2005/02/15

小学校乱入事件に思うこと

「14日午後3時ごろ、大阪府寝屋川市初町の市立中央小学校(坂根博一校長、児童601人)に刃物を持った若い男が侵入し、職員室などで教職員の男女3人の背中などを刺した」(朝日新聞から

大阪府寝屋川市の市立中央小学校で、授業中に起きた教職員ら3名の殺傷事件に驚いた。犯人は近くに住む17歳の少年で、子の学校の卒業生だったとのこと。これでまた学校の安全管理問題が浮上するかと思うと、すこし気分が暗くなる。

少年の目的が「学校襲撃」か「特定する人への攻撃」かは未だ不明だが、「学校襲撃」の印象を僕は持ってはいない。「学校襲撃」であれば、夜密かに忍び込み放火をすればよい。新聞紙上での少年の行動をみれば、学校ではなく「誰」かを何らかの「動機」をもって攻撃しようとした感じを受けてしまう。

気分がすこし暗くなるのは、学校の「安全管理問題」としてこの事件が取り扱われる印象を持っているからだ。仮に学校が完全に外部者が侵入できない仕組みを持っていたとする。そうしたときに、少年の犯罪はなかったのだろうかと考えたとき、多分犯行現場が学校から「学校の外」になっただけで、やはり犯罪は起きたのではないだろうか、という思いがあるからだ。

つまり「学校の内」で起きた犯罪を、「学校の安全管理問題」で対応しても、「学校の外」で起きるだけで、僕にとっては何も変わらない。変わるのは多分学校関係者だけなのかもしれない。

小学校高学年時代、用務員の方が野球好きで、同じく野球好きの子供達を集め放課後に野球の練習をしていたので、それに参加した。もしくは土日などは校庭開放日と言い、校庭で自由に遊ぶことが出来た。クラブ活動も含め、学校は勉強以外に置いても、同級生が集まり遊ぶ、身近な存在でもあった。

「学校の安全管理」を強化するという事は、行き着けばそれらの事項をなくす方向に繋がるような気がしてならない。
授業中は校門は施錠し閉ざされ、遠隔操作されるカメラで学校の外と内を監視し、門番は武器を携帯し許可された人だけが中にはいることが出来る。勿論許可された人は武器を携帯しているか事前にチェックを受けることになるだろう。授業後は即時集団下校を行う。当然にクラブ活動等なくなる。

そう言う学校になることを誰が望んでいるのだろうか?僕らが「学校の安全管理」を声高に叫ぶと言うことは、そういう学校を実現することに繋がるような気がしている。そして犯罪は「学校の外」で起きるのだ。

子供達の下校が早くなることは、暮らしにも影響を与えるかもしれない。共稼ぎの家庭も多いと思う、そういう低学年の子供達は多分地区の児童館とか図書館に集まることになるだろう。そして今度はその児童館・図書館の安全管理が問題となっていく・・・

このブログでの記事は、「学校での安全管理」だけを問題にすることは少し違うのではないかと思っている事を書きたかっただけなのだ。問題解決をこの場で提言できるほどの力もアイデアも今の僕は持ってはいない。ただ、そうやって監視社会を徐々に構築していく様な気がして少し怖い。

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