2004/11/27

地球上で一番セクシーな男

米国ピープル誌の毎年の恒例企画である「地球上で一番セクシーな男」に「ジュード・ロウ」が選ばれ た。この賞はピープル誌の編集者らによって選ばれ、故人は含まれないとのこと。タイトルを含め何事も順列を決めたがる米国ならではの賞だと思うが、本音の 部分では一種の「しゃれ」に近いものがあるのだと思う。ちなみに今までの受賞者をあげると、メル・ギブソン、ショーン・コネリー、デンゼル・ワシントン、 リチャード・ギア、ベン・アフレックス、そして去年はジョニー・デップと映画俳優が多い。

ジュード・ロウを意識したのは「ガタカ」からであった。それから「リプリー」も良かった。ジュード・ロウは美しい外見を持つと同時に、その他の多くの人気俳優と同じで才能も映画と演技に対する情熱も強く深い。

しかしこの賞の「地球上で一番」でというタイトルが凄い。「セクシー」というのは「美人」と同様に「他者」からの呼称だと思うので、人によってその 感覚は違うとは思うが、逆に興味があるのはこの賞を選考した編集者達である。編集者達の総意とは言え彼らの趣味がわかり、「しゃれ」として受け取らない限 り、ある意味気色が悪い(笑

現在は不透明性が増し、「セクシー」「美人」等の価値観も個人の感覚に委ねられていると思う。しかし、多分以前は「セクシー」「美人」等にも、時代により変化するとはいえ、その時代毎に共有する価値観があった様な気がする。

例えば男性の魅力は「力」という価値観が長く支配していたと思う。「力」ということは実際の腕力を意味する時代もあったし、最近では所謂「3 高」(学歴が高い、収入が高い、背が高い)というのもそれに該当する。いまだにそれを信奉する男性も多いかもしれない。例えば、失恋した時に真っ先に理由 として思い浮かぶ事は、この3つの内いずれかという方も多いのではないのだろうか。でも実際はこの3つの理由にではなく、相手とする異性とのコミュニケー ションがうまくいかなかっただけの事が多いと思うのだが。

僕は姉の影響で多くの少女漫画を見てきた。少女漫画の内容の移り変わりと、少年漫画の移り変わりの違いは全く違う様に思う。少年漫画は概ね努力と気 持ちで成長しライバルに勝つ事で異性を得るパターンが多いように思われ、それらは時代による変化は小さいように感じられる。しかし、少女漫画の方はいつの まにか、普段のままの自分が自然であるが故に好きな異性と恋愛するパターンに変わって来ている。
もともと、3高も女性がそれを望む事からステータスになっていったと僕は思ってもいる。それを望む女性とは、多くはそうなって欲しいと育てた息子の母親達 の事でもあるが。その母親達の時代の価値観で育てられた息子達は成長し気が付いたら、同世代の女性達にはその価値観はなくなっていた、そんな図式が(3高 だけでなく)今でもあるような気がしてならない。

何故そう思うかというと、僕は背が高い、周りの男性から良いなぁと言われる事がたまにある。そして、そう言う時の男性は概ね失恋状態にある時が多い。でも僕の経験から言わせてもらえば、当たり前だけど、背が高いことと女性からもてることとは一切関係がない(笑

ただ女性の方も多様化しているわけで、同じ価値観を持ち続けている人もいるだろうから、まぁ気にすることでもないのかもしれない。
それにこれからは男性も積極的に育児に参加する時代になっていくと思うので、母親の影響をうけて育った子供達が、今度は男性である父親の影響を受けて育つことになるのだから、思うに新しい時代がそこから作られていくような気がして良いことのように思える。

「地球上で一番」のしゃれなので、内容もしゃれてみた。え?しゃれてないですか・・・それは失礼しました。

●しゃれ【洒落】
〔その場の思いつきとして〕 類音の語に引っかけて、ちょっとした冗談や機知によってその場の雰囲気を和らげたり 盛り上げたり する言語遊戯。
(新明解国語辞典 第五版 (C) 三省堂より)

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