今回の一連の不幸な出来事で、原卓也氏が29日に亡くなられた事を知ったのが今日(31日)であった。これで、江川卓氏と二人のロシア文学者が亡くなられたことになる。
ロシア文学は、日本文学で言えば太宰治と同様に青春期に一度は通る熱病みたいなイメージが僕にはある。ご多分にもれずに僕もロシア文学にはまった時 期があった。その時にお世話になったのが、江川卓氏と29日に心不全で亡くなられた原卓也氏(74才)であった。主に江川卓氏はドストエフスキー、原卓也 氏がトルストイを訳されていたように思ったけど、新聞記事を読むと、原卓也氏は「静かなるドン」とチェーホフも訳されていたとのこと、今更ながらロシア文 学に多大な貢献をされた方だと思った。
僕の場合、主にドストエフスキー中心だったので、トルストイは「アンナカレリーナ」くらいしか読んではいない。「戦争と平和」は長大すぎて、読むよりは映画の方を堪能した。
ただ、「戦争と平和の」にクラウゼウィッツが登場し「戦争論」批判を行うくだりがあるが、その部分だけは拾い読みをした。クラウゼウィッツは戦争を政治の 手段と解釈し、何名の犠牲で政治決着するかの予想をナポレオンとの戦いの前に行う。それとなく聞いてしまう主要登場人物の一人アンドレイは、命を軽んじる クラウゼウィッツの言葉に怒りを覚える。そのシーンは映画でも再現されているけど、トルストイらしい「戦争論」批判だと思う。
「戦争と平和」の映画は、ロシア版と米国版の両方とも見た。米国版はどちらかというとオードリィー見たさが中心だった。やはりロシア版の方が原作に 忠実に描かれているようだ。ロシア版は原作と同様に長大な映画だけど、生身の人間が戦いの部分も含め演技しているので、CGを使いすぎる現在の映画に比べ て、小手先でない説得力があるように感じる。
江川卓氏の訳本では「ドクトルジバゴ」もあるが、それは以前から読もうと思い購入したけど、まだ読み始めてもいない。やはりドクトルジバゴも映画を 先だった。素晴らしい映画だと今でも思っている。特にジバコとララの逃亡生活中に、短い期間一緒に生活したときに、ジバコはララのために一晩かかって詩を 書く。愛に満ちあふれたその詩を書くシーンが大好きだ。
つまり僕にとっては、この二人の名前はロシア文学に繋がり、それは学生時代の思い出にも繋がっている。原さん、そして江川さん、本当に大切な思い出をいただき、ありがとうございました。
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