2005/02/21

性体験の比率は携帯電話を持っている方が高く、家族との会話が少ないほど高い?

「性体験の比率は携帯電話を持っている方が高く、家族との会話が少ないほど高い――。全国高等学校PTA連合会(事務局・東京、会員約250万人)と京都大学の木原雅子助教授が全国の高校生を対象に行った生活・意識調査で、高校生の日常生活と性体験の関係が浮かび上がった。」(読売新聞から引用

この調査の目的は「有効な性教育のあり方と性感染症の予防の手立てを探る」ため、「性体験の背景にある社会環境の変化や意識」を探ったと新聞では報道している。つまり、最終的な目的は「性感染症の感染拡大の制御」となるのであろうか。それであれば有効なのかもしれない。

でも「~を探る」為に「~を探る」と二層構えになっているのが、少し面白い。僕は調査の専門家ではないが、こういうものなのだろうか?例えば、「新商品開発の企画を探るために、現代若者の行動を探る」とは企業ではしない。「探る」事が調査であれば、それは一回で十分だと思うし、前者の「探る」事には後者の意味も含まれているとも思う。(単に読売新聞記者の文章が下手な事による誤解の可能性はあるけど・・・)

仮に今回の調査がバイアスのない結果だったとして(本記事だけでは全く不明、正直言えばバイアスされている可能性はあると思っている。)、関係性で得られた制御情報が、次のレイアにどの様に使われるのだろう。その点において興味がある。

回りくどい言い方はやめよう。僕が懸念しているのは本記事に書かれている以下の様な単純の構図のことだ。
「青少年の性感染症の拡大は防ぎたい」→「性体験の割合を減らそう」→「携帯電話の所持率と性体験の関係性がある」→「携帯電話を持たせるのは止めよう」
つまり制御要素として「携帯電話の所持率」を持ってくると言うことだ。しかも意図として青少年の性行動の制御が見え隠れする。

本年(2005年)4月から東京都で施行を目指している「淫行(いんこう)処罰規定」にあるように、現在社会の動きは「性行動の低年齢化への歯止め」にある。その中で、「携帯電話の所持率」が浮上するとなれば、それは一種の犯人捜し的な状況を呈し、社会全体が益々閉塞感が出てくるような気がしてしょうがない。

勿論、そんなことは調査側においては意図として持っていないかもしれない。でも本記事を読む事で、特に親であれば、子供に携帯電話を持たせるののに躊躇する方も出てくるような気がする。

「淫行(いんこう)処罰規定」の是非については、ここで個人意見を言うつもりはない。青少年の性行動は自己決定権を持っているとは思うが、性への自由な試行錯誤を様々な大人達から守る必要はあるのかもしれない。ただ、17才同士の性行動は許されて、17才と18才の性行動を罰則する意味が何処にあるのかが個人的にはよくわからないのは事実だ。しかし、法令として一定の線引きをせざるを得ない部分においては致し方ない様にも思える。

僕は、青少年の性感染症が拡大し、妊娠中絶が増えることを賛成している訳では絶対にない。ただ、それらを防止するのであれば、規制による隔離ではなく、別の手段はなかったのだろうか等と考えてしまう。今回の目的が別の手段での制御を行うことであれば、冒頭に言ったように調査は有効な気がするが、それは調査における各要素の洗い出しとその関係性で作られる構造モデルが事例に適用出来るかどうかで決まるのであって、単にひとつの調査項目がそう見えるかで決めるべきではないと思う。

しかし、それがこの様に新聞紙上に掲載することで、記者のバイアスがそこに入り、調査側の意図とは違う流れに組み込まれてしまう様に思えて少し気になった。読売新聞はいったいどのような意図でこの記事を掲載したのだろう。それがこの記事を読んで一番気になった。

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