2005/02/03

書くことと、その書いた本を書籍で見ること

「本屋に並んでいるのを見たとき。発狂しそうになる。」(田口ランディ「ドリームタイム」から引用)

▼以前の彼女のブログで、怖い話を書いていたら、自分の話で怖くなり書けなくなったという話があった。「書く」という事はそういうものかもしれない。そして書き上げた話には、その時の書き手の心情が、創作した物語の中に色濃く残る事になると思う。別な見方をすれば、書籍には書き手の姿がある程度晒されていることにもなる。

▼それが書店に並ばれる。コピーされ増殖した自分の姿が、これでもかこれでもかと、新刊コーナーに積まれる。書店に来る人は軽い気持ちで、「あ、ランディさんの新刊だ」と手に取るけど、書き手との気持ちのギャップはとてつもなく深く広い。
僕はランディさんの記事でそんなことを想像した。

▼今度でるランディさんの本「ドリームタイム」は、彼女が好きで楽しく書き上げた小説だと言うから、とても面白いに違いない。一瞬、僕にとっての初ランディ小説にしようかなと思ってみたが、実際はどうなるか自分でもわからない。

▼でもランディさんにとって、書店でのサイン会は地獄の釜の中にいるような感じなんだろうなぁ。しかも表面的にはそんな顔は出来なくて、どこかの名湯に浸かっている感じを出さなくてはいけないから、益々ストレスは重なるんだろうなぁ。などとも思ってしまう。

▼その逆に、仮に近くの書店でランディさんのサイン会があったときは、覗いてみたくなる子鬼の気持ちにもなった。

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