人の詩人に夢中になった。誰でもそうかもしれないが、先のことは予測できない。(ビジネス的に言えば予測できないにもレベルがあるのだが、自分に対しビジネス手法を適用しようとは夢にも思わない)
だから、僕が密かに思う死ぬまでに読むべき書籍を、生きている間に読み終えてしまうかも知れない。まぁそれはそれで良いのだが、おそらくその時は、新たな読みたい本が出てくることになるだろうから、やはり同じことなのだろう。まさしく堂々巡り。その堂々巡り、たぶんそれは螺旋階段のようなy軸方向には動き、x軸での堂々巡りだとは思うが、それが中断されるところに人生の妙味が在るのかもしれない。そんなことを時々思う。無論、そういう悟りきった趣を常に胸に抱いているわけでは決してない。
本を読むと言うことは、コミュニケーションの一種だと思うときがある。だから人から人に繋がっていくように、書籍から書籍に繋がる。書籍のネットワークの中に身を置くことで、そこから新たな世界がひろがる。僕が読みたいと願う本は、ネットワーク的に言えば、片方向ではあるが、強い紐帯だと感じる。僕が産まれ背負ってきた文化的資産からそれは派生しているのは間違いない。つまりは、これらの本を読むことで僕は僕の人生を確信する。
そういえば先日はらたいら氏が亡くなられた。奥様の言葉が胸に残る。
「主人は『不服はない。本望だ』と言っていました。63歳でしたが、十分生きられたと思います。最期は家族に囲まれて旅立ちました」十分に生きる人生とは、死から逃れる可能性がない状況で、見守る周囲の人達が覚悟を決めている中で、「不服はない。本望だ」と言える人生なのかもしれない。そう言うことを少し思う。仮に、「悔いがある、それは何々だ」と語った場合、その悔いを愛する人達に残すことになる。それが良いことかどうかは僕にはわかならない。ただ書籍に関してだけ言えば、本記事はそのことしか語っていないので、僕は少しばかり悔いを周囲に残してしまうのかもしれない。
2006/11/07
門番猫
街を歩いているときに出会った猫。アパートと思われる入り口の塀に座っていた。自由が丘の街のはずれとはいえ、それでも様々な店が建ち並び、行き交う人も多い。その中を平然として置物のように座っている。
近くを通り過ぎるまで全く気が付かなかった。丁度、その猫の横を通り過ぎようとしたとき、ふと僕の視界に入った白い動物、ぱっと視線を向けると思わず猫と目と目があった。
カメラを構え、少しだけ猫に近づく。
たいていは、ここで猫は僕と等距離を保つ様に少し離れるはずだが、猫は微動だにしない。とても人間に慣れている感じだ。
いや、それ以上にこの場所では彼(彼女?)の方が主なのである。だから離れるとすれば当然に僕の方だと、そういった感じで猫は僕を眺める。
何枚か写真を撮ったとき、二人の女性が近づいて来た。母とその娘と思われる二人は、写真を撮っている僕の横に立ち、猫に話しかける。
「写真撮ってもらっているの。よかったわね。綺麗に撮ってもらわなくちゃね。」
その猫を見知っているかのような言葉を聞き、僕は彼女たちに話しかける。
「この猫の名前はなんて言うのですか?」
「え?」と母親らしき女性は少し首をかしげ、それから微笑んで、「さぁ・・・」と答え、さらに続ける。
「この猫、いつもここにいるんですよ。来る度にね、この猫に会いに来るんです。今日も会いに来たんです。」
「へぇー」と間抜けに頷く僕。あらためてこの猫を眺める。何か凄い猫だと思った。何が凄いのか皆目見当が付かないが、とにかく凄い猫だと思った。
母親の傍らにいた女の子が猫を見上げ、にこにこしながら猫に話しかける。
「かわいいねぇ、かわいいねぇ」
女の子の声は綺麗なソプラノで、僕にはそれがとても心地よく聞こえる。
「きっと私たちの話すことが猫にはわかるんだと思うわ」と母親が娘に向かって言う。
女の子はさらに何度も何度も「かわいいねぇ、かわいいねぇ」と猫に向かって話しかける。
すると、短くだがはっきりと、猫は「にゃー」と一回だけ鳴いた。その声を聞き二人は、無論僕も、満面の笑顔。
「かわいいねぇ、かわいいねぇ」
女の子の語りかける声が徐々に猫の鳴き声のように聞こえてくる。そして本当に女の子の言葉が猫に通じているのかもと思い始める。
女の子が見上げ猫がそれに応える様を、写真に撮ろうかと迷ったが、なにかしらそれは不謹慎な行為のように思え、僕はただ猫だけを写真に撮り続ける。
そしてしばらくして僕はその場を離れた。少し歩いて後ろを振り返ったら、まだ親子はその場で猫と話し続けていた。
2006/10/25
Cocco
先だってNHK総合にてCoccoのライブを観た。2006年8月10日の武道館公演の様子を45分間のダイジェストで放映したものだ。「おかえりなさい」との観客からの呼びかけに少し涙ぐむCoccoを見て、再び彼女が音楽の世界に戻ってきたことを実感する。
突然の活動中止から5年。復活後の一連のツアーの成功は、いかにファンがCoccoを待ちわびていたかを現すかのようだ。
Coccoを語るとき、彼女の作詞に意味を見いだす場合が多い。沖縄を愛し、その気持ちが強いがゆえに、逆に沖縄から疎外されていると感じる。Coccoにとっての沖縄は、括弧付きの沖縄だったかもしれない、しかし愛する気持ちが強いが故の疎外感は、ある意味、自傷的とはいえ「愛する」ことの一面がそこにあったと、僕は思っている。
コンサートの中でCoccoは観客に語る。-5年前、歌うことが本当に好きだとわかった、そして自分が幸せであると感じた。幸せであると実感したとき、その幸せ感が失われていく事を恐れた。こんな幸せが長く続くわけないと思った。-のだという。
でも今は幸せであることに恐れを感じない、とCoccoは続ける。幸せを喜びに感じると語る彼女に、5年間という歳月の豊かさをそこに感じる。
沖縄は巫女が多いと聞いたことがある。女性が全員巫女の島もあるそうだ。神との繋がりは、琉球王国以降も致命的に損なわれる事はなく、代々受け継がれてきたきているとも聞く。僕は今回TVでのコンサートを観て、Coccoのスタイルに神との媒介役である巫女の姿を見た。前後に身体を大きく揺らす姿が、かつてドキュメント番組で見た沖縄の巫女の踊りの姿に重なったのだ。
人気アーティストを現代の教祖となぞらえることも多い。でもCoccoの場合、教祖的な、何かを変に悟った語りは殆ど無い。それよりも、彼女の歌声、リズム感、歌詞と曲、そして素朴な語り口に触れると、彼女を通じて何か大きな存在に触れることが出来るような、そんな気持ちに僕はなるのである。
ザンサイアンを含め、再び僕はiPodに格納しているCoccoの曲を聴き続けている。曲の雰囲気は確かに活動中止以前とは少し変わったと思う、しかし、Coccoのスタイルが変わったとは全く感じなかった。多分、違和感なく新曲が聴けたのは、彼女のスタイルに作詞の重みは少ない言うことなのかもしれない。
いましばらく僕は彼女の曲を聴き続ける。その中で何か思うところがあれば、また書いてみようと思う。
突然の活動中止から5年。復活後の一連のツアーの成功は、いかにファンがCoccoを待ちわびていたかを現すかのようだ。
Coccoを語るとき、彼女の作詞に意味を見いだす場合が多い。沖縄を愛し、その気持ちが強いがゆえに、逆に沖縄から疎外されていると感じる。Coccoにとっての沖縄は、括弧付きの沖縄だったかもしれない、しかし愛する気持ちが強いが故の疎外感は、ある意味、自傷的とはいえ「愛する」ことの一面がそこにあったと、僕は思っている。
コンサートの中でCoccoは観客に語る。-5年前、歌うことが本当に好きだとわかった、そして自分が幸せであると感じた。幸せであると実感したとき、その幸せ感が失われていく事を恐れた。こんな幸せが長く続くわけないと思った。-のだという。
でも今は幸せであることに恐れを感じない、とCoccoは続ける。幸せを喜びに感じると語る彼女に、5年間という歳月の豊かさをそこに感じる。
沖縄は巫女が多いと聞いたことがある。女性が全員巫女の島もあるそうだ。神との繋がりは、琉球王国以降も致命的に損なわれる事はなく、代々受け継がれてきたきているとも聞く。僕は今回TVでのコンサートを観て、Coccoのスタイルに神との媒介役である巫女の姿を見た。前後に身体を大きく揺らす姿が、かつてドキュメント番組で見た沖縄の巫女の踊りの姿に重なったのだ。
人気アーティストを現代の教祖となぞらえることも多い。でもCoccoの場合、教祖的な、何かを変に悟った語りは殆ど無い。それよりも、彼女の歌声、リズム感、歌詞と曲、そして素朴な語り口に触れると、彼女を通じて何か大きな存在に触れることが出来るような、そんな気持ちに僕はなるのである。
ザンサイアンを含め、再び僕はiPodに格納しているCoccoの曲を聴き続けている。曲の雰囲気は確かに活動中止以前とは少し変わったと思う、しかし、Coccoのスタイルが変わったとは全く感じなかった。多分、違和感なく新曲が聴けたのは、彼女のスタイルに作詞の重みは少ない言うことなのかもしれない。
いましばらく僕は彼女の曲を聴き続ける。その中で何か思うところがあれば、また書いてみようと思う。
2006/10/19
究極のカメラとは
カメラとは何か、と問うつもりはない。ただ僕はカメラをブラックボックス化して見ている。ブラックボックスとしてのカメラには入力と出力がある。入力パラメータを与えれば、それなりの出力がなされるというわけだ。
入力パラメータは数多くある、例えばレンズ、露出値、絞り値、シャッター速度、等々である。それらは殆ど数値化が可能なパラメータとなる。最近のカメラの殆どは写真を撮る状況に合わせて、ボタン・スイッチなどで、入力パラメータを自動的に設定できるようになっている。「人物」、「風景」、「ペット」、「スポーツ」等々と、その呼び方はメーカそれぞれだが、概ね同じだと思う。そしてそれらとは別に、オールマイティなモードもあったりする。
これらの一連の入力パラメータ設定プログラムは考えると凄いことかも知れない。例えば「人物」を選んだとき、撮影者が誰でどのような行動と状況・環境の中で写すのかは全く知らない中で、プログラムは「人物」を写すのに適した情報をカメラに入力しているのである。逆に言えば、撮すという人間の行為は、フレームワークとしてプログラミング可能であるということだし、実際にそれは既にカメラに搭載されているのである。
カメラをブラックボックス化し、入力部分と出力部分に切り分けるとき、もう一つ僕にとっては重要なことがある。それはこのブラックボックスは入力パラメータが無くても撮すことが可能だと言うことだ。
そうしたとき、では写真を撮るという行為の主体は一体誰と言うことになってくる。つまりは撮影者はブラックボックスへの入力情報を与えるのみに過ぎなくなるし、それさえもカメラ自体が内包する各プログラムによって代行することが出来る。さらにいえば、今ではブラックボックス内にも様々なプログラムが稼働し、与えられたパラメーター値から、人が見て美しいと思われるように画像を変換している。
おそらく人間が造りだしたにも関わらず、理論も単純なこの道具は、ある意味人間を拒み続けている道具でもある。現行のカメラの流れは誰もが予測できる範囲にある。即ち、デジタル化の方向はさらに進むであろうし、携帯電話内蔵とコンパクト型カメラとデジタル一眼の方向性は違ってくるだろう。携帯電話のカメラは画像の品質は高まるとは思うが、使う側はあくまでも暫定もしくは緊急時の撮影用途になると思う。コンパクト型カメラは高品質化とコンパクト化、及び操作の簡略化は進むことだろう。デジタル一眼は、35mmフルサイズへと拍車がかかり、かつ安価になっていくことと思う。
でも上記の流れは、究極のカメラを考える際には無用の予測でもある。本質的に言えば、カメラのブラックボックス化と入出力のモデルは何ら変わりはないと思うからである。携帯電話搭載のカメラからデジタル一眼の一連の機種の違いは、入力パラメータの数と量の問題にしかならない。
藤子不二雄のマンガに様々な未来のカメラを描いた作品がある。それら荒唐無稽のカメラも、実現可能とは思えないが、前記のカメラのモデルの延長線上にあるので、結果から言えば、カメラと人間の関係は現行のカメラと同等でしか過ぎない。
究極のカメラとは、恐らくカメラのブラックボックスと人間の通信によって得られることになると僕は思う。カメラの話をする前に人間の身体の新たなデザインの話をすべきかもしれない。人間は様々な道具を造り、身体機能の拡張を行ってきた。でもそれらの道具とは、たとえて言えばマジンガーZのポッドもしくは、鉄人28号のリモコン装置のようなものでしかなかった。それらは入力に対する結果を行動もしくはメッセージで人間に通知するのみだった。
今回飲酒運転事故をメーカ側から防止する提案として、アルコール濃度を車のセンサーが感知して一定濃度であれば車が動かない機能を追加する旨の記事を読んだ。これはおそらく今までにない、新たな道具と人間の関係を構築するとっかかりになるように思う。今まで人間の健康状態を入力パラメータとして受け入れる道具は、一般市販には無かったように思えるのである。
カメラと人間との通信は、ブラックボックスへの入力パラメーターに、操作する人間の主観が新たに加わることになる。その結果、カメラは様々な入力パラメータを直に設定することなく、文字通りに撮影者が「見たまま」に出力される事になる。逆に言えば、ある人物を写真で撮ったとき、撮影者との人間関係も推察できるようになると言うことでもある。従来のプログラミングされたモードでは、人物を撮影する環境等をフレームワークとして提示するのみであり、撮影者との人間関係という内容は意味がなかった。しかしこのカメラではその内容も写し出されることになる。
その結果、このカメラの出力となる写真の権威性は著しく落ちることになるのであろうか。その可能性は否定できない。しかし、例えばジャーナリスティックな写真が我々に衝撃的な印象を与え、何らかな行動を我々に促すとき。その写真が撮影者の意図を反映した結果であることは、現在の我々は十分に知っている。さらに主観が入力パラメータとして設定されたとしても、画像が大幅に変わることでもない。リンゴを幾ら撮してもミカンに写ることはないと言うことだ。だから、写真の権威性はそれほど損なわれることもないだろう。
人間とカメラのブラックボックスとの通信はいかにして行われるのであろうか。それは全体の流れで言えば、前記に述べたように、道具と人間の関係が根本から変化する過程の中で行われる。人間は身体機能の拡張において止まることを知らない。具体的に言えば、身体にチップなどを埋め込むことから、外部に装着するまで、様々な仕方があることだろう。チップの埋め込みは既に流れとしてあるが、それらの考察は別途行いたい。
入力パラメータは数多くある、例えばレンズ、露出値、絞り値、シャッター速度、等々である。それらは殆ど数値化が可能なパラメータとなる。最近のカメラの殆どは写真を撮る状況に合わせて、ボタン・スイッチなどで、入力パラメータを自動的に設定できるようになっている。「人物」、「風景」、「ペット」、「スポーツ」等々と、その呼び方はメーカそれぞれだが、概ね同じだと思う。そしてそれらとは別に、オールマイティなモードもあったりする。
これらの一連の入力パラメータ設定プログラムは考えると凄いことかも知れない。例えば「人物」を選んだとき、撮影者が誰でどのような行動と状況・環境の中で写すのかは全く知らない中で、プログラムは「人物」を写すのに適した情報をカメラに入力しているのである。逆に言えば、撮すという人間の行為は、フレームワークとしてプログラミング可能であるということだし、実際にそれは既にカメラに搭載されているのである。
カメラをブラックボックス化し、入力部分と出力部分に切り分けるとき、もう一つ僕にとっては重要なことがある。それはこのブラックボックスは入力パラメータが無くても撮すことが可能だと言うことだ。
そうしたとき、では写真を撮るという行為の主体は一体誰と言うことになってくる。つまりは撮影者はブラックボックスへの入力情報を与えるのみに過ぎなくなるし、それさえもカメラ自体が内包する各プログラムによって代行することが出来る。さらにいえば、今ではブラックボックス内にも様々なプログラムが稼働し、与えられたパラメーター値から、人が見て美しいと思われるように画像を変換している。
おそらく人間が造りだしたにも関わらず、理論も単純なこの道具は、ある意味人間を拒み続けている道具でもある。現行のカメラの流れは誰もが予測できる範囲にある。即ち、デジタル化の方向はさらに進むであろうし、携帯電話内蔵とコンパクト型カメラとデジタル一眼の方向性は違ってくるだろう。携帯電話のカメラは画像の品質は高まるとは思うが、使う側はあくまでも暫定もしくは緊急時の撮影用途になると思う。コンパクト型カメラは高品質化とコンパクト化、及び操作の簡略化は進むことだろう。デジタル一眼は、35mmフルサイズへと拍車がかかり、かつ安価になっていくことと思う。
でも上記の流れは、究極のカメラを考える際には無用の予測でもある。本質的に言えば、カメラのブラックボックス化と入出力のモデルは何ら変わりはないと思うからである。携帯電話搭載のカメラからデジタル一眼の一連の機種の違いは、入力パラメータの数と量の問題にしかならない。
藤子不二雄のマンガに様々な未来のカメラを描いた作品がある。それら荒唐無稽のカメラも、実現可能とは思えないが、前記のカメラのモデルの延長線上にあるので、結果から言えば、カメラと人間の関係は現行のカメラと同等でしか過ぎない。
究極のカメラとは、恐らくカメラのブラックボックスと人間の通信によって得られることになると僕は思う。カメラの話をする前に人間の身体の新たなデザインの話をすべきかもしれない。人間は様々な道具を造り、身体機能の拡張を行ってきた。でもそれらの道具とは、たとえて言えばマジンガーZのポッドもしくは、鉄人28号のリモコン装置のようなものでしかなかった。それらは入力に対する結果を行動もしくはメッセージで人間に通知するのみだった。
今回飲酒運転事故をメーカ側から防止する提案として、アルコール濃度を車のセンサーが感知して一定濃度であれば車が動かない機能を追加する旨の記事を読んだ。これはおそらく今までにない、新たな道具と人間の関係を構築するとっかかりになるように思う。今まで人間の健康状態を入力パラメータとして受け入れる道具は、一般市販には無かったように思えるのである。
カメラと人間との通信は、ブラックボックスへの入力パラメーターに、操作する人間の主観が新たに加わることになる。その結果、カメラは様々な入力パラメータを直に設定することなく、文字通りに撮影者が「見たまま」に出力される事になる。逆に言えば、ある人物を写真で撮ったとき、撮影者との人間関係も推察できるようになると言うことでもある。従来のプログラミングされたモードでは、人物を撮影する環境等をフレームワークとして提示するのみであり、撮影者との人間関係という内容は意味がなかった。しかしこのカメラではその内容も写し出されることになる。
その結果、このカメラの出力となる写真の権威性は著しく落ちることになるのであろうか。その可能性は否定できない。しかし、例えばジャーナリスティックな写真が我々に衝撃的な印象を与え、何らかな行動を我々に促すとき。その写真が撮影者の意図を反映した結果であることは、現在の我々は十分に知っている。さらに主観が入力パラメータとして設定されたとしても、画像が大幅に変わることでもない。リンゴを幾ら撮してもミカンに写ることはないと言うことだ。だから、写真の権威性はそれほど損なわれることもないだろう。
人間とカメラのブラックボックスとの通信はいかにして行われるのであろうか。それは全体の流れで言えば、前記に述べたように、道具と人間の関係が根本から変化する過程の中で行われる。人間は身体機能の拡張において止まることを知らない。具体的に言えば、身体にチップなどを埋め込むことから、外部に装着するまで、様々な仕方があることだろう。チップの埋め込みは既に流れとしてあるが、それらの考察は別途行いたい。
2006/10/10
小学校英語の必修化について、日本語を少しだけ考える
正直言えばこの話題には強い関心は持っていない。ただ伊吹文明文部科学相の発言から、自分の中で渦巻いている靄のようなものがあって、それがある程度晴れた時に、浮かび上がってきたものは少しだがある。今回、それを纏めるつもりでブログに書こうと思った。
「美しい日本語」と誰かが言えば、それに対して何かを言う事はないが、気持ちの中で苦笑を禁じ得ないのも事実である。「美しい日本語」と語る人達は、おそらく僕などよりも強く「日本語」という言語を知っているのだろう。「美しい日本語」は「美しい」基準がなければ語ることは出来ないし、なおかつ、「日本語」の定義も意識していなければならない。
僕はその両者について全くと言っていいほど不明である。さらに「日本語」を語る際に、それが声に出して発する言語に重きをおいているのか、文章としての言語に重きをおいているのかについても、語って欲しいと思うが、様々な新聞記事を読んでも、それらが明確になったためしもない。
一般論で言えば、「日本語」が日本語と命名されたのは、明治維新後であると思うが、それは間違いなのだろうか。そう言う疑問を持ったのは2006年10月9日の産経新聞社説に以下の一文があったからである。
維新以前は、例えば徳川幕府の体制では国毎に話し言葉は違い、敬語についてもその国毎によって違いはあったと思っている。まさしく維新後における言語の統一があり、統一言語を「日本語」と定めたのは、「古代から現代に続く日本語」の幻想を広める為だと思うのである。
そしてその上に「美しい」という形容詞が繋がれば、一体何を言わんかや、である。言語とは、近代においてどうしようもなく政治をその中に内包している。
だからこそ、僕は日本語についての話題に関心が持てないのである。しかし言葉の意味とは、過去の文章にはなく、また連綿と繋がっているという幻想の中にあるのでもない。
今現在僕等がここで生きてコミュニケートしているという、現在性の中にこそあると思うのである。前置きが長くなってしまった。
それは企業内でのスキル育成の為の教育を行う際に、必ず出る否定者の答弁にちかい。「子供のころからやりたい人は個人的にやる」というが、小学低学年の頃から「やりたい」意識をもつ子供は少ないのではないだろうか。親たちが子供のために、なんとか英語を好きになって欲しいという願いから、様々な学習塾に通わせることで、子供達は英語を学習しているが現状なのではないだろうか。
何故親たちが子供に英語を学ばせるのか?それは現在の状況を、おそらく伊吹文明文部科学相よりも的確に押さえているからに他ならない。英語の必要性をあえてここで語ることが野暮に見えるほど、それは明らかだと思う。問題なのは、子供達に英語を私費で学ばせる事が出来る親たちではない。格差社会で、それをやりたくても出来ない親たちの事である。
今後ますます英語の必要性は当然視されていくことだろう。その中で出遅れる子供達が、さらに広まる英語での情報拡大の流れに、結果的に取り残され、格差社会の中で、その中から抜け出せない人達が多く出るようにも思えるのである。
無論、一人一人の子供達を見れば、教育に関して、通り一遍に言えないのは承知している。しかし僕自身が誤っているせいかもしれないが、この視点での賛成論が少なかったので語ってみた。維新後、日本の公用語を英語にすべきとか、第二公用語としてエスペラント語を使うべきとか、表音に近いローマ字表記に統一すべきとか、様々な意見が出された。その際に、英語ではなく日本語が、そのまま使われるようになった大きな理由は、英語を学ぶことが出来る時間を有する知識人が情報を所有することで権力を得ることになり、そこに差別が発生するという恐れからだった。
しかし、現在では逆に英語を知らない事による情報格差はあると思うし、維新時の恐れは、
英語と日本語が逆になり存在していると思うのである。そして、それらを今後どうしていくのかを考える視点が、小学校英語必修化論議に必要だと僕には思っている。
「美しい日本語が話せず書けない」という、また別の意見では、小中学校で覚える漢字数が少ないともある。維新以後の言文一致の言語世界では、話し言葉に引きずられる形で文章も合わさる。それは致し方ない事だと思う。さらに、この国において、明治維新後から現在に続く日本語政策の流れは、漢字廃止と語彙の簡略化にあったと思う。その流れで現在に至ったとすれば、現在の政治家の語りは、その流れの反省の中から産まれるべきだと僕には思えるが、彼等の語りに理念などはなく、ただこの国に住む人々に要求するのみである。
漢字廃止論は、漢字という中国の文字を使っている事も理由の一つにあげられる。逆に言えば、日本語は思想・技術などを受け入れる国の言葉を使うのであって、現在で言われる「カタカナ言葉」もその類だと思う。抽象的な言葉は殆どが漢字と言うが、それは中国からの思想を受け入れた結果であり、「カタカナ言葉」を使う事と本質的には何ら変わらないと僕には思える。その上で漢字廃止論は、言語に内包する政治性による振り子の関係でもある。今まで大きく漢字側に振られていたのが、維新後に中国から西洋に目を向ける事で、逆に西洋に大きく振られる。
今度は西洋に大きく振られたのが、また中国というか東洋に振り戻されるのだろうか。そう言った意味で、現在の様々な「日本語」に関する話題は、右傾化の眼差しで見るべきではなく、大雑把に言えば、西洋というか米国との関係性の中で見るべきだと僕には思える。また日本語の簡略化も維新後に議論されてきているが、最初に実施したのは日本帝国陸軍であった。陸軍は武器の使用方法を難しい漢字でなく、ひらがなで簡単に記述することで、スキルの統一を図った。話を元に戻す。
ところで、小学校英語の必修化の問題点として、大きく二つのことがあげられている。
一つめは、「週1回の授業でどの程度の英語力が身に付くのか」ということ。しかも必修となるのは小学高学年からだという。
二つめは、「公務員の総人件費が厳しく抑制される中で必要な教員の確保など条件整備は可能なのか」ということ。
正直に言えば、いくら英語必修化賛成と言っても、現実としてはこの程度であるから、問題化する意味もない。これでは他言語の学習にはほど遠い。いみじくも伊吹文明文部科学相が語る「小学校は外国語に興味を持つ程度にとどめるべきだ」のレベルに近い様にも思える。それであれば、何故彼は反対しているのだろうか。もう少し徹底して実施して欲しいと願わずにはいられない。
ところで、蛇足だが、いままで僕が人から教わった文章の書き方として、1)簡潔に、2)読んで欲しい方にわかる言葉(単語とか言い回し)で、3)起承転結は大事、4)一つの文章に多くの内容を載せない、5)結論(言いたいこと)は明確に、6)文にはリズム感が必要、7)文章の中では「です」「ます」などの統一、等があったと思う。
「美しい日本語」の書き方として、上記と何か変わる点があるのだろうか。所謂名文と呼ばれる文章は、書き方として変則的なものも多い。しかも現代的な視点では面白味にも欠ける。「美しい日本語」の例として、何を掲げるのか楽しみでもある。皮肉でも何でもなく、
好奇心からそう思っている。
「美しい日本語」と誰かが言えば、それに対して何かを言う事はないが、気持ちの中で苦笑を禁じ得ないのも事実である。「美しい日本語」と語る人達は、おそらく僕などよりも強く「日本語」という言語を知っているのだろう。「美しい日本語」は「美しい」基準がなければ語ることは出来ないし、なおかつ、「日本語」の定義も意識していなければならない。
僕はその両者について全くと言っていいほど不明である。さらに「日本語」を語る際に、それが声に出して発する言語に重きをおいているのか、文章としての言語に重きをおいているのかについても、語って欲しいと思うが、様々な新聞記事を読んでも、それらが明確になったためしもない。
一般論で言えば、「日本語」が日本語と命名されたのは、明治維新後であると思うが、それは間違いなのだろうか。そう言う疑問を持ったのは2006年10月9日の産経新聞社説に以下の一文があったからである。
指針案が指摘するように、敬語は古代から現代に至る日本語の歴史の中で一貫して重要な役割を担ってきた。指針案とは文化審議会の分科会である敬語小委員会が公開した「敬語に関する具体的な指針」のことである。僕の拙い日本語の歴史では、維新後に東京の中流階級の言葉を標準語を定め、その標準語から文法を確定したと思っている。そしてそれらは言文一致と同時になされたとも思っている。
維新以前は、例えば徳川幕府の体制では国毎に話し言葉は違い、敬語についてもその国毎によって違いはあったと思っている。まさしく維新後における言語の統一があり、統一言語を「日本語」と定めたのは、「古代から現代に続く日本語」の幻想を広める為だと思うのである。
そしてその上に「美しい」という形容詞が繋がれば、一体何を言わんかや、である。言語とは、近代においてどうしようもなく政治をその中に内包している。
だからこそ、僕は日本語についての話題に関心が持てないのである。しかし言葉の意味とは、過去の文章にはなく、また連綿と繋がっているという幻想の中にあるのでもない。
今現在僕等がここで生きてコミュニケートしているという、現在性の中にこそあると思うのである。前置きが長くなってしまった。
中央教育審議会が検討している小学校英語の必修化について伊吹文明文部科学相は27日、産経新聞など報道各社のインタビューで 「必修化する必要はまったくない。美しい日本語が話せず書けないのに、外国語をやっても駄目だ。子供のころからやりたい人は個人的にやる。小学校は外国語に興味を持つ程度にとどめるべきだ」と話し、必修化の必要性を否定する見解を示した。僕自身は小学校の英語必修化は賛成である。しかも語学学習を始めるのは早ければ早いほど良い。賛成の理由は色々とある。しかしその前に伊吹文明文部科学相のこの答弁には生活感というものが伝わってこない。でも僕はこの言い分に聞き覚えがある。
(産経新聞 9月28日より引用)
それは企業内でのスキル育成の為の教育を行う際に、必ず出る否定者の答弁にちかい。「子供のころからやりたい人は個人的にやる」というが、小学低学年の頃から「やりたい」意識をもつ子供は少ないのではないだろうか。親たちが子供のために、なんとか英語を好きになって欲しいという願いから、様々な学習塾に通わせることで、子供達は英語を学習しているが現状なのではないだろうか。
何故親たちが子供に英語を学ばせるのか?それは現在の状況を、おそらく伊吹文明文部科学相よりも的確に押さえているからに他ならない。英語の必要性をあえてここで語ることが野暮に見えるほど、それは明らかだと思う。問題なのは、子供達に英語を私費で学ばせる事が出来る親たちではない。格差社会で、それをやりたくても出来ない親たちの事である。
今後ますます英語の必要性は当然視されていくことだろう。その中で出遅れる子供達が、さらに広まる英語での情報拡大の流れに、結果的に取り残され、格差社会の中で、その中から抜け出せない人達が多く出るようにも思えるのである。
無論、一人一人の子供達を見れば、教育に関して、通り一遍に言えないのは承知している。しかし僕自身が誤っているせいかもしれないが、この視点での賛成論が少なかったので語ってみた。維新後、日本の公用語を英語にすべきとか、第二公用語としてエスペラント語を使うべきとか、表音に近いローマ字表記に統一すべきとか、様々な意見が出された。その際に、英語ではなく日本語が、そのまま使われるようになった大きな理由は、英語を学ぶことが出来る時間を有する知識人が情報を所有することで権力を得ることになり、そこに差別が発生するという恐れからだった。
しかし、現在では逆に英語を知らない事による情報格差はあると思うし、維新時の恐れは、
英語と日本語が逆になり存在していると思うのである。そして、それらを今後どうしていくのかを考える視点が、小学校英語必修化論議に必要だと僕には思っている。
「美しい日本語が話せず書けない」という、また別の意見では、小中学校で覚える漢字数が少ないともある。維新以後の言文一致の言語世界では、話し言葉に引きずられる形で文章も合わさる。それは致し方ない事だと思う。さらに、この国において、明治維新後から現在に続く日本語政策の流れは、漢字廃止と語彙の簡略化にあったと思う。その流れで現在に至ったとすれば、現在の政治家の語りは、その流れの反省の中から産まれるべきだと僕には思えるが、彼等の語りに理念などはなく、ただこの国に住む人々に要求するのみである。
漢字廃止論は、漢字という中国の文字を使っている事も理由の一つにあげられる。逆に言えば、日本語は思想・技術などを受け入れる国の言葉を使うのであって、現在で言われる「カタカナ言葉」もその類だと思う。抽象的な言葉は殆どが漢字と言うが、それは中国からの思想を受け入れた結果であり、「カタカナ言葉」を使う事と本質的には何ら変わらないと僕には思える。その上で漢字廃止論は、言語に内包する政治性による振り子の関係でもある。今まで大きく漢字側に振られていたのが、維新後に中国から西洋に目を向ける事で、逆に西洋に大きく振られる。
今度は西洋に大きく振られたのが、また中国というか東洋に振り戻されるのだろうか。そう言った意味で、現在の様々な「日本語」に関する話題は、右傾化の眼差しで見るべきではなく、大雑把に言えば、西洋というか米国との関係性の中で見るべきだと僕には思える。また日本語の簡略化も維新後に議論されてきているが、最初に実施したのは日本帝国陸軍であった。陸軍は武器の使用方法を難しい漢字でなく、ひらがなで簡単に記述することで、スキルの統一を図った。話を元に戻す。
ところで、小学校英語の必修化の問題点として、大きく二つのことがあげられている。
一つめは、「週1回の授業でどの程度の英語力が身に付くのか」ということ。しかも必修となるのは小学高学年からだという。
二つめは、「公務員の総人件費が厳しく抑制される中で必要な教員の確保など条件整備は可能なのか」ということ。
正直に言えば、いくら英語必修化賛成と言っても、現実としてはこの程度であるから、問題化する意味もない。これでは他言語の学習にはほど遠い。いみじくも伊吹文明文部科学相が語る「小学校は外国語に興味を持つ程度にとどめるべきだ」のレベルに近い様にも思える。それであれば、何故彼は反対しているのだろうか。もう少し徹底して実施して欲しいと願わずにはいられない。
ところで、蛇足だが、いままで僕が人から教わった文章の書き方として、1)簡潔に、2)読んで欲しい方にわかる言葉(単語とか言い回し)で、3)起承転結は大事、4)一つの文章に多くの内容を載せない、5)結論(言いたいこと)は明確に、6)文にはリズム感が必要、7)文章の中では「です」「ます」などの統一、等があったと思う。
「美しい日本語」の書き方として、上記と何か変わる点があるのだろうか。所謂名文と呼ばれる文章は、書き方として変則的なものも多い。しかも現代的な視点では面白味にも欠ける。「美しい日本語」の例として、何を掲げるのか楽しみでもある。皮肉でも何でもなく、
好奇心からそう思っている。
2006/10/08
moo mini cards
Flickrには投稿したユーザの写真を楽しめる様々な外部印刷サービスがある。
その中の一つ「moo mini cards」が事業開始キャンペーンとして、FlickrのProユーザー向けに無料で10枚作成できるというので依頼していた。
実を言えば、依頼したのが一ヶ月近く前だったので完全に忘失していた。だから英国からのエアメールを見たときは、覚えがないので、何か新手のDMか何かだと思った。でも好奇心から開封し中を見たとき、依頼したことを含めてすっかりと思い出した。期待していなかった分、僕にとっては素敵なプレゼントだった。
「moo mini cards」については、上部の写真を見ればどの様なモノかがわかると思う。写真が印刷されているが、それらは総て僕がFlickrに投稿した写真となる。「moo mini cards」では、申し込みの際に、Flickrに投稿した写真を選択し、印刷範囲を決め、そして裏面に何を印字するかを決める。
「moo mini cards」の一枚はちょうど少し幅広のガムという感じの大きさ(28mm x 70mm)で、厚みがあり、裏面の印字欄を上手く使えば、ちょっとした名刺代わりになる。表面の写真と相まって、受け取る方も普通の名刺よりは、受ける印象もより強いかも知れない。
写真の印刷品質は、光沢なしの絹目調という雰囲気で、品質も高く(極めてというわけではない)、名刺代わりのカードの用途として使うのであれば十分だと思う。何よりも、カード一枚毎に自分が撮した写真が表面を飾るのであるから、愛着はひとしおで、それは名刺と較べようがない。
ただ「moo mini cards」にすべく写真を選択する際、写真はカードの大きさに縛られることになる。28mm x70mmの大きさは、通常であれば、撮した写真が総て印刷出来ない。つまり、選択した写真の何処を印刷するかを決めなければいけなくなる。そこで問題となるのが、写真全体を使って構成し撮した写真は、カード化したとき、思った以上に良い結果にならないと言うことだ。
結論から言えば、良く見える(美しい)カードを作るには、カードの大きさに則した構図の写真を選択した方がよい。まぁ、それほど悩む問題ではないが、多少の考慮が必要ということである。
それに「moo mini cards」の写真選択から発注までの流れが、しっかりと造り込まれていて操作がとても気持ちよかった。勿論途中で選択写真の変更なども直感的にできる。この操作感を興味が有れば実際に味わって欲しい。
すっかりと「moo mini cards」を気に入ってしまった僕は、こういう事だったら、裏面に印字する内容をもっときちんとすべきだったと後悔した。そこで再度発注(有料)することにした。100枚で19.99ドル、しばらく送料は無料とのこと、僕は満足感を考えれば決して高いとは思わない。
今度は忘れることはないだろう。発注したのは昨日だが、今から首を長くして待っている。
追記:無料10枚作成キャンペーンは既に終了していました。
2006/10/04
映画「8月のクリスマス」 日韓作品の違い
たまたま映画「8月のクリスマス」について日韓双方の作品を続けてみた。元の映画は勿論韓国であり、日本作品がリメイクとなる。総じて言えば、日本のリメイク版は韓国の元映画を忠実にトレースしていて、結果的に両方とも良い映画だとは思う。
ハリウッドによるリメイクがいわばWASP好みに設定及びストーリーが変更される事が多いのと違い、この忠実なトレースは見事としか言いようがない。
逆に言えば、韓国元映画が醸し出す空気が、そのまま日本においても受け入れられると、少なくとも監督はそう考えたと思わずにはいられないし、確かにそれは僕にとっては事実であったのも間違いない。
ただ双方を続けてみて、僕の目からは、それでもやはり元映画の韓国作品の方が上であると思った。上下の問題ではないかも知れない。さらにリメイクは所詮元映画を指向するわけだから、元映画を忠実にトレースすればするほど、元映画の方が面白く感じられる、という世界に自分が入っているのかもしれない。
「8月のクリスマス」において、ポイントは5つあると僕は思う。
一つめは、雨の中、一つのカサで主人公とヒロインが共に帰り、ヒロインが主人公を男性として意識する場面。
二つめは、ヒロインは転勤で主人公の住んでいる町から離れなくてはならず、しかも主人公には逢えない状況の中で、失恋を感じ泣く場面。
三つめは、ヒロインが主人公の店に、感情が高まり、石を投げ店のガラスを割る場面。
四つめは、主人公が小康を得て、しかし確実に死を悟るが、それでもヒロインに逢いたくて、彼女が転勤した先を訪れる場面。
五つめは、ヒロインが主人公の写真屋に飾られている自分の写真を見て微笑む場面。
大ざっぱに言えば、上記一つめと二つめは日韓両作品に違いは少ない。場面によっては日本版の方が丁寧に描かれ、納得する事も多い。しかし、それ以降は韓国作品の方がより僕の情感に訴えるものがあった。
三つめの石を投げる場面では、韓国作品の絶妙な間の取り方に脱帽をする。そしてその間でのヒロインの心の動きが見る者に伝わってくるようにも思える。(日本作品は石を投げる迄の間はほとんどない)
四つめの場面はこの映画でもよく知られている。主人公が喫茶店の窓越しにヒロインを眺める場面で、主人公は彼女を思う気持ちから、窓に見える彼女を指で愛おしそうにたどる。日本作品の場合は、ヒロインの設定上の理由からか、そういう主人公の気持ちを反映する仕草は殆どない。
五つめは、この映画の中で最も重要な場面とも言える。この彼女の微笑みは、韓国作品のそれと日本作品のそれとは意味合いが違う。これについて言えば、その前段にある、主人公が書く彼女宛の手紙の内容と行方が問題となってくる。
はたして主人公が書いた手紙はヒロインに届いたのであろうか。手紙の内容は、その前にヒロインが主人公宛に書いた手紙に呼応することになる。両映画ともヒロインの手紙の内容は一切明らかにされることがない。推し量るのは主人公が書いた手紙で、つまりは、この二通の手紙はコインの表と裏とも言える。
韓国作品の場合、主人公が書いた手紙はヒロインに届けられる事がないかのように僕には思えた。理由は、手紙を住所が書かれている封書に入れてはいない。つまりは後から遺族が見ても誰宛か特定できない。ヒロインの写真は、小箱の中に収めた主人公の形見の中で、横にして入れられているので、写真の重みが遺族に伝えきれず、封書の宛名がヒロインと結びつける事が困難、と思うからである。
日本作品の場合、手紙は宛名が書かれている封書に入れられる。しかも小箱は形見が平積みされていて、その一番上に彼女の写真が置かれているので、遺族から見ると写真の重みが伝わる。よって、主人公の妹は兄の意志として手紙を彼女に送るのである。手紙に書かれていることは、韓国作品のそれと違い、率直に愛を語る内容になっている。しかも自分の死が近いことも十分にヒロインに伝えている。
5つめの場面を結論から言えば、韓国作品の場合、ヒロインは主人公の死を知らない。そして彼女は失恋を乗り越え、しかも写真店に自分の写真が飾られているのを発見し、二人の恋が実らなかったとはいえ、お互いに良い記憶として残っている事がわかり、写真を見て微笑む。その笑顔には屈託がない、しかも以前の少女の様な幼さもなく成人した一人の女性としての微笑みである。
日本作品の場合、ヒロインは主人公の死を知っている(と思われる)。自分が失恋したと思っていたのは、主人公の病気が理由で、実際は主人公は自分のことを愛していたと気が付いている。ゆえに、彼女は一つの愛を得ると同時に、一つの愛を喪失している。しかしそれらを乗り越えた彼女は、写真館に飾られた自分の写真を見て、一つの思い出として微笑む。
しかし、上記の日本作品の設定は、僕にとっては無理がある。病気を知らずとはいえ、彼女は石を店に投げるほど感情が高ぶっていた。その気持ちは主人公の病死と共に昇華することはなく、逆に強い自分へのわだかまりとなって残るのではないだろうか。勿論人それぞれなのだが、日本作品の場合、僕にとってはヒロインの心の動きが都合良すぎると感じるのである。
さらに言えば、日本作品の中で、主人公がヒロイン宛に書いた手紙の内容が濃いのは、四つめの場面が描かれなかったゆえに、手紙で主人公の気持ちを伝える必要があったからと推測する。もし日本作品でも四つ目の場面が描かれていたらと、つい考えてしまう。
僕にとって日本作品の中で、元映画の韓国作品より確実に勝っていたと言えるのは音楽である。最終に流れる山崎まさよしの主題歌は素晴らしかった。
今回はあえて俳優の演技力には言及しなかった。
しかもこのブログの話題、時流にもなにも乗っていないし、マニアックかも知れない(誰が読むのだろう 笑)が、メモとして残した。
ハリウッドによるリメイクがいわばWASP好みに設定及びストーリーが変更される事が多いのと違い、この忠実なトレースは見事としか言いようがない。
逆に言えば、韓国元映画が醸し出す空気が、そのまま日本においても受け入れられると、少なくとも監督はそう考えたと思わずにはいられないし、確かにそれは僕にとっては事実であったのも間違いない。
ただ双方を続けてみて、僕の目からは、それでもやはり元映画の韓国作品の方が上であると思った。上下の問題ではないかも知れない。さらにリメイクは所詮元映画を指向するわけだから、元映画を忠実にトレースすればするほど、元映画の方が面白く感じられる、という世界に自分が入っているのかもしれない。
「8月のクリスマス」において、ポイントは5つあると僕は思う。
一つめは、雨の中、一つのカサで主人公とヒロインが共に帰り、ヒロインが主人公を男性として意識する場面。
二つめは、ヒロインは転勤で主人公の住んでいる町から離れなくてはならず、しかも主人公には逢えない状況の中で、失恋を感じ泣く場面。
三つめは、ヒロインが主人公の店に、感情が高まり、石を投げ店のガラスを割る場面。
四つめは、主人公が小康を得て、しかし確実に死を悟るが、それでもヒロインに逢いたくて、彼女が転勤した先を訪れる場面。
五つめは、ヒロインが主人公の写真屋に飾られている自分の写真を見て微笑む場面。
大ざっぱに言えば、上記一つめと二つめは日韓両作品に違いは少ない。場面によっては日本版の方が丁寧に描かれ、納得する事も多い。しかし、それ以降は韓国作品の方がより僕の情感に訴えるものがあった。
三つめの石を投げる場面では、韓国作品の絶妙な間の取り方に脱帽をする。そしてその間でのヒロインの心の動きが見る者に伝わってくるようにも思える。(日本作品は石を投げる迄の間はほとんどない)
四つめの場面はこの映画でもよく知られている。主人公が喫茶店の窓越しにヒロインを眺める場面で、主人公は彼女を思う気持ちから、窓に見える彼女を指で愛おしそうにたどる。日本作品の場合は、ヒロインの設定上の理由からか、そういう主人公の気持ちを反映する仕草は殆どない。
五つめは、この映画の中で最も重要な場面とも言える。この彼女の微笑みは、韓国作品のそれと日本作品のそれとは意味合いが違う。これについて言えば、その前段にある、主人公が書く彼女宛の手紙の内容と行方が問題となってくる。
はたして主人公が書いた手紙はヒロインに届いたのであろうか。手紙の内容は、その前にヒロインが主人公宛に書いた手紙に呼応することになる。両映画ともヒロインの手紙の内容は一切明らかにされることがない。推し量るのは主人公が書いた手紙で、つまりは、この二通の手紙はコインの表と裏とも言える。
韓国作品の場合、主人公が書いた手紙はヒロインに届けられる事がないかのように僕には思えた。理由は、手紙を住所が書かれている封書に入れてはいない。つまりは後から遺族が見ても誰宛か特定できない。ヒロインの写真は、小箱の中に収めた主人公の形見の中で、横にして入れられているので、写真の重みが遺族に伝えきれず、封書の宛名がヒロインと結びつける事が困難、と思うからである。
日本作品の場合、手紙は宛名が書かれている封書に入れられる。しかも小箱は形見が平積みされていて、その一番上に彼女の写真が置かれているので、遺族から見ると写真の重みが伝わる。よって、主人公の妹は兄の意志として手紙を彼女に送るのである。手紙に書かれていることは、韓国作品のそれと違い、率直に愛を語る内容になっている。しかも自分の死が近いことも十分にヒロインに伝えている。
5つめの場面を結論から言えば、韓国作品の場合、ヒロインは主人公の死を知らない。そして彼女は失恋を乗り越え、しかも写真店に自分の写真が飾られているのを発見し、二人の恋が実らなかったとはいえ、お互いに良い記憶として残っている事がわかり、写真を見て微笑む。その笑顔には屈託がない、しかも以前の少女の様な幼さもなく成人した一人の女性としての微笑みである。
日本作品の場合、ヒロインは主人公の死を知っている(と思われる)。自分が失恋したと思っていたのは、主人公の病気が理由で、実際は主人公は自分のことを愛していたと気が付いている。ゆえに、彼女は一つの愛を得ると同時に、一つの愛を喪失している。しかしそれらを乗り越えた彼女は、写真館に飾られた自分の写真を見て、一つの思い出として微笑む。
しかし、上記の日本作品の設定は、僕にとっては無理がある。病気を知らずとはいえ、彼女は石を店に投げるほど感情が高ぶっていた。その気持ちは主人公の病死と共に昇華することはなく、逆に強い自分へのわだかまりとなって残るのではないだろうか。勿論人それぞれなのだが、日本作品の場合、僕にとってはヒロインの心の動きが都合良すぎると感じるのである。
さらに言えば、日本作品の中で、主人公がヒロイン宛に書いた手紙の内容が濃いのは、四つめの場面が描かれなかったゆえに、手紙で主人公の気持ちを伝える必要があったからと推測する。もし日本作品でも四つ目の場面が描かれていたらと、つい考えてしまう。
僕にとって日本作品の中で、元映画の韓国作品より確実に勝っていたと言えるのは音楽である。最終に流れる山崎まさよしの主題歌は素晴らしかった。
今回はあえて俳優の演技力には言及しなかった。
しかもこのブログの話題、時流にもなにも乗っていないし、マニアックかも知れない(誰が読むのだろう 笑)が、メモとして残した。
2006/08/18
イヌイヒサコ氏の「線」から思うアートのこと
二人のアーティストによるユニット「flugsamen/飛行種子」の初回展に行き、イヌイヒサコ氏の作品に出会った。この展覧会では、僕を捕らえた色々な作品がある。フクシマセツコ氏の作品はブログと彼女の公式サイトにより少しは見知っていて、そのスタイルに興味を持っていた。そして実際に見たいという欲求は常にあったし、展覧会はそれに応えてくれた。
無論、今回の展覧会に提示した作品がフクシマセツコ氏の総てではないが、「flugsamen/飛行種子」の範囲の中で、ある意味自己紹介的な要素で提示してくれたという思いは持っている。そしてその展示会の中にイヌイヒサコ氏の作品も当然にあったわけで、初めて鑑賞する彼女の作品に、僕はフクシマセツコ氏の作品と同様に捕らえられた。それは嬉しい出会いであったが、同時に一つの戸惑いでもあった。
イヌイヒサコ氏の作品で印象的なのは、展覧会の部屋の角に展示していた一連の「線」の作品である。無造作にスケッチブックから引きはがされた複数枚の白い用紙に描かれた「線」の前で暫し僕は佇んだ。そしてその「線」の意味を捉えようとする自分の意識を感じたのであった。それはイヌイヒサコ氏の「線」が何かであることを、自分の中で立証しようとする心持ちではあるが、それは逆に僕自身がイヌイヒサコ氏の「線」に戸惑いを感じたのが根底にあるのだと思う。僕の戸惑いは一体何だったのだろう。正直に言えば、それは今でもわからない。
意味を掴もうとする僕の意識は一瞬であり、そして作品を見つめ続ける中で、戸惑いも自分の中で折り合いを付けて収まっていく、そんな過程を短い時間の中で感じていたのである。 僕自身のアートに対するスタンスを言えば、作品を解釈しようなどとは少しも思わないし、イヌイヒサコ氏の「線」の意味を考えることは無意味なことだとも思う。解釈とは、自分の中の「戸惑い」を巧妙に論理で隠す作業に他ならないかもしれない。しかし浮かび上がるのは、解釈を行った者の世界でしかない。
僕が「線」と感じるのは、イヌイヒサコ氏のスタイルに他ならない。そしてそのスタイルは、 彼女が意識して辿り着いたのではなく、アーティストとしての感受性が、彼女を取り巻く世界の中で、自然に成り立ったのだとも想像する。イヌイヒサコ氏のスタイルの意味を論理的に展開することは意味がない。感受性には感受性を持って語るしかないのだと僕は思うのだ。
おそらく僕の感受性は、イヌイヒサコ氏の「線」の前で多少なりとも混乱したのだろう。それが一瞬たりとはいえ、彼女の作品の前で、自分が構築する意味にすがろうとした心情なのだと、今の僕はそう思う。
***********
問いは常に自分に対して向けられる。 それはある意味僕の癖なのかもしれない。
「何故僕はこの作品に捕らえられているのか」
僕は少し前まで、特に文学に対してなのだが、こう思っていた。即ち「作者は自分が造った物を時として全く理解していない」。今でもこの考えは自分の中に残留している。そして今僕はこの考えを躍起になって消去しようと試みている。お前は作品を理解したのか、さらに「理解する」とはどのような状態を言うのか、矢継ぎ早に続けて繰り出される自問に、僕は言葉が少なくなる。そしてこれらの自問が、僕自身の中に残留している一つの考えを、少しずつではあるが、打ち砕いていくのである。
「理解する」とは、認めると言うことだと僕は思う。そしてその「認める」とは、自分の世界に取り込むことではなく、自分の外部の存在として認めるということだと思うのだ。自分の世界に取り込むこと、それは従前の解釈と同根となる。そしてそれは容易いことなのだと僕は思う。誰でも自分の世界を語るときは雄弁になるし、それを否定されれば、躍起になり否定した相手を倒そうとする。
無論、議論を必要とする場はある。しかしそれはアートの世界では、全くないとは言わないが、それでも少ないのではないかと僕は思う。外部の存在として認めることは、少なくとも僕自身の感性の枠を広げてくれる。そしてそれこそが、様々なアートが担っている力だと僕は思う。
***************
イヌイヒサコ氏の「線」には「熱」というものがない。ここでいう「熱」とは、人間の強い情動を伴う感情の発露のことを言う。間違っているかも知れないが、彼女は「線」の中に何も含ませてはいない、そんなふうに僕には思える。一歩下がった中で描かれている「線」、だからこそ僕はイヌイヒサコ氏の描く「線」に好悪の感情もなく、しかしだからといって、
何も感じないかと言えばそんなことはない。
イヌイヒサコ氏のサイト「線-集積するものへ」のトップページに描かれている「線」が好きだ。どのようにすればあの様な「線」が描けるのか不思議に思う。
そしてサイトの「線」は、僕が「飛行種子」の展覧会で見たあの「線」とも違っている。
展覧会の「線」は好きとも嫌いとも、そういう一切の感情を持つことはなかった。しかし、サイトに紹介している「線」は、一目見たときから好印象を僕にもたらせた。サイトの「線」、それは渦を描く「線」、飛び交い、分散し、そして一つになる。あたかも遺伝子情報だけが与えられた、素朴な、だからこそ行動に迷いもない、一個の生物のように見えてくる。
しかし展覧会の「線」は、もっと無機質である。遺伝子情報よりも物理的法則の方が前面に出ている。サイトの「線」を動物とすれば、展覧会の「線」は植物に近い、そんなふうに感じる。おそらく、サイトの「線」を展覧会に出していれば、僕は戸惑いを持つことはなかったように思えてくる。
表層を物理的な法則に従って滑るだけの線。そこには僅かな意志が存在するが、しかし内部深くに染みこむことも、外部に突き出ることも、僕には想像することが出来ない「線」。しかしそれでいて、展覧会の「線」は確かに白壁に存在していた。
***************
「飛行種子」の展覧会に出品したイヌイヒサコ氏の「本」。市販している書籍の単語に印を付けることで、別の意味をその本に与える。美術と言うよりは、パフォーマンスアートに近い作品を見たときに、彼女のメッセージ性の強さを感じた。しかし展覧会の「線」にはメッセージ性は少しも感じない。ただそこにあるのはスタイルとしてのアートだったと僕は思う。
無論、今回の展覧会に提示した作品がフクシマセツコ氏の総てではないが、「flugsamen/飛行種子」の範囲の中で、ある意味自己紹介的な要素で提示してくれたという思いは持っている。そしてその展示会の中にイヌイヒサコ氏の作品も当然にあったわけで、初めて鑑賞する彼女の作品に、僕はフクシマセツコ氏の作品と同様に捕らえられた。それは嬉しい出会いであったが、同時に一つの戸惑いでもあった。
イヌイヒサコ氏の作品で印象的なのは、展覧会の部屋の角に展示していた一連の「線」の作品である。無造作にスケッチブックから引きはがされた複数枚の白い用紙に描かれた「線」の前で暫し僕は佇んだ。そしてその「線」の意味を捉えようとする自分の意識を感じたのであった。それはイヌイヒサコ氏の「線」が何かであることを、自分の中で立証しようとする心持ちではあるが、それは逆に僕自身がイヌイヒサコ氏の「線」に戸惑いを感じたのが根底にあるのだと思う。僕の戸惑いは一体何だったのだろう。正直に言えば、それは今でもわからない。
意味を掴もうとする僕の意識は一瞬であり、そして作品を見つめ続ける中で、戸惑いも自分の中で折り合いを付けて収まっていく、そんな過程を短い時間の中で感じていたのである。 僕自身のアートに対するスタンスを言えば、作品を解釈しようなどとは少しも思わないし、イヌイヒサコ氏の「線」の意味を考えることは無意味なことだとも思う。解釈とは、自分の中の「戸惑い」を巧妙に論理で隠す作業に他ならないかもしれない。しかし浮かび上がるのは、解釈を行った者の世界でしかない。
僕が「線」と感じるのは、イヌイヒサコ氏のスタイルに他ならない。そしてそのスタイルは、 彼女が意識して辿り着いたのではなく、アーティストとしての感受性が、彼女を取り巻く世界の中で、自然に成り立ったのだとも想像する。イヌイヒサコ氏のスタイルの意味を論理的に展開することは意味がない。感受性には感受性を持って語るしかないのだと僕は思うのだ。
おそらく僕の感受性は、イヌイヒサコ氏の「線」の前で多少なりとも混乱したのだろう。それが一瞬たりとはいえ、彼女の作品の前で、自分が構築する意味にすがろうとした心情なのだと、今の僕はそう思う。
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問いは常に自分に対して向けられる。 それはある意味僕の癖なのかもしれない。
「何故僕はこの作品に捕らえられているのか」
僕は少し前まで、特に文学に対してなのだが、こう思っていた。即ち「作者は自分が造った物を時として全く理解していない」。今でもこの考えは自分の中に残留している。そして今僕はこの考えを躍起になって消去しようと試みている。お前は作品を理解したのか、さらに「理解する」とはどのような状態を言うのか、矢継ぎ早に続けて繰り出される自問に、僕は言葉が少なくなる。そしてこれらの自問が、僕自身の中に残留している一つの考えを、少しずつではあるが、打ち砕いていくのである。
「理解する」とは、認めると言うことだと僕は思う。そしてその「認める」とは、自分の世界に取り込むことではなく、自分の外部の存在として認めるということだと思うのだ。自分の世界に取り込むこと、それは従前の解釈と同根となる。そしてそれは容易いことなのだと僕は思う。誰でも自分の世界を語るときは雄弁になるし、それを否定されれば、躍起になり否定した相手を倒そうとする。
無論、議論を必要とする場はある。しかしそれはアートの世界では、全くないとは言わないが、それでも少ないのではないかと僕は思う。外部の存在として認めることは、少なくとも僕自身の感性の枠を広げてくれる。そしてそれこそが、様々なアートが担っている力だと僕は思う。
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イヌイヒサコ氏の「線」には「熱」というものがない。ここでいう「熱」とは、人間の強い情動を伴う感情の発露のことを言う。間違っているかも知れないが、彼女は「線」の中に何も含ませてはいない、そんなふうに僕には思える。一歩下がった中で描かれている「線」、だからこそ僕はイヌイヒサコ氏の描く「線」に好悪の感情もなく、しかしだからといって、
何も感じないかと言えばそんなことはない。
イヌイヒサコ氏のサイト「線-集積するものへ」のトップページに描かれている「線」が好きだ。どのようにすればあの様な「線」が描けるのか不思議に思う。
そしてサイトの「線」は、僕が「飛行種子」の展覧会で見たあの「線」とも違っている。
展覧会の「線」は好きとも嫌いとも、そういう一切の感情を持つことはなかった。しかし、サイトに紹介している「線」は、一目見たときから好印象を僕にもたらせた。サイトの「線」、それは渦を描く「線」、飛び交い、分散し、そして一つになる。あたかも遺伝子情報だけが与えられた、素朴な、だからこそ行動に迷いもない、一個の生物のように見えてくる。
しかし展覧会の「線」は、もっと無機質である。遺伝子情報よりも物理的法則の方が前面に出ている。サイトの「線」を動物とすれば、展覧会の「線」は植物に近い、そんなふうに感じる。おそらく、サイトの「線」を展覧会に出していれば、僕は戸惑いを持つことはなかったように思えてくる。
表層を物理的な法則に従って滑るだけの線。そこには僅かな意志が存在するが、しかし内部深くに染みこむことも、外部に突き出ることも、僕には想像することが出来ない「線」。しかしそれでいて、展覧会の「線」は確かに白壁に存在していた。
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「飛行種子」の展覧会に出品したイヌイヒサコ氏の「本」。市販している書籍の単語に印を付けることで、別の意味をその本に与える。美術と言うよりは、パフォーマンスアートに近い作品を見たときに、彼女のメッセージ性の強さを感じた。しかし展覧会の「線」にはメッセージ性は少しも感じない。ただそこにあるのはスタイルとしてのアートだったと僕は思う。
2006/08/16
MEMO 朝顔三十六花選、服部雪斎、朝顔のことなど
朝顔には大別すると大輪と変化の二つに分けられるが、現在では朝顔と言えば殆ど大輪系となる。変化種は絶滅しそうなほど少なく、一部の植物園で保存されるのみとなっている。ただ時代と共に朝顔の流行も、大輪中心と変化中心を繰り返していて、いずれは変化が流行る可能性もあるかもしれない。最近花屋で花部が桔梗型の朝顔が売られているのを見かけ、新鮮な印象を持った。
朝顔は熱帯・亜熱帯地域に原生する植物なので、それらの地域には様々な朝顔の仲間達がいるのも知っている。しかし、黄色い朝顔というのは未だ見かけたことがない。何故黄色い朝顔の話をするかと言えば、江戸時代後期に変化朝顔が流行ったときに、黄色の朝顔が図鑑に載っているのを見かけたからだ。その図鑑とは「朝顔三十六花選」である。
国会図書館のサイトに様々な図版が掲載されている(ギャラリー)のをご存じの方も多いと思う。その中の一つに「江戸時代の博物誌」というコーナーがあり、そこの「第二章 独自の園芸の展開」に載っていた。
この黄色い朝顔を読み解いてみる。黄色い朝顔の画のページ左上に朝顔の名称が書かれている。「変化渦南天葉極黄菊○○切牡丹度サキ」とある。朝顔の名称は、見方としては、交配した遺伝子の組み合わせの名称でもある。
朝顔、特に変化朝顔については次のサイトにで画像として参照することが出来る。
その本によると、維新後、幕府体制下での庇護を離れ、市井の絵師として市ヶ谷に住んだ雪斎は、自らの職業を「写真画」と称したらしい。「写真」という言葉について、本では次のように語る。
江戸と明治の両時代をまたがって雪斎は活躍した。おそらく彼も、画に対する人々の眼差しの変化を、双方の時代の違いとして、感じ取ったことだろう。雪斎がフォトグラフィーとしての写真の存在を知っていた可能性は高い。もしかすれば直に写真を見たこともあるかもしれない。そして、当時の写真技術レベルであれば、自分が描く画と較べ精度の面で、自分の技能の方が優れていると思ったことだろう。しかし、その写真機械の可能性は感じ取ったはずだと僕は思う。
朝顔は熱帯・亜熱帯地域に原生する植物なので、それらの地域には様々な朝顔の仲間達がいるのも知っている。しかし、黄色い朝顔というのは未だ見かけたことがない。何故黄色い朝顔の話をするかと言えば、江戸時代後期に変化朝顔が流行ったときに、黄色の朝顔が図鑑に載っているのを見かけたからだ。その図鑑とは「朝顔三十六花選」である。
国会図書館のサイトに様々な図版が掲載されている(ギャラリー)のをご存じの方も多いと思う。その中の一つに「江戸時代の博物誌」というコーナーがあり、そこの「第二章 独自の園芸の展開」に載っていた。
「アサガオは文化末年から文政初年と弘化末年から文久初年の2回のブームを呼びました。この資料は弘化末年にはじまる第二次ブームの頃のもので、当時主役だった奇妙な形態の花や葉をもつ「変化朝顔」の数々が描かれています。なかにはアサガオとは思えない姿をした花もあります。当時は黄色い花をつけるアサガオもありましたが、現在では失われてしまっています。著者の「万花園」は幕臣の横山正名の号で、図は服部雪斎によるものです。もっとも優れた朝顔図譜といわれ、書名のとおり、36品を所収しています。」その黄色い朝顔の図版はおそらくこれだと思う。
(国立国会図書館 「朝顔三十六花選」の説明文を引用)
確かに朝顔らしからぬ姿をしている。しかし考えようによっては、現在の朝顔も、突然変異(例えば色など、原生は青一色)と品種改良 (花部の直径、原生は小振り)により今の姿になったわけで、おそらく原生種の姿とはかなり異なると思う。
さらに、「朝顔の姿とは何か」の問いに、原生種の姿を求めるのは、何かしら純血主義的な感を持ち、個人的には好まないのもある。生物は、勿論人間も含めて、持続する為に変化していくものだと思うのだ。
この黄色い朝顔を読み解いてみる。黄色い朝顔の画のページ左上に朝顔の名称が書かれている。「変化渦南天葉極黄菊○○切牡丹度サキ」とある。朝顔の名称は、見方としては、交配した遺伝子の組み合わせの名称でもある。
「渦」とは葉の文様の事で、後の「南天葉」にかかる。「南天葉」とは1枚の葉が3つに大きく切り分けられた葉を言う。「極黄」とはおそらく色を示すのではないかと思う。「切」とは花が切れて別れているものをいう。そして「牡丹」とは、まさしく牡丹のような花の形であること、「度サキ」とは二重に咲いている花であることを示す。
朝顔の専門家に言わせると、「朝顔三十六花選」の中で一番の変わりものは、最後のページにある花だそうだ。名称は、「孔雀変化林風極紅車狂追泡花真曼葉数○生」と書いてある。ここまで来れば僕などが読み解くのは難しい。
朝顔、特に変化朝顔については次のサイトにで画像として参照することが出来る。
- アサガオホームページ
(変種朝顔 約1000種の画像参照)
- アサガオ画像データベース
(研究目的であれば画像の利用可能)
- 貝の図譜 「目八譜」
(目と八を組み合わせる貝になる事と、人が傍らから見る事を「八目」と言うことから)
- 食用となる鳥の図譜 「華鳥譜」
(華の字を分解すると、六つの十と一つの一からなる、61種類の鳥の図譜)
- 虫の図譜 「千蟲譜」
- フクロウの図譜 「錦○禽譜」
(○はあなかんむりの「くぼみ」、音読みは「カ」)
- 「写生帖」
- 「写生物類品図」
- 「本草図譜」
- 「雪斎写生草木鳥獣図」
その本によると、維新後、幕府体制下での庇護を離れ、市井の絵師として市ヶ谷に住んだ雪斎は、自らの職業を「写真画」と称したらしい。「写真」という言葉について、本では次のように語る。
もちろん「写真」という言葉は、いわゆる写真、すなわちフォトグラフィーの訳語となるずっと前から、物の「真を写す」という意味で用いられていた。もともと中国の画論からきた概念であるが、中国では花鳥を対象とする「写生」と、道釈人物を対象とするこの「写真」という言葉が使い分けられていたものであったが、日本ではどちらの言葉も山水花鳥人物のいずれにも用いられてきた。
(「幕末・明治の画家たち 文明開化のはざまに」 (ぺりかん社 編者:辻惟雄)から引用)
違う単語同士で同じ意味を持つ言葉はあるが、それぞれの言葉は生活の中で、微妙なニュアンスの違いにより使い分けられているように思う。「写真」と「写生」の違いは、後に「写真」がフォトグラフィーの訳語にのみ使われる経緯により、その両者の違いをうかがい知ることが出来る。
雲停とは雪斎と並び称される博物誌画家 関根雲停(せきねうんてい)である。特に本領は動物画で、その絵は動きに溢れ、「静」の雪斎、「動」の雲停と言われた。幕末から明治初期にかけては、下岡蓮杖や横山松三郎、内田九一といった職業的な「写真師」がすでに活動していた。雲停や雪斎らが博物図譜のために動植物の「写真」をしていた頃には、すでに「写真」は別の意味をもち始めていたのである。
(「幕末・明治の画家たち 文明開化のはざまに」 (ぺりかん社 編者:辻惟雄)から引用)
雪斎の写真画は、現在で言うところのアートではない、と僕は思う。ここで言うアートとは、詩人リルケが語る 「個人の感覚の領域を拡げるため」の機能としての道具、それはまさしくスーザン・ソンタグが60年代後半にアートに対し述べたもの、とした意味と捉えての話である。
無論、現代の尺度で雪斎の画を計るのはフェアではない。しかし同様の評価は、明治になり、彼の博物誌画以外の作品に対し与えられているのである。維新以前は絵に対し、そのような見方をする者はいなかった。
江戸と明治の両時代をまたがって雪斎は活躍した。おそらく彼も、画に対する人々の眼差しの変化を、双方の時代の違いとして、感じ取ったことだろう。雪斎がフォトグラフィーとしての写真の存在を知っていた可能性は高い。もしかすれば直に写真を見たこともあるかもしれない。そして、当時の写真技術レベルであれば、自分が描く画と較べ精度の面で、自分の技能の方が優れていると思ったことだろう。しかし、その写真機械の可能性は感じ取ったはずだと僕は思う。
誰が撮影したにせよ、フォトグラフィーとしての写真には権威が既にある。図譜が明治の体制の中で博物誌と呼ばれ、知識の中央集権化が進む中で、当然に権威が求められる博物誌が、画からフォトグラフィーとしての写真へと移行するのは当然とも言える。
江戸後期は「見たまま」を忠実に写生する要請が強くなっていった時代でもある。そしてその要請に応えたのが、高度に発達した木版技術であり、雪斎らのような写真画達であった。しかし、彼等の時代は化学反応による写真の登場と、その急激な発達により、日本の美術史の中から早々に消えてゆくことになる。
僕は、何故だか理由はわからないが、国立国会図書館のギャラリーの多くの博物誌の中で、雪斎の作品が特に印象に残った。彼の画は、自己主張が殆ど無い。描く対象を、誰が見てもそれとわかるように、構図及び彩色に気を配っている。そして、だからこそ博物誌画家としての自尊心の高さが、逆に僕には見えるのである。
服部雪斎は明治21年 (1888) 以降の消息はつかめていない。忽然とではなく、近代以前から近代への歩みの中で、徐々にスライドが新たな画面へと切り替わるように、彼もまた徐々に消えていった。そんな風に思える。
2006/08/08
メタセコイアにまつわる雑感 「戦後におけるメタセコイアの意味」
駒沢公園にはメタセコイアが4本植えられている。いつに植えられたのかは定かではないが、多分公園が出来たときに一緒に植えられたのではないだろうか。そうすると約40年以上は経っていることになる。
少し前まで僕は第一競技場(陸上競技)脇に植えられている樹木は落松だと思っていた。明らかに針葉樹で、秋に紅葉し冬には落葉する樹木と言えば落松しか思い浮かばなかったのである。メタセコイヤ、和名「あけぼの杉」などは名前さえ知らなかった。勿論今となってはメタセコイヤが広く知られわたっている樹木であることは知っている。それでも以前、 例えば戦後間もない時期と今を較べれば、知名度は雲泥の差があるかもしれない。
80万年前に日本列島を最後に絶滅したと思われてきたメタセコイアが、中国に現存しているのがわかったのは、太平洋戦争直後のことだった。それまで多くの化石遺体として発見されてきた木は、米国などで現存しているセコイア属の一種だと思われていた。それを日本植物学者三木茂は別の属であることを化石から証明し、1941年の論文の中で「メタセコイア」と命名した。
そのメタセコイアが1946年に中国で見つかり、中国植物学者から米国植物学者へと標本が送られる。そして1948年に中国現地に米国植物学者が訪ね多くの標本・種子を採取する。その中の一部が1949年に日本(小石川植物園、昭和天皇)に届くのである。
齋藤清明著「メタセコイア-昭和天皇の愛した木」(中央公論社)によれば、日本にメタセコイアの苗木及び種子が届いた時の状況を 「戦後復興のシンボル」と題して次のように語る。
「ところで、「生きた化石 米から苗木 日本で栽培へ」の記事が載った『毎日新聞』大阪本社版1949年(昭和24年)
11月11日付の同じページに、「ノーベル賞受賞 その日の湯川博士」も載っている。(中略)ちょうど1週間前の11月3日、ストックホルム特電で送られてきた「湯川博士にノーベル賞」は、日本中を沸かせたビッグ・ニュースだったが、その続編がまだ紙面を飾っていた。」
「またメタセコイアが載った同じページの下のほうに、
「古橋らの南米行きは見合わせ」というベタ記事もみえる。
(中略) 「フジヤマの飛び魚」とはやされた古橋たちも、当時の日本の誇りだった。 (中略) 夏の「水泳ニッポン」に続いて、秋の
「文化の日」に飛び込んだ湯川博士ノーベル賞受賞、そしてメタセコイアだった。」
「日本人科学者が戦中に命名した化石植物が、
中国で戦後すぐに生きた大木で見つかり、アメリカ人科学者が日本に苗木を届けてくれる。まず天皇に。そして日本各地に植えられる。
メタセコイアもまた、日本の誇りのように思えた。戦後の明るいニュースだった。」
(上記総て 齋藤清明著 「メタセコイア-昭和天皇の愛した木」(中公新書) から引用)
敗戦直後の状況で、水泳における古橋たちの活躍と湯川博士のノーベル賞受賞が、当時の人達にとって誇りに思えるのは僕にも理解できる。でも何故メタセコイアの苗木が日本に届くことが誇りに思えるのか、この本を読んでも、正直言えばよくわからなかった。
確かに明るいニュースであることは間違いない。でも誇りに思えるという、強い情動を持ち得る程とも思えなかったのだ。
昭和天皇に届けられた事だろうか。確かにそれもあるだろう。日本人がメタセコイアを命名したと言うことだろうか。確かにそれは強い動機となるだろう。
でもそれだけではないように僕には思えた。こう捉える事は出来ないだろうか。古橋らの活躍は「肉体」における自信回復、湯川博士のノーベル賞受賞は「頭脳」における自信回復、そしてメタセコイアのニュースは「日本」そのものの「再生」への希望を。
昭和天皇に届けられた事だろうか。確かにそれもあるだろう。日本人がメタセコイアを命名したと言うことだろうか。確かにそれは強い動機となるだろう。
でもそれだけではないように僕には思えた。こう捉える事は出来ないだろうか。古橋らの活躍は「肉体」における自信回復、湯川博士のノーベル賞受賞は「頭脳」における自信回復、そしてメタセコイアのニュースは「日本」そのものの「再生」への希望を。
メタセコイアの記事により、多くの人は、列島で100万年~80万年前まで繁殖していたのを知っていたことだろう。そして、中国を除いて、メタセコイアにとって日本が最後の繁殖地だったことも。おそらく「メタセコイアが日本に届く」ということは、メタセコイアが故郷に戻るような、そんな感覚を持ったのではないだろうか。
そしてその事は、荒廃した日本の復興へ向かう時期に合わさることで、一度絶滅したと思われていた木が現存していた、と言う事実と共に、そこに「日本」もしくは自分たちの将来を重ねたいという願いもあったかもしれない。勿論、メタセコイアが繁殖していた時、「日本」などは存在しない。人も住んでもいない。でも例えば「富士山」に日本のイメージを重ねるように、メタセコイアに日本のイメージを重ねたとしても不思議でもない。
そしてその事は、荒廃した日本の復興へ向かう時期に合わさることで、一度絶滅したと思われていた木が現存していた、と言う事実と共に、そこに「日本」もしくは自分たちの将来を重ねたいという願いもあったかもしれない。勿論、メタセコイアが繁殖していた時、「日本」などは存在しない。人も住んでもいない。でも例えば「富士山」に日本のイメージを重ねるように、メタセコイアに日本のイメージを重ねたとしても不思議でもない。
メタセコイアは、まず小石川植物園、次に皇居に植えられた。昭和天皇はこの木を愛されたらしい。メタセコイアの和名は「あけぼの杉」と言う。古くからあるという意味で「あけぼの」を付けたらしいが、僕にとっては「あけぼの」とは 「始まり」の意味もあるように思う。
昭和天皇は、メタセコイアではなく、和名の「あけぼの杉」での呼称を重んじられた。勿論、昭和天皇の御心を知ることは出来ないが、日本の復興と「あけぼの杉」の成長を重ねた御心は察することが出来る。このとき、日本の歴史の中でも希なほど、天皇と人々の気持ちが近かった。僕にはそう思える。
昭和天皇の巡幸と時期をほぼ同じにして、メタセコイアの栽培ブームが始まる。桜で言えば「ソメイヨシノ」が戦後に多く植えられたように、メタセコイアも各地に植えられていく。
天皇の巡幸と「ソメイヨシノ」及び「メタセコイア」の栽培。それを繋げてみることは考えすぎだろうか。「ソメイヨシノ」が日本の風土を一つのイメージにする為の栽培と較べると、メタセコイアの栽培は一過性のブームでしかなかったかもしれない。
天皇の巡幸と「ソメイヨシノ」及び「メタセコイア」の栽培。それを繋げてみることは考えすぎだろうか。「ソメイヨシノ」が日本の風土を一つのイメージにする為の栽培と較べると、メタセコイアの栽培は一過性のブームでしかなかったかもしれない。
ただ、当時の人達にとっては、人間の手により汚されていない時代の彼方から、突然に現れたメタセコイアを植えることにより、そこに現れる姿は、維新後・戦前の姿でなく、もっと遙か昔の「日本」誕生以前の姿であること、そしてそこから「始める」のだという思いも、
そこにはあったように僕には思えるのだ。それは戦争で荒廃した場所に「ソメイヨシノ」を植えることにより、イメージとしての「日本」を再生する行為とは異質の物だと思う。
しかし結局メタセコイアの栽培ブームは、ほぼ東京オリンピックの少し前あたりから冷めていくことになる。そうそれは「白書」で 「既に戦後は終わった」と宣言がされたのとほぼ同時期でもある。僕が駒沢公園で見たメタセコイアの木は、ブームの終わりに植えられたのである。僕も含めて、人々の記憶から「メタセコイア」は、「戦後の復興の象徴」としてでなく、単に「生きた化石」として残るようになっていく。
多分、戦後間もない時期に人々が思い描く「メタセコイア」のイメージと、現代人が「メタセコイア」に向ける眼差しは、全くと言っていいほど違うものだろう。しかし昭和天皇は違っていた。昭和天皇がご健康な時に出られた最後の歌会始 (昭和62年)で、お題「木」の御製は「あけぼの杉」を歌われている。
「わが国の たちなほし来し 年々に あけぼのすぎの木は のびにけり」
また昭和天皇は吐血後の小康状態の時、侍従に「あけぼの杉」の事を訪ねられたとも書いてあった。一人昭和天皇だけは、メタセコイアへの眼差しは戦後から変わることがなかった。
僕は、昭和天皇の日本の復興への思いの深さを知ると共に、それ以上に感じることは、日本は昭和天皇を置いて別の道を歩き始め、昭和の終わりにおける、その両者の距離の遠さである。
昭和天皇が踏みとどまったのではない、置き去りにされたのだ。そして最期の時は、装置として、メンテナンス報告を受けるかのように、毎日体温などの数値データを人々に提示し続ける存在として。メタセコイアは、天皇と人々の気持ちが近づいた戦後の物語に登場する。
昭和天皇が踏みとどまったのではない、置き去りにされたのだ。そして最期の時は、装置として、メンテナンス報告を受けるかのように、毎日体温などの数値データを人々に提示し続ける存在として。メタセコイアは、天皇と人々の気持ちが近づいた戦後の物語に登場する。
そしてそれは語り続けられることのない物語かもしれない。僕は公園に植えられているメタセコイアの木が好きだ。真っ直ぐに、上に行くほど細く、遠望し見れば綺麗な円錐の姿、幹は無骨で木肌はささくれ立ってはいるが、堂々とした姿をしている。
四季折々に姿を変えるのも楽しい。しかしやはり緑が美しい初夏がよい。樹木の話をすることは人間の話をすることでもある、と僕は思う。メタセコイアの新たな繁殖も、人間の力を借りなければ成り立たなかった。それでも人間の思惑を越えたところに、樹木は存在している。メタセコイアを眺めるたびにそう思う。
2006/07/30
Flockを使ってみる
Flockを試しに集中的に使っている。
「Flockは、Firefoxのコードをベースにして開発された「ソーシャルブラウザ」であり、ブログ、FlickrやPhotobucketとの写真の共有、del.icio.usやShadowsを使った「お気に入り」などの連携機能が組み込まれている。
昨年11月にFlockのプレビュー版を試したときには、興味深くはあるが少し粗削りな印象を受けた。 Flock関係者の懸命な努力により、今回のFlockベータ版は、ブログ作成や写真の共有、またはdel.icio.usなどのサービスの利用に時間をかけるユーザには必携といえるほど、しっかりと作り込まれている。」
(OTP 「快心のFlockベータ」から引用)
Flickrとdel.icio.usを使う(特にFlickr)僕にとっては最適なブラウザだと思う。
FirefoxにExtensionを組み込めばFlockと似たような機能を持つことが出来るが、やはり一体型となっている分連携の良さはFlockの方が上を行く。Firefoxで人気が高いExtensionは概ねFlock用のExtensionとしてサイトに載っている。僕などはそれほど利用しない方だが(重たくなるので)、それでもFirefoxで組み込んでいるExtensionの総てはFlockにも組み込むことが出来た。
FirefoxにExtensionを組み込めばFlockと似たような機能を持つことが出来るが、やはり一体型となっている分連携の良さはFlockの方が上を行く。Firefoxで人気が高いExtensionは概ねFlock用のExtensionとしてサイトに載っている。僕などはそれほど利用しない方だが(重たくなるので)、それでもFirefoxで組み込んでいるExtensionの総てはFlockにも組み込むことが出来た。
一部サイトの紹介では、「Google Note」の組み込みが出来なかったと書いてあったが、僕は問題なく組み込むことが出来た。それ以上にFlickrとの連携が素晴らしい。一部、例えば「Group」と「Explore」の一覧表示が出きない、などの不満もあるが、総じて言えば、よりFlickrを楽しむことが出来る。
以前、ネットと言えばブラウザによる「ネットサーフィン」と「メール」であった。メールと言えば「POP」を指す時代のことだ。その頃、Netscapeなどの「メール」一体型ブラウザが便利だと、僕のまわりで使っている人も多かった。「Flock」をしばらく使っていると、何故だかその頃のブラウザを思い出した。勿論現在のブラウザが標準装備として一体化するのはメールではない。「ブログ作成」であり「RSSリーダー」であり、様々なネット上で展開するサービスとの連携強化となる。それがネットにおける時代の変化ということなのだろう。「Flock」で気に入った機能,について簡単に説明する。
画像表示ボタンによりFlickrに投稿した写真の一覧を上部に表示する。
設定により、コンタクトを取っている人達の新たな投稿写真を見ることが出来る。
一覧の写真にマウスを持って行けば、大小二つのボックスが現れる。これはブログに投稿する写真の大きさの選択となる。
一覧の写真にマウスを持って行けば、大小二つのボックスが現れる。これはブログに投稿する写真の大きさの選択となる。
Flickrのコンタクト画面で、気になる人の画像にマウスを移動すれば、「View Photostream」表示が現れ、その部分をクリックすれば、上部の写真一覧は、その人の投稿写真一覧に切り替わる。
同様に人の写真サイトでも即座に一覧を参照することが出来る。今まで以上に快適に、色々な人の様々な写真を参照することが出来る。
Flockの標準装備機能のブログ作成、ブラウザ上部の写真一覧からドラッグ&ドロップで、写真をブログ作成画面に持ってこれる。ただしパソコン上に保存してある画像を使う場合、一旦Flickrなどに投稿しなければ、ブログに掲載することが出来ない。
Flickrでのブログ投稿機能と較べてみたが、コード生成はFlockでの方が良いと思う。でもFlickrからのブログ投稿と同様に作成時の通知(Ping)機能は行わない。(僕個人としては、通知はどうでもよい機能ではある)いわゆるRSSリーダーも標準機能としてついている。ネット上で気になる記事を選択し、右クリックで「Blog this」を選択すると、その箇所が引用されブログ作成画面が立ち上がる。しかし、それ以外で簡単に「引用」を設定する事は出来ないので、「引用」を行いたい場合、自分でコードを書き込む必要がある。
ブラウザの「お気に入り」は「del.icio.us」等の連携のためか、他のブラウザと較べ独特で慣れが必要となる。今まで試しに使ってみたが、「試し」ではなくなりつつある。現状においても、僕にとっては最上のブラウザであるのは間違いない。ただ、折角のブログ作成機能ではあるが、ネット上のテクスト再利用の視点だけでなく、もう少し融通性を持たせて欲しかったと思っている。
2006/07/21
映画「ダヴィンチ・コード」を見てトムハンクスの毛髪が気になる
映画「ダヴィンチ・コード」を見た。僕はこのベストセラーになった原作を読んではいない。邦訳される前から何かと物議を醸し出していた作品として注目はしていたが、いざ邦訳されると、やはり同様に注目している方が多く、書店で積まれている書籍を見た瞬間に読む気が全く失せてしまった。
映画はトム・ハンクス主演だというので見に行ったようなものだ。実を言えば彼の以前の出演作「ターミナル」を見て、彼が歳をとった姿に驚いた。それでも「ターミナル」 のあの無国籍風の男はトムハンクスでしか演じられないと納得したのを覚えている。
僕が好きな映画、「ビッグ」で見せた、あの子供っぽい目つきと笑顔、そして大きな鍵盤の上で曲をタップで弾く軽妙な動き、あれらを印象的に覚えている僕にとっては、トム・ハンクスの俳優としての存在感をそこに求めて眺めてしまう傾向がある。勿論「ビッグ」から20年近い年月が経っているのは理解しているし、彼がその年月に俳優として幅を広げてきたのも見ている。それでもトム・ハンクスの役者としての本質、もしくは魅力は、映画「ビッグ」で見せた姿にあると思うのだ。彼から少年ぽい眼差しを無くしてしまったら、彼から軽妙な雰囲気を無くしてしまったら、それは単なる普通の中年男優でしかない。
トム・ハンクスは、存在としての喜劇性を感じさせる役者だと僕は思う。彼が演じる役は、深刻な状況にいても、どこか軽さとおかしみがある。そしてその雰囲気が映画の中で逆説的に現実感をもたらせる。それが今回の「ダヴィンチ・コード」では、彼の良さが現れていない。全くとは言わないが、あれだと誰が演じても同じではないか、そんな感想を持つ。だからか、 妙にトム・ハンクスの頭の禿げ具合が目立ってしょうがなかった。
「ダヴィンチ・コード」のトム・ハンクスは、正直言えば映画興行の担保として担ぎ出されただけで、彼が演じる必然性はそこにはない。だから見終わった後に彼が出演していることを忘れるほどでもあった。また彼が演じる教授が、様々な事物から連想を働かせ、真実へと推理している様は、 CGを多用し見ている方も理解しやすいのだが、妙に現実感が乏しく、何か回答がどこからともなく出てきた、 手品のように種も仕掛けもあるような、そんな気分にさせられた。
だから原作を知らない僕は、映画の半ばまで、トムハンクス演じる教授が黒幕ではないかと疑ってしまったくらいである。 そう、映画途中で僕が密かに願ったこと、悪役としての黒幕トム・ハンクスを僕は見たかった。トム・ハンクスを気にせず、映画としてみればなかなかに面白かった。でもどうも評判はあまり良くないらしい。また話題としてキリストに関することに集中しているかのようだ。
確かに、例えば「南京事件」を背景にサスペンス映画が造られた時、 描き方により、映画として僕は見ていられないかもしれない。解釈はその人が持っている、文化的・歴史的資源によるところが大きいとも思う。 でも映画の感想は、他もそうかもしれないが、自分の立場で行うなうしかない。
僕にとってはこの映画はサスペンス映画ではない。この映画は一人の女性が自分が何者であるかを知る過程を描いた映画だと思う。一見何も関係ない事柄が繋ぎ合わさり、結果的にわかるのは自分のことだった。そしてトム・ハンクス演じる教授も同様である。彼もこの事件を通じて自分を知るのである。だから映画では、二人の過去の記憶が時折挿入されている。
歴史サスペンスとして見たとき、思い出すのはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」である。そちらのほうは書籍も映画も何回も見て、または読んだ。それと「ダヴィンチ・コード」を較べるのは何だが、映画を見る限りに置いては、謎は「薔薇の名前」の方が圧倒的に深いように思える。
原作を読んでいない僕が言うのは何だが、「ダヴィンチ・コード」が流行った理由の一つとして、そのわかりやすさが挙げられる様に思える。で、僕の結論で言えば、わかりやすさは真実からほど遠い。勿論、一つの出来事に対し様々な物語があると思うし、原案ではその中の幾つかをつなぎ合わせて出来たのだと思う。物語作家としての才能には敬服するが、これほど売れたのは、その伝説を逆手にとっての、巧みな商業主義があってこそだと思うのである。
トム・ハンクスのことを語るつもりで脱線をしてしまった。
2006/07/20
友人との会話で思うこと
友人と電話で久しぶりに話をした。話は最近の状況から仕事の話になった。すると友人は何かわだかまりを持っているようで、自然に彼の話を僕が聞く格好になった。
友人は建築関係の仕事をしている。また最近は石綿(アスベスト)除去も行っているとのことだった。ある時彼が追加工事の一環として玄関扉の拡張を請け負ったときの話をしてくれた。追加工事とは主となる本工事があり、別途必要に応じ発生する工事のことを追加工事と称するようなのだが、この追加工事で彼は玄関枠を広げるために壁を切り取って欲しいと言われたそうである。
彼に指示したのは工務店で、工務店側はコンクリートの壁だと説明していた。そこで友人はコンクリートの壁を切り取るべく電動工具で作業に入った。友人は今まで何度もコンクリートの壁を切り取ったことがある。その彼が壁の外枠から、内部のコンクリートへと電動ドリルが入ったとき、今までだとそれなりの手応えがあるのに、今回は何の手応えもなくドリルが中に入っていったそうである。おかしいと思った友人が壁の内側を確認すると、そこにはアスベストの耐火材があり、実際はコンクリートの壁ではなかった。
早速その事を工務店担当者に彼は言いに行った。そうすると担当者は、彼を凝視し、断言口調で、「いえ、あれはコンクリートです」と言い返したそうである。
「そんなことがない、確認した」と、友人は何回か言ったそうだが、帰ってくる答えは「あれはコンクリートです」、の一点張りだったらしい。埒がない言葉のやりとりに、友人もうんざりしていたが、最後に担当者が「コンクリートです」と言い終えたとき、彼は薄ら笑いを浮かべていたそうだ。その表情を見たときに友人は、「あぁ確信犯なんだ」と思ったという。
その笑いは、「もういい加減に空気を読めよ」、と言っているような、そんな笑いの様にも見えたと彼は言う。アスベストが人体に影響を与えるのは、それが飛散し口から体内に入る時である。だから吹きつけ石綿などと違い、成型しているアスベストは劣化しない限り、危険性は薄いかもしれない。それでも工事を行うくらいであるから、ある程度の年数は経過し劣化している可能性は高い、しかも壁と共に切ることで、そこからアスベストが飛散することにもなる。友人はあわてて最低限の防御を行うべく、車載しているマスク等を取りに行き、それらを装着して作業を始めたのである。
本工事では事前に申請書を提出し、アスベストの調査を行い、その調査結果に見合った体制と設備で除去作業を行う。また管理者の立ち会いもあり、チェックも厳しいとのことだが、それが追加工事申請となると、事前調査なども行わず、かなりチェックも甘くなるらしい。そこで彼が請け負った玄関枠拡張などの細かな工事は、追加工事として、アスベスト除去の申請などしないで行うのが多いと聞いた。つまりアスベスト除去工事は手続きを含め流れが面倒なのであり、それにあわせて工事日程を組むと、工程そのものが成り立たなくなる恐れがある。よってそういう箇所は追加工事として別途申請するのが、現実には多いそうである。
また別の作業で、オフィスビルの床の撤去を請け負ったとき、その工事も追加工事だったらしいが、床を外したらアスベストが耐火材として敷き詰められていた。それも工務店側は申請もしていないらしい。その撤去工事の中で、アルバイト学生達がほうきで掃除をしているのを見たとも言っていた。確証は持てないが彼はおそらく事実を話しているのだろう。
「君には関係ないのはわかるけど、これらの話をすれば俺は怒りの気持ちが抑えられなくなるんだ。これ以上話すと君に怒りをぶつけるかもしれない。」
おそらく些末な工事であるから、その工事に微量のアスベスト除去が存在したとしても、無視できると現場は考えるのだろう。でもそれらを押し通すとき、現場で働く者たちを、付近に住む人達を、おそらく全く考えてはいない。それと同時に、「これが現実だと」、したり顔で話す人の欺瞞さに、友人は腹が立つのかもしれない。
丁度この話と似たような事件がつい最近にあった。「男前豆腐」の大豆がら消却事件である。産業廃棄物である大豆がら125Kgを会社敷地内で消却したことについて、担当者は「産業廃棄物とは知らなかった」と答えているが、主業務から出る廃棄物の種類が不明であるとは考えづらい。別の新聞記事では、「量が少ないから問題ないと思った」とあったが、
その方が正確なのだと思う。
「量が少ないから問題ない」と思ったのは担当者個人の感想であり、それは友人が話した追加工事におけるアスベスト除去の話に繋がる。事の有無を量の多少に単位をすり替えるたのは、自分がしている行為の社会的位置づけが、個人としても組織としても把握が出来ていない証左だと僕は思う。しかしそれ以上に、僕が友人の話から最初に思ったことは、友人の怒りの気持ちを僕にぶつければよいと言うことだった。僕には、「君には関係ないけど」という発想自体が、これらの行為の根本にあるのではないかと、思うのである。
もしかすれば僕自身が、消費者の一人として、これらの事を助長しているのかもしれない。具体的にどう繋がるのかは、想像力乏しい僕はすぐには思いつかない。でもこの社会で起きる様々な問題に、僕は外部にいたいと願うが、多くの問題はそうではない。友人とは今度会おう、会ってこの話をしよう、と告げた。でも話を終えた後に、なんとなく寂しいような、そんな気持ちを味わった。
友人は建築関係の仕事をしている。また最近は石綿(アスベスト)除去も行っているとのことだった。ある時彼が追加工事の一環として玄関扉の拡張を請け負ったときの話をしてくれた。追加工事とは主となる本工事があり、別途必要に応じ発生する工事のことを追加工事と称するようなのだが、この追加工事で彼は玄関枠を広げるために壁を切り取って欲しいと言われたそうである。
彼に指示したのは工務店で、工務店側はコンクリートの壁だと説明していた。そこで友人はコンクリートの壁を切り取るべく電動工具で作業に入った。友人は今まで何度もコンクリートの壁を切り取ったことがある。その彼が壁の外枠から、内部のコンクリートへと電動ドリルが入ったとき、今までだとそれなりの手応えがあるのに、今回は何の手応えもなくドリルが中に入っていったそうである。おかしいと思った友人が壁の内側を確認すると、そこにはアスベストの耐火材があり、実際はコンクリートの壁ではなかった。
早速その事を工務店担当者に彼は言いに行った。そうすると担当者は、彼を凝視し、断言口調で、「いえ、あれはコンクリートです」と言い返したそうである。
「そんなことがない、確認した」と、友人は何回か言ったそうだが、帰ってくる答えは「あれはコンクリートです」、の一点張りだったらしい。埒がない言葉のやりとりに、友人もうんざりしていたが、最後に担当者が「コンクリートです」と言い終えたとき、彼は薄ら笑いを浮かべていたそうだ。その表情を見たときに友人は、「あぁ確信犯なんだ」と思ったという。
その笑いは、「もういい加減に空気を読めよ」、と言っているような、そんな笑いの様にも見えたと彼は言う。アスベストが人体に影響を与えるのは、それが飛散し口から体内に入る時である。だから吹きつけ石綿などと違い、成型しているアスベストは劣化しない限り、危険性は薄いかもしれない。それでも工事を行うくらいであるから、ある程度の年数は経過し劣化している可能性は高い、しかも壁と共に切ることで、そこからアスベストが飛散することにもなる。友人はあわてて最低限の防御を行うべく、車載しているマスク等を取りに行き、それらを装着して作業を始めたのである。
本工事では事前に申請書を提出し、アスベストの調査を行い、その調査結果に見合った体制と設備で除去作業を行う。また管理者の立ち会いもあり、チェックも厳しいとのことだが、それが追加工事申請となると、事前調査なども行わず、かなりチェックも甘くなるらしい。そこで彼が請け負った玄関枠拡張などの細かな工事は、追加工事として、アスベスト除去の申請などしないで行うのが多いと聞いた。つまりアスベスト除去工事は手続きを含め流れが面倒なのであり、それにあわせて工事日程を組むと、工程そのものが成り立たなくなる恐れがある。よってそういう箇所は追加工事として別途申請するのが、現実には多いそうである。
また別の作業で、オフィスビルの床の撤去を請け負ったとき、その工事も追加工事だったらしいが、床を外したらアスベストが耐火材として敷き詰められていた。それも工務店側は申請もしていないらしい。その撤去工事の中で、アルバイト学生達がほうきで掃除をしているのを見たとも言っていた。確証は持てないが彼はおそらく事実を話しているのだろう。
「君には関係ないのはわかるけど、これらの話をすれば俺は怒りの気持ちが抑えられなくなるんだ。これ以上話すと君に怒りをぶつけるかもしれない。」
おそらく些末な工事であるから、その工事に微量のアスベスト除去が存在したとしても、無視できると現場は考えるのだろう。でもそれらを押し通すとき、現場で働く者たちを、付近に住む人達を、おそらく全く考えてはいない。それと同時に、「これが現実だと」、したり顔で話す人の欺瞞さに、友人は腹が立つのかもしれない。
丁度この話と似たような事件がつい最近にあった。「男前豆腐」の大豆がら消却事件である。産業廃棄物である大豆がら125Kgを会社敷地内で消却したことについて、担当者は「産業廃棄物とは知らなかった」と答えているが、主業務から出る廃棄物の種類が不明であるとは考えづらい。別の新聞記事では、「量が少ないから問題ないと思った」とあったが、
その方が正確なのだと思う。
「量が少ないから問題ない」と思ったのは担当者個人の感想であり、それは友人が話した追加工事におけるアスベスト除去の話に繋がる。事の有無を量の多少に単位をすり替えるたのは、自分がしている行為の社会的位置づけが、個人としても組織としても把握が出来ていない証左だと僕は思う。しかしそれ以上に、僕が友人の話から最初に思ったことは、友人の怒りの気持ちを僕にぶつければよいと言うことだった。僕には、「君には関係ないけど」という発想自体が、これらの行為の根本にあるのではないかと、思うのである。
もしかすれば僕自身が、消費者の一人として、これらの事を助長しているのかもしれない。具体的にどう繋がるのかは、想像力乏しい僕はすぐには思いつかない。でもこの社会で起きる様々な問題に、僕は外部にいたいと願うが、多くの問題はそうではない。友人とは今度会おう、会ってこの話をしよう、と告げた。でも話を終えた後に、なんとなく寂しいような、そんな気持ちを味わった。
2006/07/18
犬の散歩、それは恐ろしい体験
公園に行くと犬連れの人が目立つ。犬を飼うというくらいだから、連れて歩いている人は皆犬好きなんだろう、などと愚にもつかぬ事を思う。
犬好きは、公園の散歩などで、お互いに犬好きであることがわかる。猫好きの場合はそういうわけにはいかない。自ら「私は猫が好きです」、と宣言をしなければ、互いに知るよしもない。だからといって、そんな宣言をする人もいない。
一度だけだが、家で飼っている猫を公園散歩レビューさせようと思ったことがある。冗談ではなく真面目にそう思った。そして猫の散歩用の紐(ちゃんと売っている)を買ってきた。でも試みる以前に、しばらく猫と過ごし、それは叶わぬ夢であると思った。
でも今では、猫が犬の様に散歩をしなくても良いことが何よりも嬉しい。猫との生活は、必要以上に干渉しないこと。干渉せずとも、見ているだけで、側にいるだけで楽しい。
一度友人宅に行ったとき、その家で飼っている犬の散歩を頼まれた。何で僕がと思ったが、夫妻はそろって用事があるという。お互いに気心が知れた仲だし、別に頼まれたことで嫌な気分になることもない。外では黒くて大きな犬が、「キャンキャン」と散歩に連れて行けと吠え続けている。聞けばここ2・3日散歩をしていないらしい。
「ストレスが溜まっているんだなぁ」、などと友人が他人事のように言う。
「おいおい、それを僕に連れ出せと言うのか」、少しだけ怖じ気づき僕は言う。
友人はにやにやと笑っている。その顔で僕は苦笑し、なんて奴だと友人を見る。
一応歩くコースを教えてもらったが、見知らぬ土地で具体的に言われても、言われた方が困る。まぁ犬が帰り道くらい覚えているだろうと高を括る。僕はその時まで一度も「犬の散歩」なるものを経験したことがない。公園などで見かける姿は結構優雅である。しかしこの犬は凄かった。今までの僕の犬の概念が根底から覆されたのである。
犬の散歩があれほど力を必要とするとは知らなかった。おそらく犬にとっては見知らぬ人間、つまり僕などは初めから眼中になかったのだろう。静止の言葉も聞かず、逆に俺に続けとばかりに、僕を引っ張り、自分の行動を譲らない。これじゃあ犬の散歩か僕の散歩か区別が付かない。しかも友人宅からどんどんと離れていく。そんな時、不意に犬は立ち止まり、
鼻を地面にこすり臭いを嗅ぎ始めた。そしてその後の小便。そしてまた僕を引っ張り歩き始める。そして止まり臭いを嗅ぎ小便。その組み合わせを5回以上は繰り返したと思う。僕はただ呆れるばかりである。
まずは、よくもまぁこんなに小便が出るものだという驚き。この犬は必要な時に小便を出す特技でも会得しているのだろうか。もしくは出すと止るを自分の意志でコントロールできるのだろうか。それともこれが犬の特性なのかもしれない。もしそうだったらこいつは凄い。
犬の行動は、多分、自分の縄張りを小便で宣言していると思う。しかし公園での見かける犬の散歩で、同じ仕草を見かけたことがなかった。
逆に動物として縄張りを宣言するのは必要なことなのかもしれない、などとあらためて僕の前で臭いを嗅いでいる犬を見てそう思う。そうすると今まで僕が公園で見てきた犬たちは、あれは一体なんだったのだろう。見知らぬ土地で、犬に引っ張られ、どんどんと友人宅から離れ、しかもあたりは夕闇が近づいている。そんな中で僕は、そんなことくらいしか考えられないほど、この犬の従者になりつつあった。
この話の結末はどうなったのか。それはありきたりの話だが、友人がいつまでも戻らぬ僕等を気にして、犬が行きそうな場所に来てくれて僕は解放される。
二度と犬と散歩はしたくない・・・
2006/07/16
写真と遺影
従兄弟の遺影をじっと見つめていると、彼の娘さんが僕の側に来てささやく。
「良い写真でしょ」
僕は黙って頷く。一人で写っている写真が見あたらなくて、孫のお宮参りの記念写真を引き伸ばしたのだそうだ。どうりで少しはにかんだ嬉しそうな表情をしている。その時の従兄弟のことを想像し少しだけ微笑む。
遺影として生前の写真を飾るようになったのはいつの頃からだろうか。写真の普及と共にそれは広まったにせよ、そこには身体の中で特に顔を重視する眼差しと、写真が持つ何かが結びついたと僕には思える。
無論ソンタグは亡き人の写真を特定して述べているわけではない。でも僕が従兄弟の遺影をみて感じたことは、もう時を刻むことがない彼と、写真に撮された彼が、同質であるような、そんな奇妙な感覚であった。
人は遺影を見て、今は亡き人の面影を偲ぶと同時に、 凍結された写真の時間から喪失感を感じるのだと思う。遺影を見る人が、亡き人と関係が近ければ近いほど、 自身の記憶を呼び起こすことにもなり、浮かび上がった喪失感を感傷へと変質させていく。それは喪失によってぽっかりと空いた穴を埋めるというのでなく、逆に穴を日常の状態に置いたままにする、ということのように思える。
遺影として使われる写真は、多くの場合、初めは斎場に飾られることを目的にして撮影されたものではないだろう。例えばそれは様々なイベントの一つの記念であったり、旅行などの記録であったり、に違いない。でも一度遺影として使われると、その写真の意味と、向けられる眼差しは変わることになる。
遺影は家のどこかに常時飾られ、訪れた人は、撮された人物を見知っているか否かに係わらず、興味深く眺めることだろう。それは遺影に写った人がかつては確かに存在したという証でもあるが故に、凍結された写真の時間と今実際に眺めている時間の大きな隔たりを見いだすことでもある。
かつて彼はここにいた。そして今はもういない。
人が重大で悲惨な病気だと感じるとき、患者の容姿の、特に顔の変貌の強さに驚くときだと僕は思う。かつてのふくよかな生気に満ちた顔が、青白く、頬が痩せこけ、目は落ち込み、別人の様相を呈しているのを見たとき、人は声を失い、患者が抱え込んでいる病いが重大であることを意識する。
また愛する者に死が訪れるとき、その死が苦痛も恐怖もない、「安らかな死」 であることを祈る。実際はその死が安らかであるか否かを他者は知ることが出来ない。でも「死に顔」がまるで「眠っている」 かのような顔であれば、人は悲しみの中で僅かな救いをそこに見いだすのだと僕は思う。
近代で身体にどれほど考察を加えようと、未だに顔は別格となっている。主に遺影として現れる姿は、顔が全体のほとんどを占める。遺影とは顔の写真ということであり、それは顔がその人の総てを現しているという認識でもある。
遺影に使われる写真は元気だった頃の写真を使う。誰も死に瀕した状態の姿を遺影にはしない。穏やかな表情、もしくは楽しげに笑っている表情、どれもが良い表情をしている。しかし送葬の式場に集まる中で、それぞれの時間の中で過ごす人達の中で、遺影に撮された人の時間だけが既に刻むことはないのである。それを遺影という以前に、写真そのものが、それを見る人達に意識させるのだと僕は思う。
遺影が広まったのは写真技術の普及と共にだが、これはある意味自然なことだった、と僕は思う。今では、遺影に写真以外の技術を使うことも可能ではあるが、しかし写真以上に繋がりと喪失を感じさせるとも思えないのである。
「良い写真でしょ」
僕は黙って頷く。一人で写っている写真が見あたらなくて、孫のお宮参りの記念写真を引き伸ばしたのだそうだ。どうりで少しはにかんだ嬉しそうな表情をしている。その時の従兄弟のことを想像し少しだけ微笑む。
遺影として生前の写真を飾るようになったのはいつの頃からだろうか。写真の普及と共にそれは広まったにせよ、そこには身体の中で特に顔を重視する眼差しと、写真が持つ何かが結びついたと僕には思える。
「いまはまさに郷愁の時代であり、写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。醜悪な被写体もグロテストなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀愁の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、写真に撮られたものはすべて今は存在しないものであるが故に哀愁を帯びる、というソンタグの言葉が特に具体性を持つのは遺影が最たると思う。逆に言えば、人物のポートレイトというのはどこかで遺影に繋がっているのかもしれない。
すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。」
(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 から引用)
無論ソンタグは亡き人の写真を特定して述べているわけではない。でも僕が従兄弟の遺影をみて感じたことは、もう時を刻むことがない彼と、写真に撮された彼が、同質であるような、そんな奇妙な感覚であった。
人は遺影を見て、今は亡き人の面影を偲ぶと同時に、 凍結された写真の時間から喪失感を感じるのだと思う。遺影を見る人が、亡き人と関係が近ければ近いほど、 自身の記憶を呼び起こすことにもなり、浮かび上がった喪失感を感傷へと変質させていく。それは喪失によってぽっかりと空いた穴を埋めるというのでなく、逆に穴を日常の状態に置いたままにする、ということのように思える。
遺影として使われる写真は、多くの場合、初めは斎場に飾られることを目的にして撮影されたものではないだろう。例えばそれは様々なイベントの一つの記念であったり、旅行などの記録であったり、に違いない。でも一度遺影として使われると、その写真の意味と、向けられる眼差しは変わることになる。
遺影は家のどこかに常時飾られ、訪れた人は、撮された人物を見知っているか否かに係わらず、興味深く眺めることだろう。それは遺影に写った人がかつては確かに存在したという証でもあるが故に、凍結された写真の時間と今実際に眺めている時間の大きな隔たりを見いだすことでもある。
かつて彼はここにいた。そして今はもういない。
人が重大で悲惨な病気だと感じるとき、患者の容姿の、特に顔の変貌の強さに驚くときだと僕は思う。かつてのふくよかな生気に満ちた顔が、青白く、頬が痩せこけ、目は落ち込み、別人の様相を呈しているのを見たとき、人は声を失い、患者が抱え込んでいる病いが重大であることを意識する。
また愛する者に死が訪れるとき、その死が苦痛も恐怖もない、「安らかな死」 であることを祈る。実際はその死が安らかであるか否かを他者は知ることが出来ない。でも「死に顔」がまるで「眠っている」 かのような顔であれば、人は悲しみの中で僅かな救いをそこに見いだすのだと僕は思う。
近代で身体にどれほど考察を加えようと、未だに顔は別格となっている。主に遺影として現れる姿は、顔が全体のほとんどを占める。遺影とは顔の写真ということであり、それは顔がその人の総てを現しているという認識でもある。
遺影に使われる写真は元気だった頃の写真を使う。誰も死に瀕した状態の姿を遺影にはしない。穏やかな表情、もしくは楽しげに笑っている表情、どれもが良い表情をしている。しかし送葬の式場に集まる中で、それぞれの時間の中で過ごす人達の中で、遺影に撮された人の時間だけが既に刻むことはないのである。それを遺影という以前に、写真そのものが、それを見る人達に意識させるのだと僕は思う。
遺影が広まったのは写真技術の普及と共にだが、これはある意味自然なことだった、と僕は思う。今では、遺影に写真以外の技術を使うことも可能ではあるが、しかし写真以上に繋がりと喪失を感じさせるとも思えないのである。
2006/07/13
癌について少し考える
僕は「末期の癌患者になった従兄弟」という話の中で、「それこそ生死をかけ、彼の持っている力の全てをもって戦うのである」、と書いた。
その眼差しで従兄弟のことをみれば、なすすべもなく崩れていった彼の姿しか思い浮かばない。癌との戦いは消耗戦であり、少しずつだが確実に彼の肉体を侵略し、ついには完全に屈服させられる。彼は癌との戦いに負けたのだ。
上記の眼差しは、 僕は知らぬ間に従兄弟が癌に罹った聞いた時点から、自分の気持ちの中にあったのだろう。そしてその癌への見方が、 「戦う」という文章になったと僕は思う。しかし今ではその見方が違うのではないかと思っている。
「癌との戦い」、癌治療に対し軍事用語が頻繁に使われる。癌は肉体を地図としたとき、まず人知れず橋頭堡を確保し、そこを起点として勢力を徐々に拡大していく。目立たずに侵攻する様は見事としか言いようがない。それに対応するには、進行(侵攻)を止めるべく行う化学療法、もしくは癌が在る部分(橋頭堡)自体の切除となる。
「戦い」と言うからには、双方に戦う相手が必要となる。片方は病気としての癌と言うことになろうが、もう一方は誰なのであろう。
おそらく患者自身は、癌との戦いに参戦している意識は薄いのではないかと僕は思う。人は誰でも重い軽いの隔てなく病に罹る。その時、例えば単なる風邪であっても高熱であれば、病人はただ朦朧とした意識の中で横たわるしかなく、後は自分自身の免疫力と、周囲の介護に身を委ねるしかない。意識の上での病人はただ無力である。
ただ、病としての癌のイメージとして、そこに戦争が在る限り、患者は突然の医師の宣告により戦場に投げ出されることになる。ただ実際に戦う意識を持つのは医療関係者と患者の家族かもしれない。そして双方の狭間で、患者は「癌との戦い」の兵士ではなく、単に戦場としての地図であることを意識し、人として無力感を持つに至るように思える。
従兄弟が腸閉塞と患部切除の手術を受けた後、医者は彼に対し食事と運動を強く促した。おそらく具体的に「戦い」に参戦せよとの要請であったに違いない。しかし彼は両者とも出来なかった。食事と運動、それが程度の問題に関係なく、その行為自体においても人間は力を必要とする。気力の問題以前に彼にはその力がなくなっていた、おそらく手術がその力を奪った、僕にはそう見えた。
癌以外にも人間はそれこそ多くの病気に罹る。でも「戦い」と公然に呼ばれる病は意外に少ないと思う。例えば「老人性痴呆症」は病であるが、だれもそれを「戦争」とは言わない。もしかすれば介護はそれこそ「戦い」に近いと思う。ただ仮に「戦争」と呼ばれたとき、戦うべき「敵」とは一体何を示すことになるのだろう。病としての「癌」のイメージは「戦争」に結びつく。そして誰も好きこのんで「戦争」に飛び込みたくはない。
だから検診などで癌マーカーが出ていない事を祈り、癌予防に効くと云われればそれを試し、発癌性物質があると言われる製品からその身を遠ざける。 でも企業などが行う定期検診の殆どは、法令で定められた最低限のことしか行っていず、そこでわかる病もあるが、
それ以上に見逃してしまう病のほうが圧倒的に多いのではないか、そう思っている。
実際は「癌」は人間が罹る病の一つでしかなく、重大ではあるが特別な病気ではない。
しかも早期発見をすれば完治する率が高い病気でもある。 しかし何故未だに多くの遅れてくる癌患者の多いことか。問題は病理学的な癌以上に、 癌という病いのイメージそのものにあるように思える。 そしてそのイメージが社会に蔓延することで、人は癌検診を受けるのを避けるようになるのではないだろうか。
社会に蔓延している癌のイメージとは、一つは上記に述べた悲惨な戦争のイメージであり、一つは長期入院を余儀なくされることから、競争社会の中でそれまで築き上げてきたキャリアをなくす恐れであり、一つは患者として社会から隔絶した病院の管理下に入るということである。 しかし癌と言えども全てが同じ症状になるとも限らない。癌の部位と程度、または肉体的な個体差により症状はまちまちだと僕は思う。
もしかすれば自分の身体を顧みて癌かもしれないと一人戦々恐々としている人が多いかもしれない。人は不調を続けて感じたとき、まず癌ではないかと疑う。しかし癌のイメージが病院に行くことを押しとどめる。そしてもうすこし様子を見ようと言うことになる。その不安感は、人を健康へと目覚めさせる。身体によいと聞けば様々なことを試し、暴飲暴食を慎み、生活態度を改めさせ、適度な運動を心がける。もしくは色々とある健康器具類をそろえる方もいるかもしれない。しかし、自分の健康への目覚めは良いことではあるが、それ以前にまずは病院での検診こそが必要だと僕は思う。
また病気に罹るということ自体で、患者は罪悪感に囚われる場合もある。まずは多くの場合、病院で医者から言われる 「何故もっと早くこなかったのですか」という一言が患者に罪があることを意識させる。そうでなくても患者は、「何故自分が」という不公平感に囚われているのである。そして過去を振り返り、生活が乱れていたとか、暴飲暴食をしたこととか、家系のこととか、様々な要因を自分から引き出し、気持ちを納得させようとする。でもそれは本当のところ難しい。癌の発生理由の根本的なところは、様々なことを言われているが全ては仮説であり、本当のところは誰もわからない。
癌は罪でも、ましてやその人の罰ではない。 癌に罹った理由を自分自身に求めることは、
病いに対して社会が造りあげた虚妄に乗るということだと僕は思う。また癌は外来的な原因によることも十分に考えられる。いずれにせよ患者に罪は全くない。ここで患者が自分に罪をかぶせると、それは先々医者とのコミュニケーションが、医者からの一方通行になる恐れがでてくる。自分の命(人生)を判断するのは、医者ではなく最終的には自分でありたい、
僕はそう思っている。
病いとは人間の肉体に及ぼす物理的な作用であり、だからこそ本来は癌への対応は技術的側面を持ってすべきだと僕は思う。よって病いに関しては、心理学的、 社会学的見地からの意見は必要ないのかもしれない。技術的側面とは、定期検診による自分の肉体の現状を知ること、癌に罹った時のために医療保険に検討加入すること、また信頼のおける病院を幾つか知っておくこと、医者とのコミュニケーションを円滑に行うべくノウハウを知っておくこと、自分の身体を守る為に時として疑問は残さないこと、また時として自己主張すべきであること、等のいわばハウトゥーである。
上記の事柄は当たり前のように聞こえるかもしれない。でも癌への様々なイメージは、隠喩として使われ、感動的な美談として映像化され、ロマンチックな悲恋物語の結末として小説化され、その他様々な状況・メディアにより再生産され続けている。現在では、癌を死と結びつけて考える人は少なくなったと思うが、それでも昔のイメージとしての癌はしぶとく生き残っている、と僕は思う。だからこそ、それらに付随する商業化した健康ビジネスの中で僕等は消費活動を続けているのである。
実を言えば僕も医者・病院嫌いで、滅多なことでなければ病院には行かない。だから上記の話題を書く資格はないのは自覚している。でも今回従兄弟のことを通じて僕が感じたことを少し書きたいと思った。まだ書き足りないのであるが、それらはまた別の機会に書こうと思う。
2006/07/12
時には昔の話を by 加藤登紀子
宮崎駿監督作品の中で一番好きな作品が「紅の豚」である。監督の空に対する果てしない憧れとロマンチシズム。おそらく主人公が人間であれば、これほど格好良く描くことは難しかったのではないかと思えてくる。見方にもよるが、このアニメは好き嫌いがはっきりと出るかもしれない。僕自身がこのアニメが好きなのは、ロマン主義的な傾向が僕の中に根強くあるからだと思う。
加藤登紀子作詞作曲の映画エンディング曲「時には昔の話を」は映画以上にその傾向が現れている。誰かが映画とは痕跡の表出であると言っていたが、それであれば自己回帰する作品は映画とは言えない。それでも、常ではないが、時としてそういう映画と歌を無性に見て聞きたくなるのである。
これから盛夏だというのに、今夜は既に秋の気配。時には煙草の紫煙の中で思いに耽るのも良いかもしれない。
2006/07/10
喫煙から健康と病気のことを少しだけ考える
僕は喫煙者です、と一抹の抵抗をもって言ってみる。少し前までは、 自分が喫煙者であることをわざわざ語る必要もなかった。でも今では、何故煙草を吸うの、という質問を受けるほどの有様である。 一抹の抵抗とは、自分が喫煙者であることを幾ばくか人に知られたくないという気持ちがあるからだ。
人に知られたくない気持ちとは、喫煙行為が百害あって一利なしとの社会全般の刷り込みが、この僕にも届いている事の証左でもある。さらに表に出れば喫煙場所は少なく、在ったとしてもそこは狭い穴倉のような場所だったりもする。そこで背を丸め、お互いを意識しながら、かといってそのそぶりも見せずに煙草を吸う様は、客観的に見れば見苦しい事だろう。
煙草の箱には、煙草がニコチン依存症の恐れがあることと、脳卒中の危険性が統計上高いと書かれている。また一部では、これもどこから持ってきたデータかは知らぬが肺ガンに罹るリスクも高いと聞く。また喫煙者よりもその周辺にいる人が受ける影響の方が高いとも聞く。だから現状の喫煙者への社会の対応は不当とは全く思わない。喫煙者は常に周囲に配慮を心がけなければならない、そう思う。
喫煙者の物言いで代表的なのは愚行権の行使かもしれない。それは一種のへりくだった喫煙者の態度でもある。喫煙が愚行であるとの認識は実は喫煙者には薄い。ただ社会が造りあげた喫煙の弊害に、表面上同調することが賢い選択だと思うが故の 「愚行権」という言葉なのだと思う。
正直に言えば、ほとんどの人は、自分にとって不利益な行為を選択する事は少ないのではないだろうか。つまりは喫煙といえども喫煙者にとっては本音ベースでは愚行ではないのである。逆に喫煙者である僕の問いかけは、何故社会はこれほど健康に対し偏執的になってしまったのか、ということである。
思うに、今ほど人が健康を気にし、他人に対し自分が健康であることを強調する時代もないように思う。まるで健康に気を遣わなければ、さらには健康でなければ人とは言えないような、そんな気さえしてくる。スーザン・ソンタグがいみじくも語っているように、病気は
「市民の義務のひとつである」、と僕も思う。
現在の健康に対する考えは、ひとつには病気に対する否定的な見方による。さらに病気とは自分が気をつければ罹らない、在る意味管理可能な領域であるとする考え方も見え隠れするのである。知人でも病気になり入院するとそれを隠そうとする。余計な心配をさせたくはないとの配慮もあると思うが、それ以上に病気になったことを他人に知られたくないという気持ちの方が強いのではないだろうか。
「病は気から」という物言いが今でも通用している。少しの病であれば気力で打ち克つ、学校でも仕事の場でも、時としてそのような物言いが横行している。病をおして仕事を完遂した者は周囲から評価され、病気で重要な会議を欠席した者はそのポストから追われる。確かに人の心の持ちようが、身体の免疫力に影響があると言われているし、僕もある程度はそれを信じてはいる。
でも「病は気から」の物言いには、病気の原因を病人本人に帰してしまう考えが内在している。病気になったのは病人自身が気のゆるみから、そこに病気が入り込んだというわけである。そして病人は自らを責めることになる。病気の姿を人に見せることは、ようするにそういう弱い自分をさらけ出すこと、それは自分が病気になったことが証明している、だからこそ人は病気になっても人に伝えることをしない、僕はそういうふうに考えている。
従兄弟が亡くなる前に僕に話したことがまさしくそれだった。彼は僕にこう言った。
「まず歯が悪くなった。よく噛まずに食事をとった。そして腸が悪くなった。何もかもが繋がっているんだよ。今の俺はまな板の鯉だよ。何でも医者の言うことを聞いている。」
彼の言い分は正しく聞こえる。それに僕は従兄弟が何故自分が病気になったのかを、自分なりに納得する強い気持ちもわかる。原因を自分に求めて考えなければ、彼は自分の境遇に納得できなかったのではないか。だからこそ僕は黙って従兄弟の言い分を聞いていた。でも病気はたまたま罹り、そして巡り合わせが悪く最悪の結果になった。すべてはたまたまの巡り合わせの問題であったと、僕は思っている。
「今はまな板の鯉だよ」と言った従兄弟の言葉の裏には、悪いのは自分だからといった気持ちが隠されていると思う。今の時代は「健康」であることが人間の条件の最大の一つである。その上で、「健康」の定義について考えなければならないという、一種のパラドックスの中にいるのも実態だと僕は思う。「健康」であること、それは具体的に言えば若さを保つこと、安易に結びつく「健康」と「若さ」の関係に、現代が「若さ」を一つの基準に設けていることが、様々な問題の一因でもある様にも思える。
でも実際は「健康」も「病気」も人間の一つの状態でしかなく、条件という事からはほど遠い。喫煙の話から健康について少しだけ考えてみた。今後も引き続き病気について考えていきたいと思っている。
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