2004/11/03

西脇順三郎の「旅人かえらず」


いまさら西脇順三郎の事を書きたいと思うなんて、僕の頭はどうかしてしまったのだろうか、没後22年 を迎えるこの詩人の事を思い出すとは。いや、思い出すというのは適切ではないかもしれない、彼の詩集は僕の傍らにずっとあったのだから。しかし、旬の話題 でない事は確かだと思う。でもこのMEMOに元々旬の話題なんて求めてもいないから、気にするのはやめよう。

西脇順三郎を知り得たのは、高校の図書室の本を全て読破しようとの無茶苦茶な野望に一瞬の間取り憑かれたせいだった。勿論それは一瞬の野望だった。 でもその時に無作為で取り出した本の中に西脇がいた。そしてすぐに僕は西脇の虜になった。特に詩集「旅人かえらず」にまいってしまった。だから、僕にとっ て西脇を語るときは「あむばるわりあ」「近代の寓話」「第三の神話」「失われた時」等ではなく、あくまでも「旅人かえらず」なのだ。

「旅人かえらず」は西脇の詩集の中でも比較的入りやすい。西脇というとシュールレアリスムとなるが、アンドレ・ブルトンが提唱した「シュールレアリスム宣言」での「精神の全的解放と合理的なものへの反逆」は確かに西脇の詩の中にはあるように思える。

また、西脇の詩は難解だとよく聞く。だいぶ前の話だけど、西脇の詩の注釈本を書いた人がいたそうで、その方は毎日のように西脇の自宅に行き、1つ1 つ確認しながら苦労して完成させたと聞いたことがある。それほどに西脇の詩は謎が多く、時には暗号的と思えてしまう程だ。そして、多くの詩人達は自作の詩 について語らないと同様に、西脇は自分の詩を語らない。ただ、詩論については述べている。

西脇の詩論で有名な言葉がある「詩を論ずるは神様を論ずるに等しく危険である」。西脇にとって詩作とは、神様に対峙する時の人間の矮小さに腹を立てる事らしい。そして、先ほどの言葉に続く言葉が「詩を論ずるは危険である。もうすでに断崖より落ちてしまった。」となる。

日本の詩歌は、自然を自分という媒体で再構成する事を主に育ってきたように思える。そして、そこには伝えるべき他者がいる。他者に伝えることは、自然の美しさではなく、その時の自分の気持ちであったと思う。しかし、西脇の詩の難解さを思うと、彼の詩には伝えるべき相手がいないように思えてくる。別の 言い方をすれば、西脇は読者を想定していない。不在なのである。それは先ほどの彼の詩論の言葉を見てもそう思えてくる。では彼は一体誰のために、何のために詩作を続けたのだろう。

ある哲学者が芸術について面白いことを言っている。「芸術家が鑑賞者を想定して作品を作ると道を誤る。なぜなら芸術は人間一般の肉体的本質と精神的 本質を前提にしているからだ。だから、詩は読者に向けてなく、音楽は聴衆に向けてなく、絵画は鑑賞者に向けてはいない。詩は言葉自身が持つ究極の目的であ る、純粋言語に戻ろうとする努力の一旦である。」と何か訳のわからない話である。でもその意味を西脇はわかりやすく、「神様に対峙する時に感じる矮小さに 腹が立つ」と表現しているようにも感じる。

「旅人かえらず」に話を戻す。この詩集にはタイトルの「旅人かえらず」の詩はない。あるのは一連の番号でくくられた詩である。よって連作詩と見るこ とも出来るし、長大な詩と見ることも出来る。僕は後者のイメージがある。つまり、一冊全てで一個の詩という見方だ。タイトルの「旅人かえらず」の意味につ いて、人はただ消える事を示していると思う。そしてタイトル通りに詩人は色々な場所を旅する。この詩の冒頭部分を載せる。


旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考えよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考える水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思いを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望はうつつ
そう言うはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃


端的に人の命が有限であり、消え去るのみである事を表現していると思う。人は「岩間からしみ出た水霊」であり、ひからびる事になる。僕はこの冒頭の詩の部分で、転調する部分「ああかけすが鳴いてやかましい」と最後の「浮雲の影に水草ののびる頃」が好きだ。
「かけすが鳴いて」考えが散漫し、いらいらしている作者がいる。また幻影の河童は「浮雲の影に水草ののびる頃」に遊びに出てきて「花をかざした幻影の人」の事を語り、旅人であり水霊でもある人を惑わす。

西脇は多摩川の川辺を、彼の教え子でもある詩人滝口修造と散歩をよくしたそうだ。この「旅人かえらず」には多摩川と世田谷の風景が随所に出てくる。もしかするとこの「水」のイメージも多摩川を散歩して出たのかもしれないと思えてくる。

しかし、ノーベル文学賞候補にまでなった、偉大な詩人をよく語ると我ながら思ってしまった・・・でも今後も、他のMEMOの時でも、イメージするこの詩の断片を書いていこうと思ってたりもしている。

画像は詩人の絵です。西脇順三郎は最初の詩集出版の後、10年間、詩作をやめ絵を描き続けていた。

この絵のその時代の絵ではなくその後の作品
『北海道の旅』 1950年代 油彩

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