「めぐりあう時間たち」を知ることによりフィリップグラスを知り得たことは僕にとってはとても大きい。「めぐりあう時間たち」を筆頭に、数多くのグラスの音楽を聴いている。
僕にとって幸いなことに、最近(多分映画の影響だと思うけど)、グラスの曲が初期のものを含めてCDが多く売り出されたことだ。しかも比較的安い(アルバム1枚が1500から1800円くらい)。
最初、渋谷のタワーレコードでグラスのCDがどこにあるのか探すのに苦労した。初めから係の人に聞けば問題はなかったのだけど、始めて聴いた曲が映画音楽なので、イージーリスニングか、ポップ音楽のコーナーだと思いこんでいたからだ。探しても見つからなかったので、係の人に聞いたらクラシックの現代 音楽コーナーだとのこと。クラシック扱いになっているのに驚いた。でも今では彼の経歴を含めて知っているので、それが自然だと思っている。
渋谷タワーレコードの現代音楽コーナーの隣には、バッハコーナーが置かれていたのには、なにか面白さを感じた。それと同時に、「めぐりあう時間たち」の原作者マイケル・カニンガムの話を思い出した。
彼に言わせると、仮に宇宙人がいて、その宇宙人に地球人の事を理解してもらう為には、小説ではなく、絵画でもなく、音楽が最適だと言っていた。しかも彼は音楽の中でもバッハを差し出すと言っていた。このコメントに僕は素直に同意をする。
勿論カニンガムはグラスの曲も好きで、本の執筆中は音楽を聴きながら行うとの事だが、その音楽の中にグラスの曲も入っていると言っていた。
グラスの曲を聴いてみると、彼の意見はお世辞でも何でもなく実際の話だと実感する。つまり、グラスの曲にはなにかしらイメージを喚起させる力がある と思うのだ。身体ではなく心が動く音楽、その心は安定の方向でなく何かを生み出す方向に動いている。一言で言えばそんな感じがする。
今日グラスのCDを3枚買ってきた。「コヤニスカッティ」「ポワカッティ」「ナコイカッツィ」のカッティ3部作と呼ばれるグラスの代表的な映画音楽 だ。ちなみに全てアメリカ先住民ホピ族の言葉で、コヤニスカッティは「バランスを失った世界」、ポワカッティは「自己の繁栄のために他人の生命力を食い物 にする生き方」、ナコイカッツィは「お互いに殺し合う生活」の意味とのこと。この三作はゴッドフリー・レッジョ監督の映画で、かなりの話題を呼んだらし い。でも僕はまだ観てはいない。
音楽だけでも、イメージが溢れていて凄いと思うのに、それに映像が加わった時を考えると、正直言って受ける影響が怖い。それが観るのをためらわせている。
僕にとってグラスは好みに合うが、嫌な人も多いような気がする。音楽は嗜好性があるので、どの音楽に対しても、人によって好みが別れるところとは思うが、グラスの場合特にその傾向があるような気がする。それだけ個性が強い音楽だと思う。
今日行き帰りに「ナコイカッツィ」を聞き続けた。特に好みは2曲目「Primacy of number」テンポの良い曲だ。何かが疾走している様をイメージできる。ヨーヨーマのチェロも素晴らしい。
良い音楽は時代を超える力があるから、そこに古いも新しいもないと思う。グラスを知ったのは人から見ると、今更と言われるかもしれないが、バッハ だって現代の人は全員後から聞いているのだ。古い新しいを接頭語に付ける音楽は多分そこまでの音楽だと言うことになる。まぁ、それはそれで時代を現してい ると言えばそれまでの話だけど。
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