江川紹子さんのコラム「それでも、命は命だ」のコラムを読み、今回のイラク人質について色々なことを教わった。
江川さんは、まず香田証生さんの行動に理解に苦しむとしながらも、「それでも、命は命だ」として「本人に落ち度が認められるようなケースであっても、政府には邦人保護の義務があり、命を救うために全力を尽くす責任がある」と明言されている。
僕もそのとおりだと思う。香田さんがイラクを含む中東情勢に対し一般的な知識がなかったことは事実だと思う。これはかなり強引な想像だが、ニュー ジーランドに行かれたのが今年の初めだったので、今年の春に起きた人質事件の詳細を含む状況が認識されていなかったのではと思う。
ただし、理解に苦しむ行動に出たとしても、政府には邦人保護の義務を負っているのは事実なのには変わりはない。
さらに江川さんは、今回の一連の状況の中で以下の点をあげている。
・米軍の香田さん探索のやるきのなさ
・日本政府の情報収集力の弱さ
さらに小泉首相の第一声が「自衛隊は撤退しない」だったことにより、テログループと交渉する接点をなくしてしまった事もあげている。
この首相発言の問題は、発言当初より何名かの意見として出ていた。僕の友人も同様のことを言っていたし、僕も友人の意見に同意した。どの国の交渉人 は犯人との信頼関係をまず構築すべく努力する。信頼関係がなければ最悪の結果になってしまう。実際には撤退は無理だと思うが、言葉を濁して相手からの線を 切らずにおく事は大事なことだと思う。相手はそのような連中じゃないとの意見もあるとは思うが、最初から断ち切るよりはましだと考える。
米軍のやる気のなさを想像できるのは、一連の香田さん遺体発見の誤認からであり、日本政府が米軍べったりの情報収集と探索の仕方に情報収集力の弱さ を見ている。香田さんの足取りは政府でなくジャーナリスト達が収集してきた情報であり、政府はその点においても後手後手となっていた点も上げられている。 また、米軍ははじめから遺体を探していたのではと思わせる印象も受ける。誤認から受ける印象はきわめて悪い。
上記の説明を読むと、そこからイメージされてくるのは、米軍と日本政府のやる気のなさである。米軍の場合は、同盟国とはいえ他国の民間人を、自分の 危険を顧みずに熱心に探索する気持ちを持たないのは自然かもしれない。江川さんも、その点を言っているが、さらに言うのが日本政府の米軍に対する覇気のな さである。誤認の時などに政府は米軍に対し邦人保護と探索の強い意志を見せるべきだった。それを行ったかどうかは実際は不明だが、それまでの日本政府の対 応から、そうしなかった事は想像できる。
それでは何故日本政府は強い邦人保護の姿勢を見せなかったのだろうか。それについては江川さんは、日本国内の香田さんに対する世論の盛り上がりにか けている点を上げていた。勿論それは今年の春からの一連の人質事件と比べての話だろう。折も悪く、日本国内は新潟県中越地震に目が向かっていた。特に香田 さんの事件がわかったときは、土砂に巻き込まれた親子3人の救出に対し、多くの人は祈るような気持ちでTVを見続けていた時でもある。
さらに香田さんが、イラク情勢に予備知識もないままの入国から人質事件の流れに、批判が湧き上がった事もあげられている。(江川さんが特に指摘したのがネット掲示板での書き込み内容だった)
世論が新潟県中越地震に向かい、香田さんにたいしては批判が多かった事が、政府が強い邦人保護の意思を見せなかった一つの要因でもあると言っている。僕もこの意見に同感する。
江川さんは、今回の米軍の対応について、政府は毅然として抗議すべきとの意見を持っている。
確かにこの状況のままでは、邦人の命は軽く扱われるに違いない。共にテロに戦うのではなかったのだろうか、今回のアメリカの行動は同盟国のそれではなかったと考えてしまう。
そして何よりも、今回の政府の対応(前回もそうだったが)が何を行ったのか全く見えてこない。人を派遣するのは良いが、派遣された人の、そして国内での政府の詳細な行動の提示を望む。
今回の江川さんのコラムは同感する部分がとても多くあった。そして何よりも、政府の対応を今後も厳しく見て要望することが、ひいては自分を守る事につながるとの基本的な考えを再度確認したと言ってもいい。
今回多くの新聞は香田さんの事をコラムで取り上げている。その中で一番失望したのは、産経新聞だった。「自己責任」の一言で片付けている。その一言 で終わる問題ではないと思う。それともステレオタイプにすべてのイラク人質問題は民間の自己責任で片付けるつもりなのだろうか?少なくともジャーナリスト の態度ではないように思えた。
よくある例えだが、夜の道は危険だと言われている場所に女性が一人で歩いていて暴行を受けたときに、自己責任だからと一言で片つけるのであろうか?憎むべ きは犯人だが、何故犯人がそういう行動に出たかの内部要因と外部要因を深く掘り下げ、その上で問題点と対応方法に論じるのがジャーナリズムの姿だと思う。 もし産経新聞が、問題はすべて語りつくされていると判断した上での、一言であれば何故いまだに色々な意見が出てくるのだろう。
江川さんは、まず香田証生さんの行動に理解に苦しむとしながらも、「それでも、命は命だ」として「本人に落ち度が認められるようなケースであっても、政府には邦人保護の義務があり、命を救うために全力を尽くす責任がある」と明言されている。
僕もそのとおりだと思う。香田さんがイラクを含む中東情勢に対し一般的な知識がなかったことは事実だと思う。これはかなり強引な想像だが、ニュー ジーランドに行かれたのが今年の初めだったので、今年の春に起きた人質事件の詳細を含む状況が認識されていなかったのではと思う。
ただし、理解に苦しむ行動に出たとしても、政府には邦人保護の義務を負っているのは事実なのには変わりはない。
さらに江川さんは、今回の一連の状況の中で以下の点をあげている。
・米軍の香田さん探索のやるきのなさ
・日本政府の情報収集力の弱さ
さらに小泉首相の第一声が「自衛隊は撤退しない」だったことにより、テログループと交渉する接点をなくしてしまった事もあげている。
この首相発言の問題は、発言当初より何名かの意見として出ていた。僕の友人も同様のことを言っていたし、僕も友人の意見に同意した。どの国の交渉人 は犯人との信頼関係をまず構築すべく努力する。信頼関係がなければ最悪の結果になってしまう。実際には撤退は無理だと思うが、言葉を濁して相手からの線を 切らずにおく事は大事なことだと思う。相手はそのような連中じゃないとの意見もあるとは思うが、最初から断ち切るよりはましだと考える。
米軍のやる気のなさを想像できるのは、一連の香田さん遺体発見の誤認からであり、日本政府が米軍べったりの情報収集と探索の仕方に情報収集力の弱さ を見ている。香田さんの足取りは政府でなくジャーナリスト達が収集してきた情報であり、政府はその点においても後手後手となっていた点も上げられている。 また、米軍ははじめから遺体を探していたのではと思わせる印象も受ける。誤認から受ける印象はきわめて悪い。
上記の説明を読むと、そこからイメージされてくるのは、米軍と日本政府のやる気のなさである。米軍の場合は、同盟国とはいえ他国の民間人を、自分の 危険を顧みずに熱心に探索する気持ちを持たないのは自然かもしれない。江川さんも、その点を言っているが、さらに言うのが日本政府の米軍に対する覇気のな さである。誤認の時などに政府は米軍に対し邦人保護と探索の強い意志を見せるべきだった。それを行ったかどうかは実際は不明だが、それまでの日本政府の対 応から、そうしなかった事は想像できる。
それでは何故日本政府は強い邦人保護の姿勢を見せなかったのだろうか。それについては江川さんは、日本国内の香田さんに対する世論の盛り上がりにか けている点を上げていた。勿論それは今年の春からの一連の人質事件と比べての話だろう。折も悪く、日本国内は新潟県中越地震に目が向かっていた。特に香田 さんの事件がわかったときは、土砂に巻き込まれた親子3人の救出に対し、多くの人は祈るような気持ちでTVを見続けていた時でもある。
さらに香田さんが、イラク情勢に予備知識もないままの入国から人質事件の流れに、批判が湧き上がった事もあげられている。(江川さんが特に指摘したのがネット掲示板での書き込み内容だった)
世論が新潟県中越地震に向かい、香田さんにたいしては批判が多かった事が、政府が強い邦人保護の意思を見せなかった一つの要因でもあると言っている。僕もこの意見に同感する。
江川さんは、今回の米軍の対応について、政府は毅然として抗議すべきとの意見を持っている。
確かにこの状況のままでは、邦人の命は軽く扱われるに違いない。共にテロに戦うのではなかったのだろうか、今回のアメリカの行動は同盟国のそれではなかったと考えてしまう。
そして何よりも、今回の政府の対応(前回もそうだったが)が何を行ったのか全く見えてこない。人を派遣するのは良いが、派遣された人の、そして国内での政府の詳細な行動の提示を望む。
今回の江川さんのコラムは同感する部分がとても多くあった。そして何よりも、政府の対応を今後も厳しく見て要望することが、ひいては自分を守る事につながるとの基本的な考えを再度確認したと言ってもいい。
今回多くの新聞は香田さんの事をコラムで取り上げている。その中で一番失望したのは、産経新聞だった。「自己責任」の一言で片付けている。その一言 で終わる問題ではないと思う。それともステレオタイプにすべてのイラク人質問題は民間の自己責任で片付けるつもりなのだろうか?少なくともジャーナリスト の態度ではないように思えた。
よくある例えだが、夜の道は危険だと言われている場所に女性が一人で歩いていて暴行を受けたときに、自己責任だからと一言で片つけるのであろうか?憎むべ きは犯人だが、何故犯人がそういう行動に出たかの内部要因と外部要因を深く掘り下げ、その上で問題点と対応方法に論じるのがジャーナリズムの姿だと思う。 もし産経新聞が、問題はすべて語りつくされていると判断した上での、一言であれば何故いまだに色々な意見が出てくるのだろう。
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