2004/11/05

個人?ユニット?

米国大統領選挙はブッシュ氏の再選で幕を閉じた。

なんともはや不思議な結果である。不思議というのは僕が反ブッシュだからと言うわけではなく、単なるTV等で受ける印象・・「みんなブッシュ嫌いではなかったの?」から来ているに過ぎない。

日本でもブッシュ嫌いが多かったように思える(まぁいくら日本の多くの人がブッシュ嫌いと言っても大統領選には影響が出ないとは思うけど)。

日本でブッシュ嫌いと言っている理由の多くはイラク問題だと思う。他にはマイケル・ムーアの「華氏911」の影響も大きいかもしれない。

僕 はどうもユニット単位で考えることが苦手な方だと思う。どうしても個人のレベルで物事を見てしまう傾向にある。そうなることで見えることも見えないことも 出てくる。でもどういう訳か今回の米国大統領選に関しては、自分がユニット単位で職種としての大統領を見ていることに気がついた。でも逆にこの件について は周りは個人レベルで見ているように思える。

僕にとっては大統領と言う職業を選ぶことは、個人から米国というユニットに収まることを意味している。何が言いたいかと言えば、誰がなっても米国は米国でしょうと言うことだ。それともこれは認識不足なのだろうか・・・多分そうかもしれない。

マ イケル・ムーアの「華氏911」はまだ観てはいないけど、「ボーリング・フォ・コロンバイン」は映画館も含めてビデオでも何回かみたことがある。とても良 い映画だと思う。僕にとって秀逸だったのは、チャールスヘストンを虐めたことでもなく、米国銃犯罪の根底には「不安」と「疑心暗鬼」があり、それを操る大 資本をスポンサーバックにしたマスコミの姿を描き出しているからだ。でも、あの映画はドキュメントではないと思う。事実を元にして、マイケル・ムーアが自 分の言いたいことを明確にするために映像を編集・再構成している。アカデミー賞でもドキュメント部門での候補作では無かった。同様に「華氏911」でも同 じ手法を取り入れていると思う。映像というのは編集によって、物事を正にも邪にもすることが出来ると思う。よって、あそこに描かれているブッシュ大統領の 姿は書籍とかサイトで知っているけど、僕はあまり信じてはいない。

蛇足だけど、俳優としてのチャールス・ヘストンは大好きだ。それはあのよ うに描かれていても変わらない。マイケル・ムーアは米国銃社会の象徴として彼を虐めたけど、逆にあれは僕から言わせると文字通り「蛇足」だと思う。彼は単 に米国憲法を遵守しているだけなのだ。彼が謝れば、マイケル・ムーアは米国銃社会を変革できると思ったのだろうか?間違いなくそんなことは思ってないはず だ。

物事は時としてユニット単位、時として個人と使い分けて見なければわからなくなる事が多いと思う。そして、最初の出発点(ユニットか個人か)を誤れば結果は全く違った物になっていく。

例えば、今回の香田さんの事件だけど、色々な小道具が使われていた。小道具というのは星条旗とかビデオとかで、あと彼らの声明文の中にも言葉として使われている。それらの小道具は、人から見ると多くのユニットのイメージを喚起させられる。

で もそれらの小道具を全て取り外すと見えてくるのは、犯人達一人一人の自分勝手で臆病で考えが狭い人の姿だと思う。もし本気で自衛隊を撤退させたいのなら、 端的に全員で玉砕覚悟の突撃を行えばいい。それで日本の世論は大きく動揺するはずだ。でも彼らにはそれも出来ないと思う。なぜなら昔から人殺しは自分の命 だけは大事にするからである。


追記:

考えてみれば僕等が受け取る米国の情報は東西海岸からの発信が多いような気がする。西海岸は昔から日本との関係はあったし、東海岸は政治・経済の中心の都 市がある。同じ米国でも中西部からの情報は少ないかもしれない。そして東西海岸のマスコミは反ブッシュだった。日本のメディアは米国と言っても東西海岸か ら発信される情報に影響を受けている傾向があるような気がする。僕は大統領選の選挙人獲得州の色分けを見ていたらそんな風に感じた。

誰だって自分の考えを決めるときには情報が必要だ。そしてその情報をどこから入手するか、もしくはどの情報を信じるかで、その人の考えは決まるように思えるので、あながち間違えてもいないかもしれない。(2004/11/6)

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