2005/02/08

ランディさんのブログ記事「寒い」

田口ランディさんの「寒い」を読む。ランディさんにとってこの文章は誤解を与えるかもしれない。そんな気がしている。

▼まず、つかまり立ちをした11ヶ月の子供を自分勝手に殺害した加害者に責任があるのは自明なのが前提だと思う。その上で、他の幻聴を聞こえる方々が同様な目で見られることを懸念している。
「繰り返し事件がテレビや新聞で報道されると、あたかも幻聴が聞こえる人がすべて危険であるような、そんな雰囲気が生まれてくる……、かもしれない。」

▼さらに、社会システム上に何らかの問題が在ったとすれば、それも改善していかなければならないと言っているのだと思う。

▼犯人が一番許せないのは事実だけど、憎む気持ちが他に向けられない事、そして憎む気持ちが改善すべき問題を見えなくしてしまう事をランディさんは恐れている。僕はランディさんの記事をそういう風に読んだ。

▼しかも、ランディさんのブログ記事「寒い」の本文に「寒い」という言葉は1つも出てこない。ランディさんは何を持って「寒い」と言っているのだろう。実は僕にはよくわからない。

▼犯人の行為とその時の心情の事だろうか。コメントを出さない厚生施設の事だろうか。世の中がランディさんの懸念する方向に向かうかもしれないという恐れからだろうか。踏みつぶされるかもしれない名もない個人の事だろうか。それとも、近くて遠いこの出来事の中でも暮らしていかなければならない自分の事なのだろうか。

▼では一体僕はどうなのだろう。正直言えば、犯人の行為に憎しみを持った。ご両親のことを考え悲しくなった。そしてそこで僕の思考は停止したままだった。でも犯人への憎しみが他の人にいくことはなかった。また、ランディさんのブログを読むまでは、誰も知らないところで踏みつぶされる人を想像することも出来なかった。

▼でも、ランディさんのブログを読んで考えたときに、少しずつ「寒さ」に同調する自分がいるのも事実だった。僕の場合感じる「寒さ」は、犯人の行為に対することから、自分が「近くて遠いこと」と身を半歩外に出て眺める姿勢までの、その範囲にある総てをひっくるめた感覚に近かった。

▼だったらどうすれば良いのかなんて、僕には今のところわからない。それだけがわかる。

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