2004/11/19

NASAの写真


NASAの宇宙から見た日本の写真を時折眺める。
特に地球が文字通りに球体と感じられる写真が好きだ。ただ単に日本を写した写真だと普段見る地図とそんなに変わらない感じがするからだ。

地図と変わらないと言う感じが我ながら面白い。地球をモデリングしている方は地図だから、逆の感覚が正しいのに。でも実感しているのは地図と同じという方だ。

地球が球体である事を実感したのは、学生時代に船で旅行した時だった。それまでは勿論常識として知ってはいたけど実感はしたことがなかった。海原の 中で四方八方陸地は全く見えない。その時に水平線が丸みを帯びている事で地球は丸いんだなぁと感じ。目的地が陸地でなく山から先に見えたことでさらに実感 したと言うわけだ。

「実感する」とは意識の働きだが、それはあくまで主観的な現象だと思う。だから人により実感する内容と程度は違ってくる。また「実感する」為には、 はじめ記憶が必要だと思う。何もない状態から人は「実感する」ことは出来ないのではないかと思うのだ。特に記憶の中では経験とか体験に基づくものが強い様 に思える。それは何もない所から創造するかのように見える芸術家においても同様と思うが、どうだろう。
例えば、宮沢賢治が岩手県に見いだした「イーハトーブ」は、彼の記憶とそこからの想像とで形作られ、心象イメージとして彼はその世界を実感することが出来たのではないかと思う。

僕の仕事では「モデリング」という言葉が頻繁に出てくる。モデリングとは「現実を捨象し、対象の本質を表現する手段のこと」でその手法は数多くあ る。ただ、色々な手法も結局の所、個人の主観的な実感を客観的な現象に変換する作業のような気がする。つまり実感の共有化を行う感じに近い。人は実感した ことについては、経験として信念を持つ様に思う。

とここまで書いて、自分で実感と知識を同列に置いて考えている事に気がついた。ある意味似ているのかもしれない、そんな感じがした。

そ ういえば、以前に小学生の何割かが天動説である事を驚く新聞記事があったが、読んだ時に何を新聞は言いたいのか理解できなかった。地動説より天動説の方が 地上で星を見る場合、自然に実感する事だと思うし、いずれは知る事だと思う。逆に僕が驚いたのは、それを全国紙の一面トップ扱いした新聞社の感覚の方だっ た。時に三位一体政策論議が為されている中での、一面トップの扱いに何らかの意図を感じた。

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